02 序幕・デルミーラ
舞台設定の説明多いです
アルニラム王国は大陸の中央に位置し、王国の中心には、世界樹がある――世界樹の放つ聖なるマナは、瘴気を祓う。ゆえに、はるか昔の人々が安息を求めて世界樹に集まり、国ができたのだ。
この世界樹を癒す者を世界樹の神子と呼び、国は保護して敬うが、誰もがなれるわけではない。稀に生まれる癒しの魔力を持つ者たちを癒し手と呼ぶが、その中から選ばれる。
早春の嵐が去ると、世界樹の神子は遠征に出発するが、それは、土地の起伏や風の流れなどを要因とした、世界樹のマナが行き届かない場所で癒しの魔力を大気に放ち、瘴気を祓うのを目的としている。
国の安寧に必要な地方巡りである――瘴気から、魔物が発生するからだ。
武器を扱える者も多く、冒険者もいる世なので、多少の魔物なら問題ないが、瘴気溜まりができ、魔物が大量発生したり、新種の魔物が発生することを未然に防いでいる。
春の遠征は、特別護衛騎士隊とともに王都を出発し、北東の国境の街に向かい、そこから時計まわりに王国を一周する、一月以上かけた遠征である。
※ ※ ※ ※
二頭立ての特製箱馬車の御者台で、帽子を深く被った護衛騎士のベナットが、慣れた手つきで手綱を操っている。
その隣で、神子デルミーラは細々とした書類に樺色の瞳で視線を落とし、時折顔を上げて周辺に漂う世界樹のマナと瘴気に注意を払い、そのたびに三つ編みにした長い鶯茶色の髪をゆらゆらと揺らした。
デルミーラの乗る馬車のあとには荷馬車が二台続き、馬車の前後では、馬に乗った騎士たちが進行している。
遠征も後半、王国の西街道を南から北へ進行中、空が茜色に染まるころ、一行は今夜の野営地に到着した――野営地には、三方の壁に床と屋根があるだけの、簡素な箱型の小屋が三軒並んでいる。
箱小屋と呼ばれるそれは、土魔法の魔道具で建てた石造りで、町や村から離れた街道沿いの野営に不便しないよう、国内の多くの場所に設置されている。
誰でも使えるようにと表側は壁がなく、鍵も扉も必要としない造りは、定住には不向きだが、テントなしに雨風しのげるので、街道を利用する多くの者に重宝される小屋だ。
着崩した生成りのシャツに黒の細身のパンツ、腰に下げるシンプルな剣と、飾り気のない男装に身を包んだデルミーラは、御者台から降り、今回の遠征から隊に加わった騎士クロードウィッグと古参騎士の二人が、馬車馬から馬具をはずしながら雑談していることに気づいた。
遠征生活を長く過ごし、遠慮も少なくなり、馴染んだようだ。
「今夜は、月がきれいに輝きそうだな」
「はい、二つ目も昇り始めましたね」
「なんで男同士で、ロマンチックな話題を出してんだよ」
「俺は月見酒を楽しみたいんだよ」
ふと耳に入った雑談に気になる単語があり、デルミーラは箱小屋に向かうべく歩み出していた足を止めて、視線を遠くに投げ、野営地周辺を見まわすふりをしながら、その場に留まった。
「僕は月が二つとも満月なら、お酒じゃなくて、フルーツたっぷりのガレットが欲しいですね」
「お前、甘党だったのか?」
「違いますよ、地元の噂です。二つの満月を見ながらフルーツガレットを食べると恋愛運が上がって、想い人と食べると仲が深まるらしいです」
「残念ながら、今夜は片方が少し欠けているな」
「根拠はなんだ?ガレット屋が売りたくて、噂を流してるんじゃないのか?」
「そこまで詳しくは知りませんよ、ただの噂なんですから」
「言い切るなよ、今度帰ったら調べろ。俺の結婚がかかった宿題だ」
三人は手を動かしながらも、実のない話に笑い合っている――それを横目に、野営準備に勤しむ皆の注目を集めるべく、デルミーラは声を張りあげた。
「皆の者すまない、ここから引き上げるぞ。すぐに出立準備に切り替えてくれ」
男勝りな口調で言い終えると、騎士たちがあ然とする中、すでに箱小屋に入った騎士隊隊長アインハードのもとに歩を進める。
この日に通ったルートで気になる場所があったのか、地図に書き込みをしていたが、声は届いていたのだろう。デルミーラを迎えるために、筋骨たくましい腕から伸びた手を止めた。
「理由はなんだ。瘴気か?」
「アイン、夢のお告げだ。ここから移動するぞ」
「お告げの内容と、これから起こることを尋ねたい」
長い付き合いの二人、話は早い――雑談に興じていた三人をちらりと見て、デルミーラは説明に入る。
「ロマンチック、月見酒、ガレット、宿題、以上四つの単語で盛り上がる男たちの後ろ姿の夢だ。脈略のない単語は忘れない……このあとに起こることは見てない」
「起こることは、見てない?」
アインの怪訝そうな顔がデルミーラを見返し、さらなる説明を求めていると知らせる。
「このお告げは後半を見せない。だが年に一度、必ず遠征前に見るんだ。今年は早春の嵐の前夜、これで六度目だ、何か行動を起こすべきだ。ここには問題が見当たらないから、留まる選択肢はない」
「もう夜になるんだぞ。何が待ち受けているのか情報がない夜間進行は慎重に考えるべきだ」
「今夜は月が二つだ、ランタンを灯せば問題ない。速度は出さず、周辺を警戒しながらで構わない」
デルミーラは眉をひそめて不満顔を見せ、これは折れないだろうと察したアインはため息をついて、話しながら畳んでいた地図を再び広げた。
「馬の疲れも考えると長時間は無理だが……どの方角に?」
「今日通ったルートに大きな問題はなかったはずだ。このまま街道を北に進んでくれ。周辺の瘴気とマナの流れを読んでみる」
アインは頷くと、二人の成り行きを見ていた騎士たちのもとへ向かい、デルミーラは硬い表情のまま、御者台に戻ってベナットと並んだ。
その後、一時間ほど速歩で進行するが、おかしい様子はどこにもなかった。わずかに瘴気の気配はあるが、この程度なら問題もない。
念のためにと、御者台から一度癒しの魔力を大気に放ったが、数匹の魔物に遭遇しただけだった。
癒しの魔力は瘴気を祓うが、体の出来上がった魔物には効かず、騎士たちが剣を抜いた。屈強な騎士たちにとって藍色狼は雑魚扱いで、あっさり討伐した問題のない進行だ。
不可解だとデルミーラの胸はざわつき、休憩を挟んで馬に水を飲ませ、その間にアインと相談すべきかと考え、騎士たちに進行を停止する合図を送る。
ランタンの明かりのもと、アインと顔を合わせて地図を確認していると、少し先で、東に向かう分かれ道があることにデルミーラは気がついた――小さな村に続いている街道である。
「アイン、この村の情報はあるか?」
「ここは風読みの村だ。ほら、ここに塔の印がついている」
アインは地図の、その箇所を指差しつつ説明を続ける。
「何年か前の橋工事の事故で村長が亡くなっている。村長のご母堂が高齢ながら、風読みの研究と村長代理をしているはずだ」
「村長代理が高齢の女性で、風読みの民なら信用度は高いな。事件の可能性が低いなら、事故か……魔物の襲撃を受けているのか?」
耳を傾けていたデルミーラは考えを巡らせ、それは口からこぼれ、誰かへの問いかけではなかったが、アインが答える。
「このままの速度で分岐点まで進み、確認に二人向かわせる。これ以上の夜間進行は負担も大きい。分岐の近くでテントを張って野営にしよう」
その判断は気に入らないと、デルミーラは眉をひそめてアインを睨みつける。
「村に行きたい、譲れ」
「譲れません。最初の野営地より、ずいぶんと進みました。行動は起こしましたので、お告げの結果も変化したとお考えください。今回の遠征は不可解なことが先にもありました、慎重に見極めるべきです」
アインは普段より丁寧な言葉で会話を終了させると、指示を待つ騎士たちのもとに向かったが、デルミーラは納得できず、足を動かさない。
夢のお告げと呼ぶそれは予知夢であり、世界樹からの贈り物で、デルミーラ独自の能力だ――贈り物の能力は神子により異なり、必ず贈られるものでもない。
夢のお告げは、よくある日常や他愛のない会話などで始まり、場面を変えて、悪夢で終わる。
夢のお告げから得る情報で、悪夢の再現を防いだり、それが敵わなくても、癒しの魔力で多くの危機を乗り越えてきた。
世界樹が危機を知らせているのなら、神子として手は尽くしたい。が、今回は珍しくも、どんな悪夢が待っているのかが不明なのだ。
情報がなくては無茶もできず、対策を練ることも無理。
納得ができなくても、騎士や馬にこれ以上の負担をかけるのは、明日からも続く遠征に支障が出る。半月以上前にも不可解な出来事があった。
慎重にとのアインの決定も理解でき、胸にあるざわつきを落ち着かせたくて大きくため息をついてから、デルミーラは馬車に向かった。
設定小話
噂はガレット屋が流しました
恋心の応援目的です
御者をする騎士ベナットもこっそり聞いてます
お読みいただき、ありがとうございます