178 走った先にある想い
朝食から部屋に戻ったルークは、マントを手に取り、悩む顔を窓に向けた。館と宿舎を行き来するのを目撃されても、クルルが新しい遊びを始めただけと勘違いさせるため、マント姿で飛び下りていたが、これはまだ続けるのか。
館への出入りを門前の騎士にも見せなかったのは、エルーシアの情報を徹底して隠すためだ。しかし、王城を歩きまわり、隠す必要はなくなった。
フードで潰れるからとか、贈り先がバレてる可能性があるなら花屋の出入りも控えたほうがいいとか説明され、花かんざしも贈ってなかったが、門から出入りしていいのなら、花屋にも寄りたい。
だが、まだ通う姿は隠すのか。昨夜、飲み交わしたときに聞けばよかったが、気づいたのは今朝で、すでにクロードは王城へ出たあと。
視界に入る先の塔で、淡い蜂蜜色が風になびき、悩みは瞬時に消え、マントを羽織りながら飛び下りる。夜の遅くに雨が降ったのか、濡れた芝で着地する足が滑って手をつくが、すぐに体勢を整えて走る。
手探りでサイドポーチを漁り、手首に腕輪を通すが、目視なんてしない。そんな時間すらも惜しい。塔の裏手にある扉から入り、一気に駆け上がる。
「クルルはどこだ。こんなに長い階段を一人でのぼるなんて、何を考えてるんだ。濡れた階段だぞ、危険の塊だろ!」
昨夜の雨雲を遠くまで運んだ風は強く、久しぶりに塔から魔力を溶かしていたエルーシアは、頬を引きつらせて振り返る。
動きやすい細身のパンツに、足首をしっかり支えてくれるブーツだから、濡れた階段でも危険は少ない。それに、小さい姿だけど、クルルもいる――足もとから、存在を知らせるためか小さく鳴く。
説明すれば伝わるか。しかし、これまでも気遣い多かったルークが、もの凄い過保護な者へと育っている。
これは、口調で距離が縮まったせいではない。クロードと過ごしすぎたか、アインやベナットたちのやり取りを遠出中に間近で見てきたからか。画策の多さに加えて、命まで狙われたのだ。さらに、一人で毒の調合も行った――思い当たる節しかない。
「数え切れないくらい、これまで濡れた階段ものぼってきたのよ。長雨も平気だったじゃない、大雨でも雪でも慣れているの。真夏は夕方や夜に雨がよく降るけど、心配しなくて大丈夫よ」
「……雪でもか、滑りやすいのに」
慌ててマントを着けたので、ルークはフードを被っておらず、見せる瞳がぎらりと光り、エルーシアは失言したことに気づき、大人しくエスコートされて階段を下りる。
皆の都合を聞いて、奴隷紋の報告をするために集まり、世界樹の悪夢も相談しようと考えていたが、このまま進めていいものか、悩み始める――不安を煽りそうだ。
※ ※ ※ ※
昼食の時が近づき、クロードとロズが連れ立って現れ、それぞれが座り慣れたソファに腰を下ろし、ルークは読んでいた図鑑を閉じた。
クロードが訪ねるなら、何か情報の共有や報告があるだろうと――隊の皆と、調査を終えたばかりのはずだ。
「集まった大勢の前で真っ先に座り、嘘偽りなく、デルミーラへの深い想いと、エルーシアを愛し子として守ると公言してきましたよ」
にっこりと満足そうに笑うクロードは、これで二人が恋仲との噂と、断っても届く見合い話が消えることを願っている。
その場で直に聞いていたロズは、真実の椅子で永遠の愛を誓ったのだと頬を引きつらせ、ここでも行動一つに複数の意味を持たせるなと、ルークは謎の感心をする。
皆が滞りなく取調室での調査を終え、王国やエルーシアへの忠誠心を表明し、画策を否定したとのこと。
資料管理部の者は、ほかの部署や施設との予定が詰まり、上司とはいえ勝手に急な休暇は与えられないが、隊の者は午後のシフトを変更できるよう、指示を第二騎士団の団長に出してきた。
「戦略のためとはいえ、大勢の前で嫌な思いをさせましたからね。労いも込めての余暇です」
「なら、ロズも午後は暇になるのか?」
ルークの問いに、ロズはふるふる首を振る。部署の者として、勉強も兼ねた務めがあるのだ。
館への訪問をすべて断っていたが、その障害がなくなったので、午後はランベルトを迎えて、山積みになった相談をエルーシアは予定している。
それにロズは、まだ幼いころの誓約書を握られているから、不必要な外出は避けたほうがいい。
元公爵の情報は、ジェイの悪評の出どころを調査しているころに掴んでいた。没落とともに野望も失い、静かに隠居生活をしている――はずだったが、アクセルの使いが訪ねると、この世を去ったあとだった。問題の息子が、誓約書を持って身を隠したまま。
「勉強会は明日から再開するので、その前にルークも用事を済ませたらどうですか?ジェイに買い物を頼んでいるので、一緒に出かけたら道に詳しい者の案内がありますよ。館には私が残りますから」
「あっ、それなら自分も、頼みたいことがあります」
小切手の手続きや、遠出で入手した魔核の受け渡しでギルドに用事はあり、購入したいものもある。午後の予定は商業区と決め、ルークは頼み事も請け負い――アリッサと連絡をとるため自室にいたエルーシアにも、居間に下りてくると声をかける。
必要なゴーグルは、どんな仕様なのか。守るために買いたくて、断れない瞳を向ける。
※ ※ ※ ※
ルークがカウンターで、革袋をひっくり返して魔核をじゃらじゃらとトレイに広げると、一人で持ち込むには多い量に、職員は目を瞬かせ、入金は翌日でいいか口にする。種類も異なる魔核が何十個もあるから、確認に時間をもらいたい。
構わないと答え、書類に記入やギルドカードの確認などやり取りを交わしていると、背後から、にゅっとジェイが顔を覗かせた。
「なんか、隊の引き渡しと大して変わらないんだな」
「今回は全部売り払うからな。魔石に加工を頼むわけじゃないならこんなもんだ」
騎士は冒険者ギルドに出入りせず、ジェイが入ったことがあるのも、依頼者用の入り口から二階の応接室への直行だから、冒険者たちであふれる一階は珍しいのだ。
口座のやり取りをしているときは、側から離れて、掲示板の依頼書にも張りついて読んでいた。
用事を終えたルークがすいっと立ち上がって、順番を待つ冒険者に椅子を譲って歩き出すと、ジェイもきょろきょろ観察しながらついてくる。
鍛えた大柄な身で、帯剣もしている。今日は騎士服から身軽な私服に着替えているから、冒険者に見えなくもないのに――新人冒険者みたいな様子に、思わず小さく笑ってしまう。が、さすがジェイ、出るときに、警戒から尻尾が固まるようなことを口にする。
「おう、そうだ。ここで爆弾を売ってるんだろ、買おうぜ。どんな感じか試そう」
「どこで、何を試す気なんだ。エルの近くで危ないことはさせないぞ」
思いついたのは樽爆弾だろうから、阻止する。睨むと不満そうな顔をするが、年明けに副隊長になれなくなるぞと左腕を叩くと、危険性を理解して頷く。ベナットの腕が斬り落とされたのだ。
爆弾を投げるのを見たことはあるが、手にしたことはないと言うので、手持ちが一つあるから、樽に詰めないなら譲ると約束する――爆弾と比べられない火炎を放つのに、不思議と喜ぶ。
「冒険者への依頼って、逃げた馬の捕獲とか、崖の野草採取とか、護衛や魔物討伐以外も結構あるんだな。あの依頼もな、遠出前に見てたらルークに頼めたのに」
騎士が依頼を請けるわけにもいかないから、身近な冒険者を利用するつもりだったか。別のことも思いついていたらしい。
これ以上の依頼を請ける気がないルークは掲示板を素通りしたが、一体どんな依頼に巻き込まれるところだったのか。街道を並んで歩きながら、確認してみる。
ジェイが気になったのは、一見楽そうで、太っ腹な報酬の依頼だった――枝葉や花や果実と一緒に、採取時の情報説明の書類を送付し、既存の図鑑に載ってない未発見植物だと判明したら、一番手に報酬を振り込むとあった、植物採取。依頼人は、植物学の教師二人。
人通りの多い街道、聞き耳を立てる者がいないのも確認するが、獣人や半獣人は耳がいい者もいる。腕を引いて耳に近づき、こそりと教える。真の依頼人と、依頼目的を。
「身近な人からの依頼だったな。なら、冒険者じゃなくても持ち込みでいけるか。まだ機会はあるからな。夏の終わりに、一度王都を離れるんだ。ルークも一緒に行くか?」
「あ?隊の任務とは別なのか」
「おう、領主様が、領地の確認をするんだ。道中に魔物の狩り場もあるぜ」
領主とは誰のことか、簡潔すぎる説明では分からず、眉を下げて尋ねると、俺のことだと返ってくる――そんな素振りは見せないが、男爵であり、領地もある。
王都を離れられない勤務だから普段は家令に任せているが、長期休暇を利用して、年に一度か二度は顔を出すようにしている。
「執事なら北西の城にいる奴と話したが、家令ってのは、執事の同僚かなんかか?」
「執事とは違うな。領主の務めの大半を知って補佐する、右腕ってところか。兄弟が家令になったりもするぜ。デルミーラ様の父親も、アイン隊長の父親の弟で、家令なんだ」
領地や事業の管理で金の出入りを把握するから、信頼できる者へ。領主の身に何かあっても、すぐに対処できるように、この国では男性親族を家令にすることが多いとジェイは続ける。
魔物の被害がある世の中、王都との行き来や、領地視察で命を落とすことも多かった。だからこその風習。跡継ぎが幼ければ、名付け親と一緒に補佐したり、家令自身が継いだりもする。
男爵として領地を与えられても、ジェイには治める知識はなく、兄弟もいない。貴族社会に詳しい親族もだ。それで、辺境伯家につながる者を紹介されて、領地のすべてを任せている。
家令は今、領地から王都にきて、館に身を置いて会議や議会に参加しているから、戻るときに同行して数日滞在する予定なのだ。
「二人して、マックスにデレデレなんだ」
「ジェイには家令が二人いるのか?」
「いや、お袋。王都しか知らないから、男爵になってすぐのころに領地に遊びにいかせたんだ。そしたら、なんか、家令といい感じになって、結婚した」
いつもウィノラの話題ばかりで、ほかの家族の話は聞いたことはなかったが、孤児でなければ、いて当然か。しかし、それなら父親はどうしたのか――聞いてはいけないことか。
ルークは最初に寄る店はどこかと話題を変えるが、頼まれた酒屋に向かっていると返し、ジェイは話も蒸し返す。とくに隠してない。
「親父は第二の騎士だったんだけど、俺がガキのころ、王都近郊に侵入した大型の魔物討伐で死んだんだ。ウィノラと結婚して寂しくさせるかって思ったが、田舎暮らしを楽しんでて、家令に感謝してるぜ」
「ああ、そういうことか」
修羅場でもあったと考えたが、違う様子。だから二人揃って、孫との触れ合いを楽しんでいるのか。
ジェイの話は、酒屋や本屋や床屋に向かう道や、ルークが買い物する間も続いた――親父の背を見たから騎士を目指したとか、お袋に楽をさせたくてアクセルの護衛を引き受けたとか。親父譲りの体格が役に立っていると笑う。
相棒のおやつやエルーシアへの贈り物で膨らんだサドルバッグを背負い、帰路の馬車鉄道に揺られているとき、楽しそうにしていた雰囲気を消し、ジェイは大きなため息をついて頭をかいた。
何か用事を忘れたかとルークが問うと、小声で、成果なしと告げる。
クロード行きつけの店で、配達を頼むメモを渡すとき、探りを入れた者がいるか尋ねたが、とくに気になる者はいなかった。何気ない様子で歩きまわったが、接触する者も現れない――声をかけやすくするため、あえて騎士服も脱いだのに。
午後が余暇になったのは、隊の第二騎士団の者たち。ジェイは違う、第一の騎士だ。皆に混ざるように王城から離れたが、特別な任務が与えられていた。
「元公爵の息子か?」
馬車を降りて無言で街道を進み、騎士が遠くから監視する以外は人けのない、いつも曲がる路地に入ると、ジェイは情報の共有をはかる。
名はハーゲン、髪色は変えた可能性が高いが艶の少ない柳色、鋭くて暗い赤い目。王城や宿舎には近寄らないはずだから、離れるときは周囲に気を配れと頼む――だが、頼まれなくてもそうする。エルーシアの無事に関わる。
門前の騎士がジェイに気づいて手を振るが、呼んでいる様子はない。警備に問題はなかったのだろう。なら、ジェイは普段と変わらぬ行動をとるため、妻子の待つ館へと帰る。
ここで別れの挨拶か。ルークは礼だと、バッグから一本のウイスキーを取り出す。以前、ジェイがとっておきだと持ってきたのと、同じ工房の酒。
「おう、別に街歩きの礼はいらないぜ。こっちの捜査に付き合わせたからな。一人でうろうろするより、二人連れで買い物するほうが自然だろ」
「それもあるが、違うな。こんなものでは足りないが、一晩エルを背負って走ったんだろ、倒れそうな身で」
四年前の出来事を詳しく知ったのか、ジェイは驚く。男爵になったのは神子を守った功績、そう公表されたが、怪我の情報は伏せ、隊の皆は口外禁止された。
伝えたのは、エルーシア自身か、後悔を続けるクロードか。どちらとしても苦しい選択――礼は受け取れないと目を鋭くさせ、護衛として確認しろと伝えた件は耳にしたのか問う。
「いや。昨夜クロードと話したが、一杯飲むとすぐに部屋に戻ったからまだだ」
「それなら、次に二人きりになったときは必ず尋ねろ。礼をする気なんて失せるぜ。俺は、護衛騎士なのに、守る術が足りなかったから走っただけだ。男爵も、最初は隊長に話がいってたのに、辞退して、気づいたら俺に転がってきたんだ。ウィノラと結婚するために必要だからって、エルーシアが手をまわして……応援以上の礼は受け取れない」
北西にいるとき、ウィノラの侍女からの報告を耳にした。まだ背に残る、酷い傷痕。礼をされる資格はないと、ジェイはつらそうに眉をひそめる。自身の幸せは、魔物から襲われているのに何もできず、苦痛を増やしたことで得られたのだと。
ルークはウイスキーを差し出しながら、消す術が見つかったことを教える。
「最上の神子に届けたから、エルは助かったんだろ。ジェイが走らなければ、オレは出会えなかった」
クロードの頑張りで運命の人に出会えたジェイは、息をのんで目を見開く。この二人の出会いは、どんな意味があり、何につながっているのか。
ジェイが必死に走ったから出会うことのできたルークは、満足そうに口角を上げる――先にある運命を知ることはできないから、今はただ、愛するための出会いに感謝して。
設定小話
生まれも育ちも王都なのに、実家の話が出なかったジェイ。家族仲が悪いわけではなく、王都での実家がなくなったからです
王都にいたら、悪評に胸を痛めたでしょうから、田舎にいてよかった
もちろんクロードにも実家はあるわけで……まだ出てないのは……深い意味はない。設定はあるので、話の流れで機会があれば、さらりと出せたらいいな