175 厄介な再会
手紙を読みながら午後を過ごすエルーシアは、ランベルトからの分厚い報告の束をテーブルに置き、先日届いた治療院や王城の教育部署からの手紙を取り出した。
要点を頭に入れ、どうにか上手く対処できないかと考えを巡らせ、大きなため息をこぼす。
夜会で叱責し、これまで滞っていた提案があちこちで動き出しているが、反論の声もある。だが、これは問題ではない。
意見は受け入れると告げているし、多くの意見を出し合うことでより良い方向に進むから無下にはしない。改善につながるならと一通一通に返信をしているが、量が多いのだ。
対面ならこんなやり取りも不要なのにと、新たなインクビンをあけ、してほしい手続きや対処を書き込む。
しかし考えは上手くまとまらず、書きかけの手紙をくしゃりと潰して暖炉に投げる――夏で火は入っていないが、紙クズがあると、モウが喜んで夜中に燃やすから。
気分転換に別のことをしたいが、クルルは裏の狐たちと遊び、ハリエットは昼寝中のバーニーに付き添っている。画策に警戒する中、ジェイを門前から呼びつけるのも気が引ける。
双眼鏡を使えば顔を確認できる距離。王城から見える庭を歩くのも、塔に立つのも、命が狙われているなら避けるべき。それで、午後一番に届いた荷を抱えて、一人で地下へと下りた。
※ ※ ※ ※
教会をあとにしたルークとロズは、折角なのでバザーのテントも覗こうと、人が混み合う中を進み、どこかの村の特産らしい織物や焼き菓子、リゲルからの出店の絵本や魔道具、ベラトリからの新作工具、サイフの工芸品などを眺め――行き交う者の格好にも目をとめる。
着飾ったワンピースが一番多いが、流行りは順調のようで、ワイドパンツ姿や細身のパンツ姿の女性も多く、旅装らしく乗馬服のまま歩く者もいる。
「夢に見ている世界は、こんな感じなのかもな」
ぽそりとルークが呟く声は雑踏にかき消され、ロズはモウの刺繍を販売するテントを見つけ、寄ってみようと声をかけたが、人混みで注意が逸れたか、前のめりに転んだ。
すぐにルークが手を引いて起こしたが、騎士が情けないと大きな笑い声があがり、わずかに人の流れが変わって空間が生まれた。
「騎士だって転ぶときもあるだろう」
ルークが笑い声のもとを睨むと、見覚えのある藍色の目。隣に立つのも、騎士服と揃えたような濃灰色の目だが、いやらしく細めて笑っている。
バザー会場を巡回する騎士たちであり、辞めさせられた補充隊員でもある。ルークを殴った者と、眠りの毒で運ばれた者。
「なんだお前、あのときの獣くずれじゃないか。なんでお前がこいつと一緒にいるんだ」
「俺たちを蹴落として、お前も上手く神子様に取り入ったってわけか。獣臭い奴が英雄気取りか?」
免除組で討伐の腕は未熟だが、高位貴族の子息。関わるのは厄介だ、ルークは眉間にシワを寄せる。
二人の騎士は、鈍臭いくせに腹黒いだの、へらへら笑って神子の機嫌を取っただの、わきまえろとロズにも言いがかりをつける。
騎士としての決意は胸にある。ロズは威厳を持とうと顔を上げ、睨みつける。
「お二人が残れなかったのは、自業自得です。自分は第三からの派遣ですが、先を約束された身です。二年後には第一の騎士になりますが、足をかけ、嘲笑を続けますか?」
「お前ごときに約束だと?下位貴族同士でつるんで、隊長と何を企んでいるんだ」
「知の副隊長も騙して可愛がってもらってるからって、俺たちに偉そうにしてんじゃねえよ」
目をギラギラさせて睨み返す騎士たちだが、ロズも引かない――この人混みで抜刀していいものか、騎士相手にどう対処すべきか。ルークは考えつつ柄に手をかけるが、ロズが上から押さえた。
「総団長代理は失脚します。免除制度は撤回されて、実地訓練をしていない騎士は二択を迫られますが、身の振り方は決めてますか。問題を起こさずに、自らの明日を考えてください」
この指摘は痛いものだったようで、二人の騎士は睨み続けるが口を閉ざし、ロズは目配せをしてルークを連れて場を離れた。
広場を巡るような楽しい気分は消え、早々に人混みから抜けて街道を歩きながら、今は彼らも苦しい立場なのだと口にする。
高位貴族の家に生まれたとしても、跡取りや補佐に選ばれなければ、家に残っても肩身は狭い。だから騎士や文官の道を選ぶのだが、近々免除組は岐路に立たされる。
二年の実地訓練を受けるか、騎士を辞めて文官になるか。今さら十代に混ざって訓練生になるのは自尊心が傷つく。だが、突きつけられた選択で文官になっても、準備不足で職場の目は厳しい。
「自分が部署で受け入れられてるのは、騎士のままで、隊長の直の部下だからってのもあるんですよ。まだ教えてもらわないと、書類一枚まともに書けないんです。決まり事が多くて」
「その二択しかないのか?ほかにも職はあるだろ」
「ありますが、家からの反対もありますよ。魔法文字の文士や教師とかならいいですが、高位貴族が自由気ままな行商人になりたいって言い出したら、勘当されますね。きっと」
高位貴族ではないが、爵位を継げないクロードも、皆が目指しているからと騎士の道を選んだ。貴族たちの体面やしがらみか、厄介で複雑だとルークは考える。
投げる視線の先、館や宿舎へと入る脇道のある場所。街道を行き交う人の中に、ジェイの姿がある――恋心のために、厄介な身分へと突き進んだ者。
「ジェイさん。まだ交代の時間じゃないですよね」
「門前から離れて、表で何をやってるんだ」
「走り去るガキを見なかったか?」
近寄り、何か問題かと尋ねると、ぎらりとした目で質問が返される。だが、広場に向かう者や帰る者、いつもより人の出は多く、ガキと問われても心当たりはない。
どんな背格好か確認するが、ジェイは頭をかき、口外禁止で詳しく説明できないと伝える。
「禁止ってことは、画策か。館に異変か?」
「侵入はされてないから大丈夫だぜ。画策じゃないけど……画策か?悪いな、エルーシア様の耳に入れたくない情報なんだ。護衛として隊長から聞いてくれ」
やり取りを交わしながら歩を進め、互いに情報はもらえなさそうで解散する。門の内側から様子を窺う隊の者に大丈夫だと声をかけ、たまに見かける騎士と並んでジェイは門前に立ち、ロズは王城への通用門をくぐり、ルークは宿舎の敷地に入ろうとして、たった今、歩いてきた街道から大声で名を呼ばれた。
顔を向けても、小さく見える人影が誰かは分からず、呼ぶ声に心当たりもない。名を呼ぶのは誰かと訝しんで見つめる。
「おい、ルーク。呼ばれてるぜ。昔の知り合いとかじゃ――」
「名を呼ぶ知り合いなんかいない」
ジェイが声をかけるが、即否定する。まともに名を呼ぶのは、この三月で出会った者ばかり。ジェイにも聞き覚えのない声なら、なおさら画策絡みかとの考えしか出てこない。
立ち去ることはなく、近寄ることもない。ただ、表の街道から手を振っている。
単眼鏡で確認するか、無視するか。しかし、宿舎という居所がバレているなら、話す必要があるか。
ついていこうかジェイは申し出るが、ルークは断り、何かあれば大声を出すからと一人で街道に向かう。警備を手薄にする画策の可能性もあるのだ――警戒心を持ち、目を鋭くさせて近寄り、誰か分かって、胸に不快感を広げる。
「なぜ、あんたに名を呼ばれるんだ」
「仲間だったんだ、仲良くしようぜ。半獣人同士なんだ、困ったときは助け合う気持ちが必要だぞ」
「仲間だった覚えはない。五年前に数日一緒だっただけだ」
目の前にいるのは、相棒に出会う直前に依頼をともにした半獣人の冒険者。捨て台詞を吐いて別れ、馴れ馴れしくされる心当たりはない。
だが、にやりと笑って近寄り、紹介しろよと告げる。誰にだとの思いで睨みつける。
「ギルドの職員たちが話してるのを聞いたぜ。魔力研究の協力者に選ばれてるんだろ?俺も応募したが断られたんだ。なんとか口利きしてくれよ」
「リゲルで高ランクの冒険者をしているはずだろ。仲間と国に帰れ」
「ああ、あいつらな。腕がなくてさ。あのあとすぐに怪我でダメになったんだ。俺も一人だと、中ランクに逆戻りされてさ。この五年、運がないって思ってたけど、ようやく楽できるぜ」
ベラトリの国境警備を請けた帰り、ちょっと懐が暖かいから遊ぼうと王都に立ち寄ったが、運が向いてきたと笑いながら肩に手をまわそうとし、ルークは強く払いのける。
「冗談じゃない。なんの義理があってオレが紹介すると思ってるんだ」
「おい、ベラトリの半獣人がいい気になるなよ。俺はリゲルの出身だが、お前は罪人の子だろ。このこと、神子様が知ったら――」
「知っているがどうした、それが脅しになると思っているのか?あんたみたいなのを、側に近寄らせるわけないだろ」
ぎらりと睨みつける目を鋭くさせ、護衛も請けている、下手な真似を続けるなら剣を抜くと柄を握る。
一人で高ランクになった者と、仲間がいてようやくなれたが、すぐにランクを下げられた者。まともに戦えば、勝敗は一瞬か――払いのけられた腕の痛みは、力量の差が縮まっていない証拠。
自身とは異なる仕立てのよさそうな剣を確認し、嫌そうに口を歪め、ちらりと門前の騎士も見て、問題を目撃されるのは不利と考えたか、次に会ったときは覚えていろよと言い残し、尻尾をぱしんと鳴らして背を向けた。
なんとかやり過ごしたか。ルークはため息をつき、姿が小さくなるのを確認してから振り返る――これは、誰かに報告が必要なことか。取りあえず、心配をかけたジェイには伝えるべきだろうと、門前に向かう。
※ ※ ※ ※
忠告を受けて再び館の扉をあけたルークだが、居間は無人だった。が、テーブルには書類や手紙があり、待っていれば戻ってくるだろうと足を踏み入れ、マントを脱ぎ、びくりと尻尾の毛を逆立てた――床から、真っ黒なモウの頭が生えている。
訪問者の確認か、深く息を吸い込んで気を落ち着け、尻尾の毛を戻すと、頭はすいっと潜った。
「これが……隙間を通る瞬間か」
悲鳴はあげずに済んだとの思いで消えた床を見つめていると、再び頭が生え、びくりとするが、また吸い込まれるように消える。
「何がしたいんだ?驚かせたいだけか?遊んでるのか?」
独り言が続くほど不可解な行動。だが、また現れた頭を見て気づく――モウは働き者だ。
佇むのは目撃したことあるが、クルルのように遊んでいるのを見てない。地下で何かあるのか、呼んでいるのだと考え、階段を下りる。
扉を開放した洗濯室を覗くが、洗浄と脱水機能がある二つの樽が対になった洗濯する魔道具や、きっちり棚に並ぶ乾燥木箱や洗剤、吊って干されたシーツなどの隙間に異変はなく、あとは、バーニーの玩具か、床に木彫りの人形やボールが転がるだけだ。
次に作業部屋の扉をあけ、モウの姿を探すも見当たらず、テーブルの向こう側、床に座り込んで涙を流すエルーシアを見つけ、すぐさま駆け寄る。
「エル、何があったんだ」
「ルーク?なんでここにいるの?」
指先で涙を拭い、優しく手を引き、椅子に座らせ、今度は何に心悩ませているのかと心配して瞳を覗き込む。しかし、涙は悩みが原因ではなかった。
毒の調合をして、気化した成分で涙が止まらなくなっただけだと説明される。前の調合でゴーグルを落として割ったが、急ぎ必要な毒だから誰にも声をかけないまま、大丈夫だと判断したと。
「心配かけてごめんなさい。でも調合は慣れてるし、こんなこと初めてじゃないのよ。落ち着くのを待ってただけなの。今回のキキョウは掘りたての根で水分が多かったせいだと思うけど――」
今年の春の遠征前は、同行希望者が増え、門前に訪れる癒し手がいた。クルルが護衛するから近寄れなかったが、森の中層で待つ癒し手もいた。
魔力研究を断られた半獣人が、同じ行動に出ることも考えられる。冒険者なら、より荒々しい手を思いつく可能性もある。事前に知らせるべきだとジェイに教えられた。
それでルークは訪ねたが、泣いている理由を聞いて、血の気が引くということを覚える。
眉間にシワを寄せて、手伝うと言ったはずだ、危険に囲まれているんだぞ、気を使わずに守らせろと、感情のままに胸にある思いを口にする。
クロードの小言が納得できる。自身の価値を理解していないから危険に足を突っ込むのだと結論を出す。
考えずに突っ走るジェイとは異なる、考えたうえで行動している。そして、危険を増やしているのだ――こっちのほうが、より複雑になるから、厄介だ。
設定小話
クロードが異動したころの資料管理部は、閑職だから、余裕で学ぶ時間があった
重要部署になってからロズは異動したけど、ベナットの指南で週三抜けるし、ボスの部下だし、ランベルトも受け入れてるし、神子と勉強会してるし、と特別待遇。あと、人懐っこいから皆に歓迎される