146 憂鬱さを胸に秘める
花屋に足を運んだルークは、鮮やかな藤色の花から甘い香りを感じ、この日の贈り物に決めてきれいに咲いた枝を店主に渡し、代金を支払うためにサイドポーチに手を入れた。
「ヘリオトロープなら、もう少し淡い色も仕入れてますが、こちらでいいんですか?」
「ああ、頼む」
昨日は朝ではなく昼にルークは訪れ、いつもとは異なる色の花を購入した。今日は朝に訪れたが、また色が異なる。何があったのか花屋の店主は不思議に思いながらも、詮索はしない。
不要な枝葉を落としているとき、ルークは手もとを観察しつつ、枝に巻くテープは購入できる品か尋ねた。
いつも見つめていたのは技を得るためか、今後は自ら花かんざしを仕上げ、常連ではなくなるのかと店主は顔を歪める。
その様子に、テープを購入したい理由を伝え、どこで手に入るか質問を変えた――そんなやり取りをしているころ、アクセルが神子の館を訪ねていた。聞き取りをした昨夜は、レイを連れて館に戻る必要があるから置いて帰ったが、真実の椅子をあるべき場所に戻さないといけないのだ。
「ロズの返答には驚いたぞ。すでに誓約した者を側に置くなんて、神子もクロードも警戒が足りなさすぎだ。補充隊員を選ぶときに、もっと詳しく調べていれば防げたはずだからな」
「仕方ないじゃない。ベナットが怪我して、アクセルは残るって決めて、クロードがどれだけ忙しかったか知っているでしょ」
ロズが真実の椅子の鈴を鳴らし、嘘はついてないと慌てふためくのを落ち着かせ、透明になった魔石に魔力を注ぎ、問いかけを続けた。
はいと答えるように指示して尋ねた質問は三つ。未成年での誓約か、入学前の誓約か、誓約内容は覚えているか――最後の質問にだけ鈴は反応した。それの意味するものは、残酷である。文字を覚えたばかりの幼きころに、誓約を交わしている。
青ざめるロズのあと、念の為にとルークも真実の椅子に座ってもらい、ほかに誓約はないと確認もした。
「東寄りの北部の男爵家だ。あとは任せろ」
王国は王都と周辺以外の地を四分割し、三人の公爵と辺境伯に預け、ほかの貴族たちはその下で領地を治めている。
ロズの出身が北部の西寄りなら辺境伯に頼もうと考えたが、東寄りの領地を治める家の出だったから話の進みが早い。現在、王国北東の地を預かり、国境を領地にしているのは筆頭公爵である、アクセルの養父だ――腐った考えは払拭すると、賢王になるために考えを巡らせ始めた。問題は解決するだろう。
椅子を大きな木箱に仕舞い、持ち上げたアクセルは両手がふさがったので、エルーシアが玄関扉を開き、そのまま門まで見送ろうと歩をともに進めた。
不思議に思うことを尋ねたり、頼みたいことはまだあるからだ。まず気になるのは、どこから真実の椅子を持ってきたのか。
「謁見の間からだ。取調室のは、運送ギルドの職員が順に座っているから動かせなかった。神子に届くはずの木箱がまだ不明だからな。これを持ってくるのも大変だったんだぞ、感謝しろよ」
「感謝しているわよ、ありがとう。ついでに、あと一日動かしてもらえる?あると助かるの」
「今……大変だったって、伝えたよな。陛下に許可をもらうだけじゃなく、他者の目を欺いて持ち出しているんだ、ついでなんてないぞ」
顔を歪めて拒むアクセルに、エルーシアは微笑む。偉ぶることはできないが、頼み、動かす言葉は出せる――賢王になるために必要である、手を貸してほしいと。
渋々いつ必要かと返すのに、考えを伝えてやり取りを交わし、もう一つ尋ねる。
「名を呼べるようになったのに、呼び方が神子に戻ったのはなぜ?」
「……呼び捨てするなとクロードに指摘されたからな。様付けは慣れてないから、神子に戻しただけだ。四年も呼んでいたから、こっちのほうが慣れている」
「確かに、こっちのほうに慣れちゃったわね。始めは違和感があっても慣れることってあるし、なくても不便だと思わなくなることも――」
諦めると決めたから、恋心を手放すために名を呼ぶのを封印した。死よりも根深い恐怖を増幅させたのだ、側にいることを許されても、昔のように名を口にするのは、ためらいが生まれる。
それでも忘れることのできない恋心は胸にあり、まだ花を挿していない髪を視界に入れ、ため息をこぼす。
「警戒が足りないから、あんな奴に……」
ため息とともにこぼれた言葉はエルーシアには届かず、門でばったり、あんな奴と呼びたくなる者に出会う。
手にする花を挿すところなんて見たくない。意識したくないが、昨日に続き、瞳の色と異なる。エルーシアは浅葱色のワンピースだから服の色とも異なり、嫌みが口から出る。
「贈る花は色にこだわっていると思ったが、匂いで選んでいるのか?ペットらしいじゃないか」
「昨夜、魔力を流すときにエルに頼まれた色だ」
「贈り物の指定をするなんて、ごめんなさい」
わがままだったと見上げるエルーシアに、構わないとルークは隣に寄り添う。その様子を横目に、アクセルは門前で待っていた付き人に木箱を押しつけて王城に向かう。
胸の内は複雑である。自身への頼み事は改革で、髪に飾る花はルークに頼むのか――エルーシアの中で、二人に求める役割は決まったようだと、またため息をこぼし、付き人に指示を出す。
「あとで梨のブランデーを木箱で購入しておけ」
「最近、食後に飲む量が増えています。少し控えては?」
「今だけだ」
※ ※ ※ ※
いつもなら館にロズが現れるころか、ルークはジェイとクルルと並んで部屋の隅に用意されたソファに座っている。神子の館ではなく、辺境伯家の館の一室である。
地下で素材の加工を終えて居間に戻ると、クロードの姿があり、迎えがきたとエルーシアは着替えて、ジェイを御者に、皆で訪ねているのだ。
ジェイは手持ち無沙汰なのか、紙飛行機を折っては、部屋の中央にあるテーブルに向かって投げている。そこでエルーシアとウィノラが、サイフの刺繍本の柄やバザーなどを話題に会話を楽しんでいるのだが、腕に抱かれたマックスは紙飛行機には興味を持たず、うとうとし始めて瞼を閉じた。
「ちょっ、ジェイ。もう飛ばすのはやめて。マックスに当たったら、起きるわよ」
「お昼の前に、寝室に連れていってもらえる?」
エルーシアの抗議とウィノラの頼みを聞いて、小さな寝息を漏らすマックスを抱いてジェイは退室し、残されたルークは護衛として、会話を再開した二人に視線を向ける。
蜂蜜色のワンピースだが、髪色にあわせた淡い色の刺繍が入り、藤色のショールを重ねている姿に、だから藤色の花を求めたのかと口角を上げる――初めて贈り物のショールを使っているのを見るが、むず痒い温かさが胸に広がる。
「女性を待たせてすみません。こちらの話は終わりましたよ」
「ジェイの姿がないな。マックスもいないじゃないか」
別室で密談をしていたクロードと辺境伯が入室し、それぞれが愛しく思う娘の隣に腰を下ろすと、使用人が続いて昼食の準備を整え、床に落ちている紙飛行機も回収し、ルークも同じテーブルに着くよう、空席に誘われて腰を上げた――クルルは動かないが、子と同じように瞼を閉じたか。仮面に隠されて、よく分からない。
「この踊る紙というのは面白いな。子供だけでなく、大人もジェイから教わって庭で飛ばしているぞ」
「発案者はエルーシアの護衛ですよ。どこかで似たような玩具を見かけたらしいのですが、ベラトリやリゲルの地に詳しいので、これ以外にも、色々と助けられています」
到着したときに、護衛だと軽く紹介はしているが、ルークの情報をさらりと追加し、辺境伯は感心したように視線を向けた。
場違いな身なりで場違いな席に座っているが、蔑む様子はない。エルーシアが信頼を寄せて、個人的に側に置いているのだ。拒む理由はどこにもない。
しかし、気心知れた仲に割り込んで護衛をするのは失礼にあたり、ルークの席は離れている。家族であるが、護衛任務中のジェイもそれに付き合い、マックスを寝室に控えた侍女に預けて戻ると、ルークの向かいに腰を下ろした。
二人の間に会話はないが、エルーシアが騎士団総団長の就任はいつかと尋ねたり、ウィノラがモウに会いたいと願ったり、近々王都を離れる話題をクロードが出すのに耳を傾けた。
昼食が終わると、旅の疲れがあるのに子の相手で睡眠時間の足りないウィノラを抱え、寝室に送るためにジェイが退室し、ルークを側の席に呼び、話題は画策に移る。
先にクロードから説明を受けた辺境伯は、役割を理解しているのだろう。この件に関しては何も問わずに、エルーシアから渡された治療費の請求書を内ポケットに仕舞う。
「昨日の報告会議で総団長代理とも会話を交わしたが、平然とした顔を向けてきた。まだ企みを幾つも隠し持っているはずだ、警戒は続けるよう頼みますよ」
「頼もしい護衛がいますので、エルーシアの守りは万全です。正妃を追い詰めても、総団長代理は残りますので対処を願いますよ」
「社交始めの夜会で発表され、次に顔を合わせるとき、私は辺境伯ではなく総団長だ。荒らされた騎士団を叩き直す計画は順調です。不安を取り除きますよ、任せてください」
クロードと辺境伯が続ける会話に耳は傾けるが、後押しはしても騎士団の改善に直接関わることはないと考えているエルーシアは、静かに紅茶を飲む。
暫くして戻ったジェイは、見てもらいたいと、寝室から持ってきた額縁を渡す。それを眺めて頬を緩ませ――エルーシアは固まった。
何に警戒したのか気になってルークも覗き見るが、子の名を大きく刺繍したハンカチが飾られた額縁だった。小さな手形と足形も押され、縁取るようにクローバーの刺繍もあり、余白を貝細工のボタンやビーズで飾られている。
「刺繍だけじゃなくて、土産で渡した飾りも縫いつけたんだ。最高の思い出の品になっただろ。女神の思いつきに感謝だな」
笑顔で報告するジェイと、同じく頬を緩めて道中でウィノラが完成させたと報告に追加する辺境伯だが、クロードの表情は涼しげな笑みに変わる。
その様子に、これも紙飛行機と同じく、資料になってない転生者の知識だと気づいたルークは、帰りの馬車で小言が始まると予感する――これは、隣から慰めるべきか、離れて御者台に座るべきか。
※ ※ ※ ※
「騎士の住む館なのに、いつもあんな厳重な警備をしているのか?」
神子の館に戻る道で、ルークは不可解に思ったことをジェイに尋ねた。辺境伯の館の庭に、警備をする服装の者が数多くいて、物々しい雰囲気に見えたからだ。
手綱を操り、あちらこちらと投げる視線は鋭くて、何かを警戒しているようだが、半数はウィノラの移動のために雇っている退役騎士たちで、数日後には彼らも休暇になって自宅に帰ると、ジェイは否定する――画策の手を警戒しているだけには見えず、やはり不可解だとルークは眉間にシワを寄せた。
館に到着し、エスコートをルークに任せ、クロードは馬車と馬を戻したら帰宅していいとジェイに伝え、玄関扉をあけて、何か問題かと口にした。
エルーシアとルークが続くと、居間のテーブルには、転生者の申請のために公爵家を訪ねているはずのロズとランベルト、それにレイの姿があった。
「室長。レイさんに書類を記入してもらいましたが、このままだと転生者の認定は無理です」
困った様子でランベルトは書類を差し出し、クロードは一読してエルーシアに渡し、案をくださいと頼む。
エルーシアは書類を手にしたまま首を傾け、隣からルークも視線を落として読むが、幾つもの質問文があるのに、回答欄は空白が目立っている。
「すみません。月や太陽の数なんて覚えてないし、国の名も覚えてないです。一番高い山とか、鼻の長い生き物とか、ほかの質問も分からないことばかりで……」
「あっちは、月や太陽の数が違うのか?」
「ルーク、それは部署の秘密です。この質問文に何を答えるのかで、偽りの申請をする者たちと見分けていますから」
「そうなんです、室長。偽る者を落とすための質問文なのに、神子様が転生者だと認めたレイさんも、このままだと落ちるんです」
困る原因は、レイが転生者なのに、覚えている記憶が少ないこと。まだ夢を見始めて一年ほどだからか、大した知識ではないと気にしていなかったからか――あくまでも夢。衝撃の大きい事柄を除き、日常を過ごすうちに忘れるものだ。今後は、エルーシアのように、メモに残す習慣を身につける必要もあるか。
「死因を書く欄に、バイク事故ってありますが、これはダメなんでしょうか?」
「バイクは乗り物として、資料に残されていますからね。資料を読んで、転生者らしい記入をして、援助金をもらいたいと企む者はいますよ。なので、公開してない情報で質問文を作成しています」
部署の勉強だとランベルトに同行しているロズも、助けになるかと思いつきを口にするが、素直な考えを持つ者では、企みに敵わないようだ。ルークも気がついたことを尋ねる。
「魔法の適性が一つだけなのは、情報としてまだ弱いか?」
「魔力の研究で分かったことですが、先祖に獣人がいると、適性が一つになる場合があるようです。転生者だけの特性ではないですから、難しいですね」
エルーシアの魔力を知るために始めた研究である。考えられることは全部調べた。しかし風読みの村に獣人が住んだ記録はなく、結果、謎だけが残り、比較する相手がいないため、転生者だからと推測することもできなかった――桁違いの魔力量についてもだ。
「魔力量は、どれくらいあるの?」
エルーシアが声をかけると、レイはびくりと震えて固まった。転生者同士だと考えても、神子様。昨夜と異なり酒も飲んでいないのだ、どうしても目の前に立たれ、声をかけられると緊張するから、震える声で人並みだと答える。
その様子に、エルーシアは提案をしてみる。今後は互いに情報を交換し、意見を出し合う関係になり、魔力の研究も進めたいから、緊張されると困るのだ。
「広場で出会ったときの、ただのお嬢さんだと思ってくれませんか?言葉も改めなくていいです、気楽に向き合ってください」
「……努力します」
神子からの頼み、断ることはできずにレイは頷き、続いて質問される――音楽は何で聴いていたか、知り合いとの連絡は何を使っていたか、暇なとき手に持っていたのは何か。
質問に考えを巡らせ、ふと思い出した品の名を告げ、このことを書き込めば転生者の申請は通るとエルーシアは微笑む。スマホは複雑な機能が満載だから、まだ公開資料にはなっていない。
※ ※ ※ ※
夕食を済ませ、階段をのぼっているとき、ルークは部屋で飲まないかとロズを誘った。
昨夜は落ち込み、青い顔で一人になりたいと部屋に下がったが、今日はいつもと変わらない様子だった。気持ちの切り替えはできているかと思ったが、抱きつきたいと探すモウは姿を隠し、肩を落としたから、まだ悩んでいるだろうと気にかけているのだ。
よき友、よき相談相手。それでも、すべての悩みをさらけ出せるほど強くはない。しかし、酒を酌み交わす他愛のない会話は、気を晴らす助けにもなる。
ロズは誘いに乗り、つまみを食堂から持ってくると告げ、のぼったばかりの階段を下り、ルークは部屋に歩を進めた。
サイドテーブルとソファを動かし、ウイスキーとグラスを用意し、風通しもよくするかと窓をあけて、肩に張りついていた妖精がふわふわと舞ってリースに移った。この小さな生き物を目にとめ、ふと思い出して、窓から顔を出し、もう一匹の小さな生き物の名を呼んでみる。が、反応するものはない。
部屋に到着したロズにソファを勧め、グラスに酒を注いでいると、クルルが窓枠からピルピル鳴いた。
「えっ、クルルさんの訪問ですか?」
「来るかどうかは分からないが、試してみる価値はあると思ったんだ。これから乾杯なんだ、ワインを飲んでみるか?」
問いかけに尻尾を大きく揺らすのは喜んでいるのか、ルークは書き物机の椅子を側に寄せ、棚からワインとグラスを追加し、少し垂らした。
「生き物にお酒をあげて、大丈夫なんでしょうか」
「使い魔は普通の生き物と異なるらしい。それに、相棒はたまに舐めていたぞ。少しくらいなら大丈夫じゃないか?」
ウイスキーをグラスに満たして、椅子に置いたグラスに小さく当て、二人と一匹は部屋飲みを始めた。
この晩、ロズはクルルの背を撫でることに成功した。酔って寝たあとだから、次からも触れることを許されるかは分からないが、友の気遣いに、胸にある重みは少し癒された。
設定小話
朝、辺境伯の館から、門前警備のために神子の館に出勤
昼、護衛として二つの館を往復する。愛しい妻子のために、客間と寝室を何度も往復する
夕刻間近、花を買って館に走って帰る
行ったり来たりを繰り返しても、ジェイは気にしない。むしろ、勤務中にウィノラの顔が見れて、ラッキーだと思っている




