131 夜空は見れない
――避けられていたら、参考書を開いて集中すればいい。陰口をささやかれても、イヤホンをつければ聞こえない。机に落書きされれば、すぐに消す。
皆が受験でピリピリしているから、ストレスのはけ口が欲しいだけ、これは一時的なもので、別のクラスに友人もいるから頑張れると、自身に言い聞かせる。
放課後は図書館に寄って、閉館時間まで粘り、帰路で母が助手席に座る車とすれ違う。暗い歩道にいたから、気づいてないだろう――自分勝手で、恋愛体質の母に嫌気が差す。
受験に励んでいるとき、急に志望大学を変えて大変なとき、いじめで苦しんでるとき、寄り添ってくれる人が欲しい。
無理だと理解している。叶わぬ望みだと、小さく笑う――いじめの発端は、多感な時期を過ごす皆がいる学校へ、このあとデートだからと、目を引く露出の高い服を着て母が面談にきたから。
子供は付属品で、気を使う必要はなく、好き勝手に扱っていい玩具とでも思っているのか。傷ついて、悩んで、涙を我慢しているのに。
このまま家に帰りたくないから、公園に立ち寄り、ベンチから空を見上げる。園内の街灯で星の瞬きは見えないけど、束の間の安息。
いつの日か、理不尽な世界から抜け出して自由になりたい。ペットが飼える部屋を借りて、趣味を見つけて、好きなように生活して、車の免許を取って、休日には、吸い込まれそうな夜空を眺めに出かけたい――
目を覚ますと、書き物机に向かっていた。解読を急ぐあまり、夜更かしで寝落ちしたらしい。
どんな夢を見ていたのか覚えてないのに息苦しくて、切なさで泣きそうになる。でも大丈夫。涙はこぼれてないし、体も冷たくない、叫ぶような夢じゃないと深く息を吐く。
回避したい悪夢や、奴隷紋の解読で不安になって夢見が悪かったか。それとも、渦巻く感情が苦しかったか。
広げたままの禁忌の文献、辞書やお告げのノートに、息苦しさが増す。
机の端に飾った、視界に入る小さな花ビンには、愛情のこもった、瞳と同じ色の二種類の花が挿さっている。
デルミーラが生きていたころ、学校から帰宅すると、クロードから受け取った藤の花や百合が飾られていることがよくあった。見慣れた光景のはずなのに、向けられた愛情の種類が変わると、こうも違うのか。
息苦しくて切ない胸を解放したくて窓辺に寄り、空を見上げる。雨は小雨で、長雨も終わりを告げていい頃合いなのに、まだ雲が厚くて、眺めたかった夜空は、どこにもない。
夜明け前の外は暗いけど、風に当たるため、廊下の先にあるバルコニーに足を進める。このままでは、泣いてしまいそうで――朝から泣き顔を見せたら、皆に心配させるから。
※ ※ ※ ※
借りている指南書を読み終え、発動するときの手の動きが悪いことを知る。振り下ろしながら火炎を放っていたが、それだと狙いから外れやすいとある。
誰からも指摘されたことはないが、なぜか。協力的なのに不可解だ。と、指南書を閉じて視線を上げ、館の正面、二階にあるバルコニーで、夜明けの空を見上げながら佇む姿を見つける。
何か問題があったのか窓辺に寄るが、表情までは確認できない。北西の地でもバルコニーに出ていたから、ただの習慣か、天気を予測しているだけか。
単眼鏡で覗き見ていいものか考え、ふと視界に入った妖精を掴んで振る。つきまといを認めているのだ、これくらい許されるだろう。
輝く光で気がついたようで顔がこっちを向き、窓をあけるが助けを求める声は聞こえず、胸を撫で下ろして妖精をリースに戻す。
視線を再びバルコニーに向けると、何をしているのか、庭を見下ろして右腕をくるくるまわし――目に見えない何かを投げ、わずかな間を置いて、ふわりとした優しい風に乗って花の香りが届き、部屋に満ちていく。
理解と制御と想像が一流。誰もができるような魔法ではないそれを、簡単に操り、受けたことのない朝の挨拶をすると背中を向けた。
まだ足りないが、守るために必ず辿り着くと、淡い髪色に誓い、息を深く吸い込む――庭に咲いた花だろうが、今日はこの花を探して贈ろうと頭に過らせる。髪に挿せば、エルも一日中、この香りを楽しめるはずだ。
※ ※ ※ ※
ルークとロズが館の居間で資料を読んでいるとき、しつこいノックが響き、木箱を脇に抱えたアクセルが入り、扉を閉める前に、すかさずクルルも駆け込んで姿を大きく変えた。
短い付き合いで側に寄せつけないロズを相手にでも、こんな警戒の仕方はしない。この男は過去に何をやったのかと、ルークは訝しむ。
「神子に話があるんだ、どこだ」
「これから医師と癒し手が訪ねてくるので、医学書を取りに図書室に行きました」
隊の上司である。ロズが素直に居場所を教えるが、エルーシアにもノックは聞こえたようで、居間に出てきた――用件は何かと眉をひそめる。
ロズの訪問は知っているから、禁忌の文献絡みではない。改革や密談に関わるような用事なら、夕方以降かクロードも呼ぶはずだ。木箱には、何が入っているのか。
「そう嫌そうな顔をするな、さすがに傷つく。治療院から医師が来るんだろ、皆で意見を出せるように、東街道の人骨を持ってきただけだ」
「そうだったの、ごめんなさい。それと、ありがとう。じゃあ……食事をするテーブルは嫌よね。研究部屋のテーブルに運んでもらっていい?」
「オレが運ぼう――」
「お前は大人しく資料を読んでいろ。邪魔するな」
険のある言い方にエルーシアは小さくため息をつき、二人は資料を読んでいて大丈夫だと告げ、アクセルを連れて廊下を進み、クルルがあとに続いた。
二人で残った居間で、ロズがぽそりと呟く。疲れた顔をしていますねと――エルーシアのことだ、感情の読めない無表情になるのが多く、ルークも朝から気になっていた。
「今日は会話も少ない。悩みがあるか聞いたが、何も話してくれなかった」
「話せない悩みも、ありますからね。昨日のお小言で、深く反省しているだけかも知れないですよ」
「反省のような感じではないが……朝の挨拶は、なんだったんだろうな」
柔らかな香りを頼りに花屋で探すと、庭に咲くほどの時期だからか、すぐに見つかった。紫色が多い花の中から淡藤色を選び、数本を買い求め、また店主に教えられた――花束にしたほうが喜ばれると。
多く買ってほしいのだろうが、数本で構わない。それで、髪に挿すと購入目的を伝えた。
店側にこんな注文はしたことなかったが、挿しやすいように小さな束にまとめてくれた。今後も、かんざしに仕立ててくれるそうだ。
雨具ケープに隠れて尻尾は目立たないが、長雨が終わり、半獣人だと知っても、気のよさそうなあの店主なら断らないだろう。
柔らかな髪に、柔らかな香りは似合うはずだ。部屋を香りで満たすなら、好きな香りのはずだ。喜んでくれるかと髪に挿したが、違った。
頬を赤らめることもなく、悲しそうな瞳が逸らされた――何か、解釈を間違えたか。選べない道以外にも、何に心を悩ませているのか。
「――でしょうか」
「何か言ったか?」
「自分は読み終わりました。ルークさんの資料、悩むほど難しいですか?」
「悪いな、考え事をしていた。すぐに読む」
「大丈夫です。待ちますから」
昨日のファイルはすべてを読むことができず、今日も乗り物が続いている。ルークが慌ててバスの資料で、回数券やら観光だの書かれたページをめくっていると、研究部屋から戻ったエルーシアが、今夜は不可解な瘴気溜まりの話をするから、夕食も館でと勧める。
アクセルは二人を気にするでもなく玄関に足を進めたが、ふと振り返り、エルーシアに遠出は控えろと忠告する。
「東街道の瘴気溜まりの調査をすると、クロードがあちこちに掛け合っているが、神子が自ら現地調査する必要はあるのか?何に注意すればいいか指示を出せば、癒し手の派遣で事足りるはずだ」
「何に注意すればいいのかが、分からないのよ。副隊長は反対なの?」
「これから社交と議会が始まるからな、俺様が同行できない。だけど、そいつは連れていくんだろ。安心できない」
何を心配しているのか悟り、エルーシアはため息交じりに、あなたとは違うと否定する。だが、冒険者は荒くれ者が多いと返される。騙されるなとも。
この注意の言葉は、怒りの感情を呼んだか、また眉をひそめる。
「騙したのは副隊長でしょ。それにルークは、そんな人じゃありません」
「あれは祝ってほしかっただけだ、騙したわけではない。俺様のことは警戒するのに、こいつのことは、ずいぶんと信用しているじゃないか。草花を贈り物に選ぶ奴で満足なのか?俺様なら、望むものすべてを与えられる」
「今朝、香りを届けたお返しで選んでくれたのよ。草花で喜ぶ私が気に入らないなら、どうぞ忘れてください」
先に贈ったのかとアクセルは目を見開いて驚き、そのまま目を細めてルークを睨み、邪魔な奴だと呟いてから出ていった。
エルーシアは疲れた様子でソファに座り、暫くして、ジェイが門前から駆けつけた。帰り際に、文句でも口にしていたのだろう。
「大丈夫だったか?なんか、荒れていたぜ」
「ごめんなさい。ジェイは挟まれて大変よね」
「俺は吹っ切れた。どっちも応援して、女神も応援するって決めたからな。デルミーラ様もよく言ってただろ、好きに選べって……悪い、門前に戻るぜ。医師たちが到着したら案内する」
好きに選ぶことが難しいから、悩んでいる。悩みは、どんどん増えていく。泣き顔じゃないのに、皆に心配をかけている――このままではいけないと微笑みを貼りつけ、ジェイに礼を告げ、テーブルに移動する。
ふわりと心が安らぐ香りを感じ、資料の説明の前に、ルークにも感謝の気持ちを伝える。でも、夜空のような瞳を、見ることができない。
※ ※ ※ ※
夕食の場では、興奮して目を輝かせたバーニーが、お兄ちゃんのお陰で友達が増えて、皆で遊んで楽しかったと延々と語り、仲良く遊べたことにベナットとハリエットが喜び、ジェイは食べながら、折り方を覚えようと開いたり閉じたりを繰り返した。
紙飛行機改め、踊る紙を折ったルークとロズ、それにクロードは、問題が防げたと胸を撫で下ろすが、エルーシアは反省か、考え事を続けた。
密談のメンバーであるアクセルは、夕食後に訪ねる予定で、この場には参加しなかったが、バーニーとハリエットが席をはずし、デザートの大皿を囲んでいるとき、再び館の扉をあけた。
片手に布包みを下げ、皆の食しているデザートを見て、息をのんで固まる。
「それは……潮風のウリだよな」
「買った店の店主からは、ウリの名は聞いてない」
「そんな名だったの?メロンに似てるから、生ハムを乗せてもらったのよ。モウ、副隊長の取り皿も用意して」
「ルークさんからの差し入れです。昨日はカットされたまま食べましたが、こっちも美味しいですよ」
デザートは不要だとエルーシアに告げると、アクセルは布包みをモウに押しつけ、ルークを睨む――本当に、何度も、邪魔する奴だと怒りを込めて。
その様子に、クロードは冷たい笑みを浮かべる。ともに街を歩いているときに購入したから、情報は持っている。
「ああ、珍しいウリなので、サイフから王家に贈られましたか。それで、副隊長は手に入りにくい品で贈り物をしようと――」
「クロード隊長、怒りを煽るな」
「いいえ、煽りますよ。諦めろと忠告したはずです。忘れないでください、隊から抜けてもらっても、私は困りません」
「選択を迫られることはしていない。改革が遅れることになるぞ」
「エルーシアの無事と幸せが一番です。そのためなら排除も――」
クロードの真似か、エルーシアが手のひらを叩いて音を響かせ、険悪なやり取りを中断させる。静かになった中で、土産の礼を伝える。
贈り物が重なったのは、誰のせいでもない。振り向いてほしくて用意したものだろうが、すでにモウが受け取っている、返却は失礼でしかない。それに、ここで返されても、アクセルの怒りを増幅させるだけだ。
「今日は、大事な話があるのよ。いがみ合うのは、やめにしない?」
不機嫌だと感情をあらわにしたままアクセルも席に着き、エルーシアは午後にあったことを話し始める。
医師と癒し手たちが訪問し、斬り落とされた腕をつないだ治療方法を説明したあと、瘴気溜まりから回収した人骨を調べるために、医師たちには残ってもらったと。ベナットには知らされてない情報だったからだ。
「部屋に同席して治療方法を聞きましたが、自分の手のひらの治療と似てるなって感じました。神経とか、血管とか、魔力の流れがって、神子様が説明してて――」
「俺様は医師ではないから、その説明は不要だ。人骨についてはどうだ」
苛つきを隠そうともしないアクセルが遮り、クロードは小さく舌打ちで返す。
初めて二人がいがみ合うのを見るルークは、眉間にシワを寄せた。隊長と副隊長だが、子爵家と公爵家、これも複雑な貴族の世界か――怒りの原因をつくったのだ。口を挟めば、ただでさえ疲れた様子なのに、またエルーシアに気を使わせるかと、成り行きを眺める。
「生き物や魔物に荒らされたみたいで、色々な箇所が紛失した状態だったけど、一人の医師が骨に詳しくて、死亡は十年近く前だと判定しました。私一人では判断できなかったわ、医師が訪ねるときに合わせてくれて、ありがとう」
「放置できない案件だからな。情報は多いに越したことはない」
「想い人に褒められたなら、素直に喜べばいいのに。だから実らず、淡いままに終わるのですよ。諦めなさい」
胸に何を秘めているのか、クロードは冷めた視線をアクセルに向けて煽ることをやめない。ぎりっと奥歯を噛んで、アクセルも睨みつける。
ため息をついてエルーシアが手を叩こうとして、先にベナットがテーブルを叩いて大きな音を響かせた――今朝、エルーシアは顔色が優れないまま居間に下りてきたし、今も表情は冴えない。この険悪な雰囲気が続けば、今夜は悪夢を見るかも知れない。それは、避けたい。
「お嬢にこれ以上、手を叩かせるな。大事な神子の手のはずだ。二人とも、自重しろ」
静まり返った場で、感情を隠し、エルーシアは淡々と告げる――人骨は若い男性で、尻尾の骨もあり、獣人か半獣人のものだと判断したことを。
不可解なことが多発している。これらから、推測できることがある。複雑に絡み合い、つながっている可能性が高くなった。
設定小話
クロードは隊の上司だけど、先輩騎士としての長い付き合いがある
アクセルは、幼いころから武の指南をしている
だからベナットは、怒ったとき、強気な態度で諌めることができます




