129 妖精と使い魔の食
明日から通常任務が始まるという朝、この日もロズは騎士服に身を包んで部屋から出た。隊の皆が休暇になる予定だが、派遣先が変わるのだ。それで、休暇を利用して、王城の案内や関わりのある各部署に紹介をすると、クロードから告げられていた。
新たな任務、新たに始まる指南、新たな人間関係。ここから始まると身を引き締め、朝食をとりに食堂に入って、私服で集まった皆に挨拶をする。
「おはようござ……なんなんですか、それ!可愛いじゃないですか!」
ロズの視線の先は、騎士たちに囲まれたルークの二の腕――クルルがしがみつき、どんな感情を示しているのか、尻尾をわさわさ振っている。
皆の目には見えないが、ルークの肩には妖精も乗っている。
「侵入されて、昨夜は部屋のソファで寝ていたんだ。朝には館に帰るかと思ったのに、窓をあけても出ていかないから連れていくしかない」
「あぁ、お泊まりなんて羨ましいです。角部屋は、そんな利点もあったんですね。クルルさん、こんな間近で見るのは初めてです」
朝食の大皿が並べられ、それぞれがお気に入りの席に座り、ルークとロズは隣り合って食を進め、クルルも目の前で頬袋にせっせと詰めている――物欲しげに、ルークの皿に前脚を乗せるから、ピクルスやオムレツの欠片を渡しているのだ。
ロズも倣って、ちぎったクロワッサンを近づけたが、尻尾を一振りしてテーブルに大きな音を響かせたので、眺めるしかできない。
「いつも側で見ているだろ」
「大きいときはありますけど、小さいクルルさんは、神子様のすぐ側まで近寄らないと観察できないですからね……ルークさんくらいですよ」
「ああ、そうか。エルから、少し距離を保っていたな」
「そういう規則なんで」
日々手を重ね、寄り添うようにエスコートしているから、うっかりこぼれ落ちていた情報。近寄れるのは、限られた者なのだ。そしてクルルもだ。誰にも触れさせないし、誰の餌付けも受け入れない――見たことがあるのは、クロードくらいか。
そのクロードは、食堂に下りてくると、きょとんとした顔になった。ルークの手から食べ物を受け取るのを、初めて目撃したから。
「そんなに懐いていましたか。餌付けはできているとベナットから報告は受けていましたが、手ずからとは、さすが番……いいえ。餌付けは、ベナットも獲得していない技ですよ」
同じテーブルにクロードも加わり、自身も餌付けの技を獲得したくて、ロズは疑問を口にする。ほかに誰が成功しているのか――誇らしげに笑った、自分一人だけだとの返事をもらう。
手ずから食べ物を与えられるようになったのは、恋心を諦めきれなかった雑念だが、餌付けを指示されたのは、それが必要だったからである。
エルーシアが安全な館にいるなら離れることもあるが、出先ではべったり張りつく。だから、遠征などで館から離れたときに昏睡したら、小さな姿で付き添うクルルは、誰かが餌を用意しないと死を迎える存在だった。
使い魔ゆえ、使命のように背中を守るから、ほかの紅栗鼠より執着が強く、空腹になっても我慢し、離れて餌を探すことはない。
「エルの使い魔なのに、最上の神子は餌を用意しなかったのか?」
「ナッツ入りの缶を置けば、勝手に食べませんか?」
「もとが野生の生き物ですから、エルーシアの手じゃないと警戒して食べなかったですよ。使い魔なので、神子の手を噛むようなことはありませんが、普段デルミーラは、近寄るだけでも睨んでいたので、関係は複雑で、餌付けなんて無理でした」
自身の使い魔でないとはいえ、守るという共通の目的があり、戦技を仕込む指示までした神子の対応とは思えず、栗鼠嫌いだったのかと二人が不思議そうにすると、クロードは声を落として一言告げる――保護して神子になったと。
ロズは辿り着けずに考えを巡らせるが、ルークはすぐに、そのときに世界樹の領域に入ったのだと理解できた。七つで神子になった切っ掛け――国境の壁で世界樹に感じた怒りを、デルミーラはクルルに持ったのだ。
「エルを守るために戦技を身につけても、許すことはできなかったんだな」
「そんなところです。接触を避ける仲でしたが、守りたい気持ちは同じなので、互いにエルーシアを挟み、それなりに上手くいってましたよ」
懐かしい過去を呼び覚ましているのか、クロードは優しげな瞳をクルルに向ける。
使い魔になった当初よりできることが増え、意思の疎通も楽になった、守りの要の一匹。いつどうなるのか分からない身だ、万が一の時、回復薬を飲ませられる後継者がいることに安堵し、不安が減ったと呟く。
※ ※ ※ ※
ルークが世界樹への護衛で館を訪ねたとき、エルーシアは驚き、また頬を染めた。
クルルや妖精が張りつく姿、紙袋で渡された珍しいウリはメロンに似た香りが漂い、手にした一枝のキキョウは、かんざしのようにハーフアップの髪に挿される。
「エルの瞳に合わせて選んだんだ。愛を伝えるならバラが一番だと花屋の店主に教わったが、この色のバラはなかった」
「いえ……あの……ありがとうございます。贈り物は……嬉しいですが、無理はしないでください」
誓いを立てられ、口説くと宣言されたが、依頼人と請負人でもある。贈り物をされるのは、なんとなく気が引ける――それ以前に、こう何度も髪に触れられると、悩みを詰め込んだ胸が騒いで苦しい。
「貯えならあるから心配は不要だ。エルの収入には足りないが、これでも高ランクだからな。大した贅沢もしてないから、依頼がなくても、暫く遊べるくらいならある」
「そんな大事な貯金を私に使わなくても――」
「ちゃんと、欲しかったものも購入している。もしかして、エルは花を贈られるのは嫌か?」
嬉しいですとささやくと同時に下を向き、淡藤色のキキョウが小さく揺れ、ルークは頬を緩めるが、バラを選べなかった弱さが、ちくりと胸を刺す。
遠征で守りきれずに与えた真っ赤な大輪が頭を過り、店主の薦めるバラから目を逸らした。いくら棘は落としてあると言われても、赤いバラを頭に咲かせたくない。
今のところ、夕食後の密談がない日は、夕方に会っても魔力を流し終えたらすぐに館を出るので、世界樹の送り迎えが情報共有の時間である。
新たな依頼に関しては、今夜クロードと会う予定で、そのときに詳しく説明を求めるとのことで、行きの道でする話題は、冒険者ギルドでの二日間の出来事。
「これまで口座のやり取りで揉めたことはなかったから、警戒が足りなかった。問題を起こしてすまない」
「ルークが謝る必要はないですよ。私に関わったせいです。本当にすみませ――」
「謝らないでほしい。エルに関わらなかったら、諦めの支配する世界で、ただ死を待つだけだった。人らしい扱いも、感情もなかったんだ、愛するための出会いに感謝している。今回の問題はあの副隊長に助けられたが、これからはちゃんと身の振り方を考えるつもりだ」
ルークが生きてきた諦めだけが支配する世界――差別され、暴力や蔑みが当たり前で、学ぶ機会は奪われ、人との関わりは少なく、奴隷紋をつけられ、進む先に幸せを見いだせなかった世界。
多くを与え、その世界を変えたと告げられているが、何か特別なことをした意識は、エルーシアにはない。魔力の指南はしたが、身につけた努力は本人のもの。差別は消えていないし、奴隷紋も解読中である。
「ルークは多くを与えたと感謝しますが、窮屈で画策に狙われる環境に引きずり込んで、まだ差別や奴隷紋からも解放していないのに、なぜですか?私のほうが、逆に助けてもらってますよ」
生きてきた世界を、詳しく説明したことはない。不思議だと隣から見上げる顔を見て、価値のある人は、自身の価値に気づいてないと、ルークは口角を上げ、これまで身に起こったことを伝えるために、言葉を選ぶ。
雨が降り続ける人けのない中層で、少し低めの声だけが、エルーシアに淡々と届く。
蔑まれ、陰口や無視はマシ。入店を断られたり、値を吊り上げられるのも、まだマシ。絡まれるのは日常で、理由なく攻撃され、近づく者は企みを隠している。誰に対しても、信用も信頼も持てなかった。
いつも胸にあるのは、冷たい孤独と、痛みに慣れた諦めの思い。しかも身に染み込みすぎて、麻痺して自覚も少ない。
「疑問も持たず、ただ流されて生きていた。だから、エルに粒の限界を知らされたときは、絶望して驚いた」
「ほかにも伝え方はあったはずなのに、浅はかでした。あのときは、本当にすみませ――」
謝ってほしくないと告げるように、ルークは想いを込めてフードの中を覗き込む。
あの絶望があったから、考え、悩み、手を伸ばそうと決意した。
「絶望したから、望みを見つけたんだ。残された時間を人らしく生きたいと。それまで、目を合わせて話す奴も、信頼を寄せる奴もいなかった。身を案じる奴もだ。エルが、温かい感情を与えたんだ」
希望や期待を持ち、警戒しなくてもいい居心地のよさを知り、学ぶ環境に触れ、互いに信頼を寄せる者も増えた。すべてを捧げてまで守りたい、深い想いも胸にある。
人として名を呼ばれ、前を向いている。まだ慣れるには難しく、心配されるとむず痒いが嬉しく思うと締める。
運命の出会いは、二人の世界を変えたらしい。どこまでも深い想いを告白され、手放すことのできない恋心は、悲劇を知りながらも、その道を強く願う。
今日も鼻歌は無理そうだと、エルーシアは指輪をはずしながら、世界樹に歩を進めた。
※ ※ ※ ※
この日の晩、シャワー室から出たルークは、髪を拭きながらベッドに腰掛け、窓の近くに吊るした、花や実はついてないが葉の茂るレモンの蔓でつくったリースを眺めた。
どうやら妖精に気に入られたらしく、一箇所が光っている。腰掛けているのか引っ掛かっているのかは、姿かたちまで判断できないので分からない。
世界樹の送り迎えで、ケープの内側に隠れていたクルルは、館を出るときに離れたが、妖精は張りついたままだった。
それで、なぜか庭の花を持っていくかと聞かれ、花ビンがないから断ったら、手早くリースをつくり、妖精は植物で休息をとると説明された。
「昨晩は、クルルとソファで休んでいたぞ。ウリはあったが植物は飾ってない」
「使い魔は聖なるマナの恩恵を受けています。クルルと一緒に寝ることはありますが、いない場に連れて帰るなら、植物が必要です。一週間から十日はもちますよ」
連れて帰る――この妖精をペットにした覚えはないが、離れないなら仕方もない。シャツや肩から引き剥がしても飛んでついてきそうで、リースをもらった。
この不可解極まる存在は、何がしたいのだろうかと考えを巡らせる。
いつもの旋律を口にせず、静かに世界樹を癒し、枝葉に当たった雨が雫となって、ぴちゃんと跳ねる音だけが響く中、晴れた日とは異なる幻想的な風景を妖精の光が舞い、助けた個体もケープから出て加わったが――光る色が異なっていた。
一匹だけで見ていたら気がつかないほどの違いだが、この個体だけ、光が黄色を帯びていたのだ。
領域から出たエルーシアに確認したら、驚かれた。姿かたちや表情で認識しているから、光を気にしておらず、色味が異なるなんて考えつかなかったらしい。
それで帰りの道は、妖精について語り合った――妖精は世界樹のマナから生まれ、森に留まったり、ほかの地に飛び去ったり、戻ってきたり、行動がよく分からない。だから森以外で出会ったときは観察している。が、何を食しているのかも不明だとか。
「そういえば、ウリを食べた痕跡はなかったな。朝食のときも肩に乗ったままで、豆くらいなら食うかって近づけたら、指から落ちた」
「たぶん、豆を蹴ったんですよ。昔、私もベリーを近づけて、同じことがありました。モウと同じで、食べているところを見たことがないんです」
「あ?あれは、調理をするのに、食事はしないのか」
「味見もつまみ食いもしないですよ。目と同じで、口もどこにあるのか分からないです。そもそも――」
さらりと告げられた不可解な情報を思い返しながら、ルークは魔力上げ用の魔石を手に取った――ずいぶんと藍色が濃くなっている。少し魔力を注ぐと満たされたようで、ランタンの明かりを受けてちらちら瞬く。
サイドテーブルの引き出しをあけ、蜂蜜飴のビンと一緒に転がる透明な魔石に持ち替える。先日、深夜までクロードの帰りを待っていたから、同じことが起こらないように、後日予備も渡されたのだ。
この魔石に残りの魔力すべてを注ぐからと、ベッドで横になり、ランタンの明かりを消す。暗い部屋の中で、妖精の光だけが確認できる。
小さく輝く妖精、大きく黒い毛に覆われた使い魔モウ――すべてが異なる生き物なのに、なぜか共通点がある。何を食しているか分からず、顔の判別もできない。ともに世界樹のマナの影響を受けた、不可解な存在。
姿かたちも分からない輝く光は、長年エルフだと勘違いしていた輝く人を連想させ、月夜のエルーシアの姿も思い出させる。それほど神秘的だった。
愛しい人を連想させる妖精がこの部屋にいて、自身と同じ色を持つ使い魔は、神子の館にいる――それが可笑しなことに思えてルークは息を吐くように小さく笑い、魔力を注いだ。
身分も立場も境遇も、すべてが異なると諦めていたのに、手を重ね、ともに過ごす時が増えてきた。
望む心を膨らませ、愛しい姿を思い描きながら、夢の世界へと入る。
設定小話
部屋にソファがあっても、すぐベッドに腰掛けるルーク
これまで、ソファがあるような宿ではなく、安宿ばかりに宿泊していたからの習慣
決して、ベッドから館が見えるからじゃない……と思いたい。ソファも窓辺に移動しましたからね




