127 求めるもの
冒険者ギルドの調査は滞りなく終え、責任者は不在のままであるが、翌朝には営業を再開し、何があったのかと情報を求める冒険者や依頼を出している者たちが押しかけ、大混雑を迎えた。
しかし午後になって、ルークとクロードが依頼者用の扉から入った、二階にある応接室での対応は落ち着いたものであり、遠征の護衛依頼の終了手続きや新たな依頼の契約などは、問題なく済ませることができた。
「今日の対応なんかと一緒に詳しく報告するつもりで、昨日の騒ぎはまだエルに話していないが、一度も突っかかることなく契約できたな」
「表向き、大人しくしているのは、他国で問題を大きくしたくないと考えた結果ですよ。ベラトリでは、大変なことになっているでしょうね。エルーシアへの報告は、ルークの知っている情報だけでいいですよ」
「なんだ。ギルドがどうなるのかも聞きたかったんだが、クロードは詳しくないのか?」
「必要と判断したら介入しますよ。ですが、今は情報だけ渡して、知の副隊長に任せておきましょう。彼の改革の先にあるのは平穏無事な世の中ですから、ギルドも悪いようには変わらないはずです……今日は寄りませんが、ここを右に折れて進むと、馬具や乗馬服を取り扱う店が多いですよ」
ギルドをあとにして、傘をさして並んで歩くのは商業区の大通りで、クロードは買い物に、ルークを付き合わせた。ようやくできた外出の機会であり、あちこちの店に寄りながら道の案内もしている。
しかし、大通りからは逸れない。いつレイが教会を訪ねてくるか読めないので、部下たちが探しやすい場所だけを巡ると決めているからだ。
昨日は昼食のあと、相棒の蜂蜜と筆記用具しか買い物ができなかったルークも、大通り沿いの気になる店には入らせてもらう。
アクセルの予約した店が高い個室代を請求したから、引き出したばかりの手持ちの大半が消えたのだ。今日も、金を引き出すことになった。
「個室代は、副隊長に出させますよ」
「いや、個室で食べたのはオレたちだ。あそこまで高いとは想像していなかったが、助けられた礼だと思うことにした」
「人気のある店ですから、誰かの予約を横取りでもして無理を通し、迷惑料で高くなったんでしょう。気になるなら、通常料金だけ負担してください。上乗せされた額は、私から請求しますよ。どうせ経理が払うからと、気にしなかったんでしょうから」
「デートで使う店を王城の経理が払うのか?」
行きつけだという酒屋に入り、上客の来店だと木箱を抱えて近寄った店員に、クロードは呼ぶまで二人にしてほしいと願い、棚に並ぶ酒ビンを眺めながら、口外禁止の情報だと口にする――アクセルは情報を得るためにデートを繰り返すから、経理にまわす支払いもあると。昨日の相手は、冒険者ギルドで雑務をする女性だった。
デートを重ね、互いに気に入れば付き合うが、相手に求めているのは、将来の約束ではなく、一時の楽しさと世論の情報。だから、しがらみを生む貴族令嬢は避け、庶民を選ぶ。
「限定した付き合いなのは事前に伝え、相手も納得のうえです。あんな性格ですが、付き合っているときは優しく愛をささやき、まわりが勘違いするほど完璧な相手になりますよ。詳しく尋ねたことはありませんが、疑似恋愛を楽しむために、淡い恋にも落ちているでしょうね」
「エルを嫁に望んで口説いていたのは、ほんの数日前だぞ。切り替えが早すぎるだろ」
一般的に荒くれ者と呼ばれる冒険者を、あちこち移動しながら長く続けてきたのだ、互いに恋心がなくても一時的に付き合ったり、触れ合うことがあるのは理解できる。しかし、嫁に望むほど惚れた相手がいて、他者に愛をささやくのは理解できない。淡いとはいえ、疑似恋愛で恋に落ちるのも。
エルーシアに深く想いを寄せ、もう他者の手を取る気は、ルークにはないから。
「だから彼の初恋は、長く引きずっていますが、その程度の淡い想いだと判断するんです」
「前に、愛が深いとか言ってなかったか?だからエルに執着していると思っていたぞ」
「執着のもとは理想だからで、一番大事なものは別にあります。幼いころから、王国と民を愛せと教えられていますからね。賢王を目指すほど、その愛は深いですよ」
エルーシアへの想いはあるが、それは一番ではない。だから、遠征で盾になる任務より、王都に残って改革を進める信念を選んだ――改革は皆で望んでいることだが、一番に優先すべきものが、クロードとアクセルでは異なる。
無事は願っているが、その背中を守る務めを簡単に手放せる程度の想い。長く引きずるのも、神子であり、転生者だと知ったから――知らなければ、とうの昔に消えたはずの淡い初恋。
購入する酒を決めたクロードは片手を上げ、待っていた合図だと控えていた店員がすぐさま近寄り、指定される酒ビンを次々と木箱に詰める。
三箱がいっぱいになると小切手とコインで支払い、一箱を宿舎に、二箱を神子の館へと配達を指示し、ついでだと、ルークが選んで購入する数本も、一緒に配達されることになった。
「クロードの買い物も、まとめ買いか」
「エルーシアは、気軽に買い物もできないですからね。好みの酒や初めての酒など、選べるように種類を揃えてます。それに、まとめて購入しても皆で飲むので、すぐになくなりますよ」
「騎士隊の皆で、館で飲む機会もあるのか?」
「いいえ、秘密を共有する皆です。夕食に集まる機会が増えますからね。知の副隊長も参加しますが、彼は寄り添う権利がないので、気にしないでください。ルークの全力、ずいぶんと艶っぽいものでしたが、応援していますよ」
昨日、約束の時間を繰り上げるために馬車で去ったアクセルは、瘴気溜まり以外の情報も求めて騒いだのだろう。どんな情報を共有したかは告げないが、クロードはにっこりと笑う。
深い想いで守ると誓い、寄り添う覚悟を決めて口説くと宣言したのだ――どんな口説き方だとしても、互いに成人し、拒まれていないなら問題ではない。あと親心でできるのは、詮索や指示ではなく、環境を整え、見守り、応援することだ。
神子や転生者として、エルーシアは外出もままならず、限られた生活空間の中で、ギルドや国のあり方を考え、悩み事は数多ある。つらい過去や選ぶことができない道にも苦悩している。
悩みを取り払うと誓ったが、それをすべて取り払うには、まだ知識も経験も足りない――守るために必要な術や、目に見えない想いを伝える術、隣に寄り添える術を求めて、ルークはクロードに視線を向ける。
「応援をもらえるなら、頼みたいことがある」
クロードの頼みは、いつもエルーシアのことだ。もちろん、ルークの頼みもそうだろう。
二人が店を出ると、降り続ける長雨はさほど気にならない小雨に変わっていた。行き交う雑踏の中、傘はささずに手に下げ、辻馬車を探しながら言葉を交わす。
※ ※ ※ ※
夕刻が迫るころ、自室で解読作業をしていたエルーシアは、広げたノートや自作の辞書を脇に押し、禁忌の文献を引き寄せた。
文献を借りてから最初のページにあった奴隷紋の解読に取りかかり、分かる単語を拾ったら、すぐに異なる内容だと判断できるものだったので、二つ目の奴隷紋の解読作業に移ったが、これもルークの奴隷紋とは異なると、たった今、判明した。
ルークの治療を目的とした解読だから、異なるなら最後まで解読する必要はなく、三つ目の奴隷紋に取りかかるべきだとページをめくり、息をのむ――先日は気がつかなかったが、よく見れば、ルークの奴隷紋とは円の中の余白部分の形が明らかに違う。これも異なるだろうから、解読する奴隷紋は、残り二つになった。
奴隷紋の種類が幾つかなんて、誰も知らない。この文献に載っていない可能性もあるとの考えが、頭を過る。
嫌な考えを消し去るために頭を振り、新鮮な空気を求めて窓をあけると、目の前に広がる屋上で、姿を大きく変えたクルルと妖精がじゃれて遊んでいた。
生き物は濡れるのを嫌うが、いつの間にか小雨に変わっているから、これくらいならと遊びに外へ出たのだろう。もしかしたら、完治した妖精に誘われたのかも知れない。
「あの子は、いつまで側にいるんだろ……」
大きな尻尾にまとわりつく光の素早い動きを眺めながら、エルーシアがぽそりと呟いたあと、ノックの音が響いた。
「エルーシア嬢、アクセルさんが居間でお待ちですよ。私はバーニーを迎えに保育園へ出かけますので、モウを控えさせています」
約束はしていないが、突然の訪問はいつものこと。すぐに行くと返事をして、開いたままの文献にしおりを挟み、棚に並ぶ本と本との隙間に滑り込ませる。何かの用事でハリエットが入室したとしても、気づかれないように。見られるのは、避けるべき文献だから――それから、階下に向かう。
ハリエットは出たあとか、モウが隅に佇んでいる居間で、アクセルはエルーシアに近寄ると、片膝をついて見上げ、バラの花束を差し出した。求婚のダズンローズだ。
「神子が恋に落ちたと聞きました。諦めろとも。だけど、あいつよりも、私のほうが幸せにできるはずです。それだけの力がある。恋愛に興味を持ったなら、必ず振り向かせるから、私を選んでほしい。私が膝をつくのは、神子ただ一人です」
ルークとアクセルが再び接触したとは聞いていない、恋心を知らせたのはクロードか、諦めさせるどころか火をつけたらしい。たまに花束は持って訪ねるが、いつもの態度とは異なり、いつもの口説き文句や口調でもない。
真剣に想いを向けていると理解し、エルーシアも背を伸ばし、真剣な言葉で返す。
「申し訳ありません。あなたの想いに応えることはできません。ほかの人との幸せを探して――」
「断り文句を聞く気はない、私はずっと待っていたんですよ。恋に落ちて再会を待ち、邪魔されずに求婚できるだろうと神子の成人を待ち、デルミーラ様の死から立ち直るのも、恋愛を拒む神子が興味を示すのも、ずっと待っていた。彼女をつくるのは情報のためで、気持ちは神子にあると伝えていたはずです。なぜ私が側にいないときに……ほかの男に恋心を持つんだ!」
付き合う彼女は一時的な触れ合いで、長く続かないのは見てきた。エルーシアだと思い込んでデートを楽しんでいると、理解できない恋愛観を酔ってこぼしたこともある。
入学で再会してからの十年近く、嫁にしたいのはエルーシアだと公言し続けてきたから、アクセルの伝える想いは真実だろう。だが、初恋を責められる道理はなく、この恋心は苦しく渦巻いている。
「……持ちたくて、恋心を持ったわけじゃないわよ。恋も結婚もするべきじゃないって、今も思ってるわよ。悲劇になるって、知っているのに!」
「私なら、下手に命を狙う者はいない、すべてに対処できる。神子がいてくれるなら、今後は誰ともデートはしない。全力で守り、愛を捧げると誓う。神子が側で支えてくれるなら――」
※ ※ ※ ※
商業区から戻ると、クロードはまだ務めが残っているからと王城に向かい、ルークは購入した品が入った紙袋を抱えたまま、相棒のもとに歩を進めた。
長雨で閉じ込めているのに、ここ数日、妙に機嫌がいい。バイトたちが用意する飼い葉が気に入ったか、厩舎の馬房が広いから、運動できないのも気にならないのか。この機嫌が、長雨の終わりまで続けばいいと、青リンゴによく似たウリを一つ飼い葉桶に入れる。
部屋に戻り、紙袋から手のひらサイズの箱を取り出し、あとはウリしか入っていない紙袋を棚に置き、ベッドに腰掛ける。
遠征から王都へきて、購入を考えていた品が二つあり、取り扱う店があったから寄らせてもらい、一つ購入した。考えていた品とは違うが――箱の中には、単眼鏡が入っている。双眼鏡の購入を考えていたが、同じ棚に並ぶ単眼鏡を見て、サイドポーチの中で邪魔にならない大きさだと、こっちの購入を決めた。
箱から取り出し、手にすっぽり入る真鍮の筒を眺めていると、口角が上がる。盗難を危惧して、こんなものの購入は考えたこともなかったが、望むものを手にする環境にいる。もっと望む者はほかにあるがと、視線を窓に向ける。
単眼鏡で覗き見るような失礼なことはしないが、離れている間も無事でいたかと、不安になる。危険はないと告げた解読作業でも、気は抜けない。解読のために、木箱を燃やしたことがあるのだ。
視線の先にある館の屋上では、クルルが尻尾を揺らし、跳ねたり駆けたりと動きまわっている。前にジェイから聞いたように遊んでいるのか、無邪気に遊んでいるのなら、きっとエルーシアも無事だ。
窓脇にソファを移動して読書でもと思いつき、窓をあけると、部屋から外へと一吹きの風が流れた。小雨は庇が受け止め、雨粒が部屋に入り込むこともなさそうだ――だが、指南書を手にソファに寄ると、別のものが入ってきた。
「あ?なぜ、妖精が……」
シャツの胸もとに光が張りついている。言葉を発しない妖精、姿かたちまで確認ができるエルーシアなら少しは意思疎通も可能だろうが、ルークにはただの拳大の光だ。
何が起こっているかと館を見ると、動きまわっていたクルルがぴたりと止まり、二本脚で立ち上がって、こっちに体を向けている――妖精は、保護したあと治療を受けていた個体か、館で何かあったのか。クルルは何か助けを求めているのか。
ルークは単眼鏡を手に取ったが、覗き込むより先に、ふとクルルの姿が消えた。体の大きさを変えたのだろうが、小さな姿だと、いくら単眼鏡でも表情は読み取れないはずだ。鳴き声は聞こえず、妖精は張りついたままで、何があったのかと不安が煽られる。
窓枠に足をかけて息を深く吸い、館の庭で芝が生えている場所に狙いを定め、全身に力を込めて飛び下り、玄関へと駆け、ノックと同時に扉をあけて――怒鳴られる。
「……お前、何度邪魔をする気だ!」
設定小話
二つの異なる口調のアクセルですが、どっちも彼の真実
エルーシアも、ルークと話すとき、クロードやジェイと話すとき、神子として責任者らしく話すときと、口調は変わりますからね
誰と話しても口調が変わらないのは、ロズくらいかな……




