114 留守番させたくない
馬車置き場の隣、ルークが物置だと思っていた小屋が、魔道具開発の作業小屋だった。
雨を受ける庭の草木を横目に移動し、木製の大扉を全開にすると、箱小屋と変わらない造りで、中は鋳物のガーデンテーブルと椅子が隅にあるだけ。
大きく踏み込んだ立ち回りをするなら狭いが、剣を振るだけなら余裕があり、ルークは中央に立ち、剣を振りながら腰を下ろし、返して振り上げ、横に払って体勢を変える。など、剣の扱いの復習をし、エルーシアは外から、傘をさして眺めた。
隣に同じく傘を手にしたアクセルが立っているが、二人きりではない。しつこいノックの音で駆けつけたクルルが、ケープを羽織って背後にいるからだ。
クロードは多忙で、転生者だと隠すレイのことや、回避したい悪夢がよみがえったことを、まだ伝えていなかった。それで、その報告をしながら、ルークの剣技を眺めている。
作業小屋に向かうとき、ちょうど館を訪ねたアクセルが、二人でどこへ行くのかと詰め寄り、護衛としての腕を確認したいとついてきたから。
「それで、夢のお告げが復活したから、護衛を雇ったと言いたいのか?違うよな、あいつは何者だ」
「それとは関係ないわよ。補充隊員が抜けて、遠征に不安があったのよ。あとは、魔力の研究ね」
「口実だよな、少し考えれば分かることだ。クロードが簡単に、神子の近くに素性が知れない者を置くはずがない。剣の腕があるのは分かったが、愛称呼びまで許可して何を考えている」
エルーシアは表情に出さず、冷たい視線を向けて、さらりと告げる。知の副隊長には関係ない、個人的なことだから詮索するなと。
その言葉にアクセルは、たれ気味の目をきつく変えて睨む。
「関係ないことあるか!俺様は名呼びすら誓約で禁じられたんだぞ。未来の嫁が、ほかの男に愛称で――」
「その未来は、ない。これは絶対です。禁じられたのも自業自得よ……彼女はどうしたのよ。遠征前はいたじゃない」
「忙しすぎて会えなかったら終わった」
不満そうに眉をひそめ、新しい彼女もお嫁さん候補も別で探してとエルーシアは返すが、アクセルは首を振って否定する。考えも好みも知っているはずだと。
嫁にしたい人はほかにいない、探すだけ時間の無駄だ、恋心を受け取ってほしいと力説する。
だが想いを伝えれば伝えるほどに、エルーシアは足をずらして距離をとり、頬も引きつらせる。そして、視界の端にある違和感で小屋に顔を向け、険しい顔で見つめるルークと目が合う。
いつの間にか、剣を振る腕を止めて佇んでいるが、耳がいいから聞こえたのだろう――いつものことで問題ないと簡単に説明する。
「いつもって、なんだよ。あいつじゃなくて、俺様にちゃんと説明しろ。クロードと二人で何を企んでいるんだ。あいつのせいで、どれだけ忙しくなったと思っている」
「忙しいのは勝手に調べ始めたからでしょ。何も企んでいないし、ルークは護衛です。心配するから大人しくしてくれない?」
「俺様の名は誓約で禁じといて、ベラトリの冒険者は名で呼ぶのか!」
「仕方ないじゃない。私も、ジェイみたいに失言するわよ」
「失言するほど親しくなったのか!俺様の嫁になるんだ、自覚を持て」
まだ一時間は経っていないが、二人の会話は気になることが多すぎて運動に集中できそうになく、ルークは剣を収め、三人と一匹は館に戻った――
※ ※ ※ ※
――良質な回復薬が完成し、治療院に製法を報告する前に陛下の耳に入れたくて、デルミーラはアインを護衛に連れて王城を訪ねた。
医師や癒し手の治療なく、怪我や病気の回復を早められるのだ。この回復薬は国力につながるはずで、十分に脅せるとの考えのもとで。
館は目障りな紅栗鼠や信頼のできない家政婦が出入りし、一人で残しておきたくないからエルーシアも連れてきたが、陛下の執務室はさすがに無理である。
それで訓練場にいるベナットに預け、王城の奥に進む――面会の約束はないが、問題ない。差別での攻撃をなくしてやると、目に力を込める。
一方で、ベナットに預けられたエルーシアは、訓練場の脇にあるベンチに座り、剣技の訓練をする二人の男の子の様子を眺めるが、興味が湧かなかったのか、持ってきた本を開いた。
森の野草図鑑だが、ページをめくりながら時折眉をひそめる――青い斑点のある白い蓬や真っ赤なクレソンに、何かが納得できない。
暫く経って、王城の侍女がベンチ脇にカゴを一つ置き、第一王子への差し入れだと声をかけて早々に立ち去った。
ガラスポットに入った冷たいハーブティーと、焼き立てらしいマフィンの甘い香りが強く漂い、ベナットと男の子たちが近寄り、どちらが第一王子かと見上げたエルーシアは、澄んだ緑色と目が合う。直後に、マフィンを差し出された。
「二つしか入っていないから、君が食べていいよ」
「第一王子、申し訳ありません。この子は今、デルミーラ様のもとで、食を管理されてます。差し入れは、ご自身で召し上がってください」
薬や毒の耐性をつくっている時期で、何かを飲んだときは、デルミーラが食事内容にも気を使っていた。この日も、二日前に発熱する毒を飲んだばかりだ。
クロードと違って熱はすでに下がっているが、許可なく間食はしないほうがいいとの判断で、ベナットは帽子を取って汗を拭きながら断りを入れた。
「なんだよ、まともに食べないから顔色が悪いんだぞ。強くなるには、食べないとダメなんだ」
「こらっ、年下や女の子には優しくするように教えた――!」
マフィンを食べつつ絡む男の子と、諌めながらハーブティーを飲んでいた第一王子だったが――カップを落としてうずくまり、吐いた。
エルーシアは水滴のつくガラスポットに視線を向け、何が入っているのか茶葉を確認するが、よく分からない。まだ学びは浅い。
第一王子は体を倒すと、痙攣し始めて被っていた鉄兜を転がし、口から泡も吹き、もう一人の男の子は食べかけのマフィンを握り潰して叫び声をあげた。
なんの毒を飲んだのか分からないし、どんな治療が有効かも分からない。でも、分かっていることが一つある。
エルーシアは息を深く吐いて集中し、両手を第一王子に当て、デルミーラから教わったままに癒せと呟いて、魔力を流し込む。
まだクロードにしか試したことはなく、上手く加減もできず、子供の体は未発達で大人より難しい――でも関係ない。魔力酔いするけど、満たせば毒の進行は止まり、回復力が上がるはずだ。
ぐったりと昏睡した第一王子を抱えたベナットは、訓練場の入り口に待機したまま行動に移せなかった側近たちに叫ぶ。
デルミーラ様と陛下を呼べと――
※ ※ ※ ※
居間の一角にぐるりと並ぶ一人掛けのソファに座る際、エルーシアのすぐ隣に腰を下ろそうとしたルークに、アクセルが噛みついた。
幼いころから長く愛を育んだ二人の邪魔をするな、護衛は離れて待機しろと。
「育んでません。泥団子を投げられて、ずっと避けてたわよ……ルークも従わなくていいから、好きに座って」
「再会を待っていたのに、俺様を無視して、目の前を素通りしたのは神子だ。気づいてほしかっただけだ……なんでお前は隣に座るんだよ!」
「気づかなかったのは悪いけど、あれで悪目立ちしたのよ」
「俺様のせいじゃない、神子はもともと目立っていた。デルミーラ様の愛し子が入学するって、噂になっていたんだぞ。運命的な出会いをしたのに、無視するほうが悪い」
二人の関係性が見えず、ただ会話に耳を傾けているルークに、運命的な出会いとの言葉を否定したくて、エルーシアが説明をする――運命の愛は信じていないから、そう語られると不愉快なのだ。
王城で王太子が毒を盛られ、たまたま居合わせて魔力酔いで救い、その現場に副隊長もいただけだと。
「あのとき、息子の命を救った恩人だと陛下が神子に頭を下げたんだ。あんな現場を見せられたら、嫁にしたいって惚れるだろ。俺様の初恋だぞ、運命の愛に決まっている」
「いや。話を折って悪いが、意味が分からない……王が頭を下げたから、惚れたのか?」
「王国で一番偉い人が、頭を下げたんだぞ。俺様も気が動転するような場で、堂々と最善策をとったんだ。こんな強い女、どこを探してもいない。第二の賢王の嫁に相応しいだろ」
陛下に頭を下げられ、エルーシアも頭を下げた。救うためとはいえ、王子を魔力酔いさせたのだ――直後に、当時の副隊長に怒鳴られた。強くあるべき者が簡単に頭を下げるな、弱さを見せるなと。陛下も下げたのに、理不尽である。
初対面で納得のできない叱りを受け、再会で泥団子攻撃を受け、関わり合いたくないと学校では避けていた。だがアクセルは、何かとまとわりついてきた。
尊大な態度で絡み続ける様子から、エルーシアはイジメの標的になった――王兄の養子に嫌われている、いや手玉に取っている。どちらでもいいが、身の程を知らない目障りな奴だと。
学生たちのイジメは、避けたり陰口だったり、持ち物を隠したりする程度で、大人の記憶のあるエルーシアにとって、あまりダメージはなかった。ベナットと一緒に受けた、大人からの攻撃のほうが酷かったのもある。
淡々と学校生活を過ごして学び、カティと気が合って笑うことも増え、そのうちイジメ行為はなくなったが、一度できた溝を埋めるのは簡単ではなく、ほかに友人をつくることはなかった。
イジメでできた溝だけではなく、デルミーラに引き取られて寵愛を受け、騎士たちに大切にされ、学生の身で遠征に同行しているのも、皆と壁をつくることにつながった――これらの説明に、ルークは眉間にシワを深める。
「まさか。危険な遠征に同行しているのに、そんな扱いを受けたのか」
「学生で、危険だと理解する人は少ないですよ。それに暴力はなかったので、大したことないです。無視されたら読書に集中できるし、知らない人の陰口は気にしなければいいだけです。気にしていたら、身がもちません。あちらが、そんな世界だったんですよ」
「あちら……神子!そんな話は聞いてないぞ。秘密を打ち明けているのか」
「エルからじゃない。クロードから聞いたが、問題あるか?命も心もやると忠誠を誓った。どんな危険からも守るって決めたんだ、エルに危害を加えるなら、剣を向けるぞ」
短い対面ではあるが、ルークはアクセルを警戒すべき者だと判断し、睨みつける――泥団子を投げ、イジメへの切っ掛けをつくり、強い口調で責めているのだ。惚れているらしいが、大切にする様子が見られない。
忠誠との言葉に、アクセルも睨む。ベラトリの冒険者の誓いに、どれほどの意味があると言うのか。
「こいつが間者の可能性を、クロードは考えているのか?」
「ないわね。あるとしたら、先に抜けた三人の補充隊員じゃない?」
「あいつらの取り調べは済んだ。こいつが違うと言い切る根拠はなんだ、聞かせろ」
やり取りに、ルークは自嘲気味に笑い、ベラトリは半獣人に大事な役目は与えないと割って入る。学ばせず、差別し続けているのだ。
獣人や半獣人を、国や要人は信用も信頼もしていない。求められる役割があるとすれば、国境を守る使い捨ての駒としてだ。
「一理あるか……学んでいないが、考える能力は持っているんだな。クロードが好きそうだ。神子の護衛としては認めてやる。だが、覚えていろよ。お前のせいで彼女と別れたんだ」
「逆恨みよね。忙しいのはルークのせいじゃないでしょ」
アクセルはエルーシアのことも睨みつける。逆恨みじゃないから――神子の近くに置くのなら身辺調査は必要であり、他国の冒険者なら、なおさらだ。なのにルークは、調べれば調べるだけ調査の範囲が広がって、終わりが見えない。
冒険者ギルドに身元を確認したら、出生証明がなく、それを探らせると、なぜか所在が転々としていた。里親の情報も間違っていた。
しかし、この調査はベラトリに投げていれば、そのうち情報がまとまるだろうと考えていた。が、そうはならなかった。
孤児院に送り届けた者が判明し、間違いないか確認をクロードに頼んだら、ベラトリ生まれではないと、新たな情報が転がり込んできたのだ。調査が三国にも広がった。
「えっ?ルークは、ベラトリの生まれじゃなかったの」
「そうらしい。エルが昏睡しているときに分かったが、聞いてなかったのか」
「情報の共有が足りないからってお昼に時間をつくったのに、結局三日だけだったものね。世界樹の送り迎えを共有の時間にあてましょうか」
「いや、これからは長く一緒に――」
「神子は俺様の嫁にするんだ、護衛に認めたからって二人だけで分かる話をするな。俺様にも情報を共有しろ。忙しく調査しているのは誰だ、感謝しろ」
ほかにも多忙の原因はあると、アクセルは任された務めに不満を爆発させる。
南東の街での事件や追加の補充隊員を断るやり取りに、急きょ決まったサイフ公国に立ち寄る日程調整、橋の崩落の情報妨害の調査、ルートが変更になるたびに予定していた村への連絡、ロズの異動手続き――多忙な中、ベナットが北西に出発したり、リゲルから大荷物も届いた。
忙しかったのは本当のようで、エルーシアは礼を口にするが、ため息交じりにだ――残る選択をして、王都で務めを果たすと決めたのは彼自身だ。それにアクセルの言動は、理解できるが、共感ができない。
上に立つ者として、弱さを見せずに毅然と振る舞い、強い心や態度を維持するのは大事だが、時には頭を下げる心も必要であり、感謝や謝罪は強要するものではない。
何より、独特の恋愛観に巻き込んでほしくない。用件を済ませて、公爵家の館に送り出したいと、窓をちらりと見る。
空は雨が降る厚い雲で覆われたままなのだろう、窓の外は暗くなりつつあるが、まだ夕刻。
「……クロードとは、何時に約束しているの?」
「約束はしていない、今日は遅くなるはずだ。殿下に会う用事ができたと言っていたが、殿下の予定が埋まっているからな」
多忙な中で予定を増やすのは、何か不穏な画策でも察知してか。殿下とは誰のことかと思わずルークの眉が動き、エルーシアは説明が必要かと、王太子殿下だと言い直して教える。
第二王子は殿下と呼びたいような者ではなく、第三王子は北東の街で長期療養中、王兄はアクセルにとって養父であり、公爵になって殿下とは呼ばれなくなったとも補足する。
そして少し考えて、エルーシアは立ち上がった――クロードの訪問が遅いのなら待てない。このまま居間にいればベナットが帰宅するし、ジェイも訪ねてくるかも知れない。そうなれば、ここで文献を借りる話はできないから、地下室に二人を誘う。
この時間、ハリエットは洗濯室にいないので、密談をするなら最適な部屋へと向かう。
設定小話
留守番させたくないから連れて行ったら、問題に巻き込まれたエルーシア
希望するから留守番させたら、問題が多いと文句たれるアクセル
違う題名が思い浮かばなかった
イジメや遠征不参加を決めた話は、また後日