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11 新設の治療院

 早朝、一つのランタンが淡い光を放っている馬車の中で、エルーシアは目を覚ました。

 黒茶色の特製箱馬車の大きな車体は、エルフの魔法文字が模様のように砂色で書かれた、二百年ほど前にエルフから贈られた魔道具であり、どのような製法か分からないが、攻撃魔法も物理攻撃も弾き、神子以外には開くことのない扉までついた、身を守るには完璧な小部屋である。


 その構造上、窓がないため昼夜問わずにランタンが必要な代物でもあるが、馬車の中にいれば安全なので、騎士たちの護衛負担が軽減できるようにと、遠征中のエルーシアは馬車で寝起きし、村や町に寄ろうともそれは変わらない。

 かつてただの台だと思っていた簡易(かんい)寝台は、柔らかなマットを敷き、肌触りのいいシーツと細かい刺繍のキルトにより、遠征中も寝心地のよさを約束してくれる寝台にもなった。


 クルルの寝る綿の詰まったカゴの隣にクルミとドライフルーツの入った缶を置き、ランタンを明るく調節して髪をハーフアップにまとめ、生成りのシャツにヒダの多い黒のワイドパンツで身支度する――今日は上下とも群青(ぐんじょう)色の刺繍が入っている。

 缶の中身を頬袋に詰めて体を大きく変え、村の中だからとマントと仮面で外見を隠したクルルと馬車を降りる。


 食事の場にエルーシアとクルルが参加するのは、今回の遠征で初めてのことだ。昨夜まではクルルの正体を隠していたので、馬車や個室でしか飲食していなかった。

 食堂に入ると、テーブルに着いているのはルークとクロードの二人だけだった。夜番だった者は短い睡眠をとり、ほかは馬の世話や荷の整理でもしているのか――午前中は担当の任務を終えれば余暇となるので、急いで食堂に入る者は少ないのだろう。二人は地図を広げて向かい合っているので、エルーシアはクロードの隣に腰を下ろした。


 クルルは小さく鳴いて食堂をあとにするが、クロードが側にいるときにしかエルーシアから離れないこの使い魔は、いつものように馬の確認に出るのか。御者として、馬の世話をするのが好きなようである。

 朝の挨拶を済ませると、これまでルークが東街道で討伐した魔物の説明をしていたようで魔物談議になったが、不可解に思っていたことも話題になる。


「そういえば、なぜ斑大蝙蝠(まだらおおこうもり)があんなところにいたんだ?」

「領主を主体に調査はしますが、魔物は不明なことが多いですからね。夜間の移動で片付けられるでしょう」

「神子は瘴気が分かるんだろ、何か知っているか」


 街道を利用する冒険者として気になるのだろう、ルークはエルーシアに話をふるが、考えることもなく首を振る返事をもらう。


「瘴気は読めても、魔物の移動は読めないですよ。この世界は、解明されてないことばかりですから」

「瘴気と魔物は違うのか」

「あと、エルーシアと名呼びしてください。短い期間ですが、護衛お願いします」

「オレも、呼び捨てで構わない」


 国境の街まで話しやすい関係に近づきたくて、微笑みながらエルーシアは願い、その微笑みを冷たいと感じながら、ルークも応じる。


「自分も神子様を名呼びしたいです。光栄なことですよね」


 担当の任務である、馬たちに飼い葉を与え終えたロズが話に加わりながらルークの隣に座り、これにはクロードが応じる。


「正規隊員以外に名呼びさせません、けじめです」

「……すいません」


 有無も言わせぬ断りは、規律ある騎士や隊のあり方を考えれば当然だが、軽い気持ちで申し出たロズは口をつぐみ、雑談の場は静かなものに変わった。が、四人の前に食事が運ばれ、食べ始め、質問くらいならいいかと沈黙を破ったのもロズだった。


「神子様に聞きたいのですが、クルル……さんの名は、なぜ怒ったときの鳴き声なんでしょうか?」


 ルークも気になっていたのか、皿に伸ばしていた手を止め、黒い瞳をエルーシアに向けた。

 名付けに後悔がある様子でエルーシアは淡藤(あわふじ)色の瞳を伏せると、当時のことを二人に説明する。


「七つのときに怪我をした紅栗鼠(べにりす)を保護して、クルルって鳴き声が可愛くて、そう呼んでいたんです。それが怒りの鳴き声と気づいたのは一年もあとで、そのころには使い魔へと変化していました」

「……治ったあとも庭に住みつくなんて考えていなかったので、エルーシアに好きに呼ばせていましたよ。野生の生き物ですから、人に痛いところを触られて怒ったのでしょう」


 エルーシアの言葉に何か思うところがあるのだろう、クロードはため息をついたあとに補足し、耳を傾けていたルークは片方の眉を下げ、ロズは両眉を下げた――幼いときは、そんな残念なことも起こると理解して。

 遠征が始まり、移動中は馬車と馬上で離れ、余暇や食事は馬車にいたエルーシアと話す機会はなかった。初めて訪れた機会に、ロズの質問は止まらなかった、神子を取り巻く環境は不思議がいっぱいに見えるのだ。


「使い魔って、どうやって使い魔になるんでしょうか?」

「分かっていることは少ないですね。神子の館で突然変化するんです。定説では、世界樹のマナが作用して人のように変化させ、神子の務めを支える存在とされていますが……館の生き物すべてが使い魔になるわけじゃないので、謎ですね」

「今は少ないですが、昔は各国の神子の館に三匹以上はいたと文献にありますよ。そのころは、エルフが神子に遣わしていると誤解した記述になっていますがね」


 エルーシアとクロードが説明しているとき、クルルが食堂に戻り、そっとエルーシアの背後に立った。

 気配からエルーシアが振り向いて見上げると、仮面が少し揺れている。頬袋のクルミでも食べているのか、微笑ましい姿に、朝食の皿にあるリンゴを一切れ渡した――名をつけて常に連れて歩き、可愛がって餌まで与えるのを見ると、使い魔であると同時にペットかと思えてくる。


 リンゴを受け取ったクルルは、仮面をずらして口に放り込み、クロードも続いて皿から一切れ渡す。

 慣れている二人には微笑ましい光景かも知れないが、大きな栗鼠が真っ黒な仮面を半分ずらして口を動かす様子は、正面から目撃する二人にとっては、苦笑いするしかない光景であった。


 ※ ※ ※ ※


 食後、宿をあとにしたエルーシアは、クロードとクルルを(ともな)って治療院へと向かった。会議室で院長や職員たちとの会談があり、そこで院の設備や運営状況の説明を受ける予定である――その間の騎士たちは余暇となり、昼食で宿に集合して遠征に戻るのだ。

 眩しい朝の陽光で輝く真新しい乳白色(にゅうはくしょく)の石造りの治療院は、重厚な三階建てで、仕事前に駆けつけた村人たちで歓迎の人垣が表にできており、神子の表情(かお)を貼りつけたエルーシアは、らしく見えるようにと微笑みながら中に入った。


 見晴らしのいい最上階に設けた会議室には、治療院ギルドの職員だけでなく、教会の職員や村長、領主代理として家令の姿もあり、多種多様な意見交換の会談が時間をかけて行われた。

 運営は順調で大きな問題はなく、人種による差別や領民と領民以外の区別もなく受け入れているとの報告で、エルーシアは胸を()で下ろす。


 会を終えて階段を下りているとき、見送りでついてきた癒し手が踊り場で足を止めた。

 耳に入れたい話があるのだと真剣な眼差しをするので、大勢の目の前では報告できない何かがあるのかと考え、エルーシアとクロードは息をのんで先を(うなが)す。


「神子様が、切断された腕をつなげたと噂を耳にしました」


 噂のまわりが早いが、ここは行き来の多い街道にある村、不思議ではない。そのことかと心当たりのある二人は(うなず)き、癒し手は話を続ける。


「隣の村から連日この治療院に通い、神子様への取り次ぎを願って騒いでいる者がいます」

「こちらで治せないほどの、大怪我をした家族がいるのですか?」

「いいえ、本人の足がないのです。右の膝下から義足を着けています」


 エルーシアが眉を下げて心配げに問うと、癒し手は困った様子でため息交じりに答え、クロードは首を横に振る。


「無理ですよ。つなげたのは斬り落とされた直後で、いくらエルーシアの腕でも生やすことは不可能です」


 癒し手は申し訳なさそうに目を伏せた――医療に関わる者として、それは理解しているのだ。腕がつながったのも、並の治療ではないとも。申し訳ない気持ちは、説得する力が足りないとの報告。


「私や医師たちも、これ以上の治療は無理だと伝えていますが、どう説明しても、騎士を贔屓(ひいき)していると(かたく)なで……いつも午後に村へ訪れるのですが、本日の神子様の来院は皆が知っていますので、表で待っている可能性があります」

「では、ご本人がいましたら説明させていただきます」


 絡まれるのを危惧しているのだと理解したエルーシアは、安心させるように微笑んで請け合い、クロードとクルルとともに階下へ向かう。

 昼時も近いからか、治療院から出ると人垣はなく、出入り口近くの外壁にもたれ、右足を投げ出して座る男性しかいない。出てきた姿に気づいた男性は、座ったままにじり寄って懇願(こんがん)を始めた。


「神子様、お願いです。足を治してください」


 エルーシアは少し(かが)んで視線を合わせ、(いたわ)るように優しく接する――願いは叶わないと告げるのだ、心苦しさも生まれる。


「大変な思いをなさっているのに申し訳ないのですが、すでに失った体を元通りにはできないので――」

「幼い子がいるんです。こんな足じゃ、畑仕事もできないんです」


 院の表でのやり取りに気がつき、男性職員が慌てた様子で飛び出してきて、エルーシアに頭を下げると、目をきつくして座り込む男性に顔を向けた。


「またあんたか。神子様の邪魔をするんじゃない。治療は無理だと、何度も説明されてるだろ。新しい仕事を教会が世話すると言ってるんだ――」

「別の仕事なんかできるか、俺に指図するな。騎士は治したじゃないか!」


 これがいつものやり取りなのか、男性は顔を真っ赤にして、不満と怒りから(こぶし)を握って震わせる。

 先ほど癒し手に伝えたのと同じ言葉をクロードも伝えるが、聞く耳を持たずに目をギラつかせた。


「俺は知ってるぞ、そいつは獣人なんだろう。獣風情(けものふぜい)は治しといて俺を断るな。俺は獣風情より劣るのか、それとも騎士じゃなけりゃ劣るのか。俺を差別するな!」


 男性は地面に拳を打ち落として叫ぶ。男性職員が止めるが、怒りのまま、わがままを通すために、二度三度と拳を落として血が滴る。

 身を挺した懇願ではあるが、ここ最近の差別や偏見に対する不快な思いがふつふつとエルーシアの中で大きくなり、顔から表情が消える。


 前世でも差別や偏見はあり、イジメや理不尽なことも身近にあった。しかし今世にあふれるそれは、よりあからさまであり、より酷く感じる。何度も、そんな場に遭遇してきた。

 人の価値観を変えることは難しく、自らも前世と今世との異なる価値観で悩み、揺れている。


 悩んだときは好きに選べばいい――そう言いながら、デルミーラはいつも背中を撫でていた。でも、好きなことばかりを選択はできない。

 彼女ならどう行動しただろうかと思いつつ、考えを巡らせる。あの、絶対的な判断で突き進む、揺るがない強さが欲しくて。


「あなたは――」


 クロードが男性に何か伝えようとするのを、エルーシアは手で制して止める。

 ここで騎士のクロードが何を言っても、男性の耳には届かないと判断したのだ。それから、細く息を吐いて淡々と告げる。


「つなげたのは獣人の護衛騎士の腕ですが、あなたを差別はしませんよ。生やすことはできませんが、つなげますので、斬り落とした足をお持ちください」


 男性は、あ然とした顔でエルーシアを見上げる。


「何を……そんなもの、あるわけないじゃないか。怪我したのは一年も前だぞ」

「神子でも、すべてを治し、すべてを救うことはできないんです。その傷ついた拳は治せますが……それだけです」


 屈んで拳に治癒魔法をかけ、立ち上がったエルーシアは、クロードの背後、道の先に(たたず)むルークと目が合った。

 自身がどんな表情(かお)をしているのか、分からないままに。


設定小話

心根も治せません

わがままで連日を潰さずに、幼い子のために新しい仕事しろよ!(クロードの本音)


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