表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/318

01 序幕・エルーシア

幼い主人公、エルーシアが虐待されてます

痛々しいのが苦手な方は、ご注意を



 なだらかな丘にある小さな村。特産もなく、大きな街道からはずれた、唯一の特徴である塔がそびえているだけの小さな集落の村。

 その小さな村の、村長の奥様が妊娠した。


 奥様は遠くの街から嫁いできたが、その街では、悪阻(つわり)の時期が過ぎると祝いの(うたげ)をする風習があるらしく、奥様にいい顔をしたい若い村長は張り切った。

 農作業や放牧を始める春は、ただでさえ多忙である。そんな中、奥様の両親の迎えの馬車だ、買い出しだ、ご馳走の準備だと駆り出される村人は多く、小さな村はどこも人手不足で、慌ただしい数日を過ごし、祝いの宴の当日を迎えた。


 五歳のエルーシアは、家畜の世話を一人でするよう村長から言いつけられていた。

 鶏の卵をカゴに集め、山羊(やぎ)の乳を搾り、それらを村長宅に届けたあと、裏の放牧地に家畜を放し、小屋を掃除する。いつもなら、年上の村娘ハンナと二人でしている作業である。


 早朝、淡い蜂蜜色の髪を後ろで一つにまとめて、淡藤(あわふじ)色の瞳を閉じて、深く息を吐いて眠気を追い払うと、昨秋の中ごろにハンナからもらった空色のエプロンを取り出した。

 少し大きいので、ウエスト部分で三回折って丈を短く調整し、着古した濃紺のワンピースに重ね、左腕にいつも着けている銀鼠(ぎんねず)色の腕輪を(そで)の中に押し込んで作業を開始する。


 卵と山羊の乳を同時に運ぶことは難しかったので、先に卵を届けたが、準備の指示で歩きまわっていた村長に、深く濃い青紫の瞳で(にら)まれ、手際が悪いと頭を叩かれた。

 それで急いで山羊の乳を届けると、寝起きの様子で、まだ結っていない()色の髪をかきあげながらレシピの確認をしていた奥様に、濃茶色の瞳で睨まれ、もたもたするなと背中を小さなムチで()たれた――奥様がいつもブーツに()している愛用の小さなムチは、鋭い痛みが後を引く。


 これ以上怒らせないようにと幼い体を家畜小屋に走らせ、羊や山羊を牧草地に放すための大扉(おおど)を開放するが、重くがたつき、あけるだけでも重労働であった。

 だが、羊も山羊もよく懐いているので、誘導は楽である。宴のために数頭の羊が売られ、数が減ったのもあるが。


 次の作業で、牧草地にある水飲み場の桶を満たすため、離れた場所にある井戸までバケツを持って何往復もした。魔力の扱いをまだ学んでいないエルーシアでは、水を出す魔道具は扱えず、古い井戸を利用するしかないのだ。

 その結果、エプロンはもちろんだが、ワンピースも濡れて冷たく肌に張りつき、靴は歩くたびに中に入った水を吐き出し、小さな手は赤く腫れた。

 

 家畜小屋に戻ると、替えの服も靴もないエルーシアは、エプロンをはずし、水がぽたぽた落ちるワンピースの(すそ)を膝丈で縛り、裸足(はだし)になって作業を続けた。

 外に出れば魔物がいる、足とはいえ肌を出すのは一般的ではないが、今は家畜小屋で一人だ。気にせずに作業を優先する。


 鶏の囲いの掃除はいつも担当しているので、慣れた作業だと問題なく終えて餌も補充し、次に羊と山羊の寝床の掃除を始めたが、大きな用具は扱いにくく、ずいぶんと時間がかかった。

 新しい(わら)を羊たちの寝床に敷いているとき、村長が奥様の両親と弟を連れて家畜小屋に姿を見せた。


 奥様の弟は、村長夫妻の結婚時は学生で都合があわず、村に来るのも初めてで会ったことはないが、似た顔立ちですぐに分かった。

 四人の姿に、慌ててワンピースの裾をほどいて頭を下げて挨拶したが、村長の怒りを買ったあとだった。


「見苦しい真似(まね)で俺に恥をかかせて、そんなに邪魔をしたいのか」


 勢いよく近づいた村長に強く突き飛ばされ、エルーシアは後ろに激しく転ぶが、手を差し伸べる者はいない。

 次は塔を案内しましょうと、瞳と同じ色の髪を()でつけて村長は小屋をあとにし、奥様の両親は何事もなかった様子で退出し、弟は小屋の中を物色するように、じろじろと見まわしながら続いた。


 転んで(かかと)には血がにじんでいるが、一日の作業を終えないと夕食はもらえない。痛みを我慢して靴を履いて放牧地へと急ぎ、一頭ずつ撫でながら小屋に戻していく。

 昨秋の終わり、羊が脚に怪我をしたことがあり、村長に責められて頬を叩かれたので、念入りに無事を確認するようになった。


 空が茜色から金青(こんじょう)色に変わるころ、エルーシアが作業を終えて村長宅に向かうと、家の前の広場には(いく)つものテーブルが配置されていた。

 柔らかい色の春の花を飾ったテーブルには、盛りつけられたご馳走や酒のビンが所狭しと並び、祝いの宴が始まるのを村中の人が待っている。


 早朝に搾りながら飲んだカップ一杯の山羊の乳。それしか口にしてないエルーシアには、ご馳走の香りは凄く魅力的だったが、勝手に村人の中に加わったら怒りを買うだろうと、村長宅の裏戸に足を運ぶ。

 いつもより多い作業をし、ご馳走もたくさん用意されたお祝い当日であり、村人たちと一緒に食べられるかもと、幼いゆえに甘い期待を胸に抱く。


 いつものように裏戸からキッチンに入ろうとするが、戸は開かない。しかし、人の行き来する気配はあるので、ノックをして待った。

 (しばら)くして戸が半分開き、顔を(のぞ)かせた村長からスープの入った小鍋と硬くなったパンを渡され、エルーシアは驚きから目を見開いた。


「厄介者なんだ、これで十分だろう。今夜は祝いの宴だから、お前は小屋から出るなよ」


 それだけ告げると、もう用はないと戸は閉められた――金青色の空には二つの月が昇り、村長宅の正面には篝火(かがりび)が灯り、村人たちの集まるテーブルまわりには幾つものランタンが吊るされ、あちこちが明るく輝いている。 

 だがエルーシアは輝きに加わることが許されない。背を向け、小鍋とパンを抱えて家畜小屋へと足を進めた。


 家畜小屋の片隅、木製の窓の扉をあけて、その一角に月明かりを迎え入れる。藁の上に使い古したシーツと毛布を重ね、居心地よく整えた小さな寝床があり、テーブル代わりの木箱に小鍋を乗せると、靴を脱いで寝床に腰を下ろした。

 硬くなったパンをちぎってスープに浸し、少しずつ口に運びながら、寂しさから祖母のことを思い出す。


 晴れた日は手をつないで丘を散歩し、塔からの(なが)めを楽しみ、雨の日は絵本を開き、寝る前には膝に乗って色々な話を聞かせてもらい、穏やかな日々を送っていた。エルーシアを無視する、年の離れた兄のこともよく叱っていた。

 祖母がいたら、一緒に宴に参加できただろうかとの考えが頭を(よぎ)り、涙が出てきて袖で(ぬぐ)う。


 父親はエルーシアが生まれる前に亡くなった、母親はエルーシアを生んだときに亡くなった――そう話し、可愛がってくれた祖母は、昨秋の初めに亡くなった。

 葬儀が終わると兄は暴言を吐いて手を上げるようになり、村長宅からエルーシアを身一つで追い出した。


「これからは村長と呼べ。お前は孤児の厄介者なんだ、俺たちに甘えるんじゃない。食事が欲しければ家畜の世話をしろよ、住むところも家畜小屋で十分だろう」


 奥様と楽しそうに笑いながら、そう言い放った。(いさ)めたり、家に泊めて手を差し伸べる村人もいたが、村長に何かを告げられ、段々と皆がエルーシアとの関わりを避けるようになった。

 幼い身では何が起こっているのか理解することも、ほかに取るべき行動も分からず、家畜小屋に身を寄せて、一杯のスープのために家畜の世話をする選択しかなかった。


 スープでお腹を満たしたエルーシアは、(から)になった小鍋を手に持って動きを止めた。いつもより早起きし、疲れも多く、踵が痛いから靴を履きたくないのだ。

 このまま寝たいが、小鍋は洗って返さないと怒られるかと悩み、首を少し傾け、小屋から出るなと言われたことを思い出した。


 朝になってから洗うと決めて、木箱の上に小鍋を乗せると、窓を閉めて小屋を真っ暗にし、シーツと毛布の間に潜り込んで眠りに落ちる――が、暫くして違和感で目を覚ました。

 疲れた体は眠りを求めているのに、妙に感覚は鋭くて、家畜たちと違う気配が小屋の中にあることに気がつく。


 息を止めて耳を澄ませると、小屋の裏口の方から、こつりこつりと忍ぶようなゆっくりとした足音が聞こえてきた。

 村長や村人は、こんな入り方はしない。ランタンも持たずに侵入する相手の意図が読めず、恐ろしさから毛布の下で丸くなって震える。


 嗅ぎ慣れない人の匂いに気づいたのか、羊が数頭鳴き始め、羊泥棒なら大人を呼ばなくてはと思いついたエルーシアは、震える手で窓の扉を勢いよく押しあけて、そのまま窓から転がり落ち、家畜小屋から逃げ出した。

 侵入者も窓に駆け寄ったようで、木箱を蹴る音や小鍋の転がる音が聞こえ、急いで体勢を整えて走ろうとするが、幼いうえに疲れた体は思うように動かずもたつく。


 続いて窓から飛び出した侵入者に襟ぐりを引っ張られ、後ろから絡めとられ、今までに感じたことのない恐怖感に襲われて、全身がざわりと冷える。

 無我夢中で両手を前に突き出し、幼い身から出せる限りの悲鳴をあげる。悲痛な叫びを――


設定小話

エルーシアのワンピースが暗い色なのは……

喪中に追い出されたからです


初投稿です

お読みいただき、ありがとうございます

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ