犠牲
三題噺もどき―ひゃくろくじゅうきゅう。
お題:深海魚・宵闇・巻き添え
深い。
暗い。
闇の中。
海の底。
「 」
目の前に広がるのはただの漆黒の世界。
話には聞いていたけど。
海の底ってホントに闇の中なのね。
「 」
そう思えるようになったのは。
全てを諦めて何もかも面倒になったのは。
―あの日からどれだけ経った頃だったのか。
もう時間が永久に想えるほど。時の流れなんてものがない。
だって広がるのは宵闇だ。深い夜の闇だ。海の底に広がる闇だ。
「 」
私がここにきて初めて見たのは、私をこんな風にした、この海に住む人魚の遣いだった。
一匹の深海魚。ぎょろりとした目と、魚とは思えぬほどの巨大な体。その割には小さな横鰭。開いた口には小さな牙がゾロリと並んでいた。
「 」
それは、私が目を覚ました時にはそこにいた。
その深海魚が放つ光で目が覚めたのだ。ぼぅと光その明かりはどことなく暖かく思えた。
それでも、冷えた体は、心は、もう二度と。
人のぬくもりを、体温を、得ることはなかった。
「 」
ぐぁ―と開いたその口から出された言葉は。
信じられないものだった。
聞きたくもないモノだった。
嘘だと言ってほしいモノだった。
そうであれば、すぐにでも戻せと、その暖かな光に触れようと藻掻いたのに。―それでも。それが嘘ではないと。真実だと分かっていたから、できなかった。
だってその結果がこれなのだ。
それが嘘ならこんな所に私は居ない。
こんな暗くて寂しい、海の底にはいない。
「 」
その深海魚はこう告げた。
本来私には聞こえるはずのなかったその声で。
今の私には聞こえるその声で。
『貴女は。貴女の妹御が、我が国の王子と婚姻を結ぶため。その供物として彼女から受け渡され。これからその永久の時間を、この地で過ごしていただくことと相成りました。拒否権はございません。おかわいそうなことに…。しかしこれは決まりなのです。規則なのです。我が国―人魚の住まう海の国から1人いなくなるのですから。そちらから1人頂く決まりなのです。』
―それでは。
そうして、言いたいことだけ言って。
ぐるりと回り、闇の中へと溶けていった。
あの光はすぐに消えた。
「 」
まぁ、そういうことだ。
そういう事なのだ。
悲しい事ではあるが。
それが事実で。現状で。
「 」
私の愚かな妹が。愚かなことに、人魚の男に恋をして。それが王子なのだと言うから。よりにもよって、この海の国の王子に恋をして。
その上、結婚をしたいと言い出して。
愛し合っているのだと言い放って。
共に生きたいと叫び出して。
「 」
それでもおとぎ話のようには、うまくはいかない。―いや、まだいいのか。誰もいなくなってはいないから。私が、忘れられただけだから。
「 」
あの日。海からの遣いがやってきて。こう告げた。
『結婚したいのなら、お前の国の人間を1人。こちらの国のものにする。それができぬのなら、もう二度と会うな』
―と。
「 」
その時、私が指名された。
あの愚かな妹は。
他の人間でもなく。父でもなく。母でもなく。妹でもなく。弟でもなく。兄でもなく。
―私を。
ひとりの姉である、私を。
「 」
何のためらいもなく。
何の迷いもなく。
ならば私の姉を―と告げた。
「 」
そこからはあっという間だ。
気を失ったと思って。目が覚めたら、もう既にここに居た。
暗い。
深い。
宵闇の広がる。
海の底に。
「 」
きっと、私の事なんて、もう誰も覚えていない。
私をここにつなげた人魚も。
ここに縫い留めた人間も。
私を捨てた両親も。
私を殺した妹も。
「 」
のうのうと、幸せに生きているのだろう。
人間としての生を全うしているのだろ。
「 」
私を巻き添えにしたことなんて忘れて。
限りある命で。
限りある幸せを。