第3話 琵琶湖疎水
琵琶湖疎水は琵琶湖と京都を結ぶ水路である。その両岸には桜並木があり、行き交う観光船に美しい姿を見せていた。その桜も咲き始めている。
その大津乗船場は三井寺の近くだった。私たちが向かったところ、その大津乗船場からしばらく行ったところに人だかりができていた。私と山形警部補は人ごみをかき分け、警官に警察バッジを見せて黄色いバリケードテープの中に入った。鑑識や捜査員が忙しく動き回っている。私たちは邪魔にならないように死体のそばに寄って観察した。
ボートの中に長い髪の濃い茶色のレザーコートを着た若い女性が倒れていた。首をひものようなもので絞められたようで、その首に跡が残っていた。黒メガネの奥の目はぐっと見開き、死に際の苦しみを見せていた。
「日比野香だわ。間違いない。」
山形警部補ははっきりと言った。確かに髪型、服装は彼女が電話で伝えた姿に一致する。殺したのが香川良一だとすると一体なぜ? 2人は近しい間柄でなかったのか? 殺さねばならない程、2人の間に何かあったのか・・・様々な疑問が私の頭に交差した。
そばにいた県警の捜査1課の刑事が私たちに言った。
「様子から見て大津乗船場で殺されて、そこにつながれていたボートに移してそのまま流したようだ。たまたま観光船とすれ違ってここで発見できた。持っているバッグには確かに日比野香の運転免許証が入っていた。」
私はその免許証を確認した。たしかに日比野香のものだ。写真の顔も黒くて太いフレームの大きな眼鏡をかけており、長い髪など全体の雰囲気は似ていた。死因など詳しくは鑑定の結果を待たねばならない。その刑事はさらに言った。
「レザーコートにふき取ったような血の跡が広い範囲にわたっていた。抗っているうちに着いたなら、犯人のものかもしれない。それにしてもこの範囲に血が付着するなら犯人も相当な怪我を負っているはずだが・・・」
しかし現場に血の跡はない。それに犯人が大けがをしながらレザーコートに付いた血をふく余裕があるのだろうか・・・それならその血は別のところでついたと考えるべきか・・・私にはそう思えた。
とにかく気になるのは香川良一だ。もしこれが奴の犯行ならまだこの近くにいる。早く逮捕しなければならない。私はその刑事に尋ねた。
「先程、電話で香川良一の手配をお願いしましたが・・・」
「ああ、聞いている。この付近の緊急配備をしている。そのうち不審者が網に引っ掛かって来るだろう。」
その刑事は楽観的だった。確かにそうだ。殺されて間がない。香川が犯人なら、この近くにいて必ず逮捕できる。それで事件は解決だ・・・そう思うと少し肩の力が抜けてきた。
「山形さん。行きましょう。ここは捜査1課に任せましょう。すぐに香川を逮捕できますよ。それよりお疲れでしょう。湖上署で一休みされたらどうです?」
私は隣にいる山形警部補に声をかけた。彼女はまだじっとその死体を見ていた。まるでそれは恨みがこもった顔に見えた。