第2話 三井寺
三井寺は琵琶湖南西の長等山中腹にあり、平安時代から1200年以上の歴史を持つ天台宗の総本山である。近江八景の一つである三井の晩鐘でも知られている。この季節、桜の名所として有名だ。花見客が大勢、押し寄せている。
私は渋滞を避けて抜け道を回って、ようやく三井寺の駐車場に着いた。遠くからでも桜の花の色が鮮やかに見えた。
「さてと・・・」
私はスマホを取り出して山形警部補に電話をかけた。だが今回もなかなかつながらなかった。
「またか・・・」
私はジープを降りて境内に入って行った。桜の咲き始めで観光客も少なからずいた。私は山形警部補の顔を知らなから探すのは厄介だ。ショートカットで淡い紺のジャケットの30まえの女性ということだけでは、広い境内では連絡がつかなければ絶対にわからないだろう。
しばらく私はスマホを片手に探し回ったが、そんな女性を見つけることができなかった。そのうち嫌な予感がしてきた。
(何か、突発的なことが起こったのか? それで連絡が取れなくなっているのか?)
私は人気のない山の方も探した。そこも桜の木が植えられており、美しく花を咲かせていた。その遠くの木の根元に何か薄い紺色の盛り上がっているものが見えた。
「ん?」
よく見るとそれは倒れている人のようだった。私はすぐにその方に走り出した。
近づくとそれははっきりした。ショートカットの淡い紺のジャケットを着た女性がうつぶせに倒れていた。そしてその手は手錠で近くの桜の木につながれていた。
(山形警部補! 間違いない!)
私はすぐに抱き起した。息はある。死んではいない。殴られたらしく、顔が少し腫れていた。激しく争ったらしく手足の所々に擦り傷もある。
「大丈夫ですか! しっかりしてください!」
私が呼びかけると、
「ううん・・・」
と言ってゆっくりと目を開けた。私はさらに声をかけた。
「湖上署の佐川です。山形警部補ですか?」
彼女はまぶしそうに目をぱちくりさせていたが、そのうちやっと頭がはっきりしてきた様だった。
「ええ、山形です。ここは?」
「三井寺の境内です。何かあったのですか? 確か、日比野香を尾行中と聞いていますが・・・」
私が話しかけると、やっと思い出したようだった。
「そうだわ! ここまで日比野香を尾行してきたのです。でもいきなり男が現れて襲い掛かって来て・・・。多分、香川だった。」
多分、山形警部補は香川良一に襲われて気絶してしまい、手錠を掛けられてこの桜の木につながれたのだろう。そうすると日比野香は? いや香川はどこに?
そう思いながらも山形警部補の繋がれた手錠が目に入った。早く鍵で手錠を外さねばと立ち上がると、そこから少し離れたところにハンドバッグが口を開けたまま捨ててあった。そしてそのそばにはぐちゃぐちゃに踏みつけられて壊されたスマホが落ちていた。
「あれは私のバッグとスマホです。」
私が尋ねる前に山形警部補が言った。すぐに私がバッグと壊れたスマホを拾ってきて渡した。彼女はため息をつきながら壊れたスマホをバッグにしまった。そして中を探して小さな鍵を取り出し、自分で手錠を外した。
「助かったわ。さあ、行きましょう。」
「はい。その前に署に連絡を取ります。香川良一を手配してもらいましょう。まだこの辺りにいるかもしれません。」
私がスマホを取り出して湖上署に連絡した。
「はい。湖上警察署、捜査課です。」
電話に出たのはまだ若い梅川だった。彼は刑事としてはひよっこだが・・・。
「佐川だ。」
「佐川さんですか。今、どこにいるんですか?」
梅川は何か慌てているようだった。なにか大きな事件が起こったのかも・・・。
「今、三井寺だ。迎えに行った静岡県警の山形警部補と合流した。何かあったのか?」
「ええ、殺人事件です。若い女性が殺されました。場所は琵琶湖疎水の大津乗船場の近くです。流された船の中に死体が乗っていたようです。」
「何だって!」
私は思わず声を上げた。琵琶湖疎水の大津乗船場といえば、この近くだ。もしかして香川の仕業かも・・・そんな気がした。とにかく確認せねば・・・。
「すぐに現場に向かう。すまないが大津署に香川良一の手配をしてくれるように頼んでくれ。山形警部補が奴に襲われたのだ。」
「えっ! そんなことがあったのですか!」
「少し傷を負っているが、山形警部補は無事だ。とにかく頼むぞ。」
「わかりました。お気をつけて。」
そこで電話を切った。とにかく凶悪な犯人を早く上げねばならない。また犠牲者が出るかもしれない。
「山形さん。この近くで殺人事件です。もしかして香川の仕業かもしれません。体が大丈夫なら一緒に来ていただけますか?」
「ええ、もちろん。」
山形警部補は大きくうなずいた。