【2】賭博村
続きを覗いてくださりありがとうございます。今節では、【賭博村】の全容が徐々に明らかになり、その中で修司と双葉が生活に慣れようと奮闘します。
突き落とされてから、何分が経過しただろうか。予想外の事態で、滑り落ちたというより、転がり落ちた2人は意識を失っていた。陰り始めていた日の光に双葉は起こされると、修司は先ほど自分たちが落ちてきた崖を調べている。
「おぉ、起きたか。俺もさっき。」
「私たち一体...」
「誰かにハメられたんだ...多分この先の『村』の住人じゃねぇか?」
修司が指さす先には、暗く奥の見えないトンネルがあった。
「本当にトンネルあったんだ。」
「あぁ、そんなことよりヤバいぞ。これ。」
修司は転がり落ちてきた崖の上を指さすと、双葉は言う。
「これって...」
「あぁ、意外と深かった。もう戻れない。」
「そんな...」
二人は先のトンネルを同時に見つめる。
「コツン、コツン、コツン...」
2人の足音がトンネル内に響き渡る。昼なのにそこは暗闇で、街灯もなかった。これはトンネルが異常に長いことを示していた。双葉が下を見ると、トンネル内には側溝があり、水が進行方向に割と激しく流れていた。
「水は確保できそうね、電気はあるのかな?この先の『村』は。」
「どうだろうな、そんなことよりお前、拳銃持ってるか?」
「え?」
双葉は修司の突然の要求に一瞬疑心暗鬼になりつつも、修司の声に耳を傾けた。
「ここで捨てろ。」
修司の言葉は意外なものだった。この先何があるかわからい状況で拳銃を捨てることに対し、理解ができない双葉がそこにはいた。
「え?...捨てろって、そんなこと。」
「命に係わるぞ。いいか、俺達にはこの先がどんな世界なのか知らない。ここから先は無法地帯かもしれないんだ。人を食う民族が住んでるかもしれないし、犯罪者たちの巣窟かもしれない。取り合えず警察は真っ先に殺される。」
彼女は修司の指示に従い、拳銃を側溝の水の中に捨てた。
「手帳もだ。警察手帳。」
泣く泣く警察手帳を捨てた双葉を、虚無感が襲った。もう自分は一生あの手帳を持つことは許されないのではないか、彼女はそんな予感に苛まれていた。
「プーッ、プーッ、ただいまお掛けになった電話番号は、電波の届かないとこ...」
「くそっ、どこ行ったんだあいつは。」
双葉たちが3時間前にいたコンビニでは、松原がいら立ちを見せていた。再びスマホを取り出した松原はある所へ電話を掛ける。
「警部補ですか?緊急事態かもしれません。例の矢倉沢の件で聞き込み中に、芦屋巡査が行方不明。もう連絡がつかなくなって2から3時間が経過しました。とりあえず、私は引き続き、彼女の向かった方向を調べて...」
その時、電話越しに状況を熱弁する松原は、何者かが自分を陰で見ていることに気付かなかった。
修司と双葉の視界は一瞬真っ白になった。視界が落ち着きを見せた瞬間、修司が呟く。
「思ったよりしっかりしてんだな。」
「えぇ、村というより町ね。」
二人の目の前には、古いものから割と新しい民家、畑、病院や消防署のような建物、そして無数の電柱が立ち並び、4, 5km四方もの広さを誇る、ごく一般的な村が広がっていたのだ。ただその景観において異様な薄暗さだけは、村をその一般性から遠ざけた。
「これって...」
「あぁ、おそらく上空からばれないようにだろ。」
その村は一面に、背が高く枝を広げた木々がそのまま残っており、日光を微かに通すほどで、地面の9割は日陰であった。二人がそんな非日常の風景に圧倒されているのも束の間、背後で大きな音が鳴った。
「ガシャン」
二人は振り向くと、双葉が肩を落とす。
「そんな...」
トンネルの出口に鉄冊製の扉が上から落ちてきた。それを見てあたふたしていた双葉を尻目に、修司は笑みを浮かべ、呟く。
「そういうことねぇ...」
「え?どういうこと?」
修司の違和感のあるリアクションに彼女は聞くが、修司は先に進んでいた。
「いや、何でもない。それよりあそこに人がいる。行こう。」
「う、うん。」
二人が向かう先には小さな小屋があり、小屋の前には2人のスーツ姿の長身の男が立っている。男たちは二人に話しかける。
「住民票の提示を。」
「住民票?」
首を傾げる男女に対して、二人の男は顔を見合わせると、少し小声で話し合い、再び修司に話しかける。
「入村手続きをするので、こちらへ記入を。」
「はい。」
二人は申請書を渡されると、テーブルでボールペンを握る。
「書けましたか?」
「はい。」
二人が申請書を提出すると、男の一人がまじまじと紙を見ている。
「何か?」
修司が尋ねると、男は少し間を開けて言う。
「ちなみに、この自営業っていうのは、具体的に...」
「あぁ、何でも屋さんみたいな感じですよ。恥ずかしいんですけど、ニートみたいなもんなので...テレビが壊れたら直すとか、いなくなった猫探すとか...」
「なるほど...」
「じゃあ...」
二人が先に進もうとしたその時、再び同じ男から声を掛けられる。
「お姉さん、職業欄が白紙ですが...」
二人は立ち止まる。双葉が焦る横で、修司は機転を聞かせ、男から紙を取り上げると双葉の名前を一瞬で確認した。
「双葉、さすがに無職が恥ずかしいからって、無記入はダメだろ。」
「双葉って...」
修司は肘を双葉の肘にぶつけ合図を送ると、彼女は察する。彼女はとっさに、修司の腕に手を回し、演技をする。
「ごめんなさいね、恥ずかしくて...強いて言えば、私彼を支えることが職業なので。」
「主婦ってことで?」
修司は、男と双葉の会話の違和感を潰しに入る。
「あの僕ら大学時代から付き合ってて、もうすぐ結婚するんです。前から決めてたことだし、今同棲中で彼女には家事に専念してもらおうと。だから苗字もまだ違って。」
男は数秒静止する。二人の間に緊張感が走った瞬間、男は口を開く。
「わかりました、ではあっちで身体検査を。」
長い息を吐いた二人は、もう一人の男が待つ長机の間へ案内される。
数分後、身体検査を終えた二人は、あるものを渡される。それは、名札のようなものだった。
「これは住民票となります。」
「住民票?」
それは二人が知るような、紙製のものとは異なっていた。
「はい、おめでとうございます。あなた方お二人は晴れて今日からこの『賭博村』の住人となりました。」
「なるほど、ありがとうございます。これは付けた方が?」
「付ける方がいいかと思います。失くしたら再発行に4億円かかりますので。」
「4億?いえ…はい。ありがとうございます。」
二人は男たちに礼を言うと、男の一人が口を開く。
「その住民票を持って、村の西側にあります、不動産屋に向かってください。住居を手配します。そして、あさって今月分の新住民のための説明会があるので、必ず参加を。」
「はい、お世話になりました。」
二人はその小屋を後にする。小屋を出て数秒後、緊張の糸が切れた双葉に対し冷静を保つ修司は話し始める。
「お前、空欄はねぇだろ。危なかった。」
「あなたみたいにあんなに一瞬で機転が利く人間の方が珍しいわよ。それに、何よあの気持ち悪い設定。」
「仕方ねぇだろ、あそこで間を開けたら疑われてた。考える時間なんか無ぇよ。」
「でも、どうすんの?この後住居の手配でしょ...同部屋とかだったら私帰るわ。」
「さすがにそれは無いだろ。って帰る方法分かんのかよ...」
村の南西部、あるアパートの中には絶望する二人の姿があった。ここでも乱して大声を上げる双葉に対して、冷静に制す修司の構図があった。
「ほら、言ったじゃない...あなたがあんな嘘つくから...」
「だから終わったこと言っても仕方ねぇだろって、でもまさか本当に同部屋とはな...」
「それはそうよ、婚前カップルだもの...私帰る」
「だからどうやって...」
絶望する二人のいるアパートは、302号室だった。木造4階建て計20部屋、築10年ほどだろうか、割と新しい家が二人に与えられた。ただ部屋はワンルームで狭く、7畳一間で二人だった。
30分ほど経過したが未だ双葉は文句を言っている。
「お風呂はどうすんの?どっちかが、銭湯?そもそもお金はどうやって...」
「お前さぁ...」
自分の発言が遮られた双葉は、修司の方を見る。
「お前、冷静そうに振舞ってるけど、意外と粘着質なんだな。」
「え?何よその言い方。」
修司は、白紙にペンで何かを書きながら、片手間で話していた。
「いや、もう過去には戻れないんだから、相部屋のこととか、風呂のことなんかどうだっていいだろ。」
「どうだってって...」
「お前だってわかってんだろ、今の状況。だったら先のことだけ考えろ。お前警官だろ、お前らは、過去の事件を解決するよりも、未来の犯罪をなくすためにいるんだろ、一緒だ。忘れんなよ。」
「...」
双葉は何も言えなかった。修司の言葉は一言一句正論だったからである。この瞬間双葉は、今日出会ったばかりの前しか向いていない目の前の男を尊敬すらしており、同時に自分を責めた。警官としての信念を忘れかけてたのは、あの手帳を捨てた時じゃなく、今だったと。
「気づかせてくれて、ありがとう。」
突然の謝辞に修司は首をかしげる。
「何が?」
「いいえ、何でも。乱してごめん。」
心の中の羞恥心を隠すため、双葉は冷静を保ちながら、修司に近づく。
「何やってるの?さっきから。」
双葉は修司にすり寄り、紙を覗き込む。
「...できた。今後の計画。」
「計画?」
修司の持つ白紙はこの数分で真っ黒になっていた。
二人は外に出ていた。村の雰囲気は何一つおかしいところはなく、主婦が家の前で談笑する姿も、学校帰りの小学生が走り回る姿も、服屋の店員が看板を掲げ、セールを押し出す姿も、目に映るすべての世界が、2人がこれまで見てきた世界と一致していた。すると、そんな時、豆腐屋のおじさんが声を掛けてくる。
「ご夫婦、豆腐一兆どうだい?みそ汁の具材にでも。」
「いえ、大丈夫です。また。」
双葉は豆腐屋を優しくあしらうと、話し始める。
「普通の村ってことはない?」
「は?」
「だって、違和感ないよ。この村。」
「もしそうだったらいいのにな...あ、あそこだ。」
彼の指さす方向には、一棟の建物があり、表には銀行という文字があった。そう、修司の『計画1』は銀行の視察だった。
(回想)
紙の一行目に書いてある文言を修司は説明し終える。
「銀行?」
「あぁ、まずは金の流れをつかむ。お前さぁここに来る途中違和感なかったか?」
「違和感ねぇ...」
「明らかにおかしいのは、俺らの見たことのある店が一つもなかった。」
思いを巡らせて、双葉は納得した。
「確かに、コンビニですら自営業...でもそれが?」
「一般世界とここは完全に断裂されているという証明だ。例えばコンビニにしても俺らの知る企業をこの村に入れるわけがない。ここまでして隠してるこの村を。」
二人は、緑色の空を見上げる。
「確かに、この村は完全に外へ情報を流さない。」
「だろ。っていうことは...」
「銀行も?」
「そう、その可能性が高い。つまり俺らの今の預金もあくまでも外界にあるだけ。つまり俺らは今一文無しの可能性が高い。」
(回想終わり)
村の銀行は、外界で言う地方にある信用金庫のような外観であり、さほど大きくはなかった。窓口は4つしかなく横並びで二人を行員が対応している。
「以上で口座作成のお手続きを終了致しました。」
「ありがとうございます。」
すると、神妙な面持ちで修司は小声で行員に尋ねる。
「あの...外界での預金は引き継がれませんよねもちろん。」
「はい、そうですね。皆さん初めは驚かれますが、村民の口座には毎日1000円が不労者でも振り込まれますので。」
「ありがとうございます。」
修司と双葉は銀行を立ち去る。
二人は食べ物街で購入したアンパンとお釣りの800円を握りしめ、歩いていた。双葉の顔は絶望に満ちていた。
「まさかね。二人とも財布に一銭も入ってないなんて。」
「仕方ねぇだろ。探偵なんか収入不定期だぞ。お前は?警官安定だろ。」
「昨日服買っちゃって…」
「んだよ。お互い様じゃねぇか。」
途方に暮れた二人は夕日を背負って岐路についていた。
アパートの階段には修司が座り黄昏れている。6時30分にもかかわらず日が傾くのは早まっていた。肌寒くなるこれからの季節に対する服をどうすればいいか。そんなことを考えているのだろうか。しかし、それは違った。彼はそよ風に吹かれながら空を見上げる。
(回想【12年前】)
南足柄市の街中に位置する事務所兼自宅では、食事中に一本の電話を取る母親の姿が。当時は父母弟と家族4人暮らしで、父は調査で青森に出ていた。食卓に並んだ品数は少なく、父の事務所経営は芳しくはなかった。修司は10才下の来年度小学生に上がる弟に野菜を食べるように勧めていると、箸が弟の手から滑り落ちたのだ。それに気づき修司が落下する箸に手を伸ばした瞬間だった。先に床に落ちたのは箸ではなく、母が持っていた受話器だった。
「母さん!?」
数日後、3人は火葬場にいた。修司は久しぶりに会える父の遺骨を待っていたのだ。そう、修司と弟は父の遺体を一回も見せてもらえていなかった。その理由は明白だった。調査中に暴力団に捕まり数百発殴られ、遺体は見るに堪えない状況だった。と親戚が話しているのを修司は陰で耳にしていた。
「母さん」
「ん?」
火葬場の待合室で母に声を掛けた修司に母は対応する。
「父さんはこれまで僕たちを守ってくれた。」
「そうね。」
「だからね。」
「うん。」
「…次は僕が母さんを守るから。」
部屋では母がすすり泣きながら、修司の頭を撫でていたが、あの時、実質頭を撫でていたのは修司の方だったのかもしれない。
(回想終わり)
302号室のドアが開くと、双葉が肌寒そうにしながら修司の元へとやってくる。
「お風呂あがったわ、交代ね。」
「いいよ、中入れよ。寒いぞ。」
「でも…」
風呂を終えた二人はテーブルに向かって家計簿をつけていた。
「二人で一日2000円、きついわね結構。やっぱり働かないとかしら。」
「どうだろうな。」
「どうだろうな…って。」
修司の顔は明らかに何かを考えていた。
「いや、『賭博村』だろ。村の名前。おそらく他に稼ぐ方法がある。」
「カジノとか?」
「それはわからない。でもおそらく明後日何かわかるんじゃねぇか?それよりさ、頼みがある。」
首を傾げる双葉に対し、修司は頼み込む。
「お前が知ってる捜査内容全部教えてくれ。」
「何だそんなこと?この状況でなりふり構ってられないもの。教えるわ。その代わりそっちの捜査状況も。」
部屋の時計の長針は1周回っており、2人は互いの状況を説明終えた。双葉は、最近の矢倉沢における、詐欺被害者の失踪状況。スマホに保存してある失踪者リストと合わせ、それぞれの失踪状況に対する説明も行った。対して修司も、あの日訪ねてきた依頼者が、娘の捜索依頼を自分に依頼してきたこと。そして、娘が母へ事前に残した住所を辿ることで、自分たちは今ここに居ること等もすべて話した。すべてを聞き終え、修司が総括する。
「つまり、俺らの目標は一致ってことでいいんだな。」
「そうみたいね。」
「俺たちはまず、依頼者の娘の菊川有希さんという人物を見つけ、そしてその中でこの村の全貌を明らかにし、この村から脱出して、警察に持ち帰る。」
「そうね、互いに協力しましょう…そういえば、脱出ってできるのかしらこの村。入口封鎖されちゃったわよね。」
「いや、別に出口はある。」
「え?」
修司の確信めいた表情に双葉は驚く。
「おそらくあの暗いトンネルのどこか。しかも出口は上じゃなく下。」
「え?」
理解が追い付いていない双葉に修司は説明を続ける。
「だっておかしいだろ、考えてみろよ。あの扉の意味。」
「扉…確かに意味ない気が!」
「そう、元々俺らが滑り落ちてきた崖は上ることができないんだよ。つまりあの崖がもう既に扉の意味をなしている。でもトンネルの外に扉をわざわざ作るということは?」
双葉は考え、答える。
「扉を作るということはその奥に出口がある。」
「そう、出口はあのトンネルの扉の奥、そしてあの崖の手前、つまりトンネルの中にある。」
「…すごい。え、でも下って…あぁ、梯子のようなものはなかったわね確かに。」
「いや、正直暗闇でその辺は確認できなかった。」
「…」
双葉は首を傾げた。
「じゃあなんでわかるの?」
当然の質問に、修司は不思議な言葉を言う。
「あいつ。」
「あいつって?」
「俺らを後ろから押した人物、あいつがいることは途中から気付いてた。まさか突き落とされるとは思わなかったが。」
「え?ほんとに!?...え、でもそれと何の関係が?」
興味津々に聞く双葉に、冷静に修司は続ける。
「あの側道のフェンスを潜ってすぐ、俺はつけられてる気配を感じた。」
「つけられてる?」
「あぁ、最初はお前だと思った。知ってたから。」
「嘘!?」
警察として備考がばれていたことにショックを受ける双葉だったが、彼の話は淡々と進行する。
「ただ、俺はびっくりした。あの隠れ道を進んでる間に下でお前が見えたから。じゃあ俺を今尾行してるのは誰なのか。」
「それがあの人?」
「ああ。」
ただ、彼女はその話に違和感を感じた。なぜならあの隠れ道以降は細い一本道で、すれ違える場所もなかった。あの後、修司が落ちてきて隠れ道を進み直した私たちの背後にどうやってあの人が回り込んだのか、という点だ。
「でも、それじゃあ…」
「そう、お前が今疑問に抱いていることこそが、答え。」
「え?」
発言の意味に追いつけない双葉に対し、修司は微笑みかける。
「あの時、俺はわざと崖を滑り落ちた。」
「え?」
「理由は一つ。印を確認したかった。」
「…」
先ほどから彼の話の展開が双葉には読めなかった。
「実は最初隠れ道を見つけた時、丸太に沿って、下の土に線を引いていたんだ。しかし、お前と合流した後、丸太はその線からずれていた。つまり...確かに俺はつけられていた証拠だ。ここまではいいか?」
「うん、大丈夫。」
「ということはだ、あのすれ違えない道で俺らの背後に回った方法はただ一つだ。あのトンネルにある出口から一旦降りて、再び俺らを下から追いかけたことになる。」
「そんなことあんな短時間で…」
修司は再び笑みを見せ、紙に何やら絵と文字を書き始める。
「いいか、丸太から俺が落ちた地点Aまでは15分、その地点Aからあの崖までは5分、10分休憩したから、俺らが合流してからあの崖を覗き込むまでが、正味30分。そして、謎の人物が俺らの後ろに回り込むには、あの崖は逆戻りできないことを加味すると、5分先の崖から降りて、X分で丸太まで戻り、20分でまた崖まで来なければならない。つまり...」
双葉は修司の説明を遮り、即答する。
「トンネル-丸太間は最低でも10分。」
「そう。」
ただ、双葉は理論上の理解にとどまり、物理的思考が追い付いていなかった。
「でも、ちょっと待って。丸太まで10分は無理よ。だって、あの車道から丸太までは、40分かかったもの。それに丸太までは一本道、抜け道もなかったわ。」
「本当になかったか?」
「え?」
修司の問いかけに面食らった双葉は、数秒記憶を巡らせる。
「あ!」
「そう。」
何かを思いついた双葉に、修司は冷静に相槌を打つと話を進める。
「おそらく、あの鳥獣保護区の中とトンネルは繋がってる。」
先ほど書いた図の一部を指さすと、双葉も目を向ける。
「いいかおそらくあの20分で俺たちが上った標高は80mほど、そして崖から滑り落ちた高さは10-20mほど、つまり標高で言うと大体6、70mぐらいだ。下りなら、10分で降りられる。」
「…」
双葉は、言葉に何も出すことなくただ修司の顔を凝視した。横目でそれに気づいたが、あしらうかのように、先ほどの紙を見つめる。
「何だよ。」
「あなたさぁ。」
「ん?」
「何で、探偵やってるの?その推理力持ってて。」
彼女の質問の意図がわからず、修司は問い返す。
「『何で』はどういう意味だよ。給料?社会貢献度?地位?」
「いや、そういうわけじゃ...」
「悪いけど、興味ないんだよね俺。自分の好奇心のままに知りたい謎を知りたい。俺の人生はただそれだけだよ。はぁ…寝るぞもう。」
二人は明日に向け、睡眠に付いた。ただ、双葉は修司の最後の言葉を脳内で数百回反芻させ、彼の生き方に自分が憧れていいのか、軽蔑していいのか、自分に適応しないと考えていいのか、考えを巡らせ、一睡もすることはなかった。
ご拝読ありがとうございました。いよいよ次作から【賭博ゲーム】、つまりお金の騙し合い心理合戦が繰り広げられていきます。もしよろしければ覗いてみて下さい。