第61話 天使は見破る
僕が風花さんにぶつかって転ばせてしまったと認識すると、一瞬だけ頭の中が真っ白になる。だけど僕はすぐさま風花さんのもとにしゃがみ込むと、咄嗟に両肩を支えながら立ち上がるのを手伝う。
「……あ、ご、ごめん風花さん! 大丈夫!? 怪我してない!?」
「えへへぇ、だ、だぁいじょぶだぁいじょぶぅ~! こう見えても身体は丈夫だからさぁ!」
そう言って風花さんはいつものにへらっとした表情を浮かべながら僕に微笑んだ。その後砂埃が着いたであろうお尻部分のスカートを、風花さんがぱんぱんと手で払う。
僕はそんな彼女の様子を伺いながら、内心心臓がバクバクしていた。
ど、どどどどうしよう僕!? いくら考え事をしていたとしても、前に回り込んだ風花さんに気付かずにぶつかって、さらに尻もち着かせちゃうなんてバカか!? ……いやぼうって歩いててバカまるだしだったねごめんなさい!?
そんな事実に気が動転して、手をあわあわとさせながらあちこち視線が泳いでしまう僕。だけど風花さんはそんな僕を気にせずに口を開いた。
ふと視線を合わせると、その表情は目をぱっちりとさせながらきょとんとしていた。
「それにしてもどうしちゃったのぉ来人くん? いつもならすぐに気が付くのに珍しいねぇ……なにか考え事でもしてたのぉ?」
「あー、う、うん! そうだね……! え、えーと……!」
僕は風花さんからの問いに目を逸らしながら脳細胞をフル回転させる。
今日の朝に中学校での嫌な夢を見て、気分が落ち込んでネガティブになっていただなんて口が裂けても言えない。
余計な心配なんて風花さんに掛けたくないし、僕が当時のことを思い出しながら話しても傷が深くなるだけ。なによりこんな格好悪い話を彼女にしたところでなんの意味も無い。だから……!
……いや、正直に言おう。
僕は怖いんだ。高校生活を通して親しくなった彼女から、風花さんから。中学で起こった僕への扱いに、同情の目で見られるのが。―――対等で、いられなくなるのが。
それを想像するだけで、胸が苦しい。だから……うん。
今まで心の中でさざめいていた波が静まる。僕は彼女をごまかす為に、穏やかに装いながら言葉を紡いだ。
「うん、昨日読んでいたラブコメ小説の続きが気になってさ。三角関係がどう崩壊するのか展開を考察してたんだ」
「嘘だよねぇ?」
「え……っ」
まるで断言するように間髪入れずにそう口にする風花さん。
どうして、という疑問が頭を過ぎるけど、それを口にする前に風花さんはゆっくりと通学路を歩き出した。その小さな背中を見送りつつ、僕も慌てて彼女を追いかける。
風花さんの隣へ並ぶと、僕は彼女の表情を覗く。普段と変わりの無い表情だったけど……なんだかその顔は、少しだけ悲しそうに見えた。
僕は一瞬だけ息が止まる。思わず喉からひゅっ、と音が洩れた。
「来人くん、誤魔化そうとしたり嘘をつくときは耳を触る癖がでちゃうからねぇ。……もしかしてぇ、お家で何かあったのぉ?」
「あ……っ、えっとその……!」
「隠そうとしないでぇ、私に教えてくれると嬉しいなぁ?」
そう言って儚げに微笑む風花さん。彼女の惹き付ける輝きを持った目が、真っ直ぐに僕を射抜いた。
仕方なく隠すことを諦め、一つ息を吐く。
「……夢を、見たんだ」
「夢ぇ?」
「うん。……真っ黒などろどろした湖の上に一人立っているんだけど、全く身動きが取れなくて。そんな僕を、地上に立ってる周りの人たちが笑ってるんだ。蔑むように。見下すように。嘲笑うように……」
「――――――」
僕は夢の中の話を大雑把に掻い摘みながら風花さんに話す。要所部分を除いた概要的な話だけど、嘘はついていない。
こんな話をしても、きっと風花さんにとっては……いや、彼女以外の人が聞いたとしてもくだらない夢物語だと捉えるだろうね。
でも、それでいい。―――もう誰にも、迷惑なんて掛けたくないから。
だけど、少し思い出すだけでも苦しいのに、不思議と穏やかな気持ちになる。……なんでだろうな。風花さんに、打ち明けているからかな?
自分が抱く感情に整理がつけられないまま、そのまま言葉を続ける。
「そしたら、僕の身体がどんどん沈んでいくんだ。僕の身体の筈なのに、爪先からじわじわと身体の感覚が無くなっていくんだ。必死にもがこうにも動けなくて、苦しくて、真っ暗闇で……」
「ごめん、なさい……っ!」
突如、手が引っ張られた感覚とともに高校へ向かう歩みが止まる。
そこに視線を向ければ、僕の冷たくなった指先が風花さんの暖かな手のひらに包み込まれていた。
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