バイロン伯爵家の方へ③
「…フランシスカさん?」
ヴィクターが傍らを見ると、そこにフランシスカがいた。
(あれ?なんでここに?バイロン伯爵の城にいるはずだよな、さっき定時連絡ももらったし…)
彼は、自分の置かれた状況をまったく把握できていなかった。
何かが、おかしい。そう思いはじめたヴィクターはあたりを見回して、どうやらおかしいのは自分なのだと気づいた。
ヴィクターはポリドーリ伯爵が用意した宿で待機していたはずだった。しかし、いまいる場所はどう見ても元の宿屋ではない。
(フランシスカちゃんが突然俺の前に現れたんじゃなく、俺が現われたのか…?)
「あの、フランシスカさん。すいません、ちょっと状況がよく分かってなくて…」
「え?」
「なんで私はここにいるんでしょうか?」
「は…?」
フランシスカは呆気にとられた顔になった。よくよくその顔を見てみるとその顔に涙が流れていることに気づく。
「…泣いてるんですか?」
「!」
ヴィクターの言葉にはっと我に返ったフランシスカは、服の袖を使って涙を拭きとった。そして、ヴィクターにまくし立てるように質問をはじめる。
「ヴィクター!あなたどうやってここまできたの?この場所にいるのが分かったのはなぜ?まさか最初からついてきてたの?」
「ええっと、さっきまでポリドーリ伯爵の宿に居たはずなんですが…」
ヴィクターは正直に自分の状況を説明した。ポリドーリ伯爵から定時連絡を貰って、安心して寝ようとしていたら突然この場所に自分がいた。全くもって、彼自身ですら自分がなぜこんな場所にいるのか説明ができないのだった。
「なによそれは…」
「いや、私にも何がなんだかさっぱり…」
「…とにかく、助けてくれてありがとう」
追及しても無駄だろうと悟ったフランシスカは、ひとまずお礼を言って仕切り直すことにした。
「私、お父様とお母様を殺した奴に、逆に殺されそうになってたのよ…」
「え!?バイロン伯爵ですか?」
「いいえ、ポリドーリ伯爵よ」
「え!?」
予想外の名前が出てヴィクターは驚愕した。昼間の、フランシスカと親しげに言葉を交わしていたポリドーリ伯爵。とてもではないが、彼が人殺しをするような人間には見えなかった。
「その、ポリドーリ伯爵は今どこに?」
「分からない…けど、たぶんあんたが殴ったんだと思うわ」
そういうと、フランシスカはとある場所を指差した。そこにはもともと部屋の壁があったのだが…今では大穴があいていた。その穴は屋敷を貫通して中庭まで届いているようだった。
「え、もしかして死んで…」
「死んでないと思う…。いくら不意打ちでも第一魔法騎士団がこの程度で死んだりしないわ」
「ええ…」
(嘘だろ、第一魔法騎士団ってそんなに強いのかよ)
ヴィクターは自分の中の第一魔法騎士団の認識を若干改めた。いくら自分よりもはるかに弱いといっても、油断していい相手ではなさそうだ。
「気を付けて、ポリドーリ伯爵だけじゃない。私たちを襲ってきたあの魔法使いもいたのよ」
「え!あいつも…」
ヴィクターは城で戦った初老の魔法使いを思い出していた。結果的には勝ったものの、奴の魔法は発動がつかみにくくてフランシスカを守りにくい。そのせいか若干苦手意識をもっていたのである。
しかし、その魔法使いの気配は、どこからも感じられなかった。
「…とにかく、今はポリドーリ伯爵をどうにかしましょう」
「!殺しちゃだめよ!?」
穴の方に進もうとしたヴィクターをフランシスカは回り込んで阻んだ。
「伯爵にはまだ理由を聞いてない。それに…」
フランシスカは沈痛な面持ちになり、そのまま黙ってしまった。しかし、ヴィクターにとってはフランシスカがポリドーリ伯爵の死を望んでいない、ということだけ分かれば十分であった。
「分かりました。なんとか殺さずに捕まえてみましょう」
「ええ、お願い」
そして2人は、ポリドーリ伯爵が吹き飛ばされたであろう中庭へと急いだ。
◇
城の中は、不思議なほどの静寂に包まれていた。そこに響く音は走る2人の足音と、息を切らす少女の吐息。そして、どこからともなく聞こえるナイチンゲールの鳴き声だけだった。
「いた!」
中庭に付くとすぐにフランシスカはポリドーリ伯爵を見つけた。伯爵はその場にうずくまり、苦しそうなうめき声を出している。
初老の魔法使いは、ここにも姿を見せていなかった。
(なんだか、既に戦闘不能に見えるな)
ポリドーリ伯爵の様子を見たヴィクターは素直にそう思った。もはや満身創痍。とても戦える状態ではない。
「フラン…シスカ…」
「!」
そのヴィクターの楽観視を嘲笑うかのように、伯爵はガクガクと足を震わせながらも自らの体を起こしあげたのである。伯爵は…泣いていた。
「ポリドーリ伯爵。なぜ…なぜお父様とお母様を…」
「…………一か月前だ…すべてはそこから始まった…いや、終わったのだ…」
「一か月前…」
一か月前、フランシスカは両親とともにバイロン伯爵の城に泊まった。ポリドーリ伯爵も一緒で、バイロン伯爵の集めた奇妙な美術品を眺めて談笑したり、食事を楽しんだりしていたのだ。
そう、本当にそれだけだったはずだ。フランシスカは一か月前の出来事と、今日のポリドーリ伯爵の凶行とを結びつけることができなかった。
「一か月前に、何があったのですか?」
「…」
ポリドーリ伯爵は、自分の頭をガリガリとかきはじめた。目の焦点はどこにもあっていなかったが、確かに何かを見つめているようだった。
「私の場所にシェリー伯爵がいた…」
「え?」
「私の場所にシェリー伯爵がいたのだ!」
その一言から、堰を切ったようにポリドーリ伯爵はフランシスカに言葉を投げつけ出した。
「あの夜…わたしは見てしまった。バイロンとシェリーの房事を!知ってしまったのだ。彼らの仲を…。少し前からおかしいと感じていたのだ、いつも私にだけ投げかけていたバイロンの艶めかしい視線、それをいつのころからかシェリーにも使っていた。いや、本当はその時点ではっきりとバイロンに詰め寄るべきだったのだ!バイロンに限ってそんなことはないと信じてしまった…私とバイロンこそが特別で、神聖で、分かちがたい愛を育んでいるのだと信じていたかった!」
「…え?」
フランシスカは、伯爵の言葉が意味することをすぐには受け入れられず茫然としていた。
そのフランシスカを無視して、なおポリドーリ伯爵は話し続ける。
「愚かだった。私は、私は彼以外の誰も愛さないと誓った!だから妻を迎えることもしなかった。たとえバイロンに夫人がいたとしても、男として愛してくれるのは私だけ…そのはずだった。いや、そうあるべきだったのだ!それを…あのベラミめっ!きっとあの男がバイロンを誘惑したのだ。あろうことか、私のバイロンの髪と唇を奪って……」
「ポ、ポリドーリ伯爵…その、私のお父様とバイロン伯爵が…?」
「ああそうだ!君は知らなかったかもしれないがね。彼らは蜜月な仲だったのだ。寝室で愛を語り合うほどにね!私との愛を育んだ場所で、別の男と…吐き気がするよ!だから殺した!裏切った奴らを全員、愛のない奴らを全員!そんなものはこの愛の巣に必要ないのだ!」
ポリドーリ伯爵は息を荒くして、ようやく言葉を止めた。彼が再び口を開くまでの間、フランシスカもヴィクターも一言も発せないでいた。
「だから殺した…フランシスカ、君たちが帰った後にバイロン伯爵と夫人を。そしてシェリー伯爵を永遠に貶めるための計画を立てはじめたのだ」
「何かの間違い…」
「ああ間違いだとも!」
フランシスカを遮るように伯爵は叫ぶ。もはやそれは世界に対しての絶叫のようだった。
「間違いなのだ!バイロンは私だけを愛する!それだけでよかったのに!不誠実な愛が起こしたのだ、この悲劇は!…………私だけを愛してほしかったのに…」
その激情を吐露している間、伯爵は泣き続けていた。
フランシスカは伯爵を見つめて半ば放心してしまっていた。ヴィクターもなんとも言い難い痴情のもつれを聞かされてしまい、行動をとれずにいた。少なくとも、今のポリドーリ伯爵は感情的になりすぎていて危険なことは確実だった。
「シェリーと夫人を殺して、それで全てが終わったと思った。だが…だめだった。シェリーの血が途絶えていないということが、私から愛を奪った血がまだ残っているということが、どうしても納得できなかった!」
そこで言葉を区切ると、伯爵は初めてフランシスカと目を合わせた。
「だから死んでくれ、フランシスカ」
彼の言葉を合図にして、フランシスカの背後に初老の魔法使いが突然現れた。
「え…」
完全にポリドーリ伯爵に意識が向いていたフランシスカは不意打ちを食らった。
フランシスカに魔法使いの手が伸びる。
バンッ!
「…!?」
一瞬、フランシスカは何が起きたのか理解できなかった。後ろにいたはずの魔法使いは姿かたちもなくなっていた。その代わり、魔法使いが先ほどまでいたところに、ヴィクターが裏拳を放っていたのだ。
フランシスカは自分のずっと後方を見た。そこは城の石壁が崩れ、わずかに人間の足と黒いローブが見えていたのだ。
「ぐぅ…」
「結構力を入れたので、しばらく目を覚まさないと思いますよ」
ヴィクターはフランシスカの危機にいち早く気付いて、魔法使いが何かする前に拳で吹き飛ばしていた。もう十分ポリドーリ伯爵の口から真相は語られたのだから、もはや言葉を聞く必要もないと、彼は判断していた。
「もういいでしょう。彼は捕まえます。問題ないですよね?」
「ダメよ!」
念のためにフランシスカに合意をとろうとすると、予想外に反対されてしまい、ヴィクターは驚いた。
「しかし…」
「ポリドーリ伯爵、私にはとても信じられません!お父様とバイロン伯爵が…そんなこと…」
ヴィクターを無視して、フランシスカはバイロン伯爵に語りかける。しかし、それに対するバイロン伯爵の答えは辛辣なものだった。
「信じられないから真実ではないのかね?私が嘘をついているというのなら、その証拠でも見つけてくることだ」
「そ、それは…」
既にバイロン伯爵とシェリー伯爵が亡くなっているこの状況で証明が難しいことは明白だった。
「もう私の言葉が真実か虚構か、正しいか間違っているかなんてどうでもいいのだよ!今はただ、君が生きている事に耐えられない。フランシスカ!」
そう叫ぶとポリドーリ伯爵は一直線にフランシスカへと襲い掛かった。おそらくは魔法を使っているのだろう、常人では考えられないスピードで距離を詰めている。
しかし、ヴィクターにとってはナメクジと大差ないレベルであった。
「があっ!?」
何の捻りもなく放った拳が、あっけなく伯爵の顔面にヒットする。衝撃で数メートル後ろに飛ばされるが、伯爵は素早く体制を立て直した。
(驚いた。あれ一発で終わらせるつもりだったけど、魔法でも使ってるのか)
戦闘態勢に入り、キッと伯爵を睨みつけたヴィクターだったが、伯爵の方は眼中にないとでも言わんばかりに姿を消す。
(また瞬間移動魔法か!)
ヴィクターは伯爵の移動場所を「なんとなく」把握し、フランシスカの左後ろに付きを放つ。
「ぎぃ!」
「いくらやっても無駄ですよ」
付きは見事に伯爵のみぞおちに吸い込まれていった。小さいうめき声を出した伯爵は再び消えてしまう。
(とにかくフランシスカちゃんの命だけ狙ってるってことか。こんなのと付き合うのはごめんだな)
「フランシスカさん、相手の魔法を使えなくすることってできないんですか?」
「そんな方法があったらとっくに使ってるわよ!」
ヴィクターはあたりを警戒しながらフランシスカに尋ねるが、フランシスカからごもっともな回答が返ってきて押し黙った。
(じゃあ、これをちまちま続けて相手が諦めるのを待つしかないのか…ん?)
ピリッとした空気をヴィクターが感じ取った次の瞬間、視界が突然白くおおわれる。2人の頭上で巨大な火の玉生成され、フランシスカめがけて落ちてきたのである。
「きゃああああああ!」
「くそっ!」
ヴィクターはフランシスカを抱きかかえて、城の中へと退避する。直後、中庭の方から轟音が鳴り響いて、熱風が押し寄せてきた。
(さて、どうするか…)
おそらく伯爵は、まだフランシスカのことをあきらめてはいないだろう。どんな魔法を使ってくるのか情報がない状態で立ち向かうのは、いささか骨が折れる作業だった。
だが、当のポリドーリ伯爵は2人が全く予想していない行動をとった。
2人の目の前に、伯爵が姿を見せたのである。
「…ヴィクターくん。君は本当に強いね。彼から聞いていたが、とんでもないよ。門番にも言って君を遠ざけようとしたのに…君がいる限り、フランシスカを殺すのは無理そうだ…」
「あきらめる気になりましたか?」
そう言いつつ、ヴィクターは警戒を緩めない。あれだけの憎しみをフランシスカに向けておきながら、今更あきらめるとは考えられなかったからだ。
「君にお願いがある」
「…」
ヴィクターは伯爵の言葉を待ったが、次の提案に絶句してしまった。
「私と協力してフランシスカを殺さないか?金や地位、欲しいものがあれば何でもあげよう!この通りだ!」
2人が固まっているのをよそに、伯爵はヴィクターに向かって土下座をしたのである。
ヴィクターは、そこで初めてこの伯爵に、恐怖に似た感情を覚えた。
(…なんなんだこいつは。どうしてそこまでフランシスカを殺したいんだ?愛憎にしたって、フランシスカは関係ない、こいつら3人の伯爵の中で起こった事なのに、同じ血が流れているから殺したいほど憎めるものなのか…?)
そこでヴィクターはふと、ある全く別の可能性に行きついた。
(もしかして、俺がおかしいのか?「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」って言葉もあるしな…ポリドーリ伯爵は本当は正常で、俺の方が愛に対して軽薄すぎるのか?そこまで…そこまで愛に真剣になることが、できるものなのか?)
ヴィクターは恋愛とは程遠い人生を送ってきた。彼女なんていたこともないし、そもそも好きになった人もいなかった。だが、他の人が誰かを好きになって告白をしたりする光景を見たことはあったので、いつか自分にも好きな人ができるのかもしれないと、漠然と考えていた。そして、そのまま29歳になっていた。
(愛で…ここまで狂える人間がいるのか。もしかして、そういう人間の方が大多数だったりするのかもしれない。俺にはたぶん…この伯爵のような生き方はできない)
ふと、ヴィクターは隣のフランシスカを見た。フランシスカは、ヴィクターをおびえるような目で見つめていた。
(ああ、この目だ。俺に裏切られるかもしれないと考えている疑惑と恐怖の目。ほんとうに可愛いなフランシスカちゃん。ここで俺が伯爵に協力するって言ったら、どんな表情をしてくれるんだろう…可哀想だからやらないけど)
「お断りしますよ、ポリドーリ伯爵。私はフランシスカさんの味方です」
「ヴィクター…」
ヴィクターの言葉を聞いた伯爵は、その場でゆっくりと立ち上がった。
「残念だよ」
伯爵は再び魔法を使って姿を消した。しかし、ヴィクターにはもはや通用しなかった。
(次はフランシスカちゃんの真後ろか、もう無駄だ)
ポリドーリ伯爵の位置を先読みして、拳を放つ。完璧なタイミングでポリドーリ伯爵は姿を見せて…
その姿が、一瞬にしてフランシスカに変わった。
「!?」
「え?」
フランシスカの柔肌にめり込もうかというその直前で、ヴィクターの拳は止まっていた。
それは自分を転移させるのではなく、任意の対象を転移させる魔法。伯爵は、自分ではフランシスカを殺せないと悟って、ヴィクターに殺させようとしたのである。
「くそっ!」
悔しがる伯爵の声が聞こえた瞬間、ヴィクターから理性が消えた。
「ヴィクター!」
叫ぶフランシスカの声も、届きはしなかった。
◇
ヴィクターが我に返ったとき、自分が何かを殴った後であることに気が付いた。
左腕の中ごろまで城の石壁に埋もれていて、見えない拳に石壁とは違う柔かく、温かいものの存在を感じた。
拳のすぐ下を見ると、そこにはポリドーリ伯爵の下半身がびくびくと跳ねていた。
(ああ、これは…)
ヴィクターはすべてを悟った。自分がやってしまったことを。
ゆっくりと腕を壁から引き抜くと、拳には黒い何かがべったりと張り付いていた。暗闇でわからないが、血であろうことは容易に想像できた。
「ヴィクター…」
後ろから、フランシスカの弱々しい声が聞こえてくる。
ヴィクターは、情けないことに振り向く勇気が出なかった。その代わりに一言だけ、フランシスカに謝罪した。
「約束、守れなくてすみません」
しばらく神経だけで動いていた伯爵の下半身は、ゆっくりとその動きを止めていった。




