花に嵐のたとえもあるぞ①
王城の一室に、謁見を終えた5人が戻ってくる。ヴィクターはやっと一息つくことができた。
「今まで聞いたことなかったけど、魔王ちゃんの故郷ってどこにあるの?」
謁見の間で聞いてからずっと確認したかったことをフランシスカは口にだした。魔王やザラスシュトラはエルフなどとは違う種族であることは明らかである。その故郷、是が非でも場所を知りたい。それが彼女の真意だった。
「おお、ここじゃ、ここ」
魔王は、何にもない空中を指さした。フランシスカが訝しげに見つめるのを気に留めず、魔王はスッと床まで指で線を引いた。するとその線がパッと円状に開き、別の景色が現れたのだ。ちょうどイヨの使う移動魔法のようなものだった。
「うそっ!?」
「これは…」
これにはさすがにイヨも驚いたのか、駆け寄ってその空間を見つめる。
「来るときもこうやって来たからの。帰るときも同じじゃ」
「魔王ちゃんって移動魔法が使えたのね」
「いや?移動魔法とはイヨが使っていた奴じゃろ?私にはできんぞ」
「え?でも…」
フランシスカと魔王がかみ合わない話をしている間に、イヨはその空間をまじまじと観察していた。ヴィクターも見てみたが、空間の先に広がっている世界は何とも奇妙なものだった。まず、空が不自然に赤い。夕暮れと言うには原色のような目に刺さる彩度で、空一面に均一に赤いのも普通ではない。荒涼な大地が広がっているが、生えている木…と言うよりも逆さにしたシャンデリアのような何かは、とても自然の光景として受け入れられるものではなかった。
「だいたい分かりました」
そう呟いたイヨにその場の全員の視線が集まる。
「魔王さんのこれは確かに私の移動魔法とは違うようです。私の魔法はこの世界のどこにでも行くことができますが…この先は世界のどこでもありません」
「世界のどこでもないってどういう…」
「そうですね。私たちの世界とは異なる世界。言うなれば異世界でしょうか」
「異世界…」
その時、フランシスカとヴィクターの目線がぶつかった。だが、フランシスカはすぐに目線を外すと魔王の方を向く。
「魔王ちゃんってこの世界で生まれたわけじゃなかったってこと?」
「生まれた場所は知らん。だが、以前居たのはこの向こうの世界じゃ」
魔王は裂け目の先の赤い世界を指さす。同意を示して、ザラスシュトラもうんうんと頷いていた。
「逆に、それが正しければ魔王さんのいろいろなおかしさも納得できます。そもそも、この世界が起源ではない存在なのですから」
フランシスカは、黙ったままじっと魔王のいた世界を見つめている。
「元の世界はだいたい散策してしまったから、もっと別の場所を散策したいなぁと思ってここに来たんじゃ」
「せめて行く前に何か言っていただければ嬉しかったのですが…」
「すまんすまん。こっちの世界はまだまだ面白いことがありそうだから、定期的に遊びに来させてもらうぞ」
魔王はあっけらかんとそう言った。どうやら魔王様はまだまだ遊び足りないようだった。
「もしまたこの世界を旅したいと思ったら、最初に私のところに来てほしいわね。魔王ちゃんと一緒ならいろいろと退屈しなさそうだもの」
「その前に、皇帝陛下に一度挨拶してからにしてください。この世界は皇帝陛下のものなんですから」
フランシスカとイヨの言葉に、魔王は「わかったわかった」と分かっているのかいないのか分からない返事をする。そして、驚くほどあっさりと魔王とザラスシュトラは元の世界へ帰って行った。いつでも来られるのだから後ろ髪を引かれることもないのだろうが、ちょっとは名残惜しそうにしてもいいのにな、とヴィクターは思ってしまった。
性格は趣味ではなかったものの、かなりの美少女だったのは間違いなかった。別れを惜しんでいるのはむしろヴィクターの方だっただろう。
「私も、特別魔法騎士団としての任務に戻ります。今回の件以外にも、やることは山積みなので」
「そうよね…」
「フランシスカ達はこれからどうしますか?やはり旅を続けるのですか?」
「ええもちろん。でも…」
フランシスカの目線が、窓に向く。外にはエトランゼの街並みと、その先の地平線が見える。
「一度領地…元領地に戻ろうと思うわ。お父様とお母様にいろいろ報告したいし」
「…そうですか。では、一旦お別れですね」
「ええ。まあ階級が違うとはいえ同じ魔法騎士団になったんだし、今後ともよろしくねイヨ」
「もちろんです。フランシスカ」
ヴィクターもイヨと別れの挨拶をして、城を後にした。元シェリー領までは馬車での長旅だ。2人だけの旅は、本当に久しぶりになる。変わったことと言えばヴィクターも御者ができるようになったことくらいだろうか。
数週間の旅の後、2人はついにあの城に戻ってきた。初めて出会った場所、元シェリー領の城に。
◇
「思ったほど荒れてはいなくて良かったわ」
あれから跳ね橋はかかったままになっていたようだが、特に中が荒らされていたような形跡はない。寝泊まりするのに必要な部屋と食事に使う大広間を掃除することに決め、フランシスカとヴィクターは早速取り掛かった。
城の中を歩いていると、あの日のことがヴィクターの頭をよぎる。扉がバキバキに破壊された部屋の前で歩みを止める。そう、初めてフランシスカとヴィクターが出会った場所。両方とも裸同然というとんでもない出会いだったが、なんだかんだでここまで来たのだ。
(そういや、フランシスカちゃんにセックスさせてくれってお願いしたのもここでだったか)
ヴィクターは自分の発言を他人事のように思い出す。
「…」
あの出会いから、色々なことが変わって、今ここに居る。どのみち扉の破壊された部屋で寝ることはできない。別の部屋を掃除しようとヴィクターは歩き出した。
掃除が終わり、大広間に戻った時にはフランシスカはすでに夕食の準備を進めているようだった。テーブル上の燭台にはすでに火が灯っている。料理の手伝いをしようとしてもつまみ出されるのは分かり切っていたので、ヴィクターは椅子に座って大人しくすることにした。
(…ここでゴキブリに遭遇したんだなったな)
唐突にそのことを思い出し、周囲を確認し始める。燭台の光だけでは部屋の隅々まで確認することはできなかったが、少なくとも周辺にゴキブリはいないようだ。そうしている間に、フランシスカが作った料理を運んできた。豆とソーセージを使ったスープと、少し硬いパン。質素なものだったが、2人にとっては十分だった。
食べ終えて、部屋に戻ろうとするヴィクターに、フランシスカは声をかけた。一瞬、自分の聞き間違いかと思ったが、聞き返す前にフランシスカは隣の部屋へ食器をもって消えていた。
フランシスカはこう言っていた
「夜、部屋に来て」
と。
◇
ヴィクターは鏡の前に立っていた。もう見慣れてしまったこの世界での自分の姿。元の容姿の記憶があいまいになってくるほどのイケメン顔だ。しかし、その表情はあまり晴れやかとは言えなかった。
(夜に部屋に来てくれってことは、つまりそういうことなのだろうか…?)
押してダメなら引いてみな、とはよく聞くがいつも引いていた相手が突然押してくるのもなかなか効果的らしい。フランシスカの真意が読めない。悩みながら歩いて来てしまったのか、気づいたときにはフランシスカの部屋の前にいた。
(俺は今、フランシスカちゃんとセックスしたいのだろうか。多分したい。でも、何か、以前とは違うような気がする)
心の中に違和感を残しながらも、ヴィクターは目の前のドアノブを回した。部屋の中にはフランシスカがいる。机に向かって、何かを書いていたようだった。ヴィクターに気づくと、フランシスカはジト目になった。
「部屋に来てとは言ったけど、ノックぐらいしなさいよ」
「あ、すみません…」
「まあ、あんたの非常識は今に始まったことじゃないけど」
フランシスカは椅子から降りて、ベッドに座りなおした。横に座るように促してきたので、ヴィクターは素直に従う。しばし静寂。ヴィクターは横目でフランシスカを確認するが、彼女はただ目の前を見つめているだけだった。
「いろいろバタバタしてたけど、ようやく落ち着いたわ」
「ええ、でもまだ旅は続けるんですよね」
「もちろん。まだエルフにも会えてないしね。ただ、今までのことを本に書いて整理しておきたいから」
「なるほど」
また、静寂。会話が続かないことに若干の焦りが生まれる。そんなヴィクターの心情を知ってか知らずか、フランシスカは部屋へ呼んだ理由を話し始めた。
「あんたを呼んだのは他でもないわ。最初の約束を果たすためよ」
「…そうですか」
「…乗り気じゃなさそうね」
「え!?いや、そういうわけじゃぁ…」
実際のところ、ヴィクターはあまり乗り気になれていなかった。それがなぜなのか、自分でもわかっていなかった。
「以前はあんなにがっついてきたのに、ずいぶんな変わりようね。興味なくなったのかしら」
「そういうわけじゃないですよ」
「じゃあ、どういうわけよ?」
「それは…」
ヴィクターは唐突に子供の頃を思い出した。冬の季節の記憶を。
一面に降り積もった雪を前に、自分は思い悩んでいるのだ。何を?
そのきれいな雪景色をずっと見続けるか、自分の足で踏みしめてメチャクチャにしてしまうのかを、である。
2つは異なる快楽で、どちらかを選択すれば片方は叶わない。そして時間が経てば、結局両方ともご破算になるのだ。
そしてその時の自分は…
それが、フランシスカへの答えだった。
「フランシスカさんのことが、大切になったからです…たぶん」
「…へぇ、どうでもいい相手ならやってたんだ?」
そのフランシスカの問いを聞いて、ヴィクターはしゃべり出す。
「俺は小さい女の子が好きなんです」
「知ってる」
ふぅ、とヴィクターは一呼吸おく。同時に頭が焼き切れそうな決意を魂で行った。
「小さい女の子の純粋無垢な性格が、とかではなく単純に体が好きなんです」
「変態」
「でも、どうしようも無いんですよ。好きなものは好きなんだから!」
「いきなり何なの、あんたの嗜好がさっきの会話とどうつながってくるのよ」
「俺は体が好きなだけなんで、セックスはどうでもいい相手のほうがやりやすいんです!」
「最低」
フランシスカがため息をつく。
「自分でも思ってたけど、改めて他人から言われると心にきます…」
「実際変態で最低じゃないの」
「それはそうなんですけど」
ヴィクターはなんだか熱に浮かされた気分になっていた。カミングアウトのせいだろう。自分が秘密だと思っていることを相手に打ち明けるのは何であっても心に負荷をかけるのだ。
「大切な人とはできない、か…。正確には、大切な人に嫌われたくないからできない、とかじゃないの?」
「…」
図星を突かれて、ヴィクターは黙ってしまった。部屋の明かりが揺れた、気がした。
「結局あんた、他人が怖いってだけね」
たしかに、そうかもしれない。
「やっぱり人間なのね」
目が合った。フランシスカはヴィクターに向けて微笑んでいた。ベッドから立ち上がると、フランシスカは窓際に歩いていく。
「最初はとんでもない怪物と出会っちゃったって思ったけど、怖がって損したわ」
フランシスカが振り向く。その笑みには、少し意地悪な雰囲気をまとっていた。
「じゃ、私とのセックスは無しってことでいいわよね?」
「ええ、まあ…」
「あーよかった。正直あんたとやんなきゃダメだと思って気が滅入ってたのよね」
「俺とはそんなに嫌ですか…」
「ヴィクターのこと嫌いじゃないけど、愛したいとも愛されたいとも思わないわ」
少しショックを受けながらも、ヴィクターは悪くない気分だった。「嫌いじゃない」と言ってくれたという、ただそれだけの理由でだ。
「あんた、行く宛て無いんでしょ?なら、私とこれからも付き合いなさい。まだまだ旅は続けていきたいしね」
「もちろんいいですよ」
「決まりね。じゃあさっさと部屋から出てって、私は忙しいの」
自分で呼んでおいてなんて勝手な話だ、とヴィクターは思ったものの促されるままに扉へと向かう。扉を開け、半分身体を乗り出したところで、突然フランシスカが呼び止めた。
「ヴィクター…」
「フランシスカさん?」
フランシスカの表情はどこか不安そうに映った。
「また、明日ね」
「…ええ。また明日」
若干の違和感を覚えつつも、ヴィクターは部屋を出て扉を閉める。ヴィクターの心は部屋に入る前よりもだいぶ落ち着いていた。フランシスカと会話して、心の整理がついたのかもしれない。自分の部屋に入り、ベッドに仰向けになる。
なんだか今日はずいぶんと疲れてしまったようだった。横になるとすぐに眠気がヴィクターを襲ってくる。瞳を閉じると脳裏に優しく微笑むフランシスカが浮かび上がる。
(ああ…でも、やっぱり…してみたかったかもなぁ…フランシスカちゃんとのセックス…)
ヴィクターの意識はまどろみの中へと溶け込んでいった。




