勝利者④
黒い裂け目から、ゆっくりと一人の男が姿を現す。
褐色の肌、白髪、紫の瞳。伝承にあった通りの姿。
魔族が復活したのだ。
(…まずいな)
ヴィクターは魔族を真っ直ぐ見据えたが、その力量をはっきりと掴むことができなかった。自然とフランシスカを庇うように体を移動させる。
「ははは…!やった!やったぞ…私の勝ちだっ!」
アーネストの勝利宣言を聞いているのかいないのか、魔族はゆっくりとその場にいる者たちを眺めたあと、ピタリと視線を止めた。
魔族の唇が動く。その第一声は、その場にいる誰もが全く予想していない一言だった。
「母上…」
しばしの静寂。一拍おいて、ヴィクターたちは魔族の視線の先を辿った。
そこには、壁にある装飾品を指でつついている魔王の姿があった。
「ん~~?」
視線を感じたのか、魔王が魔族の方に振り向く。顔をはっきりと視認したとたん、魔族は堰を切ったようにしゃべりだした。
「母上!私です。ザラスシュトラです!お探ししていました…ようやく会うことができた!」
魔族の表情は歓喜に染まる。ヴィクターたちは伝承に書かれていた魔族とのイメージのギャップが激しく困惑していた。もっとも、ヴィクターたち以上に困惑し目を白黒させている者がいた。アーネストである。
「ん?ザラスシュトラ?ぷっ、あはははははは!」
魔王は突然腹を抱えて笑い出した。今度は魔族の方が困惑の表情を浮かべる番であった。
「ザラスシュトラはお前とは似ても似つかんぞ!あいつの知り合いか何かか?」
「ん!?あ、そうか。この姿のままでした」
ザラスシュトラと名乗った魔族がペタペタと自分の体を触った後、姿が変化していく。顔はまるでヤギのように、背中から漆黒の翼が生え、バフォメットと呼ばれる悪魔と似たような姿になる。その体躯は3メートルを優に超えていた。
「ん?おお!ザラスシュトラ~~~~!なんじゃなんじゃ、本当にザラスシュトラだったのか!」
「母上!」
駆け寄ってくる魔王をザラスシュトラが抱きかかえる。もはやヤギの顔では表情を伺うことが難しかったが、声色から喜んでいるのがよくわかる。その目からは涙も溢れているようだった。ヴィクターは自分の中から緊張感と呼ばれるものがだんだんと溶け出していくのを感じていた。
「相変わらず泣き虫じゃな!ところでお前はなぜこんなところにおるんじゃ?」
「母上が出かけると言ったきり、姿が見えなくなったので探しておりました」
「お~そうか。そういえば寝ている間にだいぶ時間が経っていたらしいからな。世話をかけたな」
「いえ、無事で何よりです」
「しかし、何であんな姿に変わっていたのだ?全くわからんかったぞ」
「ああ、それは、ええと」
「ん?」
「母上と似た姿になってみたくて…」
「ほほ~!憂い奴じゃな~!」
久々に再開した親子のような会話がそこにあった。微笑ましい空気が石室全体に波及しようとしたが、それを断固として認めないものが一人いた。
「ま、魔族よ!大いなる破壊の使徒よ!」
アーネストはザラスシュトラに向かって叫ぶ。だが、反応はない。魔王との会話に夢中になって、他の言葉が聞こえていないのだ。しびれを切らしたアーネストは、ザラスシュトラの足にしがみついた。
「魔族よ!私が!私があなたを封印から解放したのです!この帝国の主が行った非道な仕打ちから、あなたを!」
「ん?」
ザラスシュトラが初めて魔王以外の存在に目を向ける。だが、それも一瞬のことだった。
「母上、この者はいったい?」
「お?あー、アーネストとかいう奴じゃな。私の連れが倒そうとしている奴じゃ」
「なるほど、この者が私の封印を解いたのですね」
「ん?知らんが、そう言っているならそうなんじゃないか?」
何とも適当な回答だが、ザラスシュトラはそれを信じて初めてアーネストに向き合う。
「お前のおかげで私は開放されたようだ。ありがとう。先ほど何か言っていたみたいだが…?」
「あなたを封印した帝国の者たちには報いが必要なのです!奴らのせいで、あなたも母親から引き離されてしまったのではないですか!?」
「私を封印した奴らか!確かにそのせいで母上に会うのが遅れてしまった。許しがたいな」
ヴィクターは背筋が凍るのを感じた。イヨだ。帝国を害する発言をしたことで、わずかながらプレッシャーを放ち始めている。
「それは困るぞ。この帝国と言う場所は私の連れたちが大切にしているようだからな」
「そうですか。ではダメですね。すまない、他に何かあるか?」
「は…?」
魔王とザラスシュトラのやり取りを聞いて、アーネストは呆気に取られていた。さすがにこの状況ではヴィクターも若干の憐れみを感じてしまう。まさに鶴の一声でアーネストの願いは却下されてしまったのだ。
「な、なにを…!復讐したくないのですか!?あなたと母親を引き裂いた帝国に!」
「でも母上がやるなって」
「はあ…!?自分の意見はないのか!母親が死ねと言ったら死ぬのか貴様!」
「もちろん」
「…」
アーネストは再び呆然としたまま固まってしまった。
「これ、私たちはどうすればいいんでしょう…」
「知らないわよそんなの」
小さな声でヴィクターとフランシスカは会話する。そこにイヨも加わってきた。
「私としてはすぐにでもアーネストを殺して皇帝陛下に報告したいんですが、この空気で割って入るのも気が引けますね」
「イヨって、その場の空気とか気にしてたのね」
「…それ、どういう意味でしょうか?」
軽い冗談を言い合う余裕があるあたり、フランシスカもイヨも魔族が脅威にはならないことをほぼ確信しているようだった。
「ふざけるな、ふざけるな、ふざけるなぁぁぁぁーーーー!」
我に返り、アーネストが叫ぶ。あろうことか魔王に向かって攻撃を仕掛けていった。
「お前のせいでぇぇぇぇぇーーーー!」
直撃、だが無傷。攻撃が何かの芸だと思ったのか、魔王は笑い出した。しかしザラスシュトラの反応は真逆だった。彼はアーネストが魔王に向けたものが攻撃の類だとちゃんと理解をしていた。
「母上に何をする!」
言葉より早く、音速を超えた薙ぎ払いがアーネストに向かった。だが、直撃の寸前に止められてしまう。アーネストではなく、イヨによって。
「待って下さい。この者の処分は私が」
「何者だ?」
「おお、イヨ。さっき言っていた私の連れじゃ」
魔王の紹介をうけて、イヨは喋り出した。
「この者は私たちの国の大罪人。私の方で処分をいたします。ザラスシュトラ…さんにはこの後我が国の皇帝に会っていただきたいと思います」
「なぜそんなことをする必要が」
ザラスシュトラは皇帝に会う理由などなかったが、イヨとしてはかつて世界を滅ぼしかけた存在をそのまま放置することはできなかった。もし拒むようなら力づくで皇帝陛下の下に連れていき、取り扱いを決める必要がある。一触即発の状態で助け舟を出したのは、やはり魔王だった。
「まあ、会うくらいいいじゃろ。それにイヨは逆らうとメチャクチャ不機嫌になるから言うことは聞いといたほうがいいぞ」
「なるほど、それでは会いましょう」
「…」
魔王の自分に対する認識について釈然としないものを感じたが、とにかく穏便に事を進められそうなのでイヨは安堵した。そしてその瞬間に、もはやアーネストの命をつなぎとめるものは一つもなくなった。
「あ」
ドサっと何かが落ちる音がした。アーネストの首だ。イヨは一瞥もせずに彼の首を胴体から切り離し終えていた。振り向き、白い布で生首を包み込む。それですべて終わってしまった。この戦いも、アーネストの計画も。
4人での旅の日々も。
◇
煌びやかな装飾の施された王座にソレイユ帝国皇帝ムルソウ19世が鎮座していた。恐ろしく高い天井には、宗教画らしきものが描かれており、逆に床は一面緑の絨毯で覆われていた。よく有名人が赤い絨毯を歩いていくのをヴィクターは見たことがあるが、この世界では緑が主流らしい。
皇帝の右隣には特別魔法騎士団の団長が静かに控えている。皇帝の目の前にいるのは5人。イヨ、魔王、ザラスシュトラ、フランシスカ、そしてヴィクターだった。ザラスシュトラは人間の姿に変身した状態になっていた。
「こちらが首謀者と実行犯の首になります」
イヨがアーネストと白い化け物の首を差し出した。それを見た皇帝は静かに頷く。
「よくやったイヨ。では、後ろに控えている者たちの説明をしてもらおう」
「はい。この者は約1000年前世界を滅ぼしかけたという魔族。名はザラスシュトラと言います」
イヨの言葉を聞いて、両脇に控えていた家臣たちからざわめきが起きた。特別魔法騎士団以外には明確に存在することを知らされていなかったのだから、無理もない。
「そして、こちらの少女がザラスシュトラの母親とのことです」
「うむ。ザラスシュトラとやら、君に聞きたいことがある」
「なんでも聞いてください。母上からなんでも答えるようにと言われておりますので」
皇帝が聞いたのは主に1000年前の戦いのことだった。なぜ戦いが始まり、どう終わったのか。しかし、歴史に残る一大事だった割には、始まりは何ともくだらないものだった。母親を探しにザラスシュトラがある国に立ち寄ったのだが、そこでは褐色肌が差別されていたらしく、国の人間と口論になったらしい。そして口論の中で母親をバカにされたためザラスシュトラが激怒。口論の相手もろとも国を消し飛ばしてしまい、そのせいでいろいろな国から狙われることになったということだった。
(なんかもっと深い理由があるのかと思ってた…)
ヴィクターの驚きを他所に、皇帝はザラスシュトラに次の質問をした。それは、これからどうするのかという問いだった。おそらくこちらの方が本命なのだろう。返答によってはこの場でザラスシュトラの処刑が決まるかもしれない話である。
「これからですか。母上はどうしたいですか?」
「ん?私はそろそろ帰ろうかと思うぞ」
その答えに色めき立ったのは、他でもないザラスシュトラだった。
「本当ですか!帰ってきていただけるんですね!」
「ああ、もう少し旅をしていたい気持ちもあるが、ザラスシュトラがわざわざ探しにきてくれたからの~。他の奴らも心配してるかと思ってな」
「ええ、みんな喜ぶと思います!」
ヴィクターはザラスシュトラ以外にも同じような奴らがいるのかと驚いた。そもそも母上などと言っているが、人間の感覚でいう母とは全く別の概念なのは明らかだろう。魔王の体はがらんどうなのだから、普通に子供を産んでいるわけがない。
皇帝は一度咳払いし、改めてザラスシュトラに問うた。
「では、君はこれから故郷に帰る、と言うことでいいのかね」
「ええそうです。母上と一緒に帰りたいと思います」
「なるほど。ではこちらから君たちに言うことはもう何もない」
皇帝は現在のザラスシュトラが帝国に害をなさないことを確認して満足したようだった。かつて大量の人間を殺したザラスシュトラだが、建国より前の犯罪を裁くことは帝国の法ではできない。
「次に、フランシスカ・シェリー」
「はい!」
皇帝に名前を呼ばれ、フランシスカは頭を上げた。その表情にはさすがに若干の緊張がある。
「イヨから話は聞いた。君からの情報提供が迅速な解決につながった。感謝しよう」
「ありがたき幸せ」
「そしてもう一つ。イヨから推薦があった。君を第三魔法騎士団に入団させてはどうかと」
「え?」
予想外の提案に、フランシスカは目を見開く。
「君は瞬間移動魔法を使えるらしいな。その歳で見事なものだ。帝国のためにその力を役立ててほしい」
「は、あ、はい!謹んでお受けいたします」
「うむ。これからも帝国のためにその身をささげるといい」
次に、と皇帝の視線がヴィクターの方へ向かった。
「ヴィクター。特別魔法騎士団の件、この場で返事をもらおう」
「はい」
あらかじめイヨから「聞かれると思うので、返事を用意しておいてくださいね」と言われていたので、ヴィクターは冷静に対応できた。彼の考えは、もう決まっていた。
「大変ありがたいお話ではありますが、辞退させていただきます」
ヴィクターの目は、真っ直ぐ皇帝を見据えていた。
「一緒にいたい人が、いますので」
周囲の家臣からざわめきが起きたが、皇帝はただ一言「それは残念だ」とだけ呟いた。そうして仰々しい報告会は終わり、イヨたち5人は玉座の間を後にした。
これが、ヴィクターという男がソレイユ帝国の歴史の中に現れた最後の記録となった。




