勝利者③
フランシスカとヴィクターは封印石室の扉の前にたどり着いた。フランシスカの心音がだんだんと早くなっていく。その緊張感がヴィクターにも伝わってきた。
「さっき言ったこと、ちゃんと覚えてるわよね」
「もちろんです」
「じゃあ、お願い」
フランシスカに促され、ヴィクターは扉を押し開く。
「…」
ヴィクターは一瞬、その光景に心を奪われた。封印石室の中には窓がない。光が全く入ってこないのだから本来であれば暗闇なのだろうが、部屋全体が光で満たされている。それは、石室の奥…淡く輝く光の柱のおかげなのだろう。白い光の中に時折混ざる虹色の揺らめきが、その美しさを無二の物にしていた。
たとえ解説されなくてもわかる。あれがイヨの言っていた封印の祝福なのだ。そしてその手前に黒い剣のようなものを光の中に突き刺し、切り開こうとしている男がいた。
「アーネスト!」
フランシスカの怒気を含んだ声に反応し、その男はゆっくりと振り向いた。あの男だ、黒いローブを着た初老の男、アーネストである。アーネストはフランシスカとヴィクターの姿を認めると、目を見開いた。
「なぜ貴様らがここに…?」
アーネストの驚愕を無視し、フランシスカはしゃべり続ける。
「あんたが何をしたいのか知らないけど、止めさせてもらうわよ」
「…まあいい。私を止めるだと?何のために。帝国のためか、それとも復讐のためか」
「両方よ…たぶんね」
どこに隠れていたのか、アーネストの周りにあの化け物が集まってきた。全部で6体。はっきり言ってヴィクターの敵ではない。
「小賢しい。私にはやらなければならないことがある。さっさと消えろ」
アーネストは黒い剣を握りしめ、2人へと近づいていく。
「ずいぶん自信満々じゃない」
フランシスカの言葉と同時に、ヴィクターも歩き始めた。真っ直ぐアーネストに向けて。
「今回は準備済みだ」
アーネストはヴィクターに向けて手を伸ばし、火球を放った。ヴィクターは難なくそれを手でかき消す。続いて風の刃が左右から襲ってきたが、これもかわした。避けたところに重力操作と凍結魔法を波状攻撃を食らったが、これもヴィクターに傷を負わせることはできない。
そして瞬間移動魔法で後ろに回り込んでからの剣の一撃を腕で…
「うぐっ!?」
ヴィクターは、剣を受けた右腕を抑えて後退した。その表情は苦痛を受けて歪んでいるように見える。
「ヴィクター!?」
フランシスカの驚愕をしり目に、アーネストはヴィクターへの追撃を開始した。再びの火球。
「ぐああっ!」
炎に巻かれてヴィクターは叫び声をあげる。続いて、魔法で強化したこぶしをヴィクターのみぞおちに叩き込んだ。
「がはっ」
その場に倒れこんだヴィクターの首元にアーネストは剣を当てていた。
「は、はは、はあははははははっ!やっぱりそうか!そうだったか!」
さっきまでの感情を押し殺した表情と声を完全に忘れてしまったかのように、アーネストは高笑いを始める。フランシスカとヴィクターはその場から一歩も動くことができないでいた。
「ははは、なぜ自分が負けているか分からないかね?この剣だよ。黒曜石を加工して作った剣だ。貴様らは知らないだろうが、黒曜石には祝福を無効化する力がある!」
今まで見たこともないような歪んだ笑みがアーネストに張り付いていた。
「祝福を無効化する…?」
「ああそうだ!こいつの異常な力は祝福に原因があると思っていたが、予想通りだったな」
「ヴィクター、逃げて!」
ヴィクターは剣を手で払いのけて、よろよろと立ち上がる。その様子をアーネストはただ笑いながら見続けていた。
「逃げる?祝福の力を無くしたこの男とどこまで逃げられるのか見ものだな。5分間待っていてあげようか?」
「フランシスカさん。私が時間を稼ぐので早く逃げて下さい…」
「ヴィクター…」
ふらついたままアーネストに殴りかかるヴィクターだったが、あっさりと避けられ逆に脇腹に肘打ちを食らってしまう。
「ふふ…貴様らは絶対に逃がさん。腕を二回も折られた…二回も!特にフランシスカ、両親のように楽に死ねると思うなよ」
「い、いや…」
「くそっ…」
再びヴィクターが立ち上がり、アーネストに向かっていく。だが、アーネストはヴィクターへの興味をほとんど失ってしまっていた。
「もうお前の相手は終わりだ。さっさと死ね」
アーネストはとどめの一撃をヴィクターの顔面に向かって放った。そして、その一撃が当たる瞬間…ヴィクターの姿がかき消えた。
(!?)
刹那、アーネストの脳は事態の把握のために全力で動き始める。自分のこぶしがヴィクターが元居た場所をむなしく通り過ぎるのを圧縮された時間の中で確認した。そしてもう一つ、その場所にただ戦いを見守っていただけのフランシスカが突然姿を現していることも。
(まさか瞬間移――)
「うりゃああああああああああああっ!」
アーネストの思考は、フランシスカの放ったパンチが顎にクリーンヒットしたことにより中断された。
「ぐっ!」
予期していなかった攻撃を食らい、アーネストは思わず退く。顎へのダメージはそれほどでもない。ただ、口の中を切ってしまったのか血の味がした。
「がはっ…はあ…、はあ…、ぐうぅぅ」
むしろ、攻撃を仕掛けたフランシスカの方が苦しそうにその場にうずくまっている。
「なるほど…瞬間移動魔法で男と位置を切り替えて、私に隙が出来たところで攻撃か。まさかまだ反抗する気力があったとはな」
フランシスカはぜぇぜぇと苦しそうに呼吸をしていた。瞬間移動魔法は高難易度の魔法だ。たとえイヨから直々に手ほどきを受けていたとしても、今のフランシスカでは1回使うだけで体が動かせなくなるほど消耗してしまう。
「貴様のような貴族のガキに一杯食わされるとは…」
アーネストは自分自身の中で怒りが膨らんでいくのを感じた。握りしめたこぶしが意思とは関係なく震える。
「先に貴様の腕を折って、抵抗する気を無くしてやる」
怒りにまかせて一歩踏み出したアーネストの耳に、フランシスカの言葉が聞こえてくる。
「ああ、スッキリした。もういいわ。ヴィクター…」
その言葉の意味を理解する前に、アーネストは顔面にかつてない衝撃を受けた。直後に浮遊感、そして間髪入れずに全身が叩きつけられたような衝撃と激痛。キーンという耳鳴りで我に返り、必死に立ち上がろうとするも、うまく行かない。
「あ、あが!?」
視力が戻らない。口から血がだらだらと流れているのは感覚で把握ができた。三半規管が狂ってしまったのか、自分が仰向けになっているのかうつぶせになっているのかすら、アーネストには分からなかった。
「あ、ああ!ああああっ!」
言葉にならないうめき声をあげ、夢中で手足をばたつかせて、やっと地面を把握する。ガクガクと震える手足を無理やり制御しようとするが、失敗してしりもちをついてしまった。
そのころには、ようやく視力も戻ってきた。だが、右目しか見えない。しょうがないだろう。左目はつぶれているのだから。
視力が戻ったアーネストが見たのは、いまだにうずくまっているフランシスカと、その背中をさすっているヴィクターの姿だった。
「ありがとう、もう大丈夫よ」
耳鳴りの合間に、声が聞こえる。ヴィクターに寄りかかりながら、フランシスカが立ち上がる姿をアーネストも確認した。対してアーネストの手足はいまだに主人の意思とは無関係にプルプルと震えるだけだった。
「な、んで…」
アーネストが言葉をひねり出す。意識がもうろうとしている中で、2人には知られないように回復魔法を使い始めていた。
「残念だけど、最初からあんたの攻撃はヴィクターには効いてないわ」
「は…?」
「お芝居よ。この石室に入ってからずっとね。黒曜石が祝福を無効化することは予想してたわ」
「そ」
そんな、と言おうとしてアーネストは言葉をつづけられなかった。
「遊牧民に伝わる神話と、あの化け物が黒曜石の取れる洞窟に幽閉されてたことでね。ここに来る前、念のため黒曜石で本当にヴィクターが弱くなるか確認したの。結果はあんたが身をもって体験した通りよ」
フランシスカはイヨが疑問を持っていた魔族の封印を解く方法について推論を立てていたのだ。神話にあった女性が祝福を持っていたと仮定すると、能力を封じる日に黒曜石を持っていくのは黒曜石自体にその効果があるからではないか。それを知っていたアーネストとファスベンダーは魔法封じの祝福を持った怪物をあの洞窟で幽閉していたのでないかと。
その推論は、どうやらあたりのようだった。
「あ、ありえない!ありえない!じゃあなぜ…」
「知らないわよ、ヴィクターが強い理由なんて」
そう、ヴィクターが強い理由は誰も知らない。本人さえも。当然である。理由なんてないのだから。
「こいつらを、殺せぇ!」
アーネストが叫ぶ。だが、命令を受けるはずの化け物たちはどこにもいなかった。
「あの化け物たちならヴィクターが倒しちゃったわ。あんたが足をばたつかせてる間にね」
「…!」
「終わり、みたいね」
フランシスカの冷めた言葉がアーネストの耳に届く。それが、アーネストを激昂させた。
「終わりだと!?終わりは貴様らだこのカスどもっ!」
アーネストは叫びと一緒に辺りにあった石をフランシスカへと投げつける。だが、体の回復が完全ではなく、明後日の方向へと飛んで行ってしまった。
「魔法を封じて、かつての魔族を復活させて、帝国は終わるのだ!誰にも邪魔はさせない!」
「そのために、そのために!ゴミみたいなやつらに協力したのに…どおしてこんなところで…」
「帝国は狂っている!ただ強いだけの奴が上に立ってどうする!?指導者として優れた者が上に立つべきなのだ!」
「そうすれば、あんなことにはならなかったのに…!」
「私の妻も、子供たちも…!」
アーネストは血反吐をはきながら身の上話を始めた。端的にまとめてしまえば生まれたところの領主が無能で自分たちが苦しみ、妻と子供が悲惨な目に遭ったという話である。
ヴィクターは、まあそんな人もいるだろうな。という程度に耳を傾けていた。ヴィクターが見てきたこの世界は目の前の男が憎んでいるほどひどい世界ではなかったが、それも観光客のような立場のなせることなのかもしれない。実際に、フランシスカはアーネストの演説を神妙に聞いていた。
(もしかすると、この男が帝国を滅ぼした方がこの先の人間はより幸福になれるのかもしれないな)
だが、そんなことは誰にも分からない。アーネストにもヴィクターにもフランシスカにも皇帝陛下にも…。
(俺、もしかしてイヨちゃんからこんな感じに見られてたのかな)
赤ん坊の生死で言い争いをした時を思い出す。結局あの時のヴィクターも今のアーネストも、結局のところただわがままを言って、力にまかせて我を通そうとしているだけなのだ。
だが、それによって人間の歴史が進んできたこともある。
「貴様もだ!」
「…え?」
アーネストに突然指を差されてヴィクターは困惑した。さっきまで何の話をしていたのか聞いていなかったからだ。
「なぜだ…!?なぜそれだけの力を持っているのに何もしない!何も変えようとしない!」
「帝国だって無視できないはずだ…!」
「そんなガキのお守りで満足なのか!?巨大な力は、良識と責任をもって扱わなければ意味がない!」
「正しい世界に導ける力を持っているのに、それを使おうとしないのはなぜだ!?目を背けているのか?力から逃げているんだろう!?そんなものは、ただの敗残者に過ぎない!」
青筋を立てながら叫び続けたアーネストは、そこで静かになった。だが、その眼光はいまだにヴィクターの姿を捉え続けていた。
ヴィクターは自分の今までの身の振り方を思い返す。
これまでヴィクターは異文化に驚きながらもそれを変えてやろうと考えたことはなかった。
それは、なぜだったろうか。面倒だから?元々この世界の人間ではないから?
いや…怖いからだ。自分の判断で何かが変わってしまう。世界の趨勢が変わってしまう。それがヴィクターにとってひたすらに怖かった。
自分の独りよがりな判断が世界の複雑さに飲み込まれて、取り返しのつかない結果になるのが怖かった。
その恐怖は、たとえどれだけ力を持っていたとしてもどうにもならない。
それを考えれば、自分の目指したいものに向かってひたすらに前進しているアーネストは、素晴らしい男なのかもしれない。
ヴィクターはそんなことを考えながら、アーネストの問いに答えた。
「ええ、そうですね。私はあなたのようには生きられない」
それを聞いて…フランシスカは困ったように苦笑し、アーネストは少し呆けた後、顔を真っ赤に染めて眉を吊り上げた。
「この…この卑怯者があああああぁっ!」
アーネストは跳んだ。今ある力で最大限の跳躍だった。一気にヴィクターへと肉薄し、渾身の一撃をその顔面へと叩きこもうとする。
「そこまでです!」
突然扉の方から聞こえた声に、ヴィクターはアーネストから視線を外した。直後、渾身の一撃がヴィクターの顔面に直撃する。だが、無傷。ヴィクターは一瞬だけちらりとアーネストの方を確認したが、すぐに声が聞こえた方に視線を移した。
「決着はついたようですね」
声はイヨのものだった。隣には魔王の姿もある。ゆっくり歩いてきたイヨも、さすがに追いついてしまった。
「あ、ああ…」
イヨと魔王の姿を確認したアーネストが再びよろめき出す。
「イヨ!無事だったのね…!」
フランシスカがイヨの元に駆けだそうとするが、まだ体力が完全に回復しきっておらず、ヴィクターに支えられて歩き出す。
「当然です。大した敵ではありませんでしたから」
イヨの優しい笑顔を見て、フランシスカだけではなくヴィクターも一安心した。イヨが何か仕掛けているのは分かっても、具体的なことはヴィクターにも分からなかったからだ。
「あとは、私の責任でやります。私が承ったものですから」
「ええ好きにして、私はもう満足よ」
「では…」
ピキ…
イヨが死刑執行に移ろうとしたとき、石室の奥で奇妙な音が鳴った。その場にいる5人が全員それに気づき、光の柱へ目を向ける。
光の柱には、最初にアーネストが黒曜石の剣でつけたヒビが黒く残っていた。
ピキ…
そして、そのヒビが音とともに次第に大きくなっていく。
「そんな!?まだ完全に封印の祝福は消えていないはずなのに…!」
「は、ははははははははは…!最後の、最後で、天は私に微笑んだ…」
アーネストが恍惚とした表情を浮かべ、黒いヒビが光の柱全体にまとわりつき…ついに粉々に砕かれた。
1000年の封印が、消滅した。伝説の魔族が、ついに解き放たれたのである。




