ファスベンダー城への神々の入城④
内臓はすべて取り払われているようだった。胴体は綺麗に皮と骨だけになり、何もない空間をのぞかせている。頭と腕と足だけが肌色のまま残されて、まるで解剖された後のようだった。死体は、ぬらぬらとした膜のようなもので全体が覆われており、奇怪な雰囲気をまとっている。
その異常な姿の中で、ただ表情だけが、安らかな微笑みを虚空に向けていた。
「これは、一体何ですか?」
ファスベンダーは答えない。
「ファスベンダーさん!」
肩をつかもうとしたヴィクターからさっと身をかわす。そこで初めてヴィクターは、ランプに照らされたファスベンダーの表情を確認できた。能面のように、感情の読み取れないその表情を。
「彼女は私の娘です。昨日の夜に話した通り、私が引き取った子ですよ」
ファスベンダーは何でもないかのようにヴィクターの問いに答えてきた。状況と反応とのギャップに、ヴィクターは一瞬めまいのような感覚に襲われる。
「な、なぜこんなことに?彼女は死んでいるんですか?」
誰がどう見ても死んでいる。だが、気が動転していて無意味な問いが口から出ていた。
「ええ、死んでいます。私が殺しました」
「…なぜ?」
「妹のためにです」
「は?」
ファスベンダーはピクリとも表情を動かさない。
「私はずっと妹を蘇らせたかった…、子供の頃失ってしまった妹を、その方法をずっと研究してきました」
「蘇らせる…?そんなこと、できるはずが」
ヴィクターの常識的な言葉を聞いて、ファスベンダーはくつくつと笑った。
「その通りです。ずっと研究してきた私より、あなたの方がずっと賢い!そんなの無理だったんです!」
「ファスベンダーさん…?」
ファスベンダーは笑いながら、泣いていた。しかし、その表情からも、次第に笑みが薄くなり、苦渋が濃くなっていく。
「この子達の体を切り刻んだのに!得られたのは"無理"という答えと下らない化け物だけ…。結局私の元には何も残らなかったんです!」
「落ち着いて!落ち着いてください、ファスベンダーさん」
次第に取り乱していくファスベンダーにヴィクターは声をかけるが、届いているようには思えなかった。
「妹も、あの子たちも、何もない…」
「ファスベンダーさん。詳しい事情は分かりませんが、とにかくあなたのやったことはこの国の法に反している。出頭…と言っていいのか…とにかく、しかるべき場所に出て、罪を認めるべきです」
「…」
「ファスベンダーさん?」
うつむき、反応のなくなったファスベンダーにヴィクターは恐る恐る近づいていく。次の瞬間、ファスベンダーはヴィクターの両肩をガッと掴んだ。だが、掴んだだけで、特別何もしてこない。
「あなたたちを巻き込んでしまったことは申し訳ないと思っています。でも、どうすることもできない。だから…」
やっと顔を上げたファスベンダーは…真っ赤に充血した目から血の涙を流していた。
「あなたは早く、フランシスカさんたちのところに戻った方がいい」
その言葉の意味はヴィクターには理解できなかった。だが、不穏な何かを確かに感じ取り、ヴィクターはその部屋から飛び出していった。ファスベンダーをその場に残して。
◇
それは部屋を探索している時に起きた。
「うぅ…っ」
「ジャスティーヌさん?大丈夫っ!?」
突然、ジャスティーヌが呻いて膝をついたので、フランシスカは慌てて近づいた。だが、すぐに手で制止させられてしまう。ジャスティーヌが顔を上げたとき…その目は充血し、血の涙を流していた。
「ジャスティーヌっ!?」
「に、逃げ…あぁっ!」
ジャスティーヌが言葉を言い切る前に、その腹が異常に膨らんでいくのをフランシスカは見た。ぐちゃぐちゃと不快で恐怖を煽るような音を出しながら、それはのどの方へと移動をし始める。
「あぎぃっおあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っっ!」
「ジャ、ジャスティーヌ…」
ジャスティーヌの口からは滝のように血が噴き出し、目の焦点はどこにもあっていなかった。びくびくと手足は震え、それとは無関係に、体の中になる何かが上へ、上へと移動してくる。
"なにか"が這い出てくる…。その確信がありながら、フランシスカが目の前の異常な光景から目を離せないでいた。
骨が変形する音を響かせ、ついにそれはのどを通過する。そして、ジャスティーヌの口からその片鱗が見えた。血塗らているが、元は白い物体だということが分かる。それはジャスティーヌの口から出ようとその小さな穴を無理やり押し広げた。ぶちぶちと頬の肉が裂け、下あごが完全に外れた。それとほぼ同時に、這い出てきたそれが床にずるんと落ちる。
(うそ、まさか…)
それはまだ小さかったが、フランシスカは以前に見たある生き物を思い出さずにはいられなかった。人間と同じような体は乳白色で血管が浮かんでいる。目も鼻も耳もないが、ヤツメウナギのような口だけがついている。
(あの洞窟で出会った化け物!)
遊牧民たちの洞窟で出会った化け物に間違いなかった。それが、なぜかジャスティーヌから這い出てきたのだ。
「おお!あれは人間の中から出てくるやつじゃったか!もう少し小さな生き物で同じことをするやつを見たことあるぞ。生命の神秘というやつじゃのぉ」
能天気にはしゃぐ魔王の言葉はフランシスカの耳に届いていなかった。
ギョアアアアアアアオオオオオオオォォォォォッッ!!
以前一度だけ聞いたその咆哮で、ハッとフランシスカは我に返った。すぐさまその化け物に向かって電撃の魔法を飛ばす。
「ギャウ!」
魔法を食らった化け物は、叫び声をあげてその場に倒れた。だが、死んだわけではない。フランシスカは魔王の手を握って、走りだした。
「おお?なんじゃ、次の部屋に行くのか?」
「ちがう!逃げるの!」
「逃げる?ファスベンダーとかいうのを探さなくてよいのか?」
「それはもう…」
魔王に問われて、フランシスカは少し冷静になった。
(このわけわかんない事態はファスベンダーが居なくなったことに関係があるの?あの化け物には、ファスベンダーが関与しているってこと?)
疑問は次々湧いてくるが、その答えに至る情報は何一つない。
(くっ…さっきの化け物、ちゃんと仕留めておくべきだったわね。もっと冷静になれ、私!とにかく今はヴィクターと合流しないと)
通路を走り、ヴィクターがいるはずの城壁塔へと移動する。その時、突然横のドアを破って、何かがフランシスカの前に飛び出してきた。
「ひっ…!」
それは、上半身だけになったエリザベスだった。口から血の泡を吹き、エリザベスは絶命していた。エリザベスが出てきたドアの中から、ゆっくりと、あの化け物が現れる。
(瞬間移動魔法!?そんな高度な魔法を…)
フランシスカは頭に浮かんだ自分の考えをすぐに振り払った。
(違う…瞬間移動魔法が使えるなら、私のすぐ前に現れないのは不自然)
フランシスカは後ろを振り向く。すっとぼけたような表情の魔王の後方から、もう一体の化け物が姿を現した。フランシスカの不安は確信に変わっていく。あの化け物は、あの娘たち全員の体から現れていたのである。
(ほんとに何が起こってるのよ!?)
フランシスカはすぐさま足止めの魔法を使う。だが、化け物たちの動きは止まらなかった。緩慢ではあるが、確実にフランシスカたちに狙いを定めて、近づいてくる。
(どうして!?魔法が効かない…違う!)
フランシスカはすぐに自分の考えを改めた。魔法が効いていないのではない。魔法がそもそも発動していないのだ。化け物相手に使った電撃の魔法だけでなく、手元で使おうとした炎の魔法すら発動しない。だが、事象は分かっても原因が分からない。
(まさか…!?)
ギョアアアアアッッッッッ!
フランシスカが一つの答えに到達したその時、一匹の化け物がフランシスカに向かって跳躍した。フランシスカの表情が、恐怖に染まっていく…だが、染まり切る前にその脳裏に一人の男の姿が浮かぶ。外見は完璧なのに、中身がダメダメな、あの男の姿。そして直後、ふつふつと自分への怒りと羞恥、情けなさがこみ上げてきた。
(いつまでもヴィクターに頼ってちゃダメ!自分で何とかするのよフランシスカ!)
「ああああ!」
フランシスカは逃げるどころか、真っ直ぐ化け物に向かっていった。完全に無謀の所業である。握りしめたこぶしを、思いきり化け物の顔面に向けて放つ。効くとは思っていない。ただ、情けない自分の心に決別するための一撃だった。
バンッ!
「え」
次の瞬間、フランシスカの目の前から化け物が消えた。その代わりに、ヴィクターが現れていた。よく見ると、側面の壁にあの化け物が突き刺さり、ぴくぴくと痙攣をおこしている。
「ヴィ…」
フランシスカはヴィクターの名前を呼べなかった。その前にヴィクターがフランシスカと魔王を両脇に抱えて、走り始めたからである。ヴィクターは一目散にこの城から脱出しようとがむしゃらに進む。だが、途中でフランシスカがもがき始めたのを感じて、足を止めた。
「フランシスカさん、どうしました!?」
ヴィクターの問いかけに、フランシスカは答えない。というよりも、答えられなかった。ぜぇぜぇと荒く息をしていたフランシスカは、落ち着いた後、ヴィクターを見上げてこう言った。
「このバカ!息ができない!」
「あ…すみません…」
ヴィクターは自分が失念していたことに今更気づいた。あまりに早く動いていたため、風圧でフランシスカが呼吸困難になっていたのだ。さっきまで城の中だったのにとっくに跳ね橋を通り過ぎて、城の外に出てしまっていた。
(フランシスカちゃんの体がバラバラにならないことだけ気にしてて、呼吸のこと忘れてた…)
「まあ、でも、助かったわ。ありがとう」
「いえ、無事で何よりでした。すぐここから逃げましょう」
「それはダメ」
「え?」
「ヴィクター、あの化け物を見たでしょ」
「…?」
驚くべきことに、ヴィクターはあの化け物を視認していなかった。視界に入っていたのはフランシスカと魔王だけで、危害を加えてきている何かについては詳しく確認せずに排除していたのだ。
「呆れた…私を襲ってきたやつ。遊牧民の洞窟で見たあの化け物だったわ」
「え…?」
「あいつらをあのままにしておけないし、ファスベンダーが何かを知っているなら探して聞き出さないと」
ヴィクターはフランシスカに自分が見聞きしたすべてを話そうかと思ったが、その前に招かれざる客が来てしまった。あの化け物たちだ。全部で8体。やはり、あの娘たちから化け物が生まれていた。
「ヴィクター。あいつらにはなぜか魔法が通じないの。…お願いできる?」
「ええ、もちろん」
ヴィクターが言葉を言い終わって、2秒も経たないうちに8体の化け物は赤い染みに変わっていた。哺乳類に近い生き物を殺すことには抵抗を覚えるヴィクターだったが、フランシスカに害を与えようとするものに対しては、驚くほど無感情に処理ができる。そのことが、ヴィクター自身としても少し怖かった。
処理を終えて、フランシスカの元に戻ろうとしたヴィクターはもう一体、別の存在を感知した。それは跳ね橋をトコトコと歩いて渡ってくる。金髪で、10歳くらいと思われる裸の少女。ヴィクターは一瞬エリザベスかと思ったが、顔も髪の質も違っていた。その姿はファスベンダーの娘たちよりも、ファスベンダー自身に似ている。
(まさか…)
ヴィクターはファスベンダーの言葉を思い出していた。妹を蘇らせるというあの言葉を。ヴィクターはその少女に歩み寄っていった。
「君、名前は?」
ヴィクターは腰を下ろして少女と目線を合わせる。だが、少女はヴィクターを見つめたまま何も言わない。
「…言葉は分かる?」
少女の口が、わずかに動く。そして、
ギョアアアアアアアオオオオオオオォォォォォッッ!!
少女の口が四つに割けた。その肉の裏側にはびっしりと鋭い犬歯が並んでおり、明らかに普通の人間ではないことを物語っていた。あの化け物と同じ咆哮が放たれ、それはヴィクターに向かって跳躍する。
「…」
その時打ち込んだヴィクターのこぶしには、悲痛のすべてが込められていた。




