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セックスに一番近い男  作者: IK_N
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受胎告知②

出産が終わった安堵からか、マリアは眠ってしまった。フランシスカ達は使った桶や布を片付けて、結局ほとんど手付かずになってしまっていた食事をようやくとった。出産中はずっと夜だったが、いつの間にか外では朝日が差しはじめている。どこかで飼っているのか、鶏の鳴き声も聞こえてきた。


「はいこれ」


フランシスカが作ったのは雑多な野菜が煮込まれた料理…つまるところラタトゥイユだった。


「残り物の野菜適当に使って作っただけだから、味は保証しないけど…食べられないってことはないでしょ、たぶん」


フランシスカが言うほど、その料理はひどくなかった。いろいろな野菜も入ってるし、むしろ健康にはよさそうだ。


「想定外だったけど無事に終わったし、少し休んだら出発しましょう」

「マリアさん眠ってますけど、良いんですか?」

「出産は終わったんだし、わたしたちは用無しよ。ザリクさんには話しておくわ。ただ…」


食事が終わり、食器を持ちながらフランシスカは言った。


「最後に赤ちゃんの顔をもう一度見ておきましょうか」


その時のフランシスカの笑顔は、何の打算もない純粋な優しさにあふれていた。もしかすると、あれを母性と言うのかもしれないと、ヴィクターは思いを巡らせた。


(しかし、出産か。俺的には無理やり魔物とかに犯されて出産しちゃう方がシチュエーションとして好みだな)


緊張が解けてヴィクターの頭の中が平常運転に戻ってきた。


(無理やり魔物の子供出産させられて、出てきた異形の姿を見て絶望してほしいなぁ。特にフランシスカちゃんみたいな産む年齢になってない子がそういう状況に陥っちゃうとそそるよな。あ、でも妊娠が分かるくらいお腹が出てるのにヤろうとするのは理解できないなぁ。流産しちゃうでしょ)


いかがわしいことを考えているヴィクターを意にも介さず、フランシスカ達は赤ちゃんが眠っている部屋へと移動を開始していた。慌てて、ヴィクターもそれに続いていく。赤ちゃんはまだ眠っていた、赤ちゃんの寝顔は天使のようだ…などと言う話をヴィクターは聞いたことがあったが、この子はしかめっ面をしていて、とても天使には見えなかった。まるで修行僧のようである。


「わぁ可愛い!」

「赤ちゃんは天使の寝顔って言いますからね」


フランシスカとイヨが口々いそういい、ヴィクターは自分の目がおかしいのかと思ったが、何度見てもその子はしかめっ面をしているようにしか見えなかった。


(ま、まあ、あれか。文化の違いってやつだな。俺だって平安時代の美人を美人と認識できないだろうし…)


一人で納得して、あらためて赤ちゃんの姿を見る。寝顔はともかく、つぶれた鼻におちょぼ口、それに小さな手。たしかに愛らしいと言って遜色ない姿であった。


「これがあの大きな腹の中に入っとったのか?」

「ええ、そうよ」

「今まで腹の大きな人間を何人か見てきたが、こんなのが入っていたとはのぉ」

「…全員が全員に入ってるわけではないのよ、魔王ちゃん」

「? じゃあ何が入っとるんじゃ?」

「う~ん、脂肪かな…」


案の定、フランシスカが魔王との意味のないやり取りに巻き込まれている。それをしり目にイヨは赤ちゃんを起こさないように気を付けながら、ほっぺたを触ったり、手の甲を指でなでたりしていた。心なしか、イヨもなんだか楽しそうである。だが、朝にふさわしいそんな和やかな空気は、次の瞬間に終わってしまう。


ズンッーーー


その時、明らかに空気が変わったことをヴィクターは感じ取った。フランシスカも同じだったようで、その底冷えして刺々しい空気の発生源であるイヨを見つめる。


「…イヨ?」


フランシスカが恐る恐る声をかける。イヨの表情は、先ほどと真逆になっていた。エトランゼで初めてヴィクターと対峙した時と同じ、特別魔法騎士団としての、法の執行者としての表情だった。


「…左肩に赤あざがあります」

「…?」


イヨの言葉が、赤ちゃんの左肩にあるあざを指していることはヴィクターにはすぐ理解できた。だが、そのあざと今のイヨの表情にどのような因果関係があるのかは皆目見当がつかなかった。


「そ、んな…」


フランシスカの絞り出すような声が、ヴィクターの焦りを加速させる。どうやら、フランシスカはイヨの言葉の意味を理解したらしい。ヴィクターは藁をもつかむ気持ちで魔王の方を見るが、そこには予想通り「何のことかわからん」といった表情で頭を傾けた姿があった。だが、意味を理解していない同士が増えたところで、ヴィクターの焦燥は収まらなかった。


「産婆の役目ですから、私が処理します」

「………ええ」


"処理"と言っているのが何のことか、ヴィクターにはわからない。だが強烈に嫌な予感が、頭の中で警告を発しているのは確かだ。イヨの手が静かに赤ん坊の首へと伸ばされていく。その手が伸びきる前に、ヴィクターはイヨの手首をつかんでいた。


「ヴィクターさん?」

「ヴィクター?」


イヨとフランシスカの言葉に宿る困惑を感じ取り、ヴィクターの心臓は早鐘を打ちはじめる。もちろん、イヨの小さく柔らかい手首に触れているから、というくだらない理由からではない。嫌な予感は、ほぼ確実になっていた。


「あの、イヨさん。一体何を?」

「…この赤ちゃんを殺します」


イヨの回答は、淡々としていた。その感情と意図の読めなさにヴィクターは息をのむ。


「…理由を教えていただいてもいいですか?」

「左肩に赤あざのある赤ちゃんは、産婆が殺すようになっています。帝国の法によってです」

「…………」

「納得したら、手を放していただけませんか?」


ヴィクターは手を離さなかった。それはイヨの回答に納得していない、と言うことではない。次に自分がやるべきこと、やらなければならないことが分からなくなったからだ。ヴィクターは軽いパニック状態になっていた。


「な、なぜそんな法が…?」

「ヴィクター!?それは…!」

「いえ、フランシスカ。大丈夫です」


慌てるフランシスカをイヨがたしなめる。その時のヴィクターには考える余裕がなかったが、暴力と法がすべてのソレイユ帝国において、法に対する疑問は、反逆と取られても仕方のないものだった。ましてや特別魔法騎士団に属するイヨの前で言うなど自殺行為に等しい。ただ、フランシスカが思っているよりもイヨの態度ははるかに柔和であった。


「左肩に赤あざのある子どもは気性が荒く、領民・領地に大きな被害を与えることが多かったからです。中には領主を殺害した者までいたという話です」


ヴィクターはイヨの言葉に耳を澄ませ、この状況の打開策を探っていた。


「このような歴史的な理由があって法として整備されました。最初は両親が殺すように定められていましたが、情が移って生かしてしまい損害を生んだ例がいくつも報告されたため、今のように産婆が殺すことになったと聞いています」

「…………」

「手を放してください、ヴィクターさん」


イヨの言葉は先ほどより冷たく感じた。最後通牒だ。もしここで手を離さなければ、本当に帝国の法に背いたとみなされるだろう。


(元の世界であった丙午みたいなもんなのか…?あざがあるかどうかで気性が左右されるなんて、常識的にあり得ない!だが、ここは…この世界では…?いや、それでも…そんな理由で人の生き死にを決めていいのか?)


「しかし、この子は生まれたばかりで、以前の例と同じになるかどうかはまだ…」


ヴィクターは、手を離さなかった。


「ヴィクター!」


フランシスカがヴィクターに駆け寄ろうと一歩踏み出したとき、それは起きた。


「ひぅっ」

「…!」


部屋の気温がどっと下がった錯覚に陥る。小さな悲鳴とともに、フランシスカが後ずさった。ヴィクターは自分の手に加わる力が爆発的に増えていることを感じ取っていた。

イヨはさっきとは別人の気配をまとって、ヴィクターを真っ直ぐににらみつけている。もちろん、その理由はヴィクターにも理解できたが、それで怯むわけにもいかなかった。


「…さっきまで、みんなで必死になって、やっと生まれた命なんですよ」

「それが、なんですか。人の命が帝国の法に勝ることなどありません」


ぎちぎちとイヨが加える力が増えていく。たとえどれだけイヨが力を込めたところでヴィクターの拘束を解くことは不可能だろう。それはイヨもわかっている。だからこそ、ヴィクターは追い詰められていた。その力の増加は、イヨが決して自分の意思を変えないという表明と同義であったのだから。


「マリアさんもザリクさんも、あんなに喜んでいたのに…こ、殺してしまうなんてあんまりですよ」

「…………」


イヨの力は変わらない。ヴィクターはイヨの情に訴えるしかこの場を打開する術を思いつかなかった。


「こんなに可愛らしい赤ちゃんじゃないですか。きっと、きっと今までの子たちは、育て方が間違っていただけなんです。この子はきっと」

「…………」


イヨの力は変わらない。


「イヨさんだって、本当はあなただって、赤ちゃんを殺したくないと…」


言葉を言い切る前に、ヴィクターは自分の失敗を悟った。イヨの力は今までの数千倍にまで一気に上がり、その表情には怒気が含まれていた。


「あ、う……」


初めて見るイヨの姿を前に、ヴィクターはうめく事しかできなかった。


「あなたは、あなたは私が、帝国の法よりも自分の感情を優先するような人間だと思っていたんですか!?魔法騎士団の私が!」


震える声と一緒に怒りを叩きつけられているように、ヴィクターは感じた。


「私の力は!私のわがままのために使っていいようなものじゃないんです!」


言葉を吐き出すと、イヨは少しの間うつむいた。その間に、彼女の怒気が収まっていくのをヴィクターは感じた。再び顔を上げたとき、そこには縋り付くような表情をしたイヨの姿があった。


「ヴィクターさん、あなたの力は違うんですか?」

「ーーーー!」


その問いに、ヴィクターは頭を殴られたような衝撃を受けた。


「……」


ヴィクターは、何もしゃべらなかった。ただ、その力がだんだんと抜けていくのをイヨは感じた。それに合わせて、イヨも手に込めていた力を抜いていく。やがて、少しずつ、少しずつ、緩慢に…………イヨの手首から、ヴィクターの手がどけられた。


ヴィクターはさっきまでイヨの手首をつかんでいた手のひらを見ながら、少しずつ後ずさり、壁に背中をあずけて止まる。はぁ、とそれまで棒立ちになっていたフランシスカが脱力してその場に座り込んだ。その様子を見て、魔王がフランシスカの顔を覗き込む。


ヴィクターはイヨの方を見た。イヨもヴィクターの方を見返していた。その顔は穏やかな微笑みに包まれている。すぐに真剣な表情に切り替えると、イヨは再び赤ちゃんの首に手を伸ばし、そして、



事の顛末はイヨの口からマリアとザリクに伝えられた。マリアは泣いていたが、ザリクはただうつむくだけだった。


ヴィクターは家の中に居づらくなって、外に出ていた。どのみちやることもないだろう。そこで起きたことに対して、自然は全く無関心のようだった。空は青く澄み渡り、太陽の光を受けて木々は青々とその生命力を見せつけていた。前髪を揺らす程度の風は、草葉を弾き自分たちだけのメロディーを奏でている。


無情の光景だった。


(きっと、俺なら助けられた…)


なぜあそこで手を放してしまったのか、自分でも心の中がぐちゃぐちゃになりすぎて分からなくなっていた。この世界に来る前なら…いや、いま元の世界に戻ったとしても自分は赤ちゃんを助けるのが正しいと考えるだろう。だが……。


「ヴィクターさん」


ハッとして振り向くと、いつの間にかイヨが後ろに立っていた。何を言われるのかと身構えていたが、イヨの口から出た言葉はヴィクターの予想だにしないものだった。


「やはり、あなたは特別魔法騎士団に入るべきです」

「え……?」


ヴィクターはイヨの発言の真意を測りかねたが、彼女の表情は真剣そのものだった。


「あなたがなにか譲れないものを、自分の中に持っているのはよくわかりました。でも、それを抑え込んで帝国の法に従うという選択肢を取ることができる。自分の中の怪物にではなく、法にかしずくことができる。今のあなたなら、きっと帝国に素晴らしい利益をもたらすことができるはずです」


イヨが自分の選択を評価しているのはよくわかった。だが、ヴィクターはそれを喜ぶことはできなかった。さきほどの自分の選択が、果たして正しいものだったのかどうか、いまだに考えあぐねている。


「すみません…」


ヴィクターはそう呟いて、イヨの横を通り過ぎる。イヨの表情を確認するような心の余裕はなかった。彼の心は今、鈍く取り除けないしこりが圧迫していた。


(誰か、誰かに。自分が正しいことを証明してほしい……正しさというものが、あるのならば……)


どれだけ考えを巡らせても、ついにそのしこりが消えることはなかった。

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