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セックスに一番近い男  作者: IK_N
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受胎告知①

「その洞窟…については、さっぱりわかりませんね」


フランシスカからの質問にウィーバー伯爵はそう答えた。


ここはオーギュストの街、草原地帯を領地に含むウィーバー伯爵の住む街だ。彼はヴィクターが見た限りで一番若く見える伯爵だった。若作りなのかもしれないが、二十代前半だと言われても疑わないだろう。


「私は草原地帯にはほとんど足を踏み入れません。徴税も問題なく行われていますし」

「…アーネストという男のことを知っていますか?」

「アーネスト?大通りの繊工のことなら知っていますよ」

「…いえ、ありがとうございました」


フランシスカとヴィクターはお辞儀をすると、ヴィーバー伯爵の部屋から出ていった。広間で待っていたイヨと魔王と合流し、伯爵の城を出る。


「これからどうします」

「繊工のアーネストって人を訪ねるわ」

「まさか…」

「私だって本人だとは思ってないわ。確認出来たら、次はファスベンダー元伯爵のところに行きましょう」


そういいつつ、フランシスカは少し早足で大通りを歩く。影が短くなった街で、人々が縦糸と横糸のように重なりながら交差する。その中を一本の針が通るように…フランシスカの足元に赤い何かが転がってきた。


「…りんご?」


フランシスカが手に取ったのは確かにりんごだった。4人の視線は、同時にりんごが転がってきた方に移動する。その先には苦しそうにうずくまる一人の女性の姿があった。


「!」


フランシスカは駆け出し、ヴィクターも追い越さない程度の速さでついていく。女性は、どうやら妊婦のようだった。苦痛が張り付いたその表情には、あぶら汗が滲んでいる。


「陣痛ね…」


フランシスカはそうつぶやくと、イヨに向かってしゃべりかけた。


「この人を家まで送らないと。移動魔法をお願いできる?」

「ええ、もちろん」

「ありがとう。ヴィクター、あなたはそこに落ちてる食材を拾って」


りんご以外にもその妊婦が落としたとみられる食べ物が近くに散らばっていた。ヴィクターはお願いの通り、素早くそれらをかき集める。


イヨは以前ヴィクターに見せた複数の街の映像を見せる魔法を使っていた。妊婦が弱弱しく一つの画面を指さした瞬間、ヴィクターの見える景色は一変する。移動魔法が使われたとヴィクターが理解した時には、すでに妊婦はベッドに横たわっていた。


「ありがとうございました…」


陣痛が収まったらしく、妊婦は笑顔でフランシスカにお礼を言った。だが、その表情からは辛さが消え去っていなかった。


「いえ、お礼はイヨちゃんに。産婆さんはどこですか?」

「お願いしていた人がいたのですが…」


妊婦は曇った表情を見せた。


「数日前に手を火傷して、今は医者の方に」

「…まいったわね。旦那さんは?」

「もうすぐ…」


妊婦が口を開いた直後、家の入口で物音が聞こえてきた。


「マリア?いるのかい?」


声を張りながら家の中に入ってきたその男は、ヴィクターたちが部屋にいるのを見て驚愕し、すぐさまヴィクターにつかみかかった。


「貴様俺の家で何をしている!妻に何を!」

「ちょ、ちょっと待って」

「すみません。そこの男は私の使用人です。街でうずくまっている彼女を見つけてここまで運んできました」


掴まれてしどろもどろになっているヴィクターの代わりに、フランシスカが答える。男はフランシスカと、妻がうなづくのを見てヴィクターから手を離した。


「これは、失礼を…」

「いえ、大丈夫です」


男は静かに手を離すとヴィクターに謝罪した。マリアの夫、ザリクはフランシスカからこれまでの経緯を聞き始めた。


「うぅ…」


2人が話している最中に、再びマリアはうめき声を上げ始めた。陣痛がまた始まったのだ。


「…ずいぶん早いわ」


フランシスカはそう呟いた。彼女は出産に立ち会ったことなどない。そもそも出産時の立会いは産婆と父親しか許されない。だが、以前父親が集めた本の中に出産について書かれたものがあり、それをフランシスカは読んだことがあった。その知識を総動員して、今自分が何を知り、なにをすべきかを考える。


「マリアさん。陣痛はいつから?」

「あ、…朝、から」

「…出産が近いのかも」

「なに!?」


ザリクが驚愕の声を上げる。


「確か陣痛が始まってから半日くらいで出産するらしいので、もうすぐかもしれません」

「だが、産婆は…」

「ええ、わかってます」


ふぅ、と一呼吸置くと、フランシスカはイヨの方を見据えた。


「私たちで産婆の代わりをしましょう」

「…はい。それしかなさそうですね」

「イヨちゃんは…産婆の経験って?」

「ないです」

「そうよね…」


フランシスカは一瞬ためらったが、魔王にも同じ質問を投げかけた。予想通り答えは「産婆ってなんじゃ?」というものだった。


「正直私も1回本を読んだだけだから自信が無いわ…しかも途中までだったし」

「うぅ…ふぅ…ひぃふうううううぅ…」


陣痛に耐えているマリアの声…いや、うめき声がフランシスカの耳に飛び込んでくる。もはや自分が不安がっている場合ではないことは明白だった。


「大丈夫。私たちがちゃんと赤ちゃん生ませてあげるわ!」


そう言って、フランシスカはマリアの手を握った。マリアは息を吐き出すのと同時に、ゆっくりと頷く。


「イヨちゃんは水の用意をお願い。ザリクさんは家の中から布を持ってきてください。魔王ちゃんはマリアさんの手を握ってあげて、優しくね」


フランシスカの言葉を聞くと同時に、3人は一斉に動き始めた。そして、そんな中なんの仕事も振られなかったヴィクターは一人ぽつんと、何ともいえない決まりの悪さを感じてしまった。


「あの、フランシスカさん。私は何をすれば…?」

「え、ヴィクターあんたは……」


フランシスカは少し言いよどんだ後、ヴィクターに向き直って命令した。


「待機!」

「え?」

「待機よ。必要があれば声をかけるわ」

「は、はい…」


そんなやり取りをしている間にイヨは桶に入れたお湯を、ザリクは家のカーテンや古着をまとめて持ってきた。


「ザリクさんはマリアさんの近くにいてあげてください。イヨちゃん、ちょっとこっち来て」


フランシスカはイヨと2人で声を潜めて今後の方針を相談し始める。


「とりあえずマリアさんが自力で分娩すること前提で話を進めましょう。正直知識が無いからこちらから余計なことはしたくないわ」

「ええ、私も同感です」

「自然分娩だと数時間…もしかすると十数時間かかるかもしれない。その間マリアさんが辛くならないように心と体のケアが必要よ」

「具体的には何をすれば?」

「心の方はザリクさんが近くにいてくれれば…あと、魔王ちゃんが手を握っててあげればそれだけで安心できるでしょう」


フランシスカはちらりとザリクと魔王の方を見る。ザリクはマリアの方に手を当て、しきりに名前を呼んでいた。

魔王のほうは、おそらく何が起きているのかさっぱりわかっていないだろうが、言われた通りマリアの手を握っている。そして、都合のいいことにいつもの楽しそうな笑顔でマリアを見つめていた。その笑顔のおかげで、マリアの緊張や不安も少ないものになっていた。


「体の方はマリアさんが出産しやすい体制にその都度変えていったほうがいいわね。その時はイヨちゃんの魔法にお願いすることになるかも」

「わかりました。さっきの水と布はどうするんですか?」

「あれは赤ちゃんが生まれてからね。必要なときに声をかけるわ」

「…しかし、まさかこんなことになるとは」

「私たちが不安そうにしちゃだめよ。私たちが不安がるとマリアさんも不安になる。そうなるとうまく分娩できなくなるわ」

「そうなんですか?」

「私の感よ。人間も動物の一種なんだもの。安全・安心な状態で子供を産む状態に持っていきたいはず…」

「なるほど…」


話がまとまったところでフランシスカ達はマリアに向き直る。


「マリアさん。初めてのことで不安でしょうけど、安心してください。今よりもはるかに知識や道具がなかった時代でも人間はちゃんと出産して数を増やしてきたんですから」

「…そうね。そうよね」


フランシスカはできるだけマリアが安心できるように、ゆっくりと落ち着いた雰囲気で語り掛ける。マリアはその言葉に微笑みで返した。


「出産はきっと長時間になりますから、途中で食事も必要だと思います。台所を使わせていただきますね」

「ええ、もちろん」


この間…ヴィクターは全く蚊帳の外に置かれていたが、そのことについて不安と安心が入り混じった感情がないまぜになっていた。


(みんな何かしら役割があるのに自分だけヒマしてるのは罪悪感があるんだよなぁ。でも、いざ仕事降られてもまともにできるかも不安だ…)


なにはともあれ、このオペレーションは今始まったばかりであった。



それは数時間経った後のことだった。


「ああ…!」


マリアの小さな呻き、それと同時に股間の部分が濡れていった。慌てふためくザリクの横で、フランシスカは漏れた液体の色やにおいを確認する。


「破水したわね」

「だ、大丈夫なのか…!?」

「大丈夫です。出産する準備が母子ともにできたってことです。マリアさん、いきむ必要はないわ。自然に任せて、赤ちゃんが出てくるのを待ちましょう」

「ありがとう…」

「…食事、用意してきますね」


フランシスカの声色は相変わらず優しかった。ヴィクターは、こんなに優しいフランシスカの姿を見たことがないほどである。だが、その胸中ははた目の姿とは全く違っていた。


(誰か…誰かに、私がやってることが正しいと言ってもらいたい…!)


台所に向かうフランシスカは不安に押しつぶされそうだった。もし間違えたら母親も子供も死んでしまうかもしれないプレッシャーの中で相手を不安にさせないように余裕をもって振る舞わなければならなかった。貴族として常に優雅に振る舞うように心がけてはいたが、自分の失敗で人が死ぬような状況でそれをしたことはなかった。

軽いめまい。気を抜けば膝をついてしまいそうな自分の体を、フランシスカは意地で支えていた。

フランシスカだけではない。誰もが…いや、魔王以外の誰もが不安を心の中に渦巻かせていた。そんな状態が、これからさらに数時間続くことになる。その不安すら吹き飛ぶことになるのは、赤ちゃんの頭が子宮口から完全に出た後だった。


「で、でた!でたわマリアさん!赤ちゃんの頭が!」


今までフランシスカが保っていた外見上の平静はその時完全に吹き飛んでしまっていた。だが、その表情は今までの微笑みとは違い、歓喜の輝きで満ちていた。


「も、もう少し…うぅぅ」

「ええ…!でも、あせらないで!力を入れずに」

「はい…ふ、ふ、ふ、ふ、ふ」


マリアは短く呼吸を繰り返していく。特に誰かに言われたわけではないが、おそらくそれが一番楽だったのだろう。


「イヨちゃん。そろそろ水を温めて」

「わかりました」


一瞬だった。フランシスカがイヨにお願いした次の瞬間には桶の中の水は湯気をだしていた。イヨは桶の方を一瞥すらしていない。お湯の入った桶は、これまた魔法によって、一瞬でフランシスカの近くに移動する。


「もう少し、もう少し…」

「ふ、ふ、ふ、ふ、ふ」


まるで自分の心音がマリアの呼吸と一緒になってしまったかのような錯覚がフランシスカを襲う。そんな時間が永遠に続くのではないかと頭をよぎった頃に、その瞬間はやってきた。


「おぎゃあ!おぎゃ……」


2回大きく泣いたその赤ちゃんは、それっきり静かになってしまった。一瞬ヴィクターはぎょっとしたが、どうやらちゃんと呼吸をしているようだ。フランシスカはさっと赤ちゃんのお湯の中に入れて体についた羊水や血液を流し、布を使って口や鼻の中をぬぐった。


「イヨちゃん、股から出血が続いてないか見てくれる?もし続いていたら裂傷部分をふさいでほしいわ」

「承知です」

「マリアさん、生まれました。男の子です…あ」


フランシスカは赤ちゃんをマリアの元に持っていこうとしたときに、あることに気が付いた。そして、声を潜めてイヨに相談をする。


「ね、ねえ。へその緒ってどうすればいいのかしら…」

「え、ええっと私もわからないですけど…」


イヨは少し考えた後、フランシスカにこう提案した。


「変に切ると細菌などが入り込みそうですし…魔法で傷口なく切断しておきましょうか…?」

「そうね…。それでお願い」


へその緒はあっさりと切断され、とうとう赤ちゃんは母親と対面することになった。もっとも、その時にはもう赤ちゃんは眠ってしまっていたが。


「ああ、よかった…。やっと、会えたわね」


マリアは、自分の胸の上で眠っている赤ん坊を両腕でふわりと抱きしめた。ザリクもマリアの頭をなでながら、赤ん坊の顔を覗き込んでいる。ただ、涙がボロボロとこぼれ落ちている状態で、まともに顔を見れていたかどうかは疑問ではあるが。その様子を確認して、フランシスカはやっとピンと張り詰めた緊張が弛んだ気がした。そして、自分の頬を涙が伝っているのに気が付く。


「あはは…なんで私も泣いてるんだろう…」

「お見事でしたフランシスカ。帝国の一員として、あなたは素晴らしい行いをしました」

「ありがとうイヨ」

「それに私個人としても、あなたを誇りに思います」


予想していなかったイヨからの賞賛にフランシスカは一瞬戸惑ったが、素直に笑顔で返すことにした。そうして、ようやく長い一日が終わったことを実感するのであった。


「ふぅ…」


フランシスカ達とは少し離れたところで、ヴィクターも安どのため息をついた。結局出番はなかったわけだが、何もない方がいいに決まっている。出産の中でずっと緊張していたためだろうか、ヴィクターはなぜか汗だくになっていた。


(めでたしめでたし、だな)


ヴィクターは笑顔の5人を遠目で眺めながら、出産に立ち会うことなんで俺の人生でこの先ないだろうな、とむなしいことを思うのだった。


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