カサンドラの神話②
出発してから2日後、シンの家族とともにフランシスカ達はコンロンの丘に到着した。途中でひどい強風に襲われることもあったが、おおむね順調な旅だった。犬たちが自在に羊を移動させる様子なども見れて、フランシスカは満足していた。
「あそこがコンロンの丘だよ」
シンが指さしたそれは、丘というよりは巨大な岩石と言った方が正しいように見える。なだらかな草原地帯に突然現れた突起物だった。
「これから儀式の準備を?」
「ああ、準備よりも儀式自体の方が長いけどね」
フランシスカの質問に答えながら、シンたちはゲルの準備を進めていた。ヴィクターも手伝ったが、1時間程度ですべて組みあがった。そうしていると、コンロンの丘へ行っていたキムが、浮かない顔をして戻ってきた。
「どうした?」
「それが…黒曜石がなくなっていた」
「…なんだって?」
2人の当惑した様子に気づいたフランシスカが近づいていく。
「どうかしましたか?」
「儀式に必要な黒曜石がなくなっているらしい。強風で飛ばされたんじゃないか?」
「周辺も探してみたがさっぱりだった」
「…新しく取ってくるしかないか」
ヴィクターは会話を少し離れたところで聞いていた。儀式に必要なものがなくなってしまったらしいが、どうやらそこまで深刻な状態でもないようだ。
「新しく?この辺りに黒曜石が取れる場所があるんですか?」
「いや、近くにはないよ。数日間は移動することになる」
「そんな…」
フランシスカはせっかく獣人の儀式を目の前で見れるかも、と期待していた分がっくりと肩を落とした。しかし、そのすぐ後に頭を上げて、イヨの方に走っていく。
「ねえ、イヨちゃん。さっきの話聞いてた?」
「ええ聞いてました。黒曜石が取れるところまで瞬間移動魔法を使ってほしい、ってことですよね」
「その通り!」
「構いませんよ、彼らがそれでいいなら」
「許可を取るわ」
フランシスカは意気揚々と2人のところに戻っていく。短く会話をすると、イヨに向かって手でOKのサインを出した。どうやら、黒曜石探しのミッションが始まるようである。
◇
「シンさんからもらった地図がこれよ」
フランシスカは地面にその地図を広げる。その場にはイヨ、ヴィクター、魔王の3人がいた。
「ここからだいぶ北に行くと山脈があるんだけど、そこで黒曜石が取れるらしいの。それを取ってきましょう。この4人で!」
「大樹林でやった時と同じような採集作業ってことですね」
「まあ、そんなところよ」
「フランシスカさんがやりたいなら私は行きますよ」
「ヴィクターさんが行くなら私も行きます」
「魔王ちゃんはどう?」
魔王はしばらく黙って地図を見ていたが、頭を上げてフランシスカに問いかけた。
「これはなんじゃ?」
「これは地図って言って、この世界の姿を縮小したものなの」
「ほー!これも魔法というヤツなのか?」
「違うわ、これは魔法じゃなくて長年の調査の結果できたものなのよ」
「よくわからんがすごいことじゃの!」
魔王はうんうんと頷いた後、フランシスカにもう一度質問をした。
「地図に世界があるなら、私が今いるここは世界とは違うのかの~?」
「…」
どうやら魔王は地図の概念を根本的に理解できていないようだった。
準備を済ませたあと、4人はイヨの魔法によって北の山まで飛んだ。そこにある洞窟の中に黒曜石を取ってくればいいのだが…
「…」
洞窟の入口はふさがっていた。それは自然とふさがったものではなく、意図的に大きな石を入口に敷き詰めたようになっていた。
「シンさんからは何も聞いてないわ。数年前に来たっきりとは言っていたけど」
「私がどかします」
イヨがそう言うと、入口に敷き詰められた石たちが宙に浮いていく。姿を現した黒い穴からは、低く風の流れる音が響いてくる。
「…危険そうですね。私とイヨさんの2人で行ってきます」
「ダメよ」
「…なぜですか?」
「私が行きたいから」
ヴィクターはフランシスカを見つめた。その瞳を見て、彼はこれ以上の口論は無駄だと悟った。
「わかりました。私が一番前を…」
「ヴィクターさんは一番後ろです。私が一番前で照明魔法を使います」
「…では、それで」
結局、4人全員で行くことになった。イヨ、フランシスカ、魔王、ヴィクターの順番で洞窟の中へと入っていく。大樹林の時と同様に、イヨは光る球体を作り出して、自分の前を浮遊させていた。
「もし明かりが消えるようなことがあれば洞窟から出ましょう」
「ええ、わかってるわ」
フランシスカは地図を見る。シンからこの洞窟の見取り図をもらっていたが、そこには入口から数十メートル行ったところで黒曜石が取れることが書いてあった。本来であれば至極簡単なことであったが、入口の状況がフランシスカの胸の中に一抹の不安を残していた。
「つきあたり…いえ、右に道がありますね」
「ここでいいわ。その奥までは彼らも行ったことがないみたい」
フランシスカはあたりを調べはじめる。ヴィクターは意外にあっさりと到着したことに拍子抜けして、息を吐きだした。
「あった」
フランシスカが手に持った黒曜石をイヨとヴィクターに見せる。彼女の手に収まるくらいのサイズだ。
「こんな大きさで大丈夫なんですか?」
「ええ、私が片手で問題なく持てる大きさと重さならどんな形でもいいって話だったわよ」
「へえ…」
ヴィクターはフランシスカの手のひらにある黒曜石をまじまじと見つめる。
(よく見ると、フランシスカちゃんの手、ちっちゃくってかわいいな)
そんな全然関係ないことを考えていたヴィクターを現実に戻したのは、イヨの声だった。
「魔王さん、そっちにはいかないですよ」
「ん?そうかそうか」
右の道に行こうとしていた魔王をイヨが制止した。戻ってきた魔王は、今度はイヨの作っていた光の玉をまじまじと見つめ始める。
「どうしました?これは私の魔法で作った光ですよ」
「ああ、それはわかるんじゃが」
「どうしてさっきから、だんだん明かりを小さくしていってるんじゃ?」
一瞬だけ、その場を沈黙が支配した。
ヴィクターは光の玉を見つめるが、特段明かりが変わったようには見えない。フランシスカもそうだった。
「…魔王さん。明かりが小さくなっているのは、今も続いていますか?」
「ああ、続いとるぞ」
「…なにかが近づいてきています」
「…え?」
イヨは洞窟の奥を見ながら言葉を続ける。
「かなり早いです。あと1分程度でここに来ます」
「…早く洞窟から出ましょう」
「わたしがしんがりを」
入ってきたときと同じように、イヨを先頭にして移動する。最後のヴィクターは洞窟の奥の気配や音を探っていたが、なにも感じられなかった。
「ヴィクター!早く!」
「すぐ行きます」
ヴィクターも移動を開始する。それと同時に奥から奇妙な音が聞こえてきた。
オオオオオオオオオォォォォォォォ…
風の音とは明らかに違う、うめき声のようなもの。次第に足音のようなものも聞こえ始めた。
(4足歩行している?)
入口に向かって移動しながら、ヴィクターは後ろからの音を拾っていた。ヴィクターの相手の力を読み取る不思議な力は、相手を目視しないと発動しないようだ。相手がどの程度の力を持っているかわからないことが、ヴィクターを少し不安にさせていた。
「きゃっ」
移動途中で、フランシスカが転んだ。すぐ後ろを歩いていた魔王が彼女を抱き起す。
「大丈夫か~?」
「ええ、ありがとう魔王ちゃん」
「焦らなくて大丈夫ですフランシスカさん。後ろの何かが来ても、まず襲われるのは私ですから」
「…わかってるわ」
イヨ、フランシスカ、魔王の順で光の中へ出ていく。最後のヴィクターが脱出したところで、イヨは魔法を使って再び洞窟の入口をふさいだ。
「一体なんだったの…」
「その質問は、後にした方がいいですね」
イヨがそう言うと同時に入口の岩を粉砕して「それ」が現れた。
ギョアアアアアアアオオオオオオオォォォォォッッ!!
それは出来損ないの人間のように見えた。
乳白色の体に、薄く血管が見えている。身体はほとんど人間と同じだがてらてらと妙な光沢を宿している。顔に当たる部分には目も鼻も耳もついていない。ただ、ヤツメウナギのような口だけが存在していた。
「こんな魔獣知らないわ…」
フランシスカが呆然と呟く。その声に反応したかのように、ビクッとそれがフランシスカの方を向いた。
「ひっ」
フランシスカの小さな悲鳴を聞くよりも早く、ヴィクターは彼女と「それ」の間に体を滑りこませた。それは小さくうなりながら、少しずつヴィクターに近づいていく。
「フランシスカさん。殺そうかと思いますが、かまいませんね…?」
「だ、ダメよヴィクター!敵意があるかどうかもわからない。一匹殺したら群れで復讐するような魔物かもしれないのに」
「…わかりました。できるだけ、穏便に」
ヴィクターは、「それ」が近づいて来るのと同じスピードで歩み寄り始めた。見たところ「それ」は、大した強さではないが普通の人間相手だと十分に脅威な力を持っている。
「落ち着いて下さい。私たちに敵意はない」
通じるのかどうかわからないが、しゃべりかけてみる。「それ」の動きに変化はない。少しずつ、少しずつ近づいてくる。ヴィクターは「それ」が突然ジャンプでもしてフランシスカに襲い掛からないかと集中していたので、突然の横やりに気づけなかった。
「お前何者なんじゃ?見たことない奴じゃの~?」
いつの間にか魔王が「それ」の横に来て、「それ」の体を眺めていた。
「魔王ちゃん!」
フランシスカの言葉よりも早く、「それ」は魔王に襲いかかっていた。首の付近に噛みつき、軟体動物のようになった両腕両足を使って魔王に抱きつき締め付ける。
「いやああぁっ!」
「落ち着いてください。フランシスカさん」
叫んだフランシスカにヴィクターが声を飛ばす。
「大丈夫です。魔王様は…」
「おおー!こいつ、けっこう愛嬌があるの」
魔王には…「それ」の攻撃が一切効いていなかった。攻撃とも思っていなかった。そもそも魔王は自らが危機に陥ったことがないので、攻撃という概念すら理解していなかった。
「お~よしよし」
拘束をものともせずに腕を動かして、「それ」の頭をなでる魔王。「それ」自体は今でも攻撃の手を緩めておらず、首筋に噛みつき続けている。
「フランシスカさん」
「…ええ、魔王ちゃんを助けてあげて。イヨちゃん、断末魔か何かで仲間を呼ばれると面倒だから、魔法で封じてほしいわ」
「わかりました」
ヴィクターは、魔王にとりついた「それ」に近づいていく。
「魔王様、失礼します」
そう断って、「それ」の首根っこをつかんで魔王から引きはがす。「それ」は今度はヴィクターの体を締め付けようとし始めるが、それよりも前にヴィクターは力を込めて首の骨を折った。
ゴキッと確かな感触がヴィクターの手に伝わり、「それ」の両腕両足はだらんと地面に落ちた。口からは、人間のように赤い血が滴っていた。
「心肺停止。脳機能も停止。死にましたね」
「それって…」
「はい。脳や心臓、基本的な体の構造は人間と同じです」
「一体こいつ、何だったの…?」
フランシスカの疑問に答えられるものはいなかった。
細菌やウイルスが付いていないことを確認した後、「それ」は首都の研究施設に送られた。そのあと、イヨの魔法で再びその洞窟をふさぎ、帰路につく。
「赤いのが出てきたとゆーことは、あれは人間の仲間だったんじゃな!」
魔法で移動する前、魔王が無邪気に放ったその言葉がヴィクターの頭から離れなかった。




