カサンドラの神話①
見渡す限りの緑。
タルティーニに一番近い街で馬車を調達してから2週間。ついにフランシスカ達は獣人の住処の近くにたどり着いた。
「ここまで周りに何もないと壮観ね」
フランシスカが馬車から降りる。広い草原になだらかな丘。このどこかに、探している獣人がいるはずなのだ。
「食事にしましょう。食べたら、獣人探しに出発よ」
「あ、火っていりますか?」
「そうね。ダルを作ろうと思うから必要ね」
「では、私がやりましょう」
ヴィクターは少し得意げに言って見せた。もちろん、火打ち石などで火をおこそうと思っているわけではない。この道中でヴィクターは、ついに魔法を一つ覚えることに成功していたのだった。馬車の中から木の枝を持ち出して、地面の上に無造作に重ねると、パンパンっと両ほほを手でたたいて気合をいれる。
(炎、炎のイメージ、熱さ、匂い…)
目をつぶり、目標の場所に炎が立つようにイメージする。1分ほど経ったころに、小さな炎が薪の中に立ち上がった。
「よし!」
「なにが『よし!』よ。時間かかりすぎでしょ。魔王ちゃん、パン用意してくれる?」
「お~。わかった~」
フランシスカは出来上がった炎の上に鍋を載せて、挽き割りにした豆類を入れていく。挽き割りにした豆の煮込み料理がダルだった。それを見ながら、ヴィクターは昔食べたダルカレーを思い出す。正直、ダルカレーよりもチキンやポークやビーフが好きなのだが、インドではダルの方が主流らしいのだ。まあ、今作っているのはカレーではないのだが。
「…ヴィクターさん。少しいいですか?」
「え?はい」
イヨに呼ばれ、ヴィクターはフランシスカ達が料理を作っている場所から離れた。
「どうしました?」
「遅くなると傷つくことになるかも知れないので、早めに言っておきますが…」
「な、なんでしょう」
「ヴィクターさんに魔法の才能はありません」
一瞬、世界が止まった気がした。
「…あの、今の時点ですでにだいぶ傷ついてるんですが」
「後になればなるほど傷口が深くなりますので」
話はそれだけだったようで、イヨはフランシスカ達の元へ戻っていく。
「もちろん、これ以降も魔法の鍛錬をしたいというのであれば付き合いますが…あまり成果は期待しない方がいいです」
「…そうですか」
「元々ヴィクターさんは優れた身体能力を持っているんですから、そちらを伸ばした方がいいと思いますよ」
「はあ…」
ヴィクターは露骨に落胆してしまった。数か月にわたって訓練してきた結果が『才能無し』では落ち込みもするが、早めに教えてくれた分だけ優しいだろう。
(まあ、元々魔法を使って戦いたかったわけじゃないけど…いや、できるならやりたいけど…)
ヴィクターは心の中でぶつぶつと独り言を始めた。
(身体能力を鍛えろと言われても…一体なんでこんな身体能力してるのかもわかってないのに。筋トレしたら鍛えられるのか?)
(身体能力よりも魔法の才能があった方が、フランシスカちゃんを守りやすいだろうにな)
ヴィクターはイヨのことが二重の意味で羨ましかった。
「ヴィクター。戻ってこないとごはん抜きにするわよ!」
フランシスカの声が聞こえて、ヴィクターは慌てて戻っていく。
(もし、このよくわからない身体能力が無くなったら、フランシスカちゃんは俺を見捨てるかな)
そんな考えがふと頭をよぎったが、笑顔で食事の準備をしているフランシスカを見ると、どうでもよくなってしまうのだった。
◇
「…いたわ!」
2日後、フランシスカは獣人と思われる集団を見つけた。どうやら主に羊を追いかけている集団のようだ。馬と犬の姿も見える。
「望遠魔法ありがとうイヨちゃん」
「いえ、このくらいなら」
イヨが望遠魔法を解除した後、フランシスカは馬車に乗り込んで移動を開始した。黒い点にしか見えなかったその集団がだんだんと大きくなってくる。むこうもこちらを認識したのか、中には馬車の方に手を振ってくる人もいた。
馬車を止めると、2人の男が馬に乗って近づいてきた。
(へえ…)
「獣人」という言葉そのままに、1人は猫のような耳、もう1人は犬のような耳が頭についていた。心なしか、普通の人間と比べて毛深いような気もする。
「何か用かな?」
猫耳の、もう一人よりは少し大きめの男が御者をしていたフランシスカに声をかけた。
「はじめまして。私の名前はフランシスカ・シェリー。獣人のことをいろいろ知りたくてここまで来たんです。数週間ほど一緒に行動したいのですが、よろしいでしょうか」
フランシスカの回答に、猫耳と犬耳は顔を見合わせる。さも珍しいといった表情でフランシスカに向き直ると、首を縦に振った。
「ただし、食事の用意なんてできないよ」
「もちろん、それはこちらで何とかしますので」
何ともあっさりと許可が出た。犬耳の男の方は、他の獣人に知らせるためにテント…ゲルの方へ戻っていった。
「私の名前はシン・ソクジョ。先ほどの男はキム・ジュノ」
「よろしくお願いします」
「ああ、こちらこそ。後ろにいるのは?」
シン・ソクジョと名乗った猫耳の男と目があったので、ヴィクターは自己紹介をはじめた。
「私はヴィクターと言います。この子は名前がないんですが、魔王と呼んでください。あと…」
「私はイヨと言います」
全員の名前と顔を確認すると、シンは小さくうなずいて「よろしく」と応えた。フランシスカはシンの案内に応じて、馬車をゲルの方へと移動させる。
「あと2日ほどしたらコンロンの丘に向けて移動を始めるつもりだ」
「コンロンの丘?」
「ああ、毎年の儀式でね。先祖を敬うためにやるんだ」
「そう…」
フランシスカはシンの言葉を聞いて、内心でにやりと笑った。なんとも都合の良いことに獣人の儀式を見ることが出来そうなのだ。獣人は基本的に遊牧民であることと身体的特徴が情報のほとんどで、その文化などの情報はゼロに等しかった。
「今、ちょうど馬乳酒作りのために搾乳してるところなんだ。よかったら見ていってくれよ」
「はい。ありがとうございます」
(搾乳かあ…)
「搾乳」という言葉を聞いて、ヴィクターは妄想の世界にトリップした。
(フランシスカちゃんやイヨちゃんを縛り付けて搾乳とかできたらいいなぁ…)
別にヴィクターはフランシスカたちから絞った乳を飲みたいわけではない。ただ、抵抗もできずに搾乳されるという辱めをフランシスカたちに受けてほしいだけなのだ。ちなみに妄想の中に魔王は入っていなかった。恥ずかしがらないだろうからだ。
足に衝撃を受けて、ヴィクターのトリップは終わった。気づくとフランシスカがヴィクターをにらみつけている。
(なんか前にもあったなこんなこと)
気を取り直して馬の搾乳をしている場所に向かう。そこでは、フランシスカと同じくらいの年齢の女の子が一生懸命に馬の乳を搾っていた。シンに声をかけられたその子が、手を止めてヴィクター達の方に振り向く。
(お!かわいい…)
容姿も年齢もヴィクターのストライクゾーンだった。黒髪でおかっぱ、日本の座敷童がちょうどイメージに合っている。そこにプラスでこの子には狐耳がついていた。
「私はフセン・スズと言います」
スズと名乗った少女は、丁寧にお辞儀をした。それにつられて、ヴィクターも頭を下げる。
「スズ、馬の搾乳をこの人たちに見せてやってくれ」
「はい」
スズは手慣れた手つきで馬から乳を搾り取っていく。絞り終えると、お椀の中にはいった乳を見せてくれた。
「ここに酵母を入れて撹拌すると馬乳酒になります。すでに出来上がった馬乳酒もありますが、飲んでみますか?」
「え、いいんですか?」
「はい。たくさんありますので」
そういうとスズは4人分の馬乳酒をゲルの方から出してきた。未成年にお酒は…とヴィクターは思ったが、どうやらこの世界には年齢による飲酒の制限がないらしい。そのあたりの法に厳しいイヨも受け取って飲んでいた。
ヴィクターも口をつけてみると、ほのかな酸味が口の中に広がる。
(酒っていうほどアルコールを感じないし、飲みやすい)
しかし、飲みやすいがゆえに梅酒のソーダ割やマッコリを飲みすぎて飲み会後に吐いた経験のあるヴィクターは、一杯だけでやめておくことにした。
「この馬乳酒っていうのは、よく飲むものなの?」
「そうですね。この時期はほとんどそれを飲んでます。それだけ飲んで生活する人もいます」
「この時期?」
「6月から8月くらいまでです。馬の繁殖期がこのあたりなので」
「そうなのね。ほかの時期は何を食べたりしているの?」
「それは…」
フランシスカが興味津々にスズに質問を繰り返し始める。おそらくこれらの情報もすべて本にまとめるつもりなのだろう。2人の話をぼうっと聞いていると後ろから肩に手を置かれた。振り返ってみると、キムと呼ばれていた犬耳の男が立っていた。
「少しいいかな」
「なんです?」
「手伝ってもらいたいことがあるんだ。男手が必要で」
「わかりました。魔王様、フランシスカさんを頼みます」
「お~」
フランシスカと魔王を残して、ヴィクターとイヨは獣人の2人と一緒に羊の群れの方に向かっていった。
「1匹、老いた雄の羊がいる。去勢もしているやつだし、そろそろ肉にしてしまおうかと思ってね」
「なるほど。そいつを押さえつけるのに力がいるんですね」
「ああそうだ」
よく見ると、キムは手にナイフを持っていた。それで羊を殺すのだろう。
(殺す役じゃなくて安心したよ)
なんだかんだで、大型哺乳類を殺すというのはあまり目覚めのいいものではない。羊よりも大きく賢い哺乳類を自分の手で殺したヴィクターが言うのだから、間違いない。
「あれだ」
キムが指をさす。その先には首に赤いミサンガのようなものを巻き付けられた1匹の羊がいた。ヴィクターとキムは目配せして、その羊に近づいていく。逃げられるかと思ったが、あっさりと2人で羊を挟みこむことができた。
「そちらから羊に覆いかぶさるようにして、俺の方にある足をすくいあげてくれ」
「こうですか」
「そう。それでいい」
言われた通り、ヴィクターはキムの方にある羊の足をつかんで持ち上げた。ちょうど羊はひっくり返された形になったが、特に大きな抵抗はなかった。
「よし」
キムはひっくり返った羊のもう片側の足を抑えて、羊の首筋にすっとナイフを入れた。草原の中に羊の血が吸い込まれていく。あっという間に1匹の羊は殺されてしまった。周りにいた他の羊たちも、特に騒ぎ出したりはしなかった。
キムはナイフを管のようなものに持ち替えて、羊に突き刺して息を吹き始めた。
「それは、一体何を?」
「こうすると皮が剥ぎやすくなるんだ」
「なるほど…」
ヴィクターはキムの動き一つ一つを見逃さないようにした。きっと、このあたりの情報もフランシスカは欲しがるだろうと思ったからだ。
パンパンに膨れ上がった羊を動かそうとしたとき、それまで黙っていたイヨが口を開いた。
「移動させるのであれば、私が手伝いましょうか」
キムはその言葉の意味が分からなかったのか、ヴィクターに説明を求めるように顔を向けた。
「彼女は魔法騎士団なんです。この羊をゲルの方に運ぶくらい簡単にできますよ」
その言葉を聞いて、キムは目を見開いた。
「本当かい?ぜひお願いしたいな」
キムのその言葉を聞いて、イヨは羊ごとヴィクターとキムを移動させた。
「おおお!?すごい。これが移動魔法か!」
「私も最初は驚きました。でも、あんまり使われると酔うので気を付けた方がいいですよ」
先輩ゆえの忠告をキムにして、ヴィクターはフランシスカの所へ戻っていった。
◇
その日の夜、ヴィクターたちはシンから食事に誘われて彼らの家族たちと食卓を共にしていた。ヴィクターたちが羊を殺すのを手伝ってくれた礼ということだった。出された料理は昼間に殺した羊の肉だ。
(羊肉…つまりラムってやつだよな。なんかクセが強いって聞いたことあるけど…)
ヴィクターは羊肉を食べたことがなかった。恐る恐る口に入れるが、想像していたクセの強さは感じず、美味しく食べることができた。
「あまった羊の肉はどうするんですか」
「干し肉にして保存するよ。街が近くにある時は売りに行くこともあるけどね」
ここでもフランシスカの質問攻めは健在だった。だが、この時こそフランシスカが一番活き活きとしている時間でもあるのだ。
(遊牧の生活か…)
ヴィクターの世界にもモンゴルなどには遊牧民が住んでいる。だが、その生活をかえりみたことなど一度もなかった。今はほとんど失われてしまったこういった生業を体験できていることにヴィクターは少しだけ感謝した。
(こういう生活も、悪くはないな)
空を見上げると、無数の星がきらめきながらヴィクターたちを見下ろしている。その星々を見つめ返して、ヴィクターは自分の元居た世界に思いをはせるのだった。




