花嫁②
「おお……!」
この前の大雨が嘘だったかのように青く澄み渡った晴れの日。ヴィクターたちは目的地であるタルティーニの街に到着した。
少し遠くに見えるパンドーラ山をシンボルにして、その裾野に栄える街がタルティーニだ。街の近くには大きな湖もあった。パンドーラ山が上下反転して湖に映し出されている姿は静観の一言だった。
「話に聞いてたよりずいぶん人が多いわね、お祭りでもあるのかしら?」
フランシスカがそう呟く。街はあふれんばかりの活気に満ちていたが、どうやらその光景はフランシスカのイメージとは違っていたようだった。なにしろ、宿を取ろうとしてもどこも開いていないほどだ。
「やっぱり何かおかしいわね」
宿屋の主人に門前払いをされたフランシスカは、その苛立ちをこの活気の原因に向けることにした。少し街の人たちの話を聞いていると、その原因がすぐに耳に入ってきた。
「今、街にエレジーちゃんが帰ってきてるんだ。数日後に完成するパンドーラ・スクエア・ルームズで演奏会が行われるって話だよ」
「エレジー・ランチェスターの演奏を聞きに来たに決まってるだろう。しかも新しい劇場でやるらしいじゃないか」
「エレジーが街に帰ってくるのは知ってたんだがよ、演奏会をする話を広めたのは俺なんだ。実際やるかは知らねーんだけどよ!はっはっは!」
「エレジー」という名前にヴィクターは全く心当たりはなかったが、フランシスカとイヨは違ったようだった。
「まさかここがエレジー・ランチェスターの出身地だったなんてね…前に一度お父様と演奏会を聞いたことがあるわ」
「以前皇帝陛下が演奏を聴きに行ったこともあるんですよ。その時の護衛は私ではなかったので、顔を見たことはありませんが」
どうやら有名人らしい、ということをヴィクターは理解した。聞くところによるとヴァイオリニストとして並ぶ者のない才媛、と言われるほどの人物のようだ。
(この世界、ヴァイオリンがあるんだな。いや、俺の知ってるヴァイオリンと同じものかはまだわからないか)
ヴィクターは頭の中でひょうたん型の楽器を思い浮かべる。オムレツだってイメージと違っていたのだ、ヴァイオリンと呼ばれているものがカスタネットだったとしても驚きはしない。
「ちょっと興味はあるけど…留まれるお金もないし、買い物したら明日には街を出ちゃいましょう」
「そうですね」
ヴィクターは、音楽にさほど興味がなかった。特にヴァイオリン演奏会などは少しお堅い感じがするし、ドレスコードなども気にする必要があるし、敷居の高さも感じていた。クラシックは好きだったが、演奏会には行かずにCDで満足しているような人間だった。
◇
必要な食糧と羊皮紙などを買い込んだフランシスカは、それらをすべてヴィクターに持たせて、馬車へ戻ろうとしていた。
「…なんだか、いい匂いがするわね」
肉の焼けるその匂いに、フランシスカは足を止めた。少し先の露店で料理を出しているようだ。かなりの人だかりになっていた。その人だかりから出てくる人を見ると、何やら串焼きのようなものを持っている。
「へえ、アンティクーチョなんて売ってるのね」
「アンティーク…?」
「アンティクーチョよ。牛の心臓をたれに付け込んで焼いた料理」
「牛の心臓、ですか」
つまり、ハツの串焼きのようだ。名前からは想像できなかったが、自分の世界でも普通に食べられている料理でヴィクターは安心した。
「まさか、心臓も食べられないとか言い出すわけ?」
「いえ、動物の心臓を使った料理は食べたことがあるので、大丈夫です」
「…へえ」
フランシスカは一瞬だけ神妙な顔をしたかと思うと、すぐに笑顔に戻った。
「ちょうどお昼時だしね。今日はアンティクーチョにしましょうよ」
「ええ、構いません」
「私も大丈夫です」
「魔王ちゃんは?」
「ん~?なんでも構わんぞ」
4人の意見が一致し、フランシスカは人だかりの中に入っていった。
「はい、イヨちゃん、魔王ちゃん、ヴィクター」
フランシスカは買ってきた串焼きを3人に渡した。串焼き、とは言ったものの日本の飲み屋で出てくる串焼きとはサイズが違った。まるでアメリカのバーベキューでふるまわれる串焼きのようだ。
(こりゃ、けっこうがっつり食べられそうだな)
そうして、ヴィクターが口を開けた時だった。
ドンっ
「きゃあ!」
ヴィクターに、突然誰かがぶつかってきた。当然、ヴィクターはびくともしなかったが、相手の方はしりもちをついてしまった。
「すみません。大丈夫ですか?」
ヴィクターが手を差し伸べようとしたが、串焼きと荷物で両手がふさがっていてどうにもできなかった。その逡巡の間に、転んだ相手にイヨが手を差し伸べる。
「ありがとうございます」
立ち上がったその人物は、フードを深くかぶっていて顔はわからなかった。しかし、声から女性であることはヴィクターにも判断できた。女性の服には、串焼きのたれがべったりとついてしまっていた。
服の汚れに気づいた女性は、さっと手をかざしてその汚れを消した。以前フランシスカも使っていた魔法だ。
「すみませんでした」
「いえ、ぶつかったのは私のほうですから」
ヴィクターの問いに答えた女性は、突然彼の腕をぐっと引っ張った。
「大したことはできませんが…せめてお詫びをさせてください」
「え、ちょ、ちょっと」
ヴィクターは引っ張られるがままに女性と一緒に裏路地へと進んでいく。当然簡単に振り解くことはできるのだが、女性の手を無理やり振り払うのに気が引けていた。
「ちょっと、待ってよ!」
フランシスカ達もヴィクターを追いかけてきた。しばらく裏路地を歩いて、表の喧騒も聞こえなくなったところで女性は止まった。
「ちょっとあなた、いきなり何なのよ、そいつは私が雇ってるヤツなの。勝手に連れていかないでくれる?」
(あ、そういえばそういう設定だったな)
自分とフランシスカの雇用関係を思い出して、ヴィクターは心の中で独り言ちた。
「本当に申し訳ありません。あまり一目につく場所では話せないので…」
そういった女性は、深くかぶっていたフードを外してヴィクターたちに顔を見せたのだった。
(ふーん?)
女性はヴィクターが見たところ20歳前半くらいに見えた。残念ながらヴィクターの守備範囲には入ってこない。せめて後5年ほど会うのが早ければ、もてあそびたい女の子の一人になっていただろう。
「エレジー・ランチェスター…」
「え!?」
フランシスカのつぶやきを聞いて、ヴィクターは思わず目の前の女性を二度見した。エレジー・ランチェスター、この街が今活気づいている原因。そして、自分たちが宿屋を取れなかった原因。その人が、今ヴィクターたちの目の前にいるのである。
「よかった。ご存じだったんですね。街の外から来られたようだから知らないかと」
「以前、演奏を聞かせていただきました。フランシスカ・シェリーです」
「私はイヨと言います」
「ほら、魔王ちゃんも自己紹介して」
「自己紹介ってなんじゃ?」
「え~と…」
フランシスカと魔王の会話をしり目に、エレジーは視線をヴィクターへと向けた。はっとして、ヴィクターは自分の名前を名乗る。
「あ、ああ。私はヴィクターと申します」
「そう。ヴィクターさん。先ほどはぶつかってしまい申し訳ありませんでした」
「いえ、お気になさらずに」
エレジーは自己紹介を終えたヴィクターの瞳を、じっと見つめていた。
「あの…」
「すみません。とてもきれいな瞳だったのでつい」
「そ、そうですか」
(きれいな瞳とか生まれて初めて…前の世界も含めて初めて言われたぞ)
先ほども言った通り、エレジーはヴィクターのストライクゾーンとは外れた年齢だった。しかし、一般的に言えば美人であったし、ヴィクターもそれは理解できていた。そんな彼女から見つめられると、さしものヴィクターも少し照れ臭かった。
「お詫びと言っては何ですが、この街のことを案内させていただけませんか」
「え?」
エレジーの言葉に食いついたのはヴィクターではなくフランシスカだった。魔王に「自己紹介」について教えるのを中断し、エレジーへと向き直る。
「それはぜひお願いしたいです。私もこの街のことを知りたいと思っていたので。ヴィクターも、そうよね」
にっこりといい笑顔をフランシスカが向けてきたので、反論は意味がないと悟り、「もちろんです」と返しておいた。
◇
エレジーは、ヴィクターたちに街の様々なところを見せて回った。おしゃれなカフェ、織物の店、ワイン商。それからこの街のご当地料理らしい奇妙な形のマカロニ(包装済みのラムネ菓子のような形をしていた)。そして昔からこの街に伝わる歌。どうやら昔の言葉らしく、ヴィクターたちにはいまいち理解できなかったが、どうやらパンドーラ山の美しさを歌ったものらしい。
日が傾き、空がオレンジ色に染まる時間になってエレジーはこの街で一番高い場所、時計塔に上っていた。
「おお」
時計塔からは、今まで回ってきた街の姿が一望できた。左に湖、右にパンドーラ山。さながら一枚の絵画のようだ。
「私はここで生まれて、ここで育ってきたんです。きっとこの街に生まれなければ、今のようにヴァイオリニストとして大成することもなかったと思います」
「確かに、素晴らしい街ですね」
「そうでしょう?」
エレジーは、再びヴィクターの瞳をじっと見つめてきた。蛇に睨まれた蛙のように、ヴィクターはその目線から逃れることができなかった。
「覚えていてくださいね。この素敵な街のことを…」
エレジーの瞳は慈愛に満ちていた。その瞳に見つめられると、なんだか気恥ずかしくなる。ヴィクターは自然と、エレジーから目を逸らしてしまった。
「もちろん、忘れはしませんよ」
果たして目を逸らした後のその言葉に、どれほどの説得力があったことか。ヴィクターはエレジーの顔色をうかがうことすらできなかった。当然、2人の様子を訝しそうに見ているフランシスカにも気づくはずがなかった。
最後に案内したい場所があるとエレジーは4人をとある建物に連れて行った。そこは、どうやらまだ工事中の様子だ。
「もしかして、もうすぐ完成する劇場ですか?」
「知ってらしたんですか?そうです。パンドーラ・スクエア・ルームズ。街のみんなが、私が十二分に演奏できる環境をこの街に作りたいって言ってくれて…」
フランシスカの問いに、エレジーが答える。建物の中へ入ってみると、本当に未完成なのか疑わしいほどしっかりとした劇場になっていた。
「みなさん!ありがとうございます!」
エレジーのその言葉に、建物中にいた大工たちが一斉に振り向いた。
「エレジーちゃん!お望み通り、中の方を優先して片付けといたよ」
「ここでの演奏会、楽しみにしてるよ」
次々と声をかけてくる大工たちに頭を下げて、エレジーは感謝の言葉を伝える。
「こちらこそ、わがままを聞いていただいてありがとうございました」
「いいってことよ。ネズミがいなくなった分、作業がスムーズに進んだしな」
「…ネズミ?」
大工の言葉に、フランシスカが反応した。
「すみません。先ほどネズミがいなくなったと言ってましたけど…」
「ん?ああ。この街はいつもけっこうネズミがいて、木材をかじってダメにしちまうことが多くあったんだが、最近はさっぱりと見なくなってな」
「ちょっと前まで例年よりも多い!ってんで大騒ぎもしてたんだがよ。これもエレジーちゃんが街に来てくれたおかげかもな」
「穀物荒らされちまって、サンチャゴのじいさんが泣く泣く養えなくなった牛を殺してアンティクーチョにして売ってるらしいぜ。やり切れねぇよなあ」
「…そう、ですか」
大工たちはエレジーと一通り話すと、今日の作業はここまでらしく引き上げていった。
「先ほどのお詫びの件なんですけど」
「え?はい」
「明日、朝の8時にここに来ていただけませんか?ヴィクターさんに、この劇場で弾く私のヴァイオリンを聞いてほしいんです」
輝くような笑顔だった。だが、ヴィクターは即答が出来なかった。何しろ、明日にはもうこの街を出ていくことをフランシスカと決めていたのだから。ちらりとフランシスカを見ると、何やら不満げな顔でヴィクターをにらみ返していた。
「え、えーっと」
「エレジーさん。その演奏会。私たちも聞いてもいいかしら」
「え!?」
てっきり断るべきかと思って口を開いたヴィクターは、フランシスカの言葉に耳を疑った。
「…」
フランシスカの言葉を聞いたエレジーは、少しの間顔を曇らせた。うつむき唇をきゅっと閉めた後、劇場内を沈黙が支配する。
(え?何この空気!?)
おそらくは一瞬だったであろうその沈黙を、ヴィクターはかなり長い時間に錯覚した。心なしか胃痛がしている気もしてくる。
「…わかりました」
再び顔を上げたエレジーには優しい微笑みが戻っていた。フランシスカもその答えを聞いて、笑顔で感謝を伝える。その間に挟まれたヴィクターは、なんとか丸く収まったことに安堵していた。
(なんかわからないけど、フランシスカちゃんの許可が出たんだからいいだろう!)
ヴィクターはいつものように考えるのを放棄した。そして、エレジーとフランシスカの間に流れる、奇妙な空気も見て見ぬふりを決め込むのだった。
◇
タルティーニの街を案内された日の夜。ヴィクターが寝た後にフランシスカはイヨと一緒に魔法の訓練を行っていた。イヨが見たところ、フランシスカの魔法の才能はなかなかのものだった。
「ねえ、イヨちゃん」
訓練の手を止めて、フランシスカはイヨに問いかけた。
「エレジー・ランチェスターだけど、どう思う?」
「あやしいですね」
「…やっぱり?」
ヴィクターはどうやら気づいていなかったようだが、彼とぶつかったときのエレジーは明らかにわざとだった。もしかして、あの魔法使いの変装かとも思ったが、イヨ曰く違うらしい。
「何のためにヴィクターを連れまわしたのかしら、おまけに演奏会も。イヨちゃん、なにか心当たりとかある」
「いえ、私もエレジーさんについては何も知らないので…」
「そう。そうよね」
「フランシスカは何か心当たりがあるんですか?」
イヨの問いに、フランシスカは若干言うのをためらった。実は、1つだけもしかしたら、という理由が思いついてはいるのだ。しかし、それを言うのは…なんとも抵抗があった。
1回息をはいて、フランシスカは答える。
「その…一目ぼれ…とか?」
「え!?」
イヨは思いがけない答えに目を丸くして、今よりも一段小さな声になる。
「あ、あれってそういうことだったんですか!?」
「いや、私も確信があるわけじゃないけど。無理やり出会ってあそこまでするって…」
「たしかに演奏会を個人のために開こうとするなんて、ただ事ではないですね」
「そうでしょ?」
エレジーはこの世界でヴァイオリニストの頂点と言ってもいい人物だ。1回の演奏で羊皮紙職人が一生で稼ぐだけの金が動くとも言われている。貴族の中には彼女のパトロンになっている人物も何人かいるらしい。そんな人物がタダで演奏を披露しようというのだ。今日出会ったばかりの、一人の男に対して。
「なんにせよ気になるわ。ただの一目ぼれだっていうんなら、まあいいんだけど」
そういいながらも釈然としない思いを抱えたままでフランシスカは魔法の訓練を再開するのだった。




