愛の寓意②
フランシスカが城の小部屋に行くと、そこにはヴィクターと団長が座っていた。お互いに目を合わせていないところを見ると、特に会話などもしていなかったようだ。
ヴィクターはフランシスカに気づくと、すぐに立ち上がり近づいてきた。
「フランシスカさん、大丈夫でしたか?」
「ええ、街中でグリーグ伯爵と会って城に招待されてただけ。どうして私の場所が分かったの?」
「それは団長さんが」
フランシスカが目を向けると、団長が少しだけお辞儀をした。
「どうして団長さんが?」
「ああ、フランシスカさん知らないんですね。イヨさんが首都に用事があるようで、代わりに」
「そういうことね」
そこからヴィクターは、少し声を潜めて会話をしはじめる。
「フランシスカさん。あまり一人では出歩かない方がいいですよ。この前の魔法使いのこともありますし」
「一人じゃないわ、魔王ちゃんがいる。強いんでしょう?」
「ええ、まあ強いんですが…」
ヴィクターはフランシスカと一緒に部屋に入ってきた魔王を見た。今はテーブルの装飾に夢中のようだ。
「いざというとき、守ってくれるかどうかまでは分かりません」
「…」
今度はフランシスカが魔王を見つめる。
「魔王ちゃんが、私を見捨てるってこと?」
「いえ、そういうことが言いたいわけではないんですが…」
「すみませんね、私が城に招待したばかりに、心配をかけてしまったようで」
2人の会話に突然グリーグ伯爵が割って入って来た。
「いえ、こちらこそ急に押しかけてしまい、申し訳ありませんでした」
「構いませんとも、お嬢様のご友人なのですから」
グリーグ伯爵はニコリと笑うが、フランシスカはそれを無視するように言葉を続ける。
「グリーグ伯爵。本当にありがとうございました。私たちはこれで失礼します」
「ええ、門まで送って行きましょう」
グリーグ伯爵の厚意に甘えて、4人はそのまま城の門まで送ってもらうことにした。彼らが門の前まで来たとき、門の近くに隠れるように一人の少年が立っていた。眩い銀髪、肌の白さと相まって、まるでそこだけ色が消えてしまったかのような錯覚を起こす。
「これはちょうどよかった。お嬢様、ご紹介しましょう。これがあの肖像画を描いた絵師ですよ」
「えっ!?」
フランシスカは目を見開いた。あの絵の精巧さからかなり年上を想像していたが、少なくとも20にも達していないように見える。グリーグ伯爵に紹介されたその少年は薄く笑ったように見えた。
「アルブレヒトです。よろしく」
「…フランシスカ、フランシスカ・シェリーです。お見知りおきを」
2人は数秒間、グリーグ伯爵がしゃべりだすまでお互いを見つめていた。
「これが素敵な出会いになれば、私も嬉しいですよ。ところでアル、なぜここに?」
「暇だったから」
グリーグ伯爵の問いに、アルブレヒトと名乗った少年は簡潔に答える。そして、視線を再びフランシスカの方に戻すと、独り言のようにこうつぶやいた。
「来てよかった。これから暇じゃあ無くなりそうだ」
「ほお、どういうことかな?」
グリーグ伯爵の問いには答えず、アルブレヒトはフランシスカの前で片膝をつき、彼女の手を握った。突然のことに、フランシスカは全く反応できなかった。
「あなたの肖像画が描きたい。フランシスカ」
◇
「それで、明日から肖像画のモデルになることになったと」
「ええ、そうなのよ…」
「あまり乗り気じゃないんですか?」
「別にこの街に長居するつもりなんてなかったもの」
グリーグ伯爵の城から戻ってきた後、宿でイヨと合流したフランシスカは事の顛末を説明した。突然の申し出であったが、アルブレヒトの言葉を聞いたグリーグ伯爵が舞い上がってしまい、フランシスカにぜひモデルになってほしいと頼み込んだのだ。結局フランシスカはその頼みを断れず、今に至る。
「まあ、モデル代ももらえるらしいから、かまわないけど」
「それまでは、毎日アルブレヒトさんのアトリエに行くんですか?」
「ええ、そうなるわ」
会話の途中でお腹が減っていることを自覚したフランシスカは4人で食事に行くことを提案した。4人の泊まっている宿は一階が食堂になっていたから、手っ取り早くそこで済ませることにした。
出てきた料理はパンとソーセージだった。パンの方は若干黒っぽい色だった。おそらく小麦だけ選り分けているわけではなく、エンバクも紛れていたのだろう。一般家庭で作られるパンならよくあることだと、フランシスカは言った。
ヴィクターが興味を抱いたのはソーセージの方だった。彼が知っているソーセージよりもずいぶんと赤い…いや、黒いと言ったほうが正確だろう。とにかく、彼が元の世界で見てきたソーセージとは違っていた。保存状態が違うせいかと思ったが、どうやら違うらしい。
「ソーセージの色?血を詰めてるんだから当然でしょ」
「血!?」
「どうかしました?ヴィクターさん」
カルチャーショックである。基本的にソーセージと言えば肉を詰めているものだという考えがあったが、なんとここでは血を詰めているのだ。だが、これと同様の食べ物は今でもヨーロッパ各地やモンゴルでも食べられている。家畜を余すことなく使い切ろうとする、人の知恵である。
「…」
「なに?虫がダメ、の次はソーセージも食べられないの?」
「う…」
かなり抵抗感があるものの、虫よりははるかにましである。一口食べてみると、レバーのような味がして、意外においしい。ただ血を詰めているだけではなく、玉ねぎなどの野菜も入っているようだ。フランシスカやイヨはそのソーセージをパンの上に乗せて食べていたので、ヴィクターもやってみたが悪くない。
それらを不思議そうに見ていた魔王も、真似をして食べはじめる。
「…さすがにちょっと味気ないわね」
「たしかに、首都で食べるソーセージとは違いますね」
「きっと香辛料を入れてないのよ、高いしね」
フランシスカとイヨの口ぶりからして、どうやら首都のソーセージはこれよりもおいしいらしい。ヴィクターは先ほどまでの忌避が嘘だったようにそのソーセージも食べてみたいと思った。
食事を終え、部屋に戻ったフランシスカは再び執筆作業に戻った。魔王は、そのフランシスカの姿を横で眺めている。イヨはベッドの横に腰を掛け、目を閉じて瞑想している。おそらくはそれも魔法の練習なのだろうと、ヴィクターは解釈した。
ヴィクターは最初に床に就いた。それは、自分が起きている状態だと女性陣が安心して眠れないだろうという彼なりの配慮だった。眠るというのは、非常に気持ちがいいものだ。すべてを忘れて、何も考えず、自分が何者かもどうでもよくなる。
しかし、それは死んでいるのと何が違うのだろうか?
ふと、ヴィクターは目を覚ました。フランシスカとイヨは眠っているようだった。魔王だけがベッドにいなかったが、すぐに窓際で星を眺めていることに気が付いた。
「眠れないんですか?」
ヴィクターが声をかけると、魔王はゆっくりと振り向いた。
「お前たちは毎日眠るから驚きじゃ。人間はせわしない生き物じゃな」
「…」
なるほど、とヴィクターは自分と魔王との間にある意識の違い、というよりも生物としての違いに改めて気づかされた。彼女はイプセンの大樹林で随分と長い間眠ったままのようだった。そして、日ごとに眠る必要はないらしい。動物の冬眠のようなことだけで生きているようだ。
ヴィクターは、この機会を丁度いいと考えた。彼は、魔王にある依頼をもちかけた。
「…魔王様、少しお願いがあるんですが」
「おお、なんじゃ。セックスさせてくれとかか?」
「はい?」
ヴィクターは、魔王から出てくると思っていなかった単語に面食らってしまった。しかし、なぜそのようなことを魔王が言い出したのかは予想がついた。
「あの、もしかしてフランシスカさんから何か言われました?」
「そうじゃそうじゃ。2人きりになった時おぬしがセックスさせてくれと言ってきても断るように、と言われているぞ」
「そう、ですか…」
今までの言動などから仕方がないとはいえ、ヴィクターは若干傷ついた。だが、たしかに魔王は、というより魔王の体は非常に魅力的に映る。フランシスカやイヨと比べて若干年上の雰囲気ではあるが、ロリコンであるヴィクターの許容範囲に収まっている。胸は2人よりも大きそうだったが、彼は別に貧乳好きというわけではないのでそれは些細なことであった。
一番の問題は、魔王が何をしても動じなさそうという点だった。今、とつぜん魔王の胸をもんだとしても、「何しとるんじゃ?」と言って抵抗することもないだろう。セックスを断るように言われているが、そもそもセックスというものがなんなのかもわかっていないかもしれない。
そこが、サディストであるヴィクターにとって決定的に受け入れがたい部分であった。
ヴィクターはそんな考えを振りかぶって、本題に戻ろうとした。
「セックスの話ではないんですが、魔王様にフランシスカさんを守っていただきたいと思いまして」
「守る?」
「はい。彼女が危険な目にあっているときは助けてほしいんです」
「…」
魔王は、ヴィクターのお願いを聞いて、目を丸くしたあと少し考えるような動作をした。
「それは、フランシスカ自身がやればいいことではないのか?」
「それが出来ればいいんですが、彼女はそんなに強くはない。誰かが守ってあげる必要があります」
「なるほどのぉ、たしかに以前泣いておったな」
フランシスカが泣いていたという話をヴィクターははじめて聞いた。詳しく魔王を問いただしてみたかったが、フランシスカは聞かれたくないだろうと考えて踏みとどまった。
「あい分かった。私がフランシスカを守ってやろう」
「ありがとうございます」
これで、ヴィクターは当然として魔王もフランシスカを守るように動くことになる。それはヴィクターを安心させた。イヨも、ソレイユ帝国の法を守ろうとする限り、労働者であるフランシスカを死なせるようなことはしないだろう。
安心したと同時に、ヴィクターに再び眠気が襲ってきた。
「私は、寝ます」
「ああ」
ベッドに横になると、すぐに意識が薄れていく。ぼうっとした中で見た魔王は、最後にヴィクターに笑いかけていた、ように見えた。
◇
翌日、フランシスカはアルブレヒトのアトリエに向かった。ヴィクターが一緒に付いていくと話したが、いつもいつも付きまとわれるのはイヤだったのでフランシスカは断った。代わりに、今は魔王と一緒だ。
アトリエは街のはずれ、一見して小さな林にしか見えない場所にあった。
「やあやあ、早かったね」
アトリエに入ると、なぜかグリーグ伯爵がフランシスカを出迎えた。
「グリーグ伯爵、なぜここに?」
「なに、彼がやる気を出しているみたいだからね。母親以外の肖像画を描きたいなんて…もしこれがうまくいけば、私の肖像画だって描いてくれるかもしれない」
グリーグ伯爵が昨日舞い上がっていた理由はこれだった。自分の肖像画を描いてもらうという目的に、一歩近づいたのだ。
「では、私はこれで」
「?もう帰られるんですか?」
「本当は彼の作業を見ていたいが…先ほど気が散るからやめてくれと言われてしまってね。すごすごと退散するよ」
肩をすくめるグリーグ伯爵だったが、その表情は晴れやかなものだった。彼によろしく、と言い残して伯爵はその場を離れた。
「来てくれたんだね、フランシスカ」
伯爵と入れ替わるように、アルブレヒトがあらわれた。彼は作業用の汚れた服を着ていて、準備万端といったところである。
「そちらの子は?」
「ああ、この子は私の友人。絵を描くところを見せてあげたいのだけど…」
「…気が散るから、あまり好きじゃないんだ。近くの部屋にいる分なら構わないけど」
「魔王ちゃん、それでもかまわない?」
「ん?ああ、構わんぞ」
魔王を近くの部屋に残し、フランシスカとアルブレヒトは肖像画を作るための作業場に移動する。広く、高い天井、そして多くの光を取り込むために開けた窓際。その部屋の中心に豪華な椅子がつけられていた。
「あれに座ってほしい」
言われるがまま、フランシスカは椅子に座る。アルブレヒトは木製の三脚にキャンバスを置き、絵を描きはじめた。彼は、羽ペンの他に葦筆も使っていた。だが、彼が使うインクはただ一種類。黒いインクだけだ。
「一ついいかしら」
「何かな。描きはじめたら、あまりしゃべりたくないんだけど」
「どうして、黒いインクしか使わないの?」
「…そうだね。理由を聞かれると困るけど」
アルブレヒトは、フランシスカから一度視線を外して外の風景を見た。
「お母さんの色だからかな」
それっきり、アルブレヒトは口を開かず、黙々と作業に打ち込んだ。フランシスカもその言葉の真意を問いただすことはなかった。




