黄黒病③
朝はひどく冷えていた。医者のディディエは患者の対応に忙殺され、落ち着いたのは昼過ぎになってからだった。その時には街全体を太陽が照りつけ、建物の影との幾何学的な模様が一種の芸術を作っていた。
墓地にはディディエとヴィクター、そしてイヨが来ていた。フランシスカと魔王は黄黒病患者のめんどうを見ていて、この場には不在だ。
「昨日私が患者さんを埋めたのはここですね」
「…以前私が患者を埋めた場所と同じだ。暗がりで見えなかったということは無いんですか?」
「昨日は晴れていて、星の光もあったので空だったのは間違いないです」
ディディエとヴィクターは状況を確認し合い、やはり何者かが墓から死体を持ち去った可能性が高いことをはっきりとさせた。
「しかし、理由が分からない」
ディディエの疑問はもっともなものだった。数人の死体がすべて消え去る。なんのために、誰がそんなことをしたのか?
昔話のように悲しみにくれた近親者が掘り起こした可能性もあるが、掘り起こしたすべての死体を持ちだす理由が分からない。
(まさか屍姦好きの奴の犯行とかじゃないよな…)
ヴィクターの頭に一瞬嫌な想像が湧く。ヴィクターは強姦など女性の人権や尊厳を踏みにじるような行為は好きだったが、反応の返ってこない屍姦などは全く理解の及ばない行為だった。
さしものヴィクターも、医者とイヨがいるこの場でその可能性を口に出すのは憚られた。
少なくとも、間違いなく死体が盗まれていることの確認はとれたので、3人は患者たちの対応へと戻って行ったのだった。
◇
イヨが作った抗生物質のおかげで、感染者の死亡率は大幅に下がった。しかし一週間、二週間、そして一か月と経つうちに、奇妙なことが判明してくる。
「黄黒病の感染者が一向に減らない…」
ディディエがぽつりとつぶやいた。患者は助かっている。だが、感染者が全く減らないのである。街の人たちは独自にネズミの駆除部隊を編成し、成果を上げてはいた。「物資」の一つとしてグリーグ伯爵から提供されたネコも街を徘徊し、むしろ近隣の街よりもネズミが少ないのではないかと思うほどである。
だが、感染者は減らない。ディディエはある一つの仮説を立てていた。
「感染源はネズミではないのかもしれない」
「何か心当たりがあるんですか?」
「…」
ヴィクターの問いに、ディディエはしばらくの間押し黙った。
「元々ネズミが感染源というのは一つの可能性にすぎません。以前黄黒菌がネズミの血液中から見つかったため、それをノミが媒介して感染が広がっている、というのが有力な説になっているだけです」
「なるほど」
「別の生き物が感染源だと仮定すると、可能性があるのは…」
ディディエが想定した中でもっと最悪なものは、提供されたネコに黄黒菌が感染している可能性だった。他にもイヌ、ウマ、ウシなどの可能性も考えられた。これらをすべて調査、もしくは駆除してしまうのはあまりに現実的ではないため、ディディエは媒介であるノミを駆除する方針に打って出た。
つまり、清掃である。家の清掃、そして動物たちの洗浄。街の人たちも協力し、その清掃作業は始まった。家の掃除、特にベッドを殺虫効果があるという菊を浸した水を使って洗う光景がどの家庭でも見られるようになった。フランシスカ達も含めて、自分たちのウマも洗って、ノミを落とす。
ウマやウシは素直に体を洗わせてくれるのだが、厄介なのは猫だった。特に誰が飼い主だというわけでもなく、ネズミ対策のために街中にいるため、そもそも捕まえるのが困難だった。また、捕まえても体を洗おうとするととにかく暴れるのである。結局のところ、ネコの対応にはイヨが魔法を使って当たることになった。
そうして、また一週間、二週間、そして一か月が過ぎた。
ディディエの目の前に貼られた感染者数の推移は、その努力が全くの無意味だということを示していた。
「…分からない。一体これは…」
「…もしかすると、感染源の動物なんていないのかもしれません」
頭を悩ますディディエを見て、イヨはそう口にした。
「感染源の動物がいない?それはどういうことです?」
「それを言う前に約束してほしいことがあります。これから言うことは機密に該当するものなので、もし口外すれば帝国の法の下に裁かれます」
その言葉を聞いて、場の空気が変わった。フランシスカは念のために、と該当する刑罰に付いて聞いた。
「もちろん、極刑です」
つまり、他言したら殺すということである。
「構いません、私一人でもいい、教えてください」
最初に同意したのはディディエだった。
「私も構わないわ」
次にフランシスカ。
「私も構いません」
そして、ヴィクター。
魔王はというと、ガラスに映った自分の顔を見て、変顔などを試していた。
「…魔王ちゃん。ちょっといい?」
「ん?なにかの?」
「申し訳ないんだけど、ウマの体を洗ってあげてほしいの。一人でもできるわよね?」
「ああ、構わんぞー」
魔王はフランシスカとの会話が終わると医者の家の外に出ていった。
(随分とフランシスカちゃんに懐いちゃったな…)
素直にフランシスカの言うことを聞く魔王を見て、ヴィクターは少しだけその関係性に嫉妬した。
「いいわよ、イヨ」
「わかりました」
イヨはふぅ、と一呼吸してからその機密をしゃべりはじめた。
「黄黒菌は…魔法で作り出すことができます」
「…え!?」
その衝撃的な告白に、3人は完全に固まってしまった。
「魔法で!?そんなことができるの!?」
最初に硬直から抜け出したフランシスカがイヨを問い詰める。
「可能です。黄黒菌のような単純な生命体は魔法で作り出せることが証明されています。それでもかなり難しい魔法となるので、第一魔法騎士団以上でなければ不可能ですが…」
フランシスカは、その言葉を聞いてあの魔法使いの顔が浮かんできた。
「特別魔法騎士団クラスの人間であれば…道を歩きながらすれ違いざまに、相手の体内に黄黒菌を作ることもできます」
「そ、そんなことが…」
ディディエは、今まで知らなかった事実に驚愕の表情であった。
「しかし、そんな、何のために?」
「可能性の話でしかありませんが…例の墓荒しと関係しているかもしれません」
墓地から死体が無くなる事象は、今でも数件発生していた。もっとも、死亡者数がガクッと減ったためにその件数も少なくなったのだが。
「何者かが死体を必要としていて、そのためにこの街に黄黒病を流行らしていたってこと?」
「はい。可能性の話ですが」
「いえ…心当たりがあるわ。黄黒病を振りまいている奴に」
「え…?」
今度はイヨが驚愕の表情でフランシスカを見つめた。それは、ヴィクターも全く一緒だった。
「街が閉鎖されたあの日、私見たのよ。ポリドーリ伯爵に協力していたあの魔法使いが馬車に乗っているのを」
「あいつがっ!?」
思わずヴィクターは声を張り上げた。あの魔法使いがいたということへの単純な驚愕だけではない。街の中なら安全だろうと今までフランシスカの守りを緩めていたが、それが誤りだったのだと今自覚したのだ。
「ええ、あいつも第一魔法騎士団並の実力を持っているから作ることは可能なはず。なぜこんなことをしているのかは分からないけど」
「理由を聞くのは捕まえてからで遅くありません。早速今日から墓地を見張りましょう」
「見張るにしても、死体が無いと盗みにも来ないでしょう?」
「…そうでした」
イヨは少しだけ顔を赤らめた。
「でも、見張るのはいい方法かもしれない」
フランシスカはにやり、と意味深に笑った。
◇
男は音を殺して墓地へと足を踏み入れた。死体が埋められている場所に一目散に向かうと、シャベルを使って新しく埋められた死体を掘り起こす。死体自体の損傷は大した問題ではないので、特に力加減をすることなく掘っていると「ガキン」と金属にでも当たったかのような衝撃が男を襲った。
(なんだ…?今回から鉄の棺桶に入れて埋めてるのか?ははっもしかして俺への対策か?)
いつもはただ布でくるんでそのまま墓穴に埋められているだけだったが、今回はどうやら違いそうだと男は思った。シャベルを使って土をどんどん除いていくと、そこにはいつもと同じように布でくるまれた死体が出てきた。
(ん?なんだ、さっきの金属っぽい感触は何だったんだ…?)
不思議に思いつつも、仕事を終わらせるために男はその死体を墓穴から取り出そうとする。
その時だった。
突然死体が動きだし、男の腕を鷲掴みにしたのである。
「ぎゃああああああああああああああッ!!!」
街中に轟くかと思われるほどの大声で叫んだ男は、同時に全力で死体に蹴った。
「ああああああッ!!」
叫びながら全力で死体を蹴るが、その死体からは金属のような硬さしか伝わってこない。まるで生き物の感触がしない。
(堅ッ、堅ァッ――!?)
半狂乱になりつつも、なおもあきらめずに男は蹴りを続ける。もはや悪あがきに近かったその足を、死体はもう片方の手でつかみ取った。
「うわぁ!」
バランスを崩した男は、その場に転がった。必死に立ち上がろうとするその姿に、突然声が降りかかる。
「諦めてください。逃げられませんよ」
それは、死体から発せられていた。
「ひ、ひえええぇえええぇええぇえ!?」
死体は歩きながら自身の布を外していく。そこには10代と思われる黒髪の少女――イヨ――の姿があった。
フランシスカが考えた作戦は、死体のふりをしてあらかじめ墓に埋められておくというものだった。普通であれば実現不可能であるが、イヨはあの状態からでも呼吸が可能なように魔法を使っていたのである。
「あなたが死体を持ち去っていた犯人ですね。そして、この街に黄黒病を流行らせた…」
「へぇ!?い、いや俺は…」
「釈明は法廷で聞きます。どのみち法外の行動で帝国民を殺害したあなたは極刑だと思いますが」
「ち、違う!俺が殺したんじゃない!」
「ですから、それは…」
イヨが男をたしなめようとしたとき、近くで隠れて様子を見ていたフランシスカが男の元に走ってきた。
「フランシスカ!危ないですよ」
「…!やっぱり違う!こいつ、あの魔法使いじゃないわ」
「え!?」
フランシスカが確認したその男は、あの初老の魔法使いとは全く違っていた。
「姿を変えているだけかもしれませんよ。以前そうだったんですよね?」
いつの間にかフランシスカの傍らにいたヴィクターが警戒して言った。確かに、あの魔法使いは以前バイロン伯爵に化けていたことがある。
「そうね、でも…」
フランシスカはその男をじっと見つめる。
(ヴィクターを見たのにおびえた表情も反応も見せない…あれだけコテンパンにやられた相手なのに)
「お、おれは頼まれただけなんだ!日付と場所を指定されて、そこの死体を持って来いって!」
「…誰に?」
「それは」
パンッ
何かがはじける音。
フランシスカはその時、確かにはっきりと見た。
目の前の男の頭が突然はじけて、彼岸花のように赤が広がる光景を。
「ひっ…」
フランシスカはのけぞって尻もちをついた。だが、彼女の体には血の一滴もかかってはいなかった。
「大丈夫ですか、フランシスカさん」
フランシスカと墓荒しの間に、ヴィクターが割り込んだのだ。
「はは、あれを見て大丈夫なわけないでしょ…あんたがうらやましいわ」
「いえ、すみません。正直私も気持ち悪くて、今吐きそうです…」
「ちょ、ちょっと今は絶対に吐かないでよ!?」
2人が言い争っているうちに、イヨは男の死体を確認しはじめた。
(頭蓋骨が粉々になっている…間違いなく魔法によるもの。でも、街中を確認したけれど魔法を放ったような術者は見つからなかった…)
(この街の外から魔法を使って正確にこの男の頭を破壊したにせよ、特定の条件で爆発する魔法をこの男にかけて維持していたにせよ、間違いなく特別魔法騎士団クラスの魔法使い)
おそらく黄黒病を作り上げたのもこの男を殺した魔法使いと同じだろう。イヨは、このことを団長と皇帝に報告する必要があると判断した。
「イヨ、イヨ」
頭の中で考えを巡らせていたイヨに、突然魔王が話しかけてきた。
「何ですか、魔王さん」
「さっきの頭がパっとはじけるやつ綺麗じゃったな。人間はみんなあれができるのか?」
「…」
イヨもフランシスカもヴィクターも、魔王のその問いかけに答えることができなかった。
◇
墓荒しが死んだその日から、黄黒病の発生もぴたりと止まった。一週間後には危機は去ったとみられ、街の閉鎖は解除された。
「本当に、いろいろとありがとうございました」
ディディエはイヨ達に深々とお辞儀をした。
「特別魔法騎士団として、当然のことをしたまでです」
イヨも、ディディエに対して、深々とお辞儀をする。それにつられてヴィクターもお辞儀をした。
フランシスカ、イヨ、魔王、そしてヴィクターは二か月近くも滞在した街からついに離れることになる。
「ずいぶんと足止めされちゃったわね。まあ、別に何かを急いでいるわけでもないけど…」
「次の行き場所は決まっているんですか?」
「グリーグ伯爵の城があるコジモに行きましょう。いろいろ買い足したいものもあるしね」
イヨはすでに次の目的地を決めていた。ヴィクターもイヨも、当然だが魔王もその方針に文句はなかったので、一行はコジモへと向かうことになった。
馬車でついに出発しようかというとき、ヴィクターは自分がこの街のことを何も知らないことに驚いた。ずっと黄黒病の対応に忙しかったとはいえ、二か月もいた街のことを何も知らないというのは、何だか皮肉であった。
だが、それでいいのだろうとヴィクターは思った。きっとヴィクターがこの街を知らないように、この街もヴィクターを知らないのだ。
それでいい。流れ者のことなんて、覚えていたって良いことなんて何もない。別れが寂しくなるだけだから。




