黄黒病②
医者の家の前に到着したヴィクターは、ツンとした刺激臭を感じ取った。
(なるほど、これは…)
中の惨状を想像し、一瞬扉を開けるのをためらう。だが、そんなヴィクターの気持ちを無視するかのようにイヨは躊躇なく扉を開けた。
扉を開けた瞬間、刺激臭はさらに強さを増した。それと同時に、獣のような唸り声と暗く重い空気がヴィクターへと吹きすさぶ。
「行きましょう、ヴィクターさん」
「ええ」
扉の前で止まっていたヴィクターをイヨが促す。ヴィクターはできるだけ自分の感情を表情に出さないようにして、その家の中へと一歩踏み込んだ。
ヴィクターとイヨは家の中を進む。その頼りにするところは、次第に大きくなっていくうめき声だった。ヴィクター達は、ある一室でおそらく医者と思わしき人物が患者に注射を打っている場面に出くわした。
「この街のお医者さんはあなたであっていますか?」
注射が終わると同時にイヨはその人物に声をかけた。突然のことに勢いよく振り向いた男は50代くらいの見た目をしていた。
「…あなたたちは?」
「わたしは魔法騎士団です。黄黒病による街の閉鎖をお聞きしました。抗生物質を作ることができるので、お手伝いします」
イヨは、会話と同時に手に持っているペンダントを見せた。それは、魔法騎士団の所属を証明するものだった。
それを見た男は、驚愕に目を見開くとイヨに詰め寄った。
「ありがたい!まるで足りていないのです。領主様に手配をお願いしていますが、それも時間がかかりそうで」
「わかりました。早速作成にかかります。この人は魔法騎士団ではありませんが、力仕事であればまかせてください」
イヨの紹介で初めて医者とヴィクターは目を合わせた。お互いに小さくお辞儀をし、医者が口を開く。
「医療経験はおありで?」
「いえ、まったく」
「わかりました。…では患者の移動をお願いしたいです。かなり堪えると思いますが…」
「大丈夫です。人ひとりくらいであれば余裕です」
「…そういう意味ではないんですが、お願いします」
ヴィクターは、医者の言い淀みの理由をほどなくして知ることになる。患者の移動と言っても、それは死んだ患者を埋葬まで別の場所に移動しておくことだったのだ。
専用の布で死体をくるんだ後、消毒液を降りかける。担架などはないので抱きかかえて移動を行う。
黄黒病で死んだ者は、医者の手によって埋葬される。どこに埋葬されたかは、家族でも知ることが許されない。かつて、死別の悲しさに耐えきれず墓を掘り起して黄黒病に感染し、一つの街が滅んだという逸話から、そうなっているらしい。
その逸話についてヴィクターに話した医者は最後に苦笑しながらこう付け足した。
「習慣がただ続いているだけです。今はもう消毒をすれば問題ないことが分かっている。でも、誰もその習慣を止めようとしないんです」
全ての死体を移動させたヴィクターには、また別の仕事が待っていた。つまり、この死体たちを夜のうちに埋葬する仕事である。黄黒病の患者は昼に埋葬してはいけない…何の論拠もないただの言い伝えだったが、これも習慣によって保護されているのだ。
夜までは時間があるので、他に何かできることはないかと病室をのぞいたが、医者は居なかった。
ふと、ヴィクターの目線は一人の患者に吸い寄せられる。それはフランシスカやイヨと同じくらいの少女だった。遠目だったが、黄疸はまだ出ていないように見える。イヨも抗生物質を作っているので、おそらくあの子は助かるのだろう。
ヴィクターには、一瞬だけ少女の姿がフランシスカと重なったように見えた。そして、ある不安が彼の心に落ちてくる。
ヴィクターは、己の強さには自負があった。おそらくこの世のどんな存在でも自分に勝るものなどいないだろうと、無根拠に確信していた。
そして、読者の皆様にだけ教えるが、それはこの時点において真実である。
だが、誰かを守ろうとするのであれば話は別だった。単純に力で攻めてくる相手であったとしても、ポリドーリ伯爵レベルの相手にすら苦戦をまぬがれない。ましてや、この黄黒病は、彼の力ではどうすることもできない。
(もしイヨちゃんが一緒にいてくれなかったら、あそこに横たわっていたのはフランシスカちゃんだったかもしれない)
そして、その場合高確率で彼女は死ぬ。ヴィクターは、何もすることができない。
(俺一人でフランシスカちゃんを守るのには限界がある。イヨちゃんは一緒に付いてきてくれないとまずい…)
そう心の中で考えていたヴィクターは、重要なことを忘れていたことに気が付いた。
今、そのフランシスカはたった一人なのである。魔王が一緒だとはいえ、彼女は果たしてフランシスカの危機に動くのだろうか?
◇
フランシスカは街の一角で溜息をついた。やはりというべきか、泊まれる宿屋は見つからなかったのである。隣の魔王は相変わらずきょろきょろといろいろなところを見渡している。
「いつまでもここに居ても仕方ないわ。私たちもヴィクター達と合流しましょう。付いてきて」
「おー、分かった」
魔王は、フランシスカの後ろにぴったりとついて移動をはじめた。街は思ったよりも落ち着いている。フランシスカ達のように宿屋が見つからなかった者も、自分の馬車で眠ることで妥協をし、混乱は生じていない。
それはこの街に元から住んでいた人々も同じであった。相変わらず自らの仕事をつづけ、生活をつづけ、平穏をつづけていた。その平穏は誰から見ても偽りなのは明らかだったが、誰もが真実から目をそむけている。
フランシスカはその光景を見て、少しだけ安堵していた。
「危ないぞ!」
突然聞こえてきた怒声の方にフランシスカは振り向く。そこでは男が馬車に向かって叫んでいた。おそらく接触しそうにでもなったのだろう。それがわかった途端、フランシスカは急速にその騒ぎへの関心を失った。
馬車の方は男を無視して、大通りをフランシスカの進行方向へと進んでいく。その馬車に乗っている人物を見て、フランシスカは思わず息を止めた。
ほんの数秒、馬車がフランシスカの前を横切る一瞬のことだったが、彼女にとっては時が突然歩みを止めてしまったかのように永く感じた。その人物は、彼女が知っている人物。決して忘れられないだろう人物。そう、両親を殺した初老の魔法使いだったのである。
「…!」
フランシスカは駆けだそうとして、すぐにやめた。
たとえ追いついたとして、一体何になるのかと感情的になった頭を冷ましたのである。
(ヴィクターやイヨちゃんがいない今、私がいることがわかったら逆に殺されるだけね…)
フランシスカの脳裏に、ふつふつとバイロン伯爵の城で受けた屈辱がよみがえってきた。冷静になった頭に、許容量以上の血が集まる感覚。それは怒りの感情だったが、対象は魔法使いの方ではない。
(情けない!2人がいなきゃ怖くて何にもできないの!?)
フランシスカは一度止めた足を、再び一歩踏み出した。そして………それっきり、全く体は前に進まなくなった。
フランシスカは泣いていた。そして、自分の情緒不安定さにほとほと呆れていた。両親を殺された恨みよりも、自分が殺されるかもしれない恐怖の方が彼女の中で勝っていたのだ。
バイロン伯爵の一件で彼女は自分の本性、決して正視できない哀れな本性に気づいてしまっていた。
帝国の法に従い、誇り高き意志を持ち、いざというときには率先して戦場に出る。それが貴族である。だが、フランシスカにはそれが出来なかった。命の危機に瀕したとき、敵に命乞いをしようとしたのだ。
それまで彼女は、自分がまっとうな貴族なのだと自信とプライドを持っていた。だが、それがズタズタにされた…いや自らズタズタに引き裂いてしまったのである。貴族としての役割を果たせないのであれば、一体自分は何なのか?見下している農民よりも劣った存在ではないのか?そんな心の声を聴くたびに、フランシスカは「違う!」と大きな声で叫ぶ。だが、自分を責める自分の声は、決して消えはしないのだ。
今もそう。
両親を殺した相手に殺されることが怖くて、一歩踏み出せない。それが情けない。
復讐のために2人の力に頼らなくてはならない。それが情けない。
自分を否定する自分の声を大声でかき消すことしかできない。それが情けない。
その感情が、彼女に涙を流させていた。
本を作るという今の目的ですら、貴族になれない自分を世界から認めてもらうために行っていることに過ぎない。それが失敗したとき自分はいったいどうするのだろうか、また別の逃避先を見つけて、まるで情熱があるかのように振舞うのだろうか?
フランシスカの心には、あの日からずっと穴が開いていた。そして、彼女自身がその穴をずっと広げ続けていた。
「大丈夫か?」
ハッとフランシスカは我に返った。目の前には魔王が、彼女の顔を覗き込んでいた。
「え、ええ大丈夫…」
フランシスカは慌てて涙を拭うと、前を見た。もう馬車は見えず、どこに行ったかも分からなくなっていた。ふぅ、と一息ついたフランシスカに、突然魔王が抱き着いてきた。
「え!?ちょっと、魔王ちゃん?」
「よ~し、よ~し」
魔王は抱き着いたままフランシスカの背中をさすりはじめた。フランシスカはいったい何が起きているのか理解が追いつかなかったが、魔王が背中をさするたびに、自分の気持ちが落ち着いていくのを感じた。
「さ、落ち着いたかの?」
「あ、ありがとう。落ち着いたわ…、あの…」
「なに、昔泣き虫な奴がおっての。そいつはこうしてやったら落ち着いて泣き止むのじゃ」
「そうなの…」
魔王の言う「泣き虫な奴」が一体何者なのか興味をそそられたが、その場では深く追求しなかった。この一件でフランシスカはある確信を持った。
一つ目は、自分のこの葛藤にいつか自分で答えを出さなければならないこと。二つ目は今の自分には、他人が必要だということである。
「ありがとう」
フランシスカはもう一度、まっすぐと魔王を見据えて、そういった。
◇
ヴィクターがいても立ってもいられなくなり、外へ出ようと扉を開けたとき、ちょうどそこにフランシスカが立っていた。
「なに、そっちはもう終わったの?」
「あ、はい。まだ夜に仕事が残っているんですが…」
「そう。こっちは残念ながら宿は無かったわ。今日は馬車の中で過ごすことになるわね」
「やっぱりそうですか…」
ある程度予想していただけに、ヴィクターのショックは少なかった。それよりも、フランシスカが無事であったことに安堵していた。街中なのだから、そんなに危険なことに会うはずがないのであるが、今回ばかりはヴィクターの考えも杞憂とは言えなかった。
ヴィクターはじっと自分を見つめてくるフランシスカの視線に気が付いた。
「どうしました?」
「…なんでもないわ。イヨちゃんはどこにいるの?」
「奥の部屋で抗生物質を作っています。さっきまで医者もいたんですが、今は見当たらなくて」
「そう。医者の方はきっと往診に行ってるんだと思うわ。ここに患者の全てがいるとは思えないし、黄黒病以外の人もいるでしょうしね」
「ああ、なるほど」
ヴィクターは失念していたが、黄黒病が流行っているからといって他の病気が待機してくれるわけはない。彼自身死体を運んだだけで結構滅入ってしまったのだが、これを日常的にやっている医者は本当に大変な仕事だと彼はつくづく思った。
「何かできることがあるかもしれないし、私はイヨちゃんを手伝ってくるわ。魔王ちゃんはここでヴィクターと一緒に待ってて」
「おー、わかった」
魔王の返事を聞いて、フランシスカは奥へと消えていく。こうしてヴィクターは魔王と二人きりになったが、何を話していいか分からず沈黙していた。魔王はいつものようにきょろきょろと周りを見回した後、一言こういった。
「ここ臭いのー」
◇
夜のとばりが落ちた後、ヴィクターは最後の仕事をはじめた。往診から戻ってきた医者が手伝おうかと申し出てきたが、丁重に断った。医者の方は代えがきかない。今は体を休めて、明日に備えるべきだと、ヴィクターは判断したのだ。
墓地についたヴィクターは、死体を入れた手押し車の中からシャベルを取り出した。そう、死体を埋めるための墓穴をまずは作らないといけないのである。しかし、墓標などを用意しなくてよい分、普通の埋葬よりも明らかに楽ではあった。
「…?」
気合を入れてシャベルを取り出したヴィクターであったが、彼は奇妙な光景を目にして立ち止まった。星の光に照らし出されたその墓地に、すでに墓穴が出来ていたのである。
(妙だな…誰かがあらかじめ掘っておいたのか?)
一体誰が?という疑問がヴィクターの頭にもたげてくる。もしかすると医者の関係者かもしれないと判断して、ヴィクターはその穴に死体を、一人ずつ入れていった。
しかし、仕事を終えてヴィクターが医者にその話をすると、全く心当たりがないということだった。
「確かに、街の誰かが好意でやってくれたという可能性もありますが…」
医者は言葉を濁す。確かに、いくら好意とはいえ墓穴だけ作るというのは不気味だ。そもそも、今日の死亡者の数を一体どうやって知り得たのだろうか。
「…逆なのかも」
話を聞いていたフランシスカが、独り言のようにそういった。
「逆、とは?」
「ディディエさん。今日以前にも死体は同じ墓地に埋葬したんですよね?」
「ええ、もちろん」
「ヴィクター。あなた、以前どこに死体を埋めていたか知ってる?」
「いえ、全く」
問答をするうちに、医者――彼の名がディディエだ――とヴィクター、そしてイヨはフランシスカが何を考えているのか理解した。魔王は眠っている患者のほっぺをつんつん触っていた。
「詳しくはディディエさんと墓地に行かないと分からないけど、誰かが墓穴を掘り起こして死体を盗んだ可能性があるわ」
魔王以外の全員が、フランシスカの言葉に頷いた。




