第八十片 三人目・二
不自然な初動で持った違和感は、噴水脇のベンチに座った直後の彼の宣言でたち消えた。
「見ての通り俺はいま盲目だ。なんも見えねえ。だから身ぶり手振りとかされても分かんねぇからそのつもりでな」
とても軽かった。
世間話をするような感覚で言われたものだから、「はい」と取りあえずの返事をした後に「え?」と、つい声に出た。
「え? も何も、言った通りさ。俺はいま、目が見えない」
自分の両目を指差しながら、口角を上げて彼は言う。
「その、なんでそんなに軽いんですか?」
普通こんなことはあまり明るく言えることじゃない。こちらを気遣ってくれているのではないか、気負いしないように無理してるのではないか、と思うのは当然だと思う。
「まぁそりゃ俺も目が見えなくなった当時はかな~りキツかったよ。絶望もしたし、死にたくなったりもした」
「っ……」
「でも、あいつに会ったから俺は生きてこれた」
「? あいつ?」
「俺を“現世“から“願世“に引き込んだ張本人。お前さんなら、もう察しはつくだろ?」
「……『面族』?」
「その通り」
「おーい、出てきていいぞ」と彼が言うと、どこからともなく「待ちくたびれたよ」と幼い男の子のような声が聞こえてきた。
足音が後ろから近づいてくる。
足音の主は、たったっと駆け足で俺たちの前に現れて、「どうもこんにちは!」と元気な挨拶をくれた。
「こんにちは」
「初めまして、僕はコトリっていうんだ!」
長袖の白シャツにベージュの短パン。ちっちゃなブーツはそこかしこが汚れている。
肌は浅黒く、白身が強い灰色の髪が際立つ。
真っ黒な瞳は、まっすぐにこちらを覗いていた。
この子が、この十歳くらいに見える男の子が、中籠の契約した『面族』か。
「おにいさんも“あっち“から来たの?」
「そうだよ」
「そっかー。亮とおなじだね!」
「清水、お前にいいもんを見せてやる」
「コトリ」と少年を自分のほうに呼び、彼の手を借りて立ち上がる中籠。手助けしようかと腰をあげると「お前は座ったままでいいから」と押し戻された。
コトリの先導で俺の前に仁王立ちを決めた中籠は、腰に手を当てて威張るようなポーズをとった。
「なぁ清水。俺が言ったこと、覚えてるか?」
「え? 盲目だってやつ?|
「まぁそうなんだが、そこの言い回し」
「……?」
何て言ったっけ? 確か『いまは見えない』とかだっけ?
……いまは?
「気づいたみてえだな。よし、コトリやるぞ」
「いつでもいいよ」
「よし」
中籠はそう言うと、一度深呼吸をした。
そして、
「泣き叫べ、閑古鳥!」
簡易魔術の詠唱のような短い一言。
中籠の言葉はコトリを光球に変化させ、建物で囲まれたこの庭に風を巻き起こした。
風が強くなってきて、腕で顔を庇った。
ゴウゴウと言う音が聞こえて、そうかと思うと、ぱたりと止んだ。風が体を叩く感覚は変わらずあると言うのに、音だけが聞こえない。
中籠は大丈夫なんだろうか。
名前を呼ぶ。
「□□□、……!」
驚いた。口を動かし、喉を震わせ、いつものように発声した。
なのに、言葉は出ない。
そのうちに風も止んで、中籠の姿が見えてきた。
彼の姿を見てまた、俺は驚いた。
「……」
顔から頭頂にかけてをカバーする、白が基調の鳥のお面。全体に赤や黄色の絵の具かなにかで様々な紋様が描かれている。下顎部分はパカッと開いていて、仮面の口の中から中籠本人の下顎が少し見える。
『な? すごいだろ?』
中籠はどこから取り出したのかわからないスケッチブックを取りだし、元々書いてあったのであろう文字を俺に見せてくる。取りあえず解読はできるが字が汚い。
まぁそれは置いといて。
俺は彼の質問に首肯を返した。
一枚ページをめくって、また見せてくる。
『これが俺の能力だ。範囲内の生き物の聴力を奪う。そして』
そして?
『自分の視力を甦らせる』
ふーん、甦らせる。……甦らせる!?
驚く俺に、彼は仮面の目の部分を指差してきた。
覗け、ということだろう。俺が穴を覗きこむと、穴の奥に赤い眼光が光っていた。
きれいな赤色。血の色みたいに、輝くような色。
『まぁ、そういうことだ』
彼はそのページを見せたあと、おそらく『コトリ』と言った。
すると閑古鳥はコトリに戻った。同様に、周りの音が回復する。
いきなり回復した聴力は、辺りのいろんな音を脳に響かせた。
酔ったような感覚を覚えて、その場にうずくまる。
「お兄ちゃん大丈夫!?」
コトリが手をとってくれる。
「あぁ、大丈夫……」
「この能力をはじめて経験すると、お兄ちゃんみたいになるひとが結構いるよ」
「そうなんだ」
「俺もその一人だけどな」
中籠は「はっは」と軽く笑った。
「ま、これで俺の力は見せた。武器は見せてないが大鎌だ。死神が持ってるようなやつ。ってことで、改めてよろしく」
「……よろしく」
このファーストコンタクトで、分かったことはあまりない。
だが、中籠が悪いやつじゃないということは、何となくわかった。