第五十九片 『旅立ちとして』
オルタさんは港に向かって歩きながら、俺達がやってきたこの町のことを説明してくれた。
この港町エクセンハンは、人口五十万人ほどの港湾都市らしい。レンガ造りの家々が立ち並び、その煙突からはもくもくと煙が上がっている。主産業は漁業。ここの沖合いには寒流と暖流がぶつかる潮目があり、そこで獲れる色とりどりの魚がここに水揚げされるそうだ。
言われてみると、道の脇にいくつも露店が立っていて、しゃがれた声のおじさんや綺麗な女性が道行く人々を店に誘っていた。みずみずしい魚の他にも、野菜や菓子などが売られている。そして、
「あら、お兄さん。ちょっと寄っていかない?」
俺も誘われる人の一人になってしまった。
そこかしこに目を回していると、いきなり目の前に女性が現れたのだ。チャイナ服のようなピチッとした服を着ていて、艶かしい雰囲気がある。
思わず変な声が出そうになったが、口を手で押さえられて、出すに出せられなかった。
タイトな服装とその動作に、なんだかドギマギしてくる。
「いい体してるわねぇ。どこからきたの?」
腕を掴まれ、そのままぐいっと引き寄せられてしまった。腕に二つの柔らかい感触が伝わってきて、更に頭の中が混乱した。
「うちの店に来てよ。お兄さんなら、いろいろサービスするから」
「い、いや。俺は違って。というか」
頭をブンブン振って、強制的に正気を取り戻す。
「オルタさーん!ユキー!」
変なことにならないうちに、ユキとオルタさんに助けを求めようとしたが、俺がはぐれたことに気付かず先に行ってしまったのか、人混みに紛れて姿が見えなくなっていた。喧騒のせいで俺の声も届きにくいのか。
「連れの人達、どこかに行っちゃったの? じゃあ、ウチで時間潰していきましょ?」
クイクイッと、軽く腕を引いてくる。
「いや、今は先を急ぐので」
今ここでオルタさん達に迷惑をかけるわけにはいかない。
どうにかして女性を振りほどこうとした、が、女性の体が離れることはなく、むしろ先程よりもきつくまとわりついてきた。
「そんなこと言わずに、ねぇ? ちょっとした食べ物屋だから」
ちょっとした食べ物屋の看板娘が、こんな人なはずはないと思うんだがなぁ。なんて考えている俺のことなどお構いなしに、女性は俺を店の方に引っ張っていく。
……この人、本当に女の人だよな? と、ふと疑ってしまうほどの力だった。俺は「離してください」と言いながら女性が引っ張る方向とは逆向きに進もうとしているのに、体は女性の進行方向に向かって引きずられる。
「なんでそんなに力強いんですか」
力いっぱい踏ん張りながら、女性に声をかける。
「あら、女性にそういうこと言うのは厳禁よ?」
女性は余裕で答えながら、なおも前進していく。
このままじゃあ、やばい店に連れてかれる……!
そこに、いきなり横から声がかかった。
「はいは~い、お取り込み中失礼するよ~」
突然の呼び掛けに、俺も女性も驚いて腕がほどかれた。自然と離れた俺と女性の間に、大きな背中が割って入ってくる。反動で飛ばされそうになった俺の体は、後ろから誰かに支えられた。
顔を向けてみると、後ろにいたのはユキ、俺の前に立っているのはオルタさんだった。二人が来たと思うと、思わず安堵の息がこぼれた。
「いやーすいませんね~お姉さん。この子うちの部下でして」
オルタさんは左右の袖に手を突っ込んで、横からずいずいと女性に近づいていく。その勢いに押されていた女性は、オルタさんの顔を見るなり、今まで血色のよかった顔を、一気に真っ青に変えた。
「あらら、すみません。フォークランドさんの部下とは知らず、失礼しました。それでは、私はこの辺で……」
そう言って、女性はそそくさと人混みのなかに消えていった。
女性の姿が見えなくなってから、オルタさんはこちらに向き直った。怒りは見えない、いつもの笑顔だ。
「この街には少なからずああいう連中がいるから、気を付けてね」
さっきの女性の反応を見たからか、変わらないその顔に、不意に身震いしてしまった。
「それと、その服装をどうにかした方がいいね」
オルタさんにそう言われ、自分の服装を改めて確認してみた。今着ているのは、最初に着ていたのとほぼ同じ、緑基調の和服に、スッとしたズボンである。足は地下足袋のような靴で守られている。どこかかしいだろうか……?
オルタさんは一瞬真顔になって「あっ」と何かを思い出したように声をあげた。が、首を左右に振ると、
「人通りが多いここじゃ何もできない。港まで行こうか」
そう言って、先を急いだ。
「大きいですねぇ」
港につくなり目に飛び込んできたのは、鈍い鉄色の船だった。
「これは……戦艦?」
前側に二連砲が二段、艦橋を挟んで後ろ側に砲台が二段、他に、対空砲のようなものが側面にいくつも見えていた。
「現世にある戦艦のイメージをもとに、願世仕様に作り替えたものだよ」
オルタさんも眩しそうに手で傘をつくってその姿を眺めている。と、いきなりその目をこっちに向けてきた。
「港についたし、冬くんとハクには、ちょいとやってもらうことがあるよ」
「な、なんですか?」と身構える俺に、オルタさんは「そんな気張んなくていいから」と言って手招きをする。
オルタさんの後に続いて歩き、間もなく到達したのは、港に作られた軍用施設だった。オルタさんが靴を脱いで玄関正面に設置されている窓口で何かを話すと、間もなくして女性が窓口から出てきた。
オルタさんの手招きにまた従って、集合する。
「これから俺たちとハクは別行動だ。ハクはこの人についていって、冬くんは俺と一緒にこっち」
オルタさんの指示によって、俺たちは二手に分かれることになった。
「わかりました。それじゃあユキ、また後でな」
「はい、また後で」
ユキと俺たちは、完璧に真反対の方向に分かれた。玄関から左側に行く俺たちと、右側へと行くユキ達。
数分後に俺たちが到着したのは、軍人用の更衣所だった。
そこに入って、一番奥のロッカーから、オルタさんは一式の服を俺に手渡してきた。
それは、濃緑色の軍服だった。この和風な国には似つかわしくない、近代的な、もとい、西洋的な軍服である。
「王様から渡すように言われててね、今の今まですっかり忘れてたよ……」
後ろ頭をかくオルタさんから、俺はその軍服を受け取った。オルタさんは顔を下に向けて、
「というかなんで城で着させないかなあの人……」
何かを小声でぼやいた。かすかに聞こえたが、部分的だったため文意は分からなかった。
「まぁいいや」と顔を上げて、
「そんじゃ、着替え終わったら出てきてね。俺はドアの向こうで待ってるから」
じゃあね、と後ろ手を振りながら、オルタさんは更衣所を出ていった。
言うとおりに着替えて出てみると、確かに苦しくなかった。密閉性は高そうに見えたけど、暑くはなく、重くもなかった。
部屋を出ると、すぐ横にいたオルタさんが「おお、似合ってるね」と言ってくれた。
「どうだい? 冬くん」
「いい感じです」
脚や腕を曲げ伸ばししても行動が制限されない。すごく動きやすい服だ、これ。
「だろうねぇ、魔力折り込みの特殊仕様だから」
なんだか、オルタさんの顔が少し得意気だった。
「冬さん、お似合いですよ」
目を少し遠くに向けると、ユキの方も着替えて終えたらしく、こちらに駆けてきていた。構造こそ俺の服と同じものの、その色はユキの髪に似た白色だった
窓から入る日の光が反射してきて、少し眩しい。
「さぁ、二人とも。準備もできたし、いよいよ出港だ」
「あれ、オルタさんは着替えないんですか?」
玄関に歩き出そうとしたオルタさんに、つい質問がこぼれた。オルタさんは相変わらず、羽織を羽織った和服姿である。
「ああ、俺はね」
軽く返すオルタさんは、俺たちに体を向けなおして、目を閉じた。
すると、
「ほい」
瞬く間に和服は光を帯び、気づいた時には俺のと同じ緑の軍服に変わっていた。
俺とユキの口から同時に、おお、と感嘆が漏れる。
「気を取り直して、行こうか」
オルタさんに導かれて、俺とユキは港に掛けられた階段を上り、戦艦に乗り込んだ。
俺たちが乗ってから十分位すると、港に伸びていた階段が戦艦へと格納されていった。
「いよいよ、出港ですね」
「ああ」
俺とユキは艦橋から外を見ていた。
ユキの顔は少し紅潮している。自分も気分が上がっていることもあり、なんとなくユキの思っていそうなことは分かった。
そしていよいよ、青空のもと、戦艦はゆっくりと動き出した。