第五十二片 『魔術レッスン 実践』
「じゃあ今日は、いよいよ魔術を練習していこうか」
例のごとく、病室に来てくれたハハルさんによる授業の開始だ。
今日は実践編らしい、のだが。
「ハハルさん、一つ質問いいですか」
「ん? 何かな、冬くん」
「俺を囲むようにして敷かれたこのシートは一体?」
現在、俺が普段寝ている布団が中心に置かれた部屋の床は一切見えず、布団以外の場所は全面ハハルさんが持ってきたシートで埋め尽くされている。
円とそこに沿って描かれている不思議な文様から見るに、魔法陣っぽいのだが、
「見ての通り、魔法陣よ」
ビンゴだったようだ。
「初めてって訳ではないにしても、コントロールは出来ないだろうからね。もしもの時のための結界魔術を展開するのよ」
「初等教育の際にも、この魔法陣は使われるんですよ」とユキから補足説明が入った。
とりあえずは、ハハルさんが結界魔術を発動させた。光り輝く魔法陣の四方から、半透明の巨大な四角い壁が、タケノコのように伸びてきた。四枚の壁が静止したかと思うと、今度は天井が出現し、結果的に病室より一回り程小さな領域を形成された。俺の体を起こしてくれた。
結界が出来上がったことを確認すると、ハハルさんは毎度のごとく浮遊魔術で俺の体を起こしてくれた。
「この前の準備の後にハクから聞いたけど、冬くんが使ったことがあるのって、風魔術の方だっけ?」
「はい、確かウォルフ何とかっていう名前だったと思います」
「まさか、ウォルフ・ウィンディール!? 中級相当の魔術よ、それ」
分不相応な魔術だったということだろうか。まあしかし、絶体絶命のピンチだったし、仕方ない。それにあれは、俺が使ったというよりユキが使ったという感じ……、
「いやあ、あの時はもうやるしかないって冬さんの魔力を使ってやっちゃいました」
……ん? 今、なんかすごい言葉が……。
「一か八かってところでしたけど、何とかなったんで良かったですよ」
……ええっと、ユキさん。あなたそんな博打に生きるような性格でしたっけ? と、ユキに半目を向けていると、床が小刻みに揺れ出した。震源はユキでもなく、俺でもない。ということは……。
「あ、な。た、ねぇ……」
視線の先で座っておられる女神さまは、体全体をぷるぷる震わせ、顔を赤くして、見るからにカンカンに怒っている。
女神さまの鋭い眼光は、一直線にユキを射抜いた。標的は小さく悲鳴を上げると、まるで小動物のように縮こまった。
「自分が何をやったかわかってるの! もし冬くんに適性がなかったら最悪死んでてもおかしくなかったんだからね! こっちに連れてきたってことはあなたは人一倍冬くんの命に気を使わないといけないのに、あなたには自覚が欠けてるわ! ちょっと反省しなさい!」
のべつ幕無しにまくしたてるハハルさんに、ユキはぐうの音も出ない。確かにハハルさんの主張はある程度正論だし、直前のユキの軽い言い方もハハルさんの怒りを助長してしまったんだろう。
……でも、
「ハハルさん、そこまでで、ユキを許してあげてくれませんか?」
「……」
言葉なく俺に向けられる目線は鬼神のごとき恐ろしさだ。まだ怒りは冷めていないと見える。
「ユキは、俺が一気にジャンプして、それで上がりすぎた高度から着地するために魔術を使おうとしたんです。さっきハハルさんの言ったような危険性があったのは確かですし、もしかしたら、魔力の放出とか、他の方策があったのかもしれない」
「……」
「でも、俺は思うんですけど、ユキもあの後、何も思ってないことはないと思うんです」
「……」
「人一倍責任も感じて、反省して、それで、今さっきも、ここで話を重くしないようにか何か、ユキなりの考えでああ言ったんだと思うんです」
「……」
「だから、許してもらえませんか?」
ハハルさんは目線を俺から外すと、ぴっと襟を正した。
「結果オーライってことで、これからはないだろうし、うん。もうこの話は終わり」
ふう、どうにか収まってよかった。
ハハルさんがカバンをごそごそと探り出したのを見計らって、俺は目線をユキへと移した。
「……」
ユキがなぜか視線をそらした。
……なあ、ユキ。反省はしてる、よな? と目と顔面で何とか伝えると、これに関してはぶんぶんと勢いよく首を縦に振った。
じゃあ、さっきの発言については?
「……」
……もうちょっと考えて話すようにしような、と伝えると、力ない首肯が返ってきた。
うん、まあ。これから頑張っていくこととしよう。
「さて、ちょっとごちゃごちゃしたけど、気を取り直して練習しましょうか」
顔を上げたハハルさんの方に顔を戻すと、その手に紙吹雪用ほどの小さな紙片が数枚乗っているのが見えた。
「それは?」
「練習用の紙吹雪よ。最初は小さな紙で練習するのがいいわ。これくらいなら、その手に乗せても負荷にはならないでしょ」
確かに、紙吹雪程度なら治りかけのこの腕でも問題はないだろう。というか、紙程度ならどれでも問題ないような気もするが。そこはまあ、手厚い配慮の結果なのだし、言うだけ損だろう。
「練習はいたって簡単。『風』っていう初級の魔術を使って、この紙吹雪を掌の上で回転させるの」
ハハルさんは一度咳払いすると、詠唱を開始した。
「空を舞う風よ
ここに吹け
『風』」
詠唱が終わるとハハルさんの左掌に魔法陣が展開し、そこから流れるそよ風が、乗っていた紙吹雪を空中に散らした。
散った紙吹雪は誘われたように掌の上に戻ってきて、一定の高さで回転を続けるようになった。
「おおぉ」
「基本的なコントロールの練習ですね」
「そうよ、まあ時間はたっぷりとあるし、頑張ってね」
紙吹雪を掌の上に戻すと、ハハルさんはそれらを俺に手渡して腰を上げた。
「もう行くんですか?」
「うん、ここから一週間くらい遠征なんだ。ごめんね」
謝るハハルさんは、申し訳なさそうに眉を八の字にしていた。
「この結界魔術はユキが展開できるようにしてるから、安心して。ユキ、手順覚えてる?」
「『展開』で広げて、『発動』で効果を発揮させる。そしてしまうときは」
「覚えてるなら言わなくていいわ。今この時も反応するんだから」
「わ、わかりました」
じゃあね、と短く告げると、ハハルさんは部屋を後にした。
部屋が一瞬、しんとした。
「よし、それじゃあ練習するか」
「はい」
俺は意識を掌に集中させ、ハハルさんの唱えた詠唱を真似た。
ハハルさんはまた、白板を持ち帰るのを忘れていた。