第五十片 『魔術レッスン 基礎』
第五十片 「魔術レッスン 基礎」
療養に入って早一か月。鎖骨から肩にかけてが大体治り、腕も自力で持ち上げずの軽い曲げ伸ばし程度なら耐えられるほどには回復してきた。
現在時間は午後一時。涼しい風が、開けた障子から部屋に入り、廊下へと通り抜けていく。ユキはレジルさんに呼ばれて今部屋にはいない。
「……というわけで、魔力というのは大気中にある薄い薄い魔力を体内に取り込み圧縮することによって生成されるの」
俺の病室に展開された一枚の白板には人の概形が描かれており、そこに数本の矢印が刺さっている。俺の上半身を浮遊魔術で起こしながら、差し棒で白板をつつきながら、説明してくれているのは、気楽に羽織なしで俺の部屋に訪れたハハルさんだ。
「ここまでで分からないところはある?」
「いえ、全く。分かりやすかったです」
俺の返事に、ハハルさんは微笑みながら頷いた。
「属性の話なんかは前にしたよね。覚えてるかな?」
属性の話……。前にハハルさんと砂漠に出かけたときに話しただろうか。うっすらと影だけが見える記憶を、脳の中でひたすら検索してみる。
…………。あ、
「火・水・風・雷・土・光・闇、でしたっけ?」
「おお、全部覚えてたね」
ハハルさんは今までの白板の記述を一通り消して、七つの属性を横並びに書いた。
「これらの属性間では相性の良し悪しがあるって話まではしてないよね」
「確か、してなかったと思います」
「それじゃあやろうか」
そういうとハハルさんは、横一列に書かれた属性の下に、大きな円を描き、その円を長い横線で貫いた。
「基本的に、魔力の属性の相性は、現実にそのまま存在しているそれらの相性と同じなんだよ」
「現実に存在しているそれらと?」
「そう。例えば、水属性は火属性に強いの」
「それじゃあ、雷属性は水属性に強い?」
「うんうん。そうそう」
俺の答えにハハルさんは嬉しがり、白板の円の周りに属性名を書き加えていく。そして二つの属性名の間に矢印を引いた。見ると、雷→水→火という風になっている。
「さあ、それ以外はどうなると思う?」
「ええと……」
ハハルさんの期待の視線が目に痛いのだが、期待されているからには頑張って推測しなければと思ってしまう。
ええと……、火が何に強いか……、光と闇は論外っぽいとして、土と雷は考えにくいな、ってことは消去法ではあるが……。
「火、は、風に強い?」
「うんうん♪」
ウキウキ度が上がったのが声で分かる。となると、あと残るは土か雷。風と関係がありそうなのは土……、
「風は、……土に強い?」
「うんうん♪」
よし、あとはもうわかっているから、全問正解だ。
「これで土が雷に強いのは分かるね。残るは光と闇だよ」
あ、そうか。例外二つが残ってたんだった。
しかし、これらに関しては、大体セオリーが決まっているが、こちらでもその通りなのだろうか?
この図に収まるとすれば横一本線の端二点だけだし、合っている、はずだ。
「光と闇は、どちらもがどちらもの弱点なんじゃないですか?」
「うん、そうだね。半分正解」
……ん? 半分正解? どこか不十分だっただろうか?
「ここは特殊だから、私が説明させてもらおうかな?」
「はい、お願いします」
控えめに申し出てくれたハハルさんに、俺は解答権を手放した。考えてみたが、何が足りないのか分からないのだから、そこは教師に教えてもらおう。
「光も闇も、それぞれを除く全属性に対して相性がいいの」
「……?????」
……どういうことだ? 全属性に対して相性がいい?
「正確には、それぞれの相性の良さの種類は違うんだよ」
……相性の良さの、種類?
「光属性は敵対する全属性の力を半分にする。逆に闇属性は、全属性の力を一部吸収するの」
「半減させて結果的に強くなるのと、吸収した分も力にして相手に勝つってことですか?」
「そういうことよ」
なるほどな。相性が良くなる要因がそれぞれで違うってことか。
「冬さん、戻りました」
ちょうど一段落したところで、ユキが用事から帰ってきた。部屋に入るなり俺の姿を見て、見るからに驚いた。
「冬さん、体起こせるんですか!? ていうかそんなことして大丈夫なんですか!?」
「大丈夫、大丈夫だから」
ユキは即座に俺の側に駆け寄った。
でも、下手に私が触ってケガを悪化させちゃいけないし、でも起き上がるなんて今の体じゃ負担が大きすぎるし、うぅ……。というような心の声が、目の前で目まぐるしく変わっていくユキの表情と動作から容易に読み取ることができた。
「大丈夫、ほら、ほら」
俺が指さす方にすいーっと首を回したユキは、その時初めて俺の部屋を訪ねていたハハルさんの存在を認識したようだった。ハハルさんがこれ以上ないほどの笑顔を作っているのとは対照的に、ユキの顔が見る見るうちに赤くなっていく。
「もう、どうして私が慌てた瞬間に『私だよ』って言ってくれないんですか! もう!」
「ごめん、ごめんって、ハクちゃん。いやもう可愛かったからちょっと放置しちゃった」
ポカポカと叩いてくるユキをいなしながら、ハハルさんはにんまりした笑顔を崩さなかった。もう幸福至極といった感じだ。
「おっと、そういえばもうすぐ次の任務だった」
ユキの攻撃をかわしてハハルさんが立ち上がると、重心を前方に傾けていたユキがどてっと倒れた。ハハルさんは魔術をコントロールして俺をゆっくりと寝かすと、「それじゃあまた明日ね」と言い残して病室を後にした。
ユキは上半身を立て直すと、はっとなってすぐさま俺の横に駆け寄り、「見苦しいところをお見せしました」と赤面しながら土下座して……。
「いや、いやいや、見苦しいことはなかったぞ」
「そ、そうですか?」とユキの顔が少しこちらを向く。
「そうそう。見苦しくなかった。大丈夫だ」
「そう、ですか。そうですか。それならよかったです」
ユキが上半身を上げた。顔に先ほどのような恥ずかしさがなくなっていて、俺も一安心だ。ハハルさんに向いていたポカポカはユキの自制心にかけて俺に向けられるとは思わないが、万が一ということもあるからな。その可能性が潰えてよかった。
「あ、そういえばこれ。ハハル忘れていきましたね」
気を取り直したユキが部屋を見回すと、壁に立てかけられた白板がそのまま残されていた。
「まあ明日も来るって言ってたし、大丈夫だろ」
「そうですね、なら、置いときましょうか」
「そうしよう」
その翌日、ハハルさんが俺の病室を訪れることはなかった。
部下の人からの伝言は一言。「行けなくなってごめん」だった。