番外片 『もう一人の』
ここは、アストリア大陸の西海岸の港町。
西は過去に大きな商業国家が栄えていた地域であり、武術の道場が多い地域でもある。
日が昇り始め、そろそろ人が起き出してくる頃合い。町の一角に建っている白壁の道場では、ブン、ブン、と空を切る音が聞こえてくる。
中は木の床。
そこにいるのは、剣道の道着のようなものを身にまとった青年。
彼が手に持った鍔のない黒刀を振る度に、長めの黒髪が揺れ、汗が頬を滴り落ちていく。
固く引き結ばれた口は彼の真剣さを物語っている。
彼の目は、白黒半々の、目の周りだけを覆う仮面によって隠されていた。
「……ふう」
一息つくと、彼は肩の力を抜いて、何かをつぶやいた。
すると、仮面と黒刀は光の玉となり、一人の女性の形をとって彼の横に収束した。
その女性も道着のような和服を着ており、長い黒髪が白い肌に生えている。
見た目的には、二十代前半の淑やかな女性といったところか。青年よりも大人びている。
「今日の修業はこれで終わり?」
「ああ」
女性の問いかけに答えながら、彼は道場の隅に置いておいたタオルで汗をぬぐい、飲料を含んだ竹筒を一回あおった。
と、外から誰かが走ってくる音が聞こえてくる。
「春様、春様」
道場の扉を開けたのは、一人の少年だった。この道場の持ち主の召使いとして働いている子である。縁あって、彼の世話係もしているのだ。
「様はやめてくれといつも言っているだろう。……で、どうした?」
顔を向けてくる青年、春に対して、召使いの少年は伝令を伝えた。
「皇女様より、今回の任務はこれにて終了。今日、リツォンコーネに向けて出発されたし、と」
「そうか……。了解した。ご苦労様」
「はい」
丁寧に一度お辞儀をすると、少年は速足で去っていった。
少年が遠ざかったのを見計らって、女性が腰に手を当てて尋ねてくる。
「朝ご飯を食べたら、すぐ出発?」
「そうなるだろう」
「緊張する?」
「それほどでも」
「そう」
春の返答を聞いて、女性は満面の笑みを浮かべた。
二人は少年の後を追うように、道場を後にした。