第五片 『邂逅』
他の人が帰っていく中で、俺も帰ろうと体を何度も起こした。
しかしなぜか、その都度様子を見に来た診療所の人たちに止められ、そのまま安静にと言われ続けた。
おとなしく待っていると、遂に俺は一人になった。
引き戸を隔ててすぐ隣にある受付から騒がしい足音や声が聞こえなくなったことから、もう患者が俺だけになったことを確認する。
壁に掛けてある時計は既に七時を回っていた。
と、足音が近づいてくるのが聞こえてきて、次に引き戸がゆっくりと開けられた。
「ごめん、冬君。待たせたね」
受付の方から顔を出したのは平坂さんだった。さささ、と俺の横までやってくる。もう看護婦の制服は着ていない。
「ゆっくりでいいから、起きられる?」
問われて俺は、短い返答と共におもむろに起き上がった。ベッドから降りて、靴を履いて立ち上がる。
「体に何か違和感はない?」
「ええ。大丈夫です」
俺の返答に数度うなずいた平坂さんは、「じゃあ行こうか」と何の説明もなく歩き出した。
「……行くってどこにですか?」
思わず尋ねていた。
「どこって、裏口だよ。正面玄関はもう鍵閉めたから」
「俺もですか?」
「そうよ。あ、家までは私が送っていくから」
「……!」
その一言は、予想だにしていなかった。
「いや、そこまでしてもらわなくていいですよ。家すぐそこですし」
俺の言い訳なんて予想していたかのように、平坂さんは焦らず反論してくる。
「ダメよ。胸の傷もまだ完全には塞がってないんだから。本当は私が家で看てあげたいんだけど……。行ってあげよっか? それとも、うち、来る?」
「両方とも遠慮しておきます!」
反射的に言葉が口から出ていた。
平坂さんの左手薬指には指輪が通っていない。艶のある長い黒髪にすらっとした体形、整っている顔立ちは三十路を過ぎた今でも衰えることを知らない。
そんな人と同じ家に二人きりになるというのは、健全な男子高校生の精神には毒でしかない。
「そう? しょうがないなぁ。でも、体のことも考えて、送らせてはもらうからね?」
俺の心中を見透かしたように、平坂さんは面白そうに笑う。
「はい、それでお願いします」
結局俺は、平坂さんの車で家の前まで送ってもらった。
まだ風呂には入らない方がいいらしいので、水を含ませたタオルで体を拭くにとどめた。
寝間着に着替え、すぐに寝た。
「胸の傷のことも考えて明日は高校休みますって学校の方に言っといたから、大丈夫だよ」
という感じで、高校の事もよく知っている平坂さんが手を回してくれていることを既に聞いているので、心置きなく眠りにつくことが出来た。
明日は、暇かな。
「…………さん。……ゆさん。起きてください、冬さん」
どこまでも続く、白い空間の中。
上も下も分からない空間の中で、女の子の声が響いた。
周りで数度反響しているようで、どこから発せられたものなのか分からない。
……俺は立っていた。そこに。
「私はここです。あなたの後ろですよ」
言葉に従って、俺は身を翻した。
「……」
そこには微笑を湛えた、銀髪の少女が立っていた。
「やっと会えましたね、冬さん」
やっと、会えた?