第三十九片 『つっけんどんな剣士』
十分間村の中を走り回って、やっと俺たちは北門へとたどり着いた。
「普通なら、俺よりもお前らの方が早く着いてるはずなんだがな?」
「うるさいわねっ、ちょっと、だまりなさいっ」
通常の人よりも大きい装備で走ったためか、ハハルさんは膝に手をついて息を切らしていた。俺たちも少し息が上がっている。
「お前の方向音痴か、それとも」
メネスさんの目は、俺の方を見つめていた。
侮蔑というか、それとは少し違うけれど、こちらを侮っているのは確かな視線。
「どうしてあんたはそんな目で人を見るのよ!」
「や、やめろ!」
メネスさんの視線に気づいたのか、ハハルさんは体を起こして両手をメネスさんの顔に向かって伸ばす。
「おりゃっ!」
「ふがっ」
親指は口を内側からひっつかみ、外側の人差し指とのコンビネーションでメネスさんの頬を自由自在に変形させていく。
「へめぇ、やめろ!」
頬の自由がきいていないため、メネスさんの発音が若干おかしくなっている。
「今のことを謝るならやめたげる。さあ、謝んなさい!」
「はれがあやふぁるか……ふがっ!」
おそらくはメネスさんの口答えを解釈したのだろう。メネスさんの頬が一層引っ張られる。
「ふぁかっらよ。あやはるからへぇはらせ」
「最初からそうしなさいな」
メネスさんの口から手を引いたハハルさんは、羽織の中から出してきたハンカチで手を拭いた。
が、メネスさんの目は俺に対して依然として冷ややかだ。
「わるかったな、すまない」
……今までにこんなに棒読みの謝罪を受けたことはない。
「はぁ……。もういいわ。今あんたが持ってる情報を教えて」
ハハルさんも呆れてしまったようだ。
メネスさんは後ろに流した髪をかいてから話し出した。
「大して情報は集まってねえよ。村長からもらった情報を頼りにして北に行ってたのに、道半ばでお前らに呼び戻されたからな」
「それはそれは悪かったわね」
「まあそれについてはどうだっていい」
「……一言多いっての」
「一つ分かったこととしては、例の蜘蛛は増殖してるかもしれねえってことだ」
「そう。……なんですって⁉」
ハハルさんと同様に、俺もその報告には驚いた。
外来種であるかもしれない大蜘蛛が、その上繁殖能力も高いとなったら、ここだけでなく近隣の集落や生態系に影響を与えかねない。
「証拠はこれだ」
メネスさんが懐から取り出したのは、物品運搬用の巻物だった。
中身を出してみると、そこには気色の悪い光景が広がった。
「あんた、入れ方考えなさいよ……」
大きなクロシシが一匹と、それを囲むように多くの蜘蛛がこびりついていた。人とまではいかないまでも、その大きさは大人の男の掌以上はある。黒と茶色の暗色系の体が不気味さに拍車をかけている。
蜘蛛には刃物で切り付けられたような傷が数か所あり、そこから紫色の体液が流れてクロシシにまで伝っていた。このクロシシはもう、食べない方がよさそうだ。
「さっき、お前らが来る前に一瞬だけ門番に見せたら、この蜘蛛と例の蜘蛛は、大きさの差こそあれ瓜二つなんだそうだ。つまり……」
「あいつは、急速に繁殖してる可能性がある、と?」
ハハルさんの問いかけに、メネスさんは首肯を返した。
「これから俺一人で北の山に登ってくる。その間、お前らはここ周辺の警戒でもしてろ」
「あ、ちょっと。メネス!」
ハハルさんの制止も聞かず、メネスさんは村の外に向かって跳んでいった。
一度の跳躍が凄まじく、すぐに見えなくなってしまった。
「さて、あいつが帰ってくるまでは、辺りの警戒をするとしましょうかね。あ、その前に詰め所か」
ハハルさんは一つ手を打って、町の中に向かって歩き出した。先ほどまでの怒りはどこかに霧散させたような清々しい雰囲気だ。
「ハハルさん、その……いいんですか?」
「ん? 何が?」
「メネスさんを、あのままにして」
「そりゃあ、もう呼び止めに行くよりも、私たちは私たちにできることやってた方が有意義でしょ? やるべきことは一つじゃないんだし」
「……そうですね」
「それに、いいかげんに見えるかもしれないけど、あいつはやるべきことはやる奴だから」
さ、行きましょ。
そう言ってハハルさんは前を歩く。
「冬さん」
ユキに声をかけられて、俺も歩き出した。
あの信頼は、どこから来るものなのだろう。
心の中で、答えの出ないであろうその問いについて俺は思考を巡らせた。