第三十八片 『不可解な蜘蛛』
歩いて数分で村長の家に着いた。周りの家がと同じく平屋だが、一回り大きい家だった。
「そこで待っとってください」
指さされた四人掛けのテーブルにつく。
見渡してみると、ここの家は土も使わない、壁から家具まで完全木製の家だった。明かりはどうしているのか不明である。
「粗茶ですが、どうぞ」
「ありがとうございます」
村長が出してくれたお茶を各自が口に運んだ。色は新緑。味は市販の緑茶に近い。
「おいしいですね」
「ありがとうございます」
一度頭を下げてから、村長は続けた。
「今回は来ていただいて、誠にありがとうございます」
「礼には及びません。国を守るのが我々の仕事ですから」
ハハルさんが応答する。どうやら例の件についての話に入るらしい。
「して、どういう経緯が?」
「はい。それでは説明しましょう」
「話すと少々長くなりますが」と前置きをしてから、村長は天井を見上げて話し始めた。
「あれは、三日前のことでした。奴は夜に北から突然やってきました。村の警備をしていた兵士さんが数人、その爪と牙で怪我をさせられました」
「奴というのが……」
「はい、大蜘蛛です」
村長の話では、人の身長を優に超える体躯をしており、そんじょそこらの一般兵士では太刀打ちが出来ないそうだ。
「その日のうちに王都に連絡をと思ったのですが、何故かその日は、いくら試しても通信がうまくいかなかったのです」
「通信が?」
「はい。何か機器に不具合があるのではないかと調査してみましたが、どこにも故障は見つからなかったのです」
それは、不思議だな。
「それから今日まで、奴は必ず夜に北からやってきて、うちの村を襲うんです。そして、数度攻撃を受けると逃げていく。おかげでこちらは損害を出すばかり。もう手の施しようがない。そう思ったときに……」
「王都との連絡がついた、と」
ハハルさんの言葉に村長は頷いた。
「そういうわけで、あなた方に来てもらったわけです」
「なるほど、詳細が分かりました」
ありがとうございます、と言うと、ハハルさんは席を立った。
「ハク、冬君、行くよ」
「えっ」「は、はい」
俺たちを引き連れて、「それでは村長。私たちはこれで」と家を後にした。
後ろで座っていた村長は和やかに笑っていて、「気を付けて」と声をかけてくれた。
「これから、一度メネスと連絡を取って軍の詰め所に行くわよ」
「詰め所?」
この世界でも詰め所というものがあるのか。
「各村や町にそれぞれ一つ以上存在するわ。兵士たちはそこで暮らしながら土地を守っていく。今では各集落の警備以外にも、定期的な魔物の討伐が言い渡されているから、少し忙しいかもね」
説明を一通り終えたハハルさんは首に指をあてた。長い髪の隙間からチョーカーが見えた。
「冬君たちも、一度チョーカーに触れて。それで電源が入るから」
言われて俺たちは、即座にチョーカーに手を当てた。すると、鳥の鳴き声がイヤホンから聞こえてきた。しかも、かなりの大音量で……。
「っらぁ!!」
何かを斬る音と共に、メネスさんの声が大爆音となって鼓膜に突き刺さった。
「…………」
轟音のせいで意識が飛びかけた。耳鳴りが聴覚を支配する。
「だ、大丈夫ですか⁉ 冬さん!」
ああ、ユキの声がひどく遠くに、微かにしか聞こえない。
「あちゃあ。ハク、あんたチョーカー付けるとき音量ダイヤルいじっちゃったんだね」
「え⁉ そんなはずは……、っ! ……最大音量設定になってる」
ハハルさんは額に指をあてて深くため息を吐いた。ユキは「すみません」を連呼しながら俺のチョーカーをいじっている。おそらくは不具合の調整だろう。
「すみませんでした、冬さん」
「ああ、まあ、大丈夫だ」
ハハルさんに回復魔術をかけてもらい、俺は何とか通常通りに戻ることが出来た。
俺の回復が確認できたところで、ハハルさんは耳に手を当てて話し出した。その声は耳からだけでなく、イヤホンからも流れ込んでくる。
「メネス、あんた今どこにいんの?」
「ああ?」
再度何かを斬る音が聞こえてくる。今度は耳が痛くなったりはしなかった。
「俺は北の森で猪狩ってるよ。襲ってきたからな」
「アンタなに勝手なことしてんのよ! こっちも着いたから、早く合流しなさい!」
「……めんどくせえなあ」
「何か言った?」
「へえへえ何も。北門で待ってろ」
そこでブツッとノイズが入った。おそらくメネスさんが通信を切ったのだ。
ハハルさんに続き、俺とユキも再度チョーカーに触れて通信を解く。
「さて、二人とも。そういうことだから、北門に行くよ」
「はい」「分かりました」
メネスさんと合流するため、俺たちは村の北門を目指すことになった。
ハハルさんの後をついて歩いていると、程なくして俺たちは門に着いた。
流石ハハルさん。村の地理にも詳しいんだな。
「ここであってるかな?」
「ここは南門です」
慌ててハハルさんは別の道を早歩きで進んでいった。俺たちも急いでついていく。
数分歩いていくと、前にまた門が見えてきた。
次こそは。
「ここは北門であってるかな?」
「東門です」
門番の返答を聞くや否や、またハハルさんはどこかへ走っていった。見失わないよう、必死についていった。
そして俺はこのとき悟った。
ハハルさんは地理に詳しいんじゃない。
ただ単に自信のある方向音痴なだけだった。