第二十五片 『湖畔』
「いい風が吹きますねえ」
「そうだなあ」
「のどかだ……」
昼飯を食べ終わった俺たちは、椛さんに別れを告げて、王都から西に行ったところにあるカプチャ湖という湖に来ていた。
俺たちは湖に向かって突き出ている岩の上に腰を下ろし、蓮が持ってきた釣り竿の糸を垂らしている。湖面には、赤い浮きと白い浮き、そして緑の浮きが漂っていた。
春の昼下がり。昼食を食べた後に、温かい中で気ままに糸を垂らして獲物が来るのを待つ。気持ちよくて、眠りたくなってくる。
そういえば、修練はいいのだろうか。
「なあ、蓮」
「これも忍耐力と精神安定の修練だよ、冬……」
完全に横になっている少女が、俺の意思を読んで答えを返してきた。どうせ俺に何か言われるのが面倒とかそんな理由だろうが、まあ、そのままにしておこう。
というか俺も寝ようかな……。
――――ピクピクッ
「っ!」
寝転ぼうとした瞬間に、俺の竿に反応があった。半開きになっていた目を見開き、目一杯の力で釣り上げる。
「ほいっ! ……」
釣れたのは、小指大の小魚だった。
「はっはー。いいのが釣れたなあ、冬ぅ」
「ちっちゃくてかわいいですねぇ」
……こいつら、ほのぼのとした空気にやられて腑抜けになってる。
ユキまでもが寝転んでしまっている始末だ。しかし、二人ともの片手はちゃんと釣り竿を持っている。
小さすぎる魚を捕ってはいけない。これからのことを考え、俺は針から慎重に外した小魚を湖に逃がした。
――――ピクッ
「おっ、俺のにかかったなー」
蓮は釣り竿を持っている方の肘から先をひょいっと九十度曲げた。
すると、湖面は激しく波立ち、水中から現れた獲物は蓮の後ろまで放物線上に引き上げられて地面を揺らした。
「…………」
蓮は軽そうに引いて見せたが、かかった獲物は成人男性を丸呑みできるほどの大きさを持つナマズのような生き物だった。
「なんかまずそうだなあ」
そう言うと、蓮はまた腕を戻した。腕の動きに従って、ナマズは湖の方向へと身体を持っていかれ、しかも途中で口から針が外れたのか、予想着水点の遥か遠くまで飛ばされていった。
高く飛沫が上がり、小さな虹がかかった。
「やったー。ほーむらーん」
こっちにも野球があるのか。
というかこれは動物虐待なのでは?
小魚に対して張り切ってしまったせいで空気から覚めてしまった俺は、ほのぼのムードで無茶をやる蓮を呆然と眺めるしかできなかった。何か言っても、今のこいつの耳には入りそうにない。というか、入っても意味をなしそうにない。
――――ピクピクピクッ
「あ、今度は私ですねぇ」
ユキの竿にも引きがあった。ただ、重いのか、竿を引き上げきれずにいる。
「……なかなか手ごわいですね」
上半身を起こしてもなお引き上げられない。それどころか、ユキの方が引きずり込まれて行っている。ほのぼのとした空気の欠片はユキの顔からは微塵も感じられなくなっている。
これは、助けた方がいいだろう。
「ユ……」
「ハク、引き上げらんないなら手を貸してやるよ」
俺が動くより早く、蓮は近くの小石を拾った。その眼は寝ぼけていない。
何度か弄んで感触を確認した後、水しぶきが上がっている場所目掛けて腕を振る。
凄まじい勢いで飛んでいった石が水に入る音も、それから後も何も聞こえては来なかったが、明らかに水飛沫の勢いが蓮の手助けのおかげで弱まった。
「さあ、ハク。引いてみな」
「は、はい」
釣り竿を目一杯引き上げたユキ。その糸の先には。
「……」
「やりましたぁ!」
「よかったなぁ」
すでに弱弱しく体を振るわすことしかできなくなっている、中くらいの魚がかかっていた。
ユキは素で喜んでいるようだが、蓮は即座にほのぼのモードに戻っていた。
……南無阿弥陀仏。
それから先、俺たちの浮きが沈むことは、一度もなかった。
日が暮れる前に、俺たちは王都に帰還した。