第十八片 『任務 一』
朝起きてみると、胸の傷の痛みはほとんど残っていなかった。
平坂さんに電話をかけてみると、「痛みが引いたなら学校に行ってみてもいいよ。ただし体育とかの激しい運動は厳禁ね!」と懇切丁寧な指導を受けた。
今日の準備をして、朝やることを全て済ませてから家を出た。
学校に着くと、クラスメイトの数人が声をかけてきた。真山は言わずもがなだ。
どうしてたの?
大丈夫か?
言葉は違えど、皆そんな感じだった。
そして、一限目のチャイムが鳴る。教室の前扉が開き、先生が入ってきた。
「おっ、今日は清水がちゃんと来てるな」
「ご心配をおかけしました」
笑顔で言ってきたのは、野薪先生だ。真山の話だと、どうやら急用というのは道で倒れていた見ず知らずのお婆ちゃんへの対応だったらしい。それだけで学校を休むという決断をする先生はいいのか悪いのか分からないが、善ではあるだろう。
「休み明け一発目だ。難しめの演習問題当ててやろうか」
「遠慮しておきますよ」
「つれないなあ」
朗らかな先生の声につられて、クラスが少し沸いた。
「よし、じゃあ始めるぞ。真山、号令!」
「はい」
そうして、いつも通り授業は進んでいった。
チャイムが授業の終わりを知らせ、女子の学級委員が号令をかけた後。
「清水、ちょっと」
野薪先生が手招きをしてきた。速足で先生のもとに行く。
「体の具合はどうだ?」
「大丈夫です」
「そうか。まあ無理だけはするなよ?」
「はい」
「よし、じゃあな」
「ありがとうございます」
手を振って、野薪先生は教室から出ていった。
俺の中で、野薪先生は他の教師たちとは格が違って見えていた。
他の教師たちより自分を優遇してくれるからではない。俺だけじゃなく、自分の担当の生徒全員と、同じ目線で、積極的に交流し、的確なアドバイスをくれて、しかも先生としての役割もきちんと果たしているからだ。
他の先生が『同じ目線に立つ』ということをしていても、それはほとんど『馴れ馴れしい』としか俺には感じられない。
野薪先生ほど安心して話せる先生は、この学校には一人もいない。
「おーい、清水。次、移動教室だぞ」
鍵閉め担当の真山が声をかけてきた。
「すまん、ちょっとだけ待ってくれ」
用意をすぐさま鞄から抜き出して、俺は教室の外に出た。
「じゃあこれでSHR終わり! 皆、気を付けて帰れよ~」
「起立、礼」
それぞれが口々に別れの挨拶を口にして、放課後となった。俺はいつもと変わらずすぐに帰る。
「清水、じゃあな」
「おう、じゃな」
いつも通りクラスメイトと適当に挨拶をして、帰路についた。
今日は帰り道に不審な人影を見ることもなく、家へと到着した。
授業でやったところの復習をし、風呂に入り、少し本を読んで、寝た。
目が覚めると、俺はどこかの部屋の襖にもたれかかっていた。
目の前にはユキがいる。
「お、おはようございます、冬さん」
「おう。……どうした? なんかあったか?」
眉尻をちょっと下げていたユキに尋ねてみると、「い、いえいえ! 何もなかったですよ⁉」と両手を振って完全否定された。
「ちなみに、体に違和感とかないですか? どこか痛いとか」
「ん? 別にないけど」
やはり魂の入れ物ということで注意が必要なのだろうかと、一応肩を回したりしてみるが、違和感などは全くない。
「そうですか。……ふぅ、一安心」
「ん? なんか言ったか?」
そうですか、の後がモニョモニョとして聞こえづらかったんだが。
「いえいえ! 気にすることはありませんよ! 大丈夫です!」
「そうか」
また完全否定された。こういうのは、やんごとなき事情とか、人に話したくない事情とかがあるときに誰しもがやる行動だ。深入りしないのが吉だろう。
「さて、それでは冬さん。もう一度国王と対面しましょう」
「任務ってのを受けるのか?」
「そうです」
そうか。いよいよ戦力として活動しないとならないのか。
こちらの世界に来て二日目な俺に何ができるのかは分からないが、出来る限りのことをしよう。
「冬君には、これから各地の魔物の討伐任務に当たってもらうよ」
「はい」
この前の謁見部屋で、また俺たちは対面していた。
一つ違うのは、蓮がいないことだ。
「まずは、ひと山越えたところにあるヴァイゼルという集落の周辺の魔物を狩ってきてもらいたい」
「はい」
「距離にして四十キロほどだ。乗り物を貸すから、それで行くといいよ」
「了解です」
「冬君とハクだけじゃ何かあった時の対応が難しいから、最初の内はうちの幹部連中と行動してもらう」
言い終わると、レジルさんは手を二度ほど叩いた。俺たちが入ってきた引き戸が、再度開かれる。
レジルさんの「振り向いてみて」という指示を受けて体を回転させると、目の前の光景に声が出なくなった。
「紹介しよう。今回乗り物を貸してくれる、幹部のガルムだ」
「よろしく頼むぜ。“現世”の小僧よ」
そこにいたのは、クマではないかと思うほどたくましい肉体を持つ巨人。二メートルは軽く超えていて、三メートルはあるであろう天井に頭がつかんとしている。
短い袴のような短パンに茶色の羽織を着ただけの簡単な服装。上半身はほぼ丸見えだ。
赤茶の短髪を上に立たせ、顎髭を蓄えている姿は山賊のようだった。
「優しいやつで頼りにもなる。困ったことがあったら何でも聞くといい」
「おいおいレジル! それは褒めすぎだろうよ」
ガハハハハハハという体に見合った豪快な笑いが部屋に響く。
まあ、何かあった時には絶対に頼りになりそうだ。幹部ということは、見た目に違わず相当強いのだろうし。
「よし、それでは、出発してくれ」
「はい」「はい」
「おう!」
レジルさんの一声を受けて、俺たちは謁見部屋を後にし、城の出口へと足を進めた。
これから、初めての任務が始まるんだな。