第十片 『歓迎』
白雪がこのままでいいというので、顔に付けたまま休むこと約十分。俺たちは草原になっている崖上の下り坂を歩いていた。
「なあ」
「何でしょう?」
魔物どころか周りに障害物がないところをただ歩いているのも何だから、白雪に気になることを尋ねてみる。
「お前が“現世”に来て、あの仮面の事件を起こしたんだよな?」
「ええ」
「あの仮面はどうしたんだ?」
「母をモデルにして作ってもらいました」
「母?」
「はい」
「母親も“面族”だったのか?」
「ええ。“面族”は“面族”からしか生まれません」
「そうなのか。母親は元気なのか?」
「いえ、もういません」
「えっ……」
しまった。早速地雷を踏んじまったようだ。
「あ、別に気にしないでください。母親は生まれた時からいませんが、父親はずっと一緒にいてくれてますから」
「……そうか」
「ええ、ただ……」
「どうした?」
「あ、いえ。何でもありません」
焦るように否定を示す白雪。父親の方ともうまくいっていないのだろうか。
でも、俺には何もできないしな。
話題を変えよう。
「仮面のこと以外に、聞きたいことはありますか?」
と、白雪に先に言われてしまった。
互いに同じことを思ってたみたいだ。
「そうだな。どうして俺の記憶と他の人の記憶が違ってるんだ?」
「ああ、それですか」と、白雪はなんでもなさそうに言ってくる。
「あれは近くの神様にお願いして、記憶を操作してもらったんです」
「神様?」
「ええ、神社とかに祭られている、あの神様です」
あの事件自体、神様の情報操作で作られたものだという。
「あんなこと、私だけだったら不可能です。しかし、神様は不可能を可能にする力を持っている」
「それで、神様に交渉して協力してもらったのか」
「はい。もともとあの辺りの神様とは面識があったので」
冥界から神界まで、こいつの顔は案外広そうだな。
「で、ことが済んだ後にもう一度連絡を入れて、代わりの情報を地域の人々に植え付けたのです」
「最近はインターネットっていう通信手段があってな、地域の人々は騙せても、ニュースとかで知ったほかの地域の人たちは……」
「インターネットを通して情報が伝達されるなら、神通力でそれに介入すれば他の人々にも影響を与えられます」
食い気味の返答に、「まじで⁉」と素の反応をしてしまった。
「これは確かな情報です。神様から直々に聞きましたから」
「最近の神様は情報社会にも対応してんのな……」
電子マネーでお賽銭できる時代、神様も色々やってるのか。
「ん? でも、なら何で俺の記憶は元のままなんだ?」
「神様が情報改変に動いてるとき、冬さんの精神には私が干渉してましたから、それで神様の力がうまく届かなかったんだと思います」
「なんで神の力よりお前の干渉の方が強いんだ?」
「私にもよくわかりません。推測ですが、『ソウル』の干渉力が神の力より強かったのではないかと思います」
「……そうか」
これ以上聞いても、確かな答えは出ないっぽいな。
内心これ以上の詮索を諦めていると、段々と目的地が近づいてきた。
白壁主体で作られた外壁。十メートルはあるだろうか。一番上に数人の人影が見える他、所々に四角い穴が開いている。都市とこちらの間には深い堀があり、都市側に跳ね橋があることが近づいてみて確認できた。
堀の手前まで来て、白雪が話しかけてきた。
「冬さん、私を人の姿に戻してください」
「わかった」
言われて、白雪を人型に戻そうと…………。
「……なあ」
「はい?」
「どうすれば戻せる?」
白雪が「あ!」と気付いてくれた。
「戻す時は、契約の時に決めた名前の一部を使った名前で呼べばいい。らしいです」
「そうか」
らしい、って何をもとに言ってるのか分からないが、とりあえずやり方は分かった。
「白雪だから……、ユキ」
「はい」
名前を呼ぶと、ユキは顔から離れ、光の玉になった後に人型を形成し、光をおさめていった。
光の中からは変身前と全く変わらないユキが現れた。
「では、ちょっと待っていてくださいね」
白雪は懐から小さな筒を取り出した。手前に細い穴、上にも穴が開いている。まるで、
「笛」
と、俺の声をかき消す勢いでユキはそれを数度吹いた。その音はモールス信号のような、何らかの規則性を感じさせる癖のある吹き方で、甲高いけれども耳に痛くなくて、十秒もしないうちに終わった。
ユキが笛をしまっている間に、跳ね橋の歯車がぎこちない音を立てて動き出した。
……使えるんだよな、ここホントに。
俺の心配をよそに跳ね橋はいくつかの歯車で駆動し、徐々にその先を俺たちに見せてくれた。
ガコンと音を立ててかけられた橋を、ユキを前に進んでいく。中からは既に人々の喧騒が聞こえてきていた。
「冬さん、お疲れさまでした」
橋を渡り終えると、ユキが労いの言葉をかけてくれた。
「ここがアストリア王国の王都レストです」
笑顔で言ってくるユキの言葉を聞いて、目を町の中に移す。
街中は石畳で舗装されており、人々はそこを右に左に行きかっている。跳ね橋からまっすぐに伸びる通りにはいくつもの商店が軒を連ねていた。
「―――――――――――――!」
「……ん?」
正面の通り。向こうの方から、何かが近づいてきている。
何故わかるかというと、ユキとの“願世”での邂逅と同じように、誰かが何かを叫びながら走ってきているからである。
町の人々は焦ることもなく道を開け、店の人たちは軒先の商品に布を被せている。
「……ぅ―――――――――!」
それが近づいてくるにつれて、土埃のようなものも見えてくる。陸上選手顔負けの速さだ。
「ふ、冬さん。隠れてた方がいいですよ」
ユキが何か危惧するように俺の袖をつまんでくる。
「何が来るんだ?」
「いえ、それが……」
「ハァァァクゥゥゥゥゥゥ!」
声が大分近くなってきた。高いことから、おそらく女性だと予想される。
もう一度顔をそちらに向けてみる。
「あっ」
小さなつぶやきの後、ユキは頭を下げた。
視界の端に見えたその行動がどういうことを意味しているのか。聞かずとも、俺はすぐ理解することになった。
膝が前から猛然と向かってきていた。そして、視界はすぐに真っ黒になり。
「はあ!」
ものすごい衝撃と気合の入った声と共に、俺の体は今来た道の上空を飛び、醜い声と受け身の取れない無様な着地を披露した。
「冬さーん!」
名前を呼ぶユキの声が、ひどく遠く聞こえた。