屋根裏部屋
学園の寮への荷物の運び込みが3日間用意されています。
その2日目です。
まだ日が顔を出していないため部屋は真っ暗だ。
トトトトっトトトトっとリズム良く人間のものではない足音が聞こえ始めた。
ベッドの上にある影がモゾモゾと動き出し、ムクリと起き上がった。
しかし目は開かれていない。
「おはようございます。」
「おはようございます、レスペ」
5才くらいの人間の身長で、茶色いくしゃくしゃ頭は羊のツノが2つのぞいている。上半身は人間、下半身は羊の家事好きで家の守護を司る妖精ホブゴブリンだ。
パンタレイの刻から特に闇が深まる時間帯をスコトスの刻、日が昇る前の灰色に色づいていく時間帯をパックの刻という。パックとは特に悪戯好きなホブゴブリンの愛称だ。親しみを込めて古人がそう名付けたと言われている。
その時間帯に家事をやってくれるのだ。
(昨日、床板や家具まで作ってくれて本当に頭が上がらない。これで毎晩コップ一杯の牛乳や粥でいいとか割に合わないだろ。)
ホブゴブリンは忙しなく動き回り部屋をピカピカにして消えていった。
(足音が消えた…ホブゴブリンは単体で一つの家に暮らすんだっけ。まさかこの寮全部一人で掃除するのか?)
彼女の家にはホブゴブリンがいないため昨日から驚かされてばかりだった。
(まぁそれは置いといて、荷解きの続きをしますか)
パチリと目を開く。
(昨日は部屋が完成した後、持ってきた本を読み出してしまって全然進まなかったからな…)
とはいっても荷物は少ない。箱とバッグが一つずつだけだ。
中には衣類と文具そして本5冊。
ベッドから抜け出し衣類をクローゼットにしまっていく。
日が出る頃には全てしまい終わった。
家で使っていた愛用のコップも持ってきており、そこにいつも通り無詠唱で水を注ぐ。喉を鳴らしながら飲み終え、軽く洗って食器棚に置く。ついでに顔も洗った。
(今日は図書館に行って占術の本を探そう。)
あの夢はまだ見続けている。
(家にないってことは父さんも占術について信頼してないということだろう。だったらこの学園にもないかもしれない)
部屋着を脱ぎ制服に着替える。
ボサボサな頭はそのままに、机に置いた瓶底の眼鏡をかける。
(昨日は下の人に目を見られてしまったな…)
懸念を胸にしまって窓から飛び降りる。
スタっと軽く着地し寮の正面口からまた寮へと入る。
(全然気づかなかったけど、これって凄く面倒くさい…あとで転移魔法陣を考えておこう。)
図書館に続く回廊は入って正面の暖炉の両脇の2つのドアから繋がっている。入って右側のドアへ歩いた時だった。
「随分早いのね。スコトスに呼ばれていたの?」
突然声を掛けられて、ビクッと肩が跳ねた。
魔法陣について考えていたので人がいることに全く気づかなかったのだ。
声を掛けられた方に顔を向けると褐色の肌に濃い緑色の艶のある長髪、そして長い睫毛に縁取られた灰色の瞳が特徴的な女性が暖炉の近くのソファに座っていた。
(アリビスの人か?)
「え、あ、ではなくて図書館に行こうと…」
「あら、そしたら正面ではなくて男子寮のドアから入ってくるでしょう?」
「ドアがなくて窓から飛び降りたんです。」
「最上階から?よく怪我しなかったわね。あとドアがないって、どういうこと?」
「….あの、質問を質問で返してしまうのですが、どうして最上階からだと?」
「ああ…私クスリスの監督生だから。クスリス特待生のハル君よね?特待生は最上階角部屋っていう習慣があるのよ。あ、自己紹介まだだったわね。アリビス出身のシンディーっていうの。兄が去年クスリスの寮長だったからそのまま引き継いだの。よろしくね。」
「よろしくお願いします。」
「それで、ドアがないってどういうこと?」
「一人部屋が良かったんです。昨日ホブゴブリンに手伝ってもらって屋根裏部屋を作りました。そしたらドアを作り忘れてしまって」
「………………、」
随分な長考だった。
「まぁいいわ。…ハル君、一つ忠告なんだけど、ここでは人でない方達について話さない方がいいわ。」
「え?どうしてですか?」
「それは自分の目で見極めて。」
シンディーはニコリと微笑んだ。
「貴方のその聡明な瞳なら直ぐ見えてくるはずよ。」
「……。」
「図書館に行くんでしょ?いってらっしゃい。」
(そう言われたら行くしかないじゃないか)
出かけた言葉を意志の力で何とか違う言葉に変えた。
「…失礼します。」
*********
ハルが出て行った後、バサリと音がしてシンディーの向かいの椅子に男が姿を現した。
「随分優しいんだな。」
ひょろりと背が高く褐色の肌、臙脂色の髪に黄土色の瞳という相貌である。片眉を上げ試すように笑っている。
「あら。アリ、嫉妬?」
「嫉妬してもらいたいの?」
「馬鹿言わないで。」
ついっとアリから目を逸らした。
「つい言いたくなってしまったのよ。」
「分からなくはないな。随分と妖精に好かれているみたいだからな。人間も然り…かもしれない。」
「…でも、二度はないわ。」
「だといいな。」
「何よ。」
シンディーはブスッとアリを睨みつける。
「君はなんだかんだで優しいから。」
「はいはい、でどうだった?」
「これもダメ。」
手に持っている布をバサリとテーブルにのせる。
「次から次へと厄介な回路作りだして…」
「どうする?」
「回路を研究するしかないわ。」
「んーだよな。」
そろそろ起き始める頃なのか、徐々に左右から声が聞こえ始めた。
二人は目配せするとアリは布を被り姿が見えなくなった。シンディーはそのまま椅子に座りテーブルの上に置いておいた新入生名簿を読み始めた。
「ハル・デューク、出身は空欄…」
ポツリと言葉が漏れていた。
*********
(結局、目的は達成できなかったな…)
真夜中、ハルは図書館から出てきた。
占術の本探しは早々に諦め、ずっと本を読んでいたのだ。
(でも蔵書数に感動したし、知らない知識ばかりだった。占術じゃなくても夢の意味について載ってる本にいつか巡り会えるんじゃないか?うん。そう思おう。)
共有スペースに出ると幾人かまだ雑談をしていた。
(まだ人がいるな…シンディーさんの言葉通りに受け止めると、魔法陣を描いてる所見られるのもまずいのか?)
男子寮に続くドアに向かおうとしたが、方向転換し正面の扉に向かう。
(不安因子は出来るだけ取り除こう。)
寮を出た後、自室まで各階の部屋の窓についている屋根をあたかも階段のようにして軽やかに跳んで窓から入っていった。
次の日、2つの噂で寮中が盛り上がった。
一つは、一人の学生が奇妙なタオを纏い寮から出て行ったという噂だ。原因は“スコトスに呼ばれた"もしくは“妖精墜ち”と考えられた。
もう一つは、得体の知れない黒い塊がすごい早さで寮の壁をつたっていったという噂だ。正体は寮のホブゴブリン、竜の影、グリフォンなど様々な臆測が挙がっていた。
レスペ:尊敬(フランス語)
スコトス:闇(ギリシャ語)
闇が深まる時間帯は深夜2時から4時くらいまで。多くの国で、夜遅い時間に子供が起きているとスコトスによって連れてかれるぞと言って寝かされてました。
妖精墜ちは、例えば美しい妖精に魅せられてずっとその妖精のことばかり考えてしまう、といった現象の総称です。




