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暁に惑う月  作者: 碧檎
後日談 それは、恋の入り口
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 呼びだされた王妃の部屋で、ソファに腰掛けた王妃陛下――メイサは神妙な顔をしていた。一体何の話だろうとシェリアは構える。普段から気軽な茶会などで交流があるため、畏まって話があるのなどと呼び出されれば戸惑うのだ。


(あ、でももしかしたら)


 エマのおめでただろうか。いや、結婚して一月だからまだ早いか――いや、しかし、結婚前に息子がエマに手を出していたとすれば、あり得ないことではない――


「え、そのことで怒っているの?」


 考えをまとめる前に、シェリアの口から言葉がこぼれ出た。

 メイサは訝しげに眉をひそめる。


「怒ってはないけれど、――って一体何の話?」

「エマのおめでたかと思って」

「そうだったら飛び上がって喜んでいるわよ。おばあちゃんになれてバンザイってあなたと喜び合うわ」

「それもそうねえ。じゃあなんでそんな難しい顔をしているの、気味が悪いじゃない」

「あなたは気がつかない? もともとはルティが言い出したんだけど……」


 あの人そういうのに敏感なのよねえ、ともごもごと言いにくそうにメイサは顔を赤らめる。


「なにが?」

「あの子たち、まだ……」


 そこまで言ってメイサはこほん、と咳払いをして、声を潜めると、腹をくくったように言い切った。


「事実上の夫婦にはなっていないと思うのよ」


 は? ぽかんと口を開けたシェリアはメイサの発言の意味を考えて、顔をじわじわと赤らめる。もちろん理由は恥じらいなどではない。息子に対する不甲斐なさからだ。


「なにやってるのあの子は本当に……!」


 こういう時に女に恥をかかせてどうするのだ。


「臆病者なところは父親に似たのかしらね!」


 憤慨をバネに立ち上がる。火の着いた足で説教に向かおうとするシェリアをメイサが必死で止める。


「待ってシェリア、よく考えて。いくら親でもそんな理由で説教はされたくないわよ!」


 言われてシェリアははたと立ち止まる。そして顎に手を当てて首を横に傾けた。確かに、どうやって説教するかまでは考えていなかった。さっさと手籠めにしてしまいなさい――と最初に頭に浮かんだ言葉が義母と全く同じ言葉だったことに鳥肌が立つ。


(いやいや、私はあれほど下衆ではない、はず)


 しばし目を閉じて反省するシェリアに向かって、構わずメイサは続けた。


「それに、エマの方に原因があるのかもしれないし。あの子、私によく似ているし、ほら、あなたみたいな母親を見て育つと物足りなさがあるのかもしれないもの」


 しょんぼりとするメイサに、やれやれとシェリアは頭を抱える。この友人は相変わらず美的感覚が狂っている。うんざりしつつ「あー、そうね、はいはい」とサラリと流すことにする。付き合いをはじめて二十年近く。何度も「あなたは国一番の美人なの、自覚しなさい」と矯正を試みたけれども、どうしても直すことが出来なかったのだ。今更苦労はしたくない。彼女の夫に丸投げすることにしたのだ。


「だから、ほら、アリスにね、これを飲ませてほしいのよ」


 メイサが取り出したのは酒瓶だった。中には琥珀色の火酒。飲んだら火を吹きそうなやつだ。


「…………」


 しばし沈黙したシェリアはやがて大きなため息を吐く。


「あなたねええ……」


 その昔、メイサもシェリアも酒を飲ませて、こちらから殿方を押し倒したのだが、今回もその方法を取ろうというのだろう。

 バカの一つ覚えというのはこういうことだ。


「いくらなんでも引っかからないわよ。殿方にもいろいろいるけれど、たまたまあなたの夫と私の夫が罠に落ちてくれただけなのよ?」

「そうかしら? アリスも結局はごちゃごちゃ考えているだけなのだと思うの。だから理性を飛ばすにはこれが一番だと思うのよ」


 メイサはむうっと口をとがらせる。美女はどんな顔をしてもやはり美女だとシェリアは別のため息が漏れるのを抑えきれない。

 だが、シェリアは昔のことを思い返して、


(まあ、一理あるかも?)


 と、酒瓶をとりあえず受け取っておく。

 どうやって飲ませるかは作戦を練ってからだ。

 アリスがエマを死ぬほど愛しているのはわかりきっている。となれば、顔には出さずとも耐えているのだろう。その昔ヨルゴスが自分を尊重してくれたのと同じ理由が思い浮かび、シェリアは頬を緩ませる。


(あの子はヨルゴスの臆病さを受け継いでしまったけれど、ちゃんと優しさも受け継いでるのよね)


 誇らしさが浮かび上がるが、すぐにシェリアは不安に駆られた。優しい男が理性を保とうとすると、どこまでも現状打破できない。過去の経験からシェリアもよく知っていた。

 となればメイサの言うとおり酔ってしまえば、万事うまく行く――とそこまで考えたとき、シェリアの頭のなかに一つの懸念が浮かんだ。


「……っていうか、あの子……子供の作り方、知ってるのかしら」

「え?」


 メイサがぎょっと目を剥いた。


「だって、山のような縁談を全部はねのけてきたし、いつもエマと一緒に居たから、なんていうか、その」


 遊ぶ暇がなかったのだ。つまりアリスの女性経験は皆無のはず。となると、そのせいで戸惑いが大きいのかもしれない。むしろそっちが主な原因で、エマを大事にしたいなどというのは二の次の可能性だってある。

 妻一人を大事にするような男になって欲しいという夫の方針に従ってきたけれど(もちろん女性としてその方針に大賛成なのだけれど)、もしかしたらこれは、弊害が大きすぎるのではないか。


「じゃあ、お酒で解決なんて出来ないじゃない」


 メイサは頭を抱えつつも、


「初めてだからといって、花街なんかで事前練習したらエマの母親としては許さないから」


 とはっきりと釘を刺す。


「そんなの私も許さないわよ――」ムッとしたシェリアは初めてという言葉に記憶を刺激された。「あ、いいこと思いついたわ。私に任せておいて」


 シェリアはメイサに別れを告げると自室へと向かう。部屋の隅においてある本棚の奥を漁る。詰め込まれた埃っぽい本の奥に、ひっそりと隠してある全三巻の古い書物――『窈窕ようちょうたる妻の心得』。

 もともとは妻になる娘のための心得が書かれているものだけれども、夫側が読んだとしてもまあ、問題ないはず。少々どぎつい内容が玉に瑕だけれど、このくらいあけすけに書いていないとどこか鈍いところのある息子には伝わらないような気がする。

 本当は父親にそれとなく諭してもらうのがいいのかもしれないけれど――と考えかけたシェリアだが、


(絶対、偏るに決まってるわ)


 すぐにその案を頭のなかで握りつぶした。息子には真っ当な道を歩いて欲しいと心から願う。


「これを書庫に紛れ込ませておけば、あの子なら勝手に読むわよね」


 昔からアリスの書庫には定期的に新しい書物を補給している。そうしているといつも本好きのアリスは勝手に読了しているのだ。

 他にもっといい本があるかもしれないけれど、読まないよりはマシでしょ、とシェリアはその足で息子の塔へ向かった。

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