私は、人間だ
よく、こんな言葉を聞く。
「人でなし」
「悪魔の所業」
そんな馬鹿な、と耳にする度、私は思うのだ。
人でないからあのような事が出来るのだ。
悪魔の如き性根を持つが故に、かのような残虐な事が出来るのだ。
全くもって、馬鹿馬鹿しい限りだ。
人とは、己の杓子定規でしか物事を測れない。それが故に、己にとって理解の範疇を越えれば、何かしらの理由付けをして、己を納得させようとする。
それはカルト信仰からくる精神異常(発狂)であったり、過去による精神的苦痛であったり、非現実的かつ非日常的な存在を引き合いに出すことによる、排斥。
己は決してアレとは違うと。
己にはアレと同じ要素などない故に、決してあのような非道な存在に成る事はないと、成れはしないのだと、思い込む。
境界をはっきりとさせることで、あたかも全くの異種族であるかのような言動をとる。
愚かな。
なんと愚かしく愛おしい生き物だろうか。
人が忌避し、嫌悪する行動が出来るのは、自身が人であるが故だろうに。
己が人であるが故に、人が何を禁忌としているかが分かる。
人が何を忌み嫌っているかが分かる。
人が何を畏怖するかが分かる。
分かるからこそ、行動出来る。
だから私は人が好きだ。
だから私は人が嫌いだ。
この息が詰まる、汚泥をたっぷりと溜め込んだドブの底のような世界で、全身を悪臭を放つそれに塗れさせながらも必死に、清く、美しくあろうともがく、その様が、滑稽で堪らない。愛らしくて堪らない、愛してやまない。
そして何より愛すべきは、その死という、生と同じくらい、生涯で一度しか経験できない瞬間の表情であろう。
だから私は今日も、「悪魔の所業」とやらに精を出すのだ。
『本日未明、○○○公園の噴水に、男女複数名のバラバラ死体が放り込まれているのを、同公園の清掃員、××××さん53歳が発見しました。
遺体に切断以外の特徴は見られず、警察では、これまで起きた数件の連続殺人と同じ犯人と見て捜査を……』
「…また?」
プツンと、今時珍しいアナログの、しかもダイヤル式のテレビを消して、呆れを滲ませた美貌の女性が、問いかけるようにして、それだけを呟く。
「うん」
問われた方も、ただ一言だけ簡潔に答え、用意されたサラダの上に燦然と乗るポーチドエッグの攻略に集中する。
例え会話をしたとしても、あまり記憶に残らないようなよくある顔立ちで、強いて特徴を挙げるとするならば、その茫洋とした、何を見ているのか、何処を見ているのか判然としない瞳であろうか。
「どうせ、殺してからじゃなくて、生きたまま切断したんでしょう」
「?当たり前だろう。殺してからじゃ、それは救いになるじゃないか」
皿から顔をあげ、きょとりとした表情で、こともなげに言う。
女はふぅ、と溜息を吐くと、目の前の史上最悪の連続殺人鬼の、口元についたとろりとした卵黄を優しく拭う。こんなところは抜けているから、たまに凶悪な殺人鬼だなんて、忘れてしまう。
…それがこの子の、恐ろしい所なのだが。
「…貴方って、相当変態だわね」
「悪魔となら、よく言われるよ」
何でもないことのようにそう言って、目的のない殺人鬼は、再び皿の上の料理に挑む。次はフレンチトーストだ。好物である。
「…実際は、こんなにもどうしようもなく人間なのにねぇ」
ぽつりと呟き、微笑む女に見守られながら含んだそれは、甘かった。
え?
勢いだけで書いたので、後悔はありませんよ?
反省もしません。
主人公らしき人物が、男か女かも分かりません(オイ)