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泡沫の天  作者: 桜音袮
9/11

第八 黒幕の誘惑

かたん、とはずした床の一部を脇にどけ、零央は穴から顔を出した。納屋か、と呟く。亜葵を引っ張り上げて床の一部をもとに戻し、扉へ向かう。零央と亜葵がいるのは、舎を取り囲む森の奥にある納屋だった。古ぼけた小さな納屋を出ると、2人は舎の様子を見ようと森を抜ける。

そこには、燃え盛る、“血瞳”の舎。お伽噺の収束。

「割とあっけないもんだったね・・・」

目を細めて亜葵がつぶやいた。零央は無言で同意するように頷く。

「まあ、本当に、めでたしめでたしってとこかな」

亜葵は同意を求めるように零央を振り返った。

「?零央、どうした?」

零央の漆黒と緋色の双眸が苦痛にゆがむ。

「零央っ!?」

零央は脇腹をおさえていた。その手を染めるのは・・・赤。

亜葵の肌が粟立つ。

「零央!」

崩れ落ちる零央に手をそえて木に寄りかからせる。肩からも血が流れている。

零央が血の付いた短刀を押しやってくる。二本。刺さった後すぐに抜いたらしい。

「毒、塗って、ある・・・」

亜葵は息を呑んだ。

「どこが悪い!?」

「体、動かね・・・何か、力が・・・」

零央は呻いた。亜葵は慌てて短刀を調べる。

「即効性の麻痺薬と調合毒だ。何の毒だか・・・」

ふいに亜葵が目を見開いた。

「・・・あ!」

「ど、した・・・・?」

「飲め!」

亜葵は零央の口に栓を抜いた小瓶を突っ込み、調合したばかりだった解毒薬を流し込んだ。零央が戸惑いながらも飲み下す。

「しばらくそこで安静にしてて。俺がさぐってくる」

「誰だかわ、かった、のか・・・?」

亜葵は答えずに険しい顔で立ち上がった。

「くそ・・・!」

舌打ちをして走り出す。

燃え上がる舎に向かって。

炎は弱まっていて、舎の残骸が硝煙をあげていた。金色の夕陽がその場をとりかこみ、炎と黒煙をいっそう際立たせる。亜葵はよく見れば入口が分かる一歩手前で止まり、用心深く周りを見回した。火が燃え残ったものをなめつくすように覆い、ぱちぱちと音を立てる。

そのせいで、気づくのが遅れた。

「・・・っ!」

左腕に飛刀が突き刺さる。

すぐさまそれを引き抜き、血糊を振り払って右手に構えた。左手を庇うように体の前に寄せる。

利き手を封じられた。知ったうえで狙ったとしたら、零央以外には、ひとりしか考えられない。

「・・・物語というものは不思議とめでたしめでたしで終わるが、現実はそうも首尾よく行かないだろう。なあ、亜葵」

「―葉景様!」

どこからともなく、あくまで気配を悟らせずに現れた葉景は青墨の髪をなびかせて肩をすくめた。敵に潰されたという右目の眼帯が炎に照らされて赤く見える。

「オッドアイのお伽噺も、現実では違う結末となったのだからな」

「貴方がそうしたんでしょう!」

「亜葵」

葉景が聞き分けのない子供をなだめるような色を目ににじませた。

「私がそうしなくても、いつかは誰かが同じことをしていた」

亜葵は葉景の、もはや企てを隠そうともしないかすかに笑んだ顔を凝視した。

「お伽噺を聞いただけでは、王がいいことをしたとしか思えないだろう。迫害されていたオッドアイの子供を助け、城に連れて帰り、教育を施した。子供たちはそれに恩を感じ、王を守るために尽力した。美しい噺だ」

葉景がつい、と空を仰ぐ。

「けれど、こうは考えられないか?・・・王は、純粋無垢な子供を殺人者にしたてあげ、自分の手駒として利用した」

亜葵は言葉を飲み込んだ。

「お伽噺の中の“血瞳”は“処刑”もやっていた。王が邪魔な者を消すのにオッドアイの子供たちを使ったという推測も見当違いではないだろう?」

飲み込んだ言葉が不明瞭に揺らぎ、視界を狭める。胸の奥がかすかにきしむ。

「お前も零央も、オッドアイだという理由だけで“血瞳”に収容された。今ではオッドアイの英雄譚のおかげで迫害も消えつつあると聞いている。亜葵、お前たちはこの先平穏に過ごせていたのかもしれない未来を王の勝手な都合に摘み取られたのと同じだ」

「それはあなたが・・・!」

葉景は亜葵に視線をうつした。

「私が憎いか、亜葵?確かに私はお前たちを騙して利用していたな」

「俺たちに無実の人々を殺させたことも・・・」

「ああ、事実だ。邪魔だったからな」

あっけらかんと言う葉景に亜葵は唖然とした。

「なんてことを・・・!」

「だが王が“血瞳”を作らなければ、私がこうすることもなかったろう」

葉景が薄く笑む。

「王は、保護したオッドアイを人殺しにしてはいけなかった。子供に武器を持たせてはいけなかった。武に優れた子供を選ぶのではなく、智に優れた子供たちを集めて国政を手伝わせでもすればよかったのだ」

強い光を宿した双眸が亜葵をまっすぐに見つめる。

「手を差し伸べ救った命は、責任をもって最後まで無垢なままにするべきだった。間違っても、その手で人殺しへ貶めてはいけなかった」

風にあおられた葉景の髪が大きくうねる。

「お伽噺の王が道を誤ったために、今の状況がある、そう思わないか?亜葵」

壮大な責任転嫁に亜葵は呆気にとられた。

言葉を失い露草色と臙脂色の瞳を揺らす亜葵の姿に何を思ったのか、葉景は足を亜葵の方へ進め、身じろぎした亜葵に穏やかな笑みを向けた。「―――亜葵、」

軽やかで甘く、それでいて・・・・どこか不吉。そんな声で葉景はささやいた。

「・・・共に来い」

亜葵は目を見開いた。

風がざわりと炎から逃れた木を揺らす。熱を持った生ぬるいそれが、亜葵の肌を撫でた。

亜葵はやっと、舎を燃えつくした炎が消えたのに気付いた。

葉景がもう一歩、大きく踏み出す。

左腕の傷がじくりと疼く。思うように動かない左腕のように体中が麻痺したような感覚に陥って、亜葵は右の拳を強く握った。葉景の目が細められる。

「・・・・っ!?」

何が、と思う間もなく、亜葵はがくり、と膝をついた。

やはりというべきか、両足の腿と右肩に刺さった三本の細身な短剣には、麻痺薬がぬりこめられている。じわじわと全身の感覚が鈍くなっていく。亜葵は緩慢な仕草で両腿の短剣を抜いた。

強めに調合したらしく、通常の麻痺薬よりも回りが速い。

残った肩の短剣を抜いた亜葵は、完全に使えなくなった右手に気付き、葉景を睨み付ける。

「麻痺薬なだけましだろう」

細長い剣が抜かれ、冷たい刃が頬に押し当てられた。

「もう一度言おう。共に来なさい。今こそ、お前たちをいいように使う驕った王を討つ時だ」

ひっそりとした声が耳朶をうつ。

亜葵は左腕、右肩、両腿から細長く流れる血を見、意識をかき集めて葉景をにらみ上げた。

「俺たちをいいように使っているのは、あなただ・・・!」

葉景は眉をひそめた。

剣の切っ先がすっと頬をなぞる。かすかな痛みと生暖かい感触に、にじんだ血を知る。

そして浮かぶ笑み。何人もの人を殺した者の笑みとは思えない、屈託のなさ。

亜葵の肌がざわりと粟立つ。

「お前も零央も私が望む以上の働きをしてくれた。礼を言う。あれでずいぶん動きやすくなったからな」

その、無邪気な笑みで。何を、口にしている?

亜葵は流れ続ける血を気にしながらも、途切れそうになる意識を総動員して体に力を入れた。

毒薬を扱う身だ。耐性はつけている。葉景もそれを見越して強めに調合したのだろう。

すべての短剣には麻痺薬が塗ってあった。大量の麻痺薬はいくら耐性のある亜葵でも身動きが取れなくなるほどだった。が・・・・。

亜葵は慣れてきた左腕に力をこめた。葉景は笑みを深くする。

「無駄だ、亜葵。いくらお前でも、私が直に調合する毒薬には耐えられない。お前の調合の仕方とは異なるからな」

亜葵は葉景の剣を見据えた。

「・・・見くびらないでください」

低い声に葉景が首をかしげる。

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亜葵は最初に麻痺薬に慣れた左腕で素早く腰から短剣を引き抜き、首に突き付けられていた剣を渾身の力ではじいた。不意をつかれた葉景が後方へ跳び退る。

満身創痍の体では追えないと判断した亜葵は、せめてもと手にしていた短剣を放った。

ついでに抜いておいた四本の短剣のうち三本をたてつづけに投げつける。

一投目は葉景の腕をかすり、他の三本はすべてはじかれた。

亜葵は重い体を叱咤して残った一本をつかむと、葉景に向けた。

「・・・亜葵」

かすかに驚きを顔に浮かべた葉景は不思議なものでも見るかのように亜葵を見た。

亜葵はなんとか立ち上がり、葉景を睨み据える。

「俺は毒に慣れるんですよ、残念ながら」

「そうか・・・だが、」

目の前にいたはずの葉景の姿が掻き消える。

「・・・・・!?」

衝撃に息が詰まった。

地面に叩きつけられたという現状を把握する時には、葉景の腕は肩を押さえつけ、剣が首筋に押し当てられていた。遠慮なく加えられる力に肩がずくりと疼く。

「・・・よかったな。私に傷をつけられる者はそういない」

低くささやく。

葉景の片手が亜葵の肩から離れ、ぞっとするほど冷たい指先が頬の傷をなぞった。

「まあ、お前がいなくてはならないというわけでもない。できるなら欲しかったが、・・・・・基本、裏切り者は抹殺、だからな」笑みを含んだ声が耳にすべりこむ。

押し当てられていた剣が勢いをつけるようにわずかにひかれた。

「・・・さようなら、“処刑人”87号、現“血瞳”序列第二位、亜葵」

かちりと意識が切り替わる。迫る剣が、嫌にゆっくりに見えた。

悪い、零央。ひとりで逃げてくれ。

意識が沈む。亜葵はあきらめるように葉景の端正な顔を見つめた。


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