第五 明かされた真実
零央は床の上に頭を抱えるようにして座りこんでいた。藍色の髪がうつむいた横顔を隠している。幼いころからの彼の癖だ。
「零央」
零央はのろのろと顔をあげた。
「・・・ひどい顔」
亜葵は眉を寄せた。いつもの無表情に拍車がかかり、苛烈な光を持っていた瞳は虚ろだった。
零央のそばには、美天の体が横たえてあった。息を、していない。
外傷はなし。ということは、刃物で“処刑”する零央ではない。
亜葵についてきた処分係が傍らをすりぬけ、元気のない零央に怪訝そうな顔を向けながら美天の遺体を抱え上げた。
「火葬です」
簡潔に告げ、会釈をして部屋を出ていく。
「彼女は」
亜葵の短い問いに、零央は目を上げずに答えた。
「慢性の毒。痛みは、ない。王に貰ったらしい」
「ここに来るまでに飲んだのか」
「・・・ああ」
亜葵の“処刑”方法は主に毒薬なので、こういう死体を見るのは慣れている。
けれど、それが美天だと思えば、どうしようもなく胸が苦しくなった。目頭が熱くなるのを必死でおさえる。
零央が亜葵によこした使いは、『処刑完了』を伝えた。
もう、彼女はこの世にはいない。
亜葵は目ざとく、零央が握りしめていた紙の束を見た。
「それは何?」
零央は少ししわの寄ったそれを亜葵に投げてよこした。受け取った亜葵はそれに目を落とす。
「“血瞳”に処刑された人々・・・?」
題に続く文章や情報は何度も書き直したあとがあって、何年も使い込まれたものだと知れた。
“血瞳”に処刑された人々。
亜葵は数回それを反芻し、やっとその題の意味を理解した。
「・・・・・!」
顔色が変わったのが、自分でもわかった。
零央は資料を次々と読み進めていく亜葵を見るともなしに見ていた。
亜葵の目が下へと動いていくのに合わせ、彼の顔は段々険しくなっていく。
最後の頁を読み終えると、亜葵は零央を見下ろした。
「―これはどうした」
「美天が、俺たちを解放するために調べたものだ」
「解放するために?」
亜葵は息をのんだ。
「・・・じゃあ彼女は、ずっと前から“血瞳”の本当の意味を知っていたということ?」
「そうだ」
零央は言葉すくなに答えた。
「なぜそんなことが・・・!」
亜葵は柄にもなく取り乱した。確かに彼女は“血瞳”について、村人たちよりも詳しかった。零央と亜葵に迎えが来たとき彼女が雲隠れした原因は、これにあったということか。
だが、しかしこれは。
「美天には、従妹がひとりいた」
唐突に、零央がつぶやいた。
「俺たちと同じ、オッドアイの従妹が」
「それが今何の関係があるんだ」
亜葵は苛立つ。
「その従妹、名前は“樹理”というらしいが、美天が7歳の時―あいつがあの村に来る前に“血瞳”に収容されたらしい。けれど、“樹理”はそこから脱走した」
「・・・・・」
亜葵は息を詰めた。一旦“血瞳”に収容されたオッドアイが脱走。その末路は火を見るよりも明らかだ。
続く零央の言葉は亜葵の予想通りだった。
「まもなく“樹理”は追ってきた他のオッドアイに殺された。美天はそれを直に見ていたそうだ」
自分の従妹が、同じ瞳を持つ者に殺される現場を。
美天の壮絶な過去に亜葵は絶句した。
「従妹が殺される前に、美天は“血瞳”の真実を聞かされた。そして従妹が殺された日から、美天はその真実を暴くために、証拠を探し始めたらしい」
亜葵は手元の資料に視線を落とした。
“血瞳”の真実。
それは、王の直属であるはずの彼らが、いつの間にか直接監督している王の臣下の手駒にすり替わっていたということ。
今の“処刑人”たちは何も知らされていない。零央と亜葵も、今の今まで自分たちが手にかけていたのは、王に刃向う逆賊だと思い込んでいた。いや、思い込まされていた。
本当は、何も知らない無実な人々。
彼らが“処刑”される理由は、――仲間に誘われたのを断ったから。もしくは、真実を知ってしまったから。
“処刑人”は見事に騙されたのだ。多分処刑された人々の中に、本物の逆賊も混じっていたのだろう。そうでないと王が訝しむし、何より“処刑人”に気付かれるから。
なんて周到で、巧妙な罠だろう。
「俺も多くは知らない」
零央は虚ろな瞳を亜葵に向けた。
「美天は王に、方向を間違えたお伽噺は終わらせなければならない、と言ったそうだ。俺を・・・俺たちを、解放する約束をしろと」
亜葵は考え込んだ。
方向を間違えたお伽噺は終わらせなければならない。
終わらせなければならない。
その、意味を。
「――王は、何と言った?」
「何だと?」
「王は、美天に何と言った?」
零央は眉をしかめた。
「・・・『確かにその通りだ。お気に入りのところでお伽噺をとめたら、方向が折れ曲がった。俺はもう、このお伽噺に飽いている』と」
亜葵は零央の腕を掴んで立ち上がらせた。
「・・・何をするつもりだ」
「零央を逃がす」
零央は目を見開いた。ずっと虚ろだったその双眸に、怒りがやどる。
「ふざけるな。なぜ俺が逃がされなきゃなんないんだ」
「それがあのひとの望みだから」
王のもとに単身、乗り込んで。彼女の従妹を殺した者と同じ“処刑人”になった彼のために。
零央は視線を床に落とした。
「・・・・・そうだとしても、もう遅い」
もう遅い。
そのすべてを諦めた言葉に亜葵は目を吊り上げた。怒りに目がくらむ。
零央の胸ぐらをつかみあげる。
「お前がここから解放することがあのひとの最後の望みなんだぞ!何がもう遅いだ!ふざけんな。彼女は―美天はお前を解放するために死んだようなものだぞ!?」
最後の言葉に零央は頬を叩かれたような顔をし、亜葵を睨み付けた。
「ああ―ああ、そうだ!確かにあいつの死の原因は俺にあるだろうな!けど、お前に何が分かる!?俺は―この“血瞳”で、あいつが最も忌んだここで筆頭に立ち、あいつが最も嫌った血を誰よりも多く流した!今更何が変えられる?もう遅いんだ!」
「たとえそうだとしても!」
亜葵は乱暴に零央を引き寄せた。
「美天はお前をどうしても救いたかったんだ!」
歯を食いしばる。
「お前のためにお前を逃がすんじゃない。俺は美天の望みのために、お前を解放するんだ」
怒りに染まっていた零央の瞳が、唐突に凪いだ。
「・・・・・亜葵、お前、美天に惚れてたのか」
亜葵は零央から手を離した。天井を仰ぐ。
苦笑がもれた。
「・・・ああ、そうだよ。俺は確かに、彼女に惚れていた」
初めて会った時から、彼女の空を映した澄んだ瞳と、揺らがない強さに惹かれていた。
彼女のそばでは、亜葵は嘘偽りのない笑顔を取り戻せた。息をするように自然な笑顔を。
けれど、いつ会いに行っても、殆どの時間を彼女は零央と共に過ごしていた。
淡い想いは、望む前に打ち砕かれた。
どれ程焦がれても、彼女の中に亜葵はいなかった。
どれ程求めても、彼女の瞳に亜葵は映らなかった。
彼女の天の瞳は、最初から最後まで、零央に向けられていた。
だが、それでよかった。
あのときの零央には、どうしても美天が必要だったから。自分を貫き通すことに迷い始めていたあのときの零央には、彼女の潰えない芯のとおった強さが必要だった。
亜葵は、零央のようには、美天を愛せなかった。
亜葵は苦労して作った村の人達との友好な関係を崩すことを恐れたし、“変人”と呼ばれる美天と一緒に居ることで後ろ指をさされることに怯えた。
臆病者の自分は、臆病にしか愛せなかった。
美天との時間が増えたことでさらに陰湿な嫌がらせを受けた零央は、それでも臆さずに彼女を愛した。
亜葵と零央の差は多分そこで、それだけでもう天と地の差だったのだと思う。
きっと、生涯、最初で最後の想い。
それをこの臆病者に芽生えさせた彼女の最後の願いを、叶えてやりたい。
「零央。“処刑”に出てる奴らは当分帰ってこない。翔和さえ躱せば、抜けられる。ところで、これじっくりと読んだか」
亜葵は美天の調査書をふってみせた。零央は戸惑うように瞳を揺らした。
「いや。流し読みしただけだ」
亜葵は軽く頷いて、束の三枚目の紙の裏側にひっそりとくっついていた小さい紙をぺりっと引きはがした。
「なんだ、これ」
受け取った零央が怪訝そうにする。
「逃走経路だ。多分美天が“樹理”から聞いてたのを書き留めたヤツだ」
「・・・・・・」
「ちょうど、俺たちの部屋の隣の武器倉庫。そこに、外につながっている隠し扉があるらしい。その紙によればな」
「おい・・・・・」
「零央。万一に翔和に出くわしたときは適当に誤魔化して。その紙持ってけ」
「お前はっ・・・」
「俺は行かないよ。序列一位二位がいっぺんに脱走したらえらいことになるし、当然逃げ延びるのも難しくなる。お前だけなら、無事なところに逃げ切るまで俺が時間を稼げる」
「ふざけるのも大概にしろよ」
「ふざけてなんかないよ。実に合理的だ。お前だってこれ以上利用されたくないだろ」
「だからって、俺は逃げるような真似はしたくない」
「零央」
亜葵の瞳に苛立ちが浮かぶ。
「いいか。今王に変わって“血瞳”を牛耳ってる監督者―葉景様は、一介の“処刑人”なだけの俺たちでは到底適わないんだよ。お前も葉景様の経歴を知っているだろう?立ち向かうとか馬鹿なこと考えるな」
「・・・・・・」
零央は押し黙った。零央は相手との力量の差を認められない程自信過剰ではない。それでも“逃げる”の言葉に頷けないのは、高い矜持と生来の頑固な性格だ。
亜葵は辛抱強く待った。
「・・・わ、かった」
とうとう、呻くように声をしぼりだした。亜葵は満足げに笑みを浮かべる。
「じゃあ、俺は翔和を探し出してお前を邪魔しないように・・・」
「ただし」
零央は強引に話を遮った。
「お前も来い」
亜葵は固まった。
「・・・あのさ、俺の話聞いてた?言っただろ、行かないって。二人とも行くのは非合理的だ」
「美天は・・・」
「彼女が救いたかったのは、お前だ、零央」
どこか自虐的な亜葵の笑みに、零央は眉をひそめた。
「さ、行くぞ」
部屋を出ようとする亜葵に零央は音もなくするりと近寄り――。
「!?」
その鳩尾に拳を叩きこんだ。
崩れ落ちる亜葵を零央は見下ろした。
『やっぱり心残りはあったなぁ・・・・・』
『僕の大事な大事な弟達のこと、なんだかすっごく心配、だよ・・・』
残念そうな、困ったような笑みを浮かべて、彼女は逝った。
「・・・・・美天の“心残り”の中に、お前もしっかり入ってんだよ、バカ亜葵」
零央は亜葵を担ぎ上げた。




