第四 絶望の接吻
再会した今は、こんなにも遠い。
「美天。何でこんなところにいるんだ」
美天は黒鳶の髪をそっと後ろへ払って、首をかしげた。
「何だ、せっかく会えたのにそっけないなー」
「美天。自分が今どういう状況か分かっているのか」
整った顔にかげりはなく、小さく苦笑がこぼされる。
「多分、君よりはずっとね」
「何で王のところなんかに行ったんだ?」
「んー?僕の弟たちを返してくださいって泣き落とししに来たの」
「・・・・・」
「睨まないでって」
「美天。ふざけてる場合じゃないんだぞ。ことによっては俺は―」
言いよどんだ零央に、美天は悲しそうな笑みを向けた。
「知ってる。僕は君に“処刑”されるんだよね」
「・・・っ」
「まあ、座りなよ。最初から話すから」
「・・・手短にしろ」
「りょーかい」
楽しそうに自分の隣をぽん、と叩いて笑った。
零央がふてくされたように座ると、美天はもう自分よりずっと高くなった零央の頭を手を伸ばしてあやすようになでた。
昔のように。
「・・・照れてる」
「うっさい」
「分からんヤツだなぁ」
「美天」
「あーはいはい、話すよ」
えっと、どこから話そうか。
そう呟いてから、美天は話し始めた。
零央と出会う前の彼女の話から。
「僕が小っちゃいときにね――」
亜葵は落ち着かなげに部屋を行ったり来たりしていた。
通りかかった翔和から不審そうな視線を投げられたが気にしてはいられない。
「美天・・・」
貴女はいったい、何をしようとしていたのですか。
亜葵はため息をつき、手持無沙汰に小瓶を弄んだ。
ふと目を瞬き、小瓶を見つめる。
「あ、薬・・・」
葉景に貸し出したことを思い出し、ため息をついて調合を始めた。
「―というわけで王のもとに乗り込んだわけだ」
零央は軽い調子で語られた彼女の話に言葉をなくした。
「じゃあ、俺と亜葵は・・・!」
「悔しいよね、零央。僕も悔しいよ。だから王のとこに直談判しに行ったんだ」
零央はとりあえず美天の話を聞くことにした。
「まああんまり重要じゃないから飛ばすけど、色々あって運よく王の部屋に入り込めた。話があると言ったら人払いをしてくれて、・・・まあ割と理解のあるヤツだった」
最後の言葉をどこか不本意そうに言う。
「それで僕がちょっとした話をして、早い話、“血瞳”の現状を話して君と亜葵を解放するように迫った」
「何て?」
「隠喩でね」
「?」
「方向を間違えたお伽噺は終わらせなければならない」
「・・・・・」
「まさに今の状況でしょ?」
「それで王は?」
「確かにその通りだ。気に入っているところでとめたら、方向が折れ曲がった。俺はもう、このお伽噺に飽いている・・・ありえないね」
美天は気に入らなそうだ。
「結構本気でむかついてねー。ちょっと一発ガツンと言ってやった」
「・・・」
それが“王への暴言”の正体か。
「・・・何て言ったんだ?」
「うーん・・・」
雑に遠い目をしながら復元した美天によると。
『は?ナニその傲岸不遜な答え。王様だからって調子乗ってるよね?』
『そりゃあ王だからな』
『ふざけるな。てかその服やめて。赤々しすぎてむかつくよ。僕は赤が嫌いなんだよね』
『知るかそんなこと』
『あーあ、僕の村の尊敬すべきおばさまたちが苦労しておさめた血税がこんなものに使われてたなんて。それとも、血税で織ってるからそんなに真っ赤なの?今すぐやめなよ吐き気がする』
『言いたい放題だな、女』
『命なんか惜しくないから脅したって無駄だよ』
『ほう・・・』
『それより今すぐ脱いで。剥ぐよ』
こんな感じの会話だったらしい。
しかも、のらりくらりと逃げる王に腹をたて、本当に服を剥いだとか。
それが“王へ働いた乱暴”か。
零央は頭を殴られたような衝撃を受けた。驚愕。驚愕、驚愕。
「何やってんだ・・・」
怒るつもりの声は脱力して力が入らなかった。
「剥いだ服は・・・?」
なんとなくわかったが、聞いてみる。
「ん?綺麗に裂いて、雑巾にするための布にでもしたらクソバカ王って返しといた」
「・・・怖いもの知らずを超越したな・・・」
「ありがと」
「褒めてねぇし」
「分かってる。照れ隠しなんだよね」
「・・・・・・」
忘れかけていた。美天は人を振り回す天才だった。
零央は心底王に同情した。ついでに王の護衛にも同情した。侵入されたのがこれなんて間抜けすぎる。
しかしそれでは・・・。
「“処刑”になるのも頷ける・・・」
逆に王の手で首を切られなかったことが疑問だ。なんて懐の深い王だ。
零央は不覚にも王を尊敬してしまった。
「まあ、半分は“血瞳”送りになるのを求めてしたんだけどね」
「なんでここに来たかったんだ?」
「弟に会うため」
「・・・・・」
「あ、そこ否定しないの?」
「言われすぎて慣れた」
美天は笑った。悲しげに。
「ねぇ、僕の零央。やっと会えたね」
「?・・・ああ」
零央は怪訝な顔で美天を見た。
「・・・やっと、会えた」
美天の華奢な体が――傾いでいく。
零央は瞠目した。慌てて美天を抱きおこす。
「美天!?」
「あのクソバカ王にさ・・・いい最期をくれてやるって言われたから、有難くもらっておいたんだ。ヤツにしては上出来の贈り物だし」
「美天?」
美天は天井を仰いだ。
「“処刑”されてなんかやらない。僕は僕の意思で死ぬんだ」
「美天っ、何の話だ!」
「ちょっとした睡眠薬だよ。永遠に起きられないけど。痛みもなし、苦しくもない。バカ王にしては上出来だよね」
「美天・・・っ」
いつかと同じように、目のふちに細く白い指があてがわれる。
「ほら、泣かないで。君はもう自由だ」
「ふざ、けるな・・・!」
零央の髪の毛をかき混ぜる。
「・・・うん。タチの悪い冗談だったらって、今でも思うよ。色々・・・」
死ぬのが、怖いんだ。
そう、小さく呟いた。
「樹理は惨殺された。両親も、盗賊に襲われてね。僕、小さいころから死が身近だったことにかけてはちょっと自慢できるよ」
綺麗に微笑みを向ける。
「いつか、血の色が嫌いって、言ったよね。あれは、そういう理由なんだ。自分でもどうにもできない程、血が・・・死の色が、怖い」
美天の手が、片頬を包んだ。
零央はその手を握りしめる。
「美天、俺は何をすれば」
「泣かないで。笑ってとは、言わないけど。そこまで君が幸せな人生送れてたとは思わないからね。けど・・・せめて、泣かないでいてよ」
美天の体が時々震えるように痙攣を起こす。
零央の頬にあてていた手が―力尽きたように落ちる。
美天は寂しげに微笑んだ。
「僕、王に会ったときは心残りなんかない、もう死ぬ準備は万端だ、とか思ってたけど・・・やっぱり心残りはあったなあ・・・」
「何だ?」
零央は美天の口許に耳を寄せる。
「僕の―――――――」
美天はささやくように言った。
「美天・・・」
「もうひとりのオッドアイ君にも、よろしくね」
「美天っ、待て・・・っ」
「――あぁ、・・・やっぱり・・・君の瞳だけは、嫌いになれそうにもないよ」
いつかと同じ言葉を残して、
彼女の体が、
急速に力を失っていく。
「美天っ、美天・・・!」
本当に・・・自分は彼女の前では息をするように、
涙を流す。
頬をすべりおちる雫が、ぱたぱたと落ち、彼女の黒鳶の髪を濡らしていく。
「美天っ・・・・!」
呼んでも、揺さぶっても、もう彼女は起きない。
零央はこぼれおちる涙をそのままにして、身をかがめ、
美天の瞼に、
唇を、
押し当てた。
冷たくなりかけた感触に、また涙があふれる。
「逝くときまで、勝手にするな・・・!」
零央は彼女を掻き抱くようにして抱きしめた。
そして、
「悪い」
一言謝ってから、
唇を重ねた。
冷たい、息をしない、美天。
それなのに、口づけた唇が熱い。
ああ。
最後の最後まで、人を振り回すんだな、美天。
零央は微笑んだ。
哭きながら、微笑んだ。
そのままずっと、消えていくぬくもりを引き留めるように、美天をきつく抱きしめていた。




