第三 幕間―過去
その日も、零央は村の子供たちの代表として来た5人の少年に追い掛けまわされていた。
『んだよ、英雄様のくせに逃げまわってよ!みっともねぇぞ!』
『そうだ!英雄なら反撃して見せろよ、ほら!』
後ろから投げつけられる小石を舌打ちしてやり過ごしながら村中を駆けまわっていた。
その日は何故だか諦めが悪く、日が暮れるまで追いかけてきそうだったので、零央は撒くつもりで森に入った。
ていうか暇だなお前ら。
そんなことを考えながら木々の中を駆けていく。
しかし、そこで思わぬことが起こった。
いきなり視界が開けたのだ。つまり、広い場所に出てしまった。
野原のようで、小川がある。飛び越せなくもないが、向こう側に十分な着地点がない。
『ちっ』
思わず舌打ちが出るほどマズイ状況だ。撒くつもりが、追い詰められた。
少年たちはにやつきながら姿を現した。
『どーした、もうへばったか?ざまあねぇなあ!』
『へろへろだろ、コイツ』
実に不愉快極まりないことをのたまう、ひときわ体格のいい少年を睨み付ける。
5人は零央を囲むように広がった。
零央は自分の息が乱れていないことを確認してから、構えをとった。
『ひとりで俺らに勝てるかっての!』
ひとりが小石を投げつけるしぐさをして、面白そうに笑った。他の4人も何が面白いのか、笑いはじめる。
こいつら、正真正銘、ただのバカだ。
相手にするだけ無駄だなと胸のうちでつぶやいて、とりあえず近い奴を伸そうと零央が片足に体重をのせたところで、
ぴしっ。
小気味いい音が鳴り、いきなり一人が倒れた。
近くに小石が転がったのを見ると、飛んできたのに当たったようだ。
『誰だ!?』
4人が一斉に首をめぐらせる。
『君たち、アブナイお遊びはやめといた方がいいよ』
声が上から降ってくる。
上を見上げると、木の枝の上に・・・少女が腰かけていた。
先がふたつに分かれた小枝に伸縮性のある紐を張ったものをさっと振って見せた。
さっきの小石はあれで飛ばしたらしい。
『ここでの喧嘩は、僕が許さない』
(・・・僕?)
脅すように微笑む少女に、少年達は何か罵声を浴びせてから仲間を引きずって逃げていった。
(もうバカすぎて人の言葉も話せなくなったか)
呆れて見送る零央のそばに、少女が着地した。
『えーっと、・・・こんにちは?』
『・・・あんなの、俺だけで対処できた』
『君、子供らしくないなぁ』
『あんただって、まだ子供だろ』
『君よりは年上だよー』
彼女は間延びした声で答えた。
ふん、と鼻を鳴らして背中を向け、小川のほとりに座れば、何食わぬ顔で隣に腰を下ろす。
(こいつがあの、変人の女か)
村のはずれにひとりで住み、男のような言葉遣いをするという、あの。
黙っていれば相当な美少女なのに、と残念そうに噂されている、あの。
少し皮肉めいたことを思いながら隣を横目で見ると、空色の瞳とぶつかった。
『・・・・・なんだよ』
真面目な目に射すくめられて、ひるんだことを悟られないように表情を動かさず言った。
『――君が、噂のオッドアイ君か』
『・・・・・・ふん』
どうせそんなところだろうと思った。零央の噂はこの少女の住むはずれにまで行きわたっているということか。
『俺の噂を聞いたのか?それとも、亜葵の噂か?』
彼らの村には二人、オッドアイの少年がいる。そして、いつも眉をひそめた人々の口の端にのぼるのは、零央の名前だった。
子供らしくない、態度が悪い、あの子がいるだけでその場の雰囲気が悪くなる。
反対に亜葵はおとなしく、穏やかで、行儀のいい少年だった。
『多分、君の噂だと思うけどね』
彼女の白く細い指が零央の目を指さす。
『左目は漆黒、右目は緋色。無表情で、可愛くない態度。黙ってれば少し陰のある端正で怜悧な顔立ちなのに、言葉遣いは無愛想の極み。それと・・・』
『ああ、もういい』
『何、自分で聞いていて嫌気がさしたの?』
『それは間違いなく俺の噂だ』
『じゃあ、僕は正解だったね』
得意そうに笑う。
『まぁ、ああいうちょっと大人ぶりたい年頃の少年たちに絡まれるのは君のほうだろ?』
零央は彼女をにらみつけた。
『だから何だよ』
『あんなの気にしなくていい。お年頃特有の、英雄へのやっかみだよ』
『オッドアイの戦士たちのお伽噺か?』
『そうそれ』
『・・・あんなもん全部嘘っぱちだ』
嘲りをこめて言った。
『オッドアイは別に特別な力を持っているわけでもなんでもないのに、自分たちとは違うから何か特別な枠を作ってそこに押しこめようとする。英雄になれない自分たちが悔しいから自分たちとは違う人々を英雄に押し上げて、あいつらは特別だから自分たちは適わないって自分たちの無能から目をそらしてるだけだ。自分と同じ人が英雄になるのは許せないから自分と違う人を英雄にして、あいつらがおかしくて自分が普通だってのうのうと努力もしないで自分を正当化してるんだ』
滑稽なほど馬鹿らしいお伽噺。確かに小さいころは自分こそが英雄だ、と夢見た時もあった。
けれど今では、いらない嫉妬や羨望や嫌悪のタネにされて大迷惑なだけだ。
『・・・・・君はバカだね』
『っ・・・なにを』
『素直になりなよ』
天空をうつした双眸にからめとられる。
『あのお伽噺のせいで異色の存在にされて、悔しくて、悲しいんだろう』
『――何を根拠に』
『小難しい言葉で自分の本心を隠して格好つけるんじゃない。僕に嘘をついてもいい。お母さんにお父さんに、友達に嘘をついても、自分にだけは素直になるんだ』
『格好つけてなんか・・・』
『僕はだませないよ』
また、芯が通った声にさえぎられる。
『君がいくら言葉を飾りたててややこしくしても、僕はだまされない。君の本心を、すぐに見出してしまうから』
僕の前で意地っ張りでいても君が疲れるだけだよ、と彼女はゆるりと微笑んだ。
『“普通”になれなくて、悲しいんだろう』
彼女の手が零央の頬に伸びる。
目のふちに指をあてがわれて初めて、零央は自分が泣いていることに気付いた。
『な・・・んだよ、これ・・・』
泣くのは、久しぶりだった。涙の止め方を忘れてしまうほどに。
次々と頬をつたっていく生ぬるい水に、茫然としたままつったっていた。
我に返ってぐしぐしと乱暴に目元をこする零央の前に、彼女がしゃがみこんだ。
条件反射でにらみつけた零央に、彼女は穏やかな声で言った。
『僕はね、赤色が嫌いなんだ。つまり、君の目の色ね』
『・・・・・は?』
涙が止まった。
・・・・・この女、まがりなりにも今、自分をなぐさめていたのではなかったのか。
突っかかろうとする零央を細腕で押しとどめる。
嫌いなんだよ、と彼女は繰り返した。
『けど、どうしてだろうねぇ・・・・・・君の瞳だけは、嫌いになれそうにもない』
そう言って、春の空から零れ落ちる日差しのようにあたたかいまなざしを零央に向けた。
『僕は美天。呼び捨てで構わないよ。よろしく』
彼女の一挙一動に唖然としていた零央は、無意識のうちに名前を彼女に教えていた。
『・・・・零央』
美天は嬉しそうに笑った。
『よし、零央。僕は君と仲良くなる自信があるから、君はこれから辛くなったらここにくるように。あ、別にいつ来てもいいけどね。僕はだいたいいつもここにいるんだ』
これから楽しくなるね、と彼女は含み笑いをした。
それからほとんど毎日、零央は森に遊びに行った。村の子供たちは森についてこなくなったし、暇な時間をつぶすには彼女は丁度いい相手だった。
『今日も見事に異色だねぇ』
『うるさい』
『いつも思うんだけど、君のはまさに対照的な色だね』
怪訝そうにした零央に、美天はやわらかな声で言った。
『すべてを吸い込みそうな漆黒に、自ら輝いて燃える緋色』
『・・・だから?』
『綺麗だね。素直な色っていうか。表裏を併せ持つ人間の本質をよく現している』
『こじつけだ』
『何とでも言えばいい』
彼女はいつでも微笑んだ。
『僕は褒めているんだよ』
村から離れた森の中の穏やかな日々は、木々の間から降り注ぐ木漏れ日にやわらかく包まれた、零央の経験したことのないものだった。零央の日常とはかけ離れたくすぐったい会話は、とても心地よかった。
彼女はよく、いつも胸にさげている象牙色の平石を小川で丁寧に洗い、磨いていた。
『それは?』
『昔死んじゃった従妹の形見』
『・・・悪かった』
人付き合いに慣れない零央はどこまで踏み込んでいいのか分からず、何度も間違えたが、彼女はいつでも明るく笑って零央の頭をなでた。
『それよりも、君が僕と関わってくれる方が嬉しいよ』
時が止まったかのように和やかな時間は、ある日唐突にさえぎられた。
『誰だ?』
『君が、零央か?』
『・・・そうだが』
訝しむ零央に、都から来たという使者は淡々と語った。
オッドアイの戦士たちのお伽噺。
お伽噺が真実で、今もなお“血瞳”は存在するということ。
そして、零央と亜葵の“血瞳”への収容が決まったということ。
言葉を失う零央の目をのぞきこみ、
『ちゃんと右目は赤っぽいな』
と呟いた。
『少ししたら、迎えに来る。準備をしておきなさい』
そんな言葉を残し、使者は去って行った。
オッドアイとはいえ、ただの子供の零央に、反抗するすべはなかった。
時は飛ぶように過ぎ、村には立派な馬車がよこされた。村人たちは自分たちの村から栄誉ある役目をいただく者が出るということに、大騒ぎしていた。
『亜葵』
亜葵は顔を強張らせていた。
『零央。美天に会いに行こう』
村人に好かれた亜葵と、蔑まれた零央。両極端な二人だったが、不思議と馬はあった。だから、亜葵も美天に会ったのは知っていた。
『美天に?』
『今言いに行かなかったら、きっと一生後悔するよ』
けれど、いつもの森に彼女の姿はなかった。
『美天―!』
『美天、いないのか!?』
必死に探しても見つからず、彼女の家さえ知らなかった二人は後ろ髪をひかれるようにして村をあとにするしかなかった。
あれほど自分が無力に感じられたことはなかった。




