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五射目!

 早朝、俺は息苦しさで目が覚めた。

 辺りはぼんやりと明るくなり始めていたから、恐らく午前四時頃だと思う。

「けほっ、けほっ」

 何故だろう。喉がいがいがしていて咳が止まらない。

「けほっ、…がはっ!」

 咳と同時に何かが出た。電気を点けてみると、それはどす黒い血の塊だった。見ていると、嫌な気分になってくる。

“確か、机の上にティッシュがあったような気がしたな……”

 一刻も早くこの血塊をどうにかしようと思って、布団から起き上がる。でも、俺はティッシュを手にすることが出来なかった。

「あ、あれ……!?」

 ふらつく足元。しっかり立つことが出来ない。ゆっくりと力が全身から抜けていくのが分かった。

「だ、誰か……助け……」

 助けを呼ぶも、上手に口を動かすことさえままならない状況。口をぱくぱく開けて何かを言おうとしても、空気が出入りするだけで音が発せられず、息苦しさも覚え始める。

“ああ、俺、もう終わりかも……”

 急速に離れてゆく意識。誰もいない家で、俺の記憶はそこで途切れた。


 暗い場所にいた。でも、自分の立っている場所だけスポットライトに照らされているかのように明るく、場所を移っても明るさは俺を追いかけてくる。

 走って走って走って。どのくらい走ったのか分からなくなった辺りで立ち止まった。

 振り返っても、闇があるばかりで何も見えない。

“ここって、どこなんだろう”

 ふと、そんな疑問が浮かんだが、すぐに捨てた。

 考えても、到底答えは出なさそうだったから。

 仕方なく、俺は前方に向かって歩いていく事にした。

 しばらく歩いていると、水の流れる音が聞こえてきた。もしかしたらと思って音のする方へ行くと、小さな小川を発見する。水面は辺りの闇とは正反対の色をしていて、輝いていた。

“す、すごい川だ……”

 驚きつつも、頭の中では冷静に、「この川を下っていけば、どこかに出られるかもしれないな」と考えて、小川沿いを歩き始める。時折、木でできた橋などを発見したので、人が住んでいるようにも思える。

 何とも不思議な場所だなと思いつつ、俺はしばらく歩き続けた。


 小川沿いをずっと歩いていると、視界に色が出現し始めた。

「す、すげえ」

 俺の目の前には、広々とした湖があって、その周りを取り囲むように新緑の草が彩っている。

 よく見てみれば、蝶が飛んでいる。ただ、その色に自身の目を疑った。紅色の蝶なんて、生まれて初めて見た。

 驚いていると、風に乗って何かが聞こえてきた。耳をすませば、透き通るように美しい歌声だった。

「誰かいるのか……?」

 呟きと同時に、足は動き始めていた。もう俺の意識はその声に傾倒し、声の主の姿をこの目で確かめようという欲求が働いていた。

 草を分け入っていくと、急に視界が開けた。そこには草はあるものの、くるぶしほどしかない。左は湖、右は森の小さな公園のようなところだった。

 そのちょうど真ん中辺りに、一つの大きな切り株があり、そこに歌声の主が座っていた。

 銀に輝く竪琴を持ち、純白のベールに身を包んだ肌の白い黒髪の女だった。

 そのうち俺の存在に気がついたのか、女は歌うのを止めてこちらを見る。途端、まるで時が止まったように感じた。

 女があまりにも美しいのと同時に、どこかで見たような顔つきをしていたためか、俺は少し戸惑いを覚える。

 すると、女は切り株から軽やかに立ち上がり、ゆったりとした足取りで俺のそばまでやってきた。

 そばまで女がやってくると、その歌声からは想像できないほどの一少女だということが分かる。年はおそらく、俺と同じかひとつくらい若いかもしれない。

 視線を再び少女に向けると、彼女は僅かに微笑んだ。

「ようやく会えたね、渉君」

「……はい?」

 この少女は一体何が言いたいのか。そして、何故俺の名前を知っているのだろう。

 少女は表情を変えることなく、俺を見つめたまま続ける。

「時間がないから簡単に言うけど、渉君は私。私は渉君なんだよ」

「何を言っているのか、俺には全く分からないんだけど……」

「そのうち分かるから」

 左手を俺に突き出し、親指を立てる少女。先程の清らかで物静かそうな印象が180度覆ってしまうかもしれない。

 この少女が俺だって? 頭がおかしいのだろうか。

「分からないなあ……」

 俺は腕を組んだ。そして少女に尋ねようと顔を上げると、もうそこに少女の姿はなかった。

 代わりに、彼女の立っていた場所には、白銀に輝く大きな扉だけが胸を張るようにして佇んでいるだけだった。

「い、いつの間に……」

 突然現れた扉に驚いたものの、思わず好奇心が湧き上がり、扉のそばへと歩み寄る。扉には同色のノブがついているのみで、鍵はかかっていない事が判明する。

 さらに、その向こう側からは、聞き慣れた声が確かに響いてくる。

“佐伯君……佐伯君!”

「明日香!?」

 扉の向こうからは相変わらず、明日香の悲しそうな声が届く。

 俺はいても立ってもいられずに、ドアノブをひねり、その先へ走り出していた。

「明日香!!」

 目を開けると、すぐに上体を起こして彼女の名前を呼ぶ。

 辺りを見回すと、ここが病院だということが分かった。そして左を向くと、明日香がびっくりしたかのような顔で俺のことを見つめていたが、それが長く続くことはなく……

「佐伯君……良かった……!」

 彼女は体全体で嬉しさを体現すると、俺へ抱きついてくる。

「ど、どうしたんだよ……」

 困りつつも崩れる頬を感じていると、彼女は顔を埋めたままの状態で口を開く。

「……佐伯君が倒れたって聞いたから、私、すごく心配したんだよ?」

「そ、そうなのか……」

 彼女の言葉を聞いて、ふと思った。

 今まで、これほどまでに俺のことを気遣い、心配してくれた人がいただろうか。いや、いないはずだ。

 恐らく、両親を除いては明日香が最初だろう。

「明日香……ありがとな」

 こみ上げて来るものをぐっと抑えながら、明日香の頭に右手を置いて撫でる。

 最初は嫌そうにしていたが、次第にそれも取り払われたようだ。

 ふと視線を彼女から外すと、病室の窓の先で、鳥が大きな翼を広げて大空へと飛んでいった。


 一日の入院後、母の運転する車で自宅に帰ってきた。

 自分の部屋へ入ると、なんだかとても懐かしいような心地がする。

 布団の上に移動して、あの時のように再び天井を仰ぐ。しかし、胸元に違和感を感じて上体だけを起こした。

 何だか、嫌な予感がする。

 着ていた上着を全て脱いで下を見ると、並々ならぬ戦慄を覚えた。

 平たかったはずの胸元が、わずかに盛り上がっていた。



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