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四射目!

遅くなってしまって、本当に申し訳ありません……。

「よしっ!」

 心地良い……というより豪快な音を立てて、放たれた矢が的を射抜く。

「よしっ!」

 その度、このような掛け声が道場内に響いた。

 本当にかっこいい。これはもう言わなくてもいいくらいに。

「よしっ!」

 その間にも、また的中。

 この部、とても強かったりして……

 ほんの興味本位で、行射を終えた部長さんに訊ねた。

「部長さん、この波場高校弓道部ってどのくらい強いんですか?」

 すると、部長さんは声高に笑い出し、その調子のままで答える。

「この辺りでは一番弱いさ。要するに、弱小さね」

 ……。声が出てこない。

 そんな俺の代わりに、明日香が口を開く。

「で、でも先輩方、結構中ってますよね……」

 確かに。先程から先輩方は一本も外していない。全員が全員、あの小さな的へと、正確に矢を運び続けている。

 とても凄い能力を持っているはずなのに、何故、部長さんはそのように言うのだろうか。

 と、部長さんは顔にいやらしい表情を浮かべて言った。

「じゃあ、試しに弱小さを見せてやるさね」

 そう言うと、彼は的と対峙している8人の先輩方全員に聞こえるような声で、さも何気ないように言った。 

「布団が吹っ飛んだ」

 その途端、道場内の空気がさっと変わった。

 それまでのぴりぴりとした雰囲気が解きほぐされ、先輩方の射が乱れ始める。

 先程まで全射全中であったのに、今は全射残念。

「思ったより効果があったな……」

 部長さんも、場のあまりの変わりように少し驚いているようだった。


「貴久! お前、本当にふざけんなよ!」

「そうだぞ! せっかくいい感じでいってたのに……」

「いやぁ、すまない。本当にすまない」

 先程のイタズラを責められ、すっかり小さくなってしまった部長さん。しかし、その態度に反省の色は見られず、怒っている他の先輩方の反応を楽しんでいるようだった。

 そんな部長さんの態度に呆れた二人の先輩は、何の前触れもなく俺たち一年生を呼び集め、小さな声で話し始める。

「いいか。お前たち一年生は、貴久あんなやつみたいにはなるんじゃないぞ」

「は、はいっ!」

 あまりにも恐ろしい声に、何人かが震えている。先輩はそれを見ると、どこか申し訳なさそうに顔をしかめて静かにその場から姿を消したのだった。


 それからはもう、部活というよりも、恐怖政権下の国民と君主といった具合だった。 明日香は一言も喋ることなく、黙々と仕事をして先輩方の練習風景を見ている。少し横目で見てみると、彼女は自分からというよりは、何か恐ろしいものに脅されているように見えて仕方がない。

“やっぱり、さっきの先輩の影響なのか……”

 仕事をこなしながら、ぼんやりとそう思った。


 部活が終わった。

 “無事”という言葉は、到底使える状態ではない。なんせ、あの後部長さんは左頬に湿布を貼り、いかにも痛々しい姿で弓を引いていたのだから。

日向ひゅうがに殴られた」と言っていたから、きっと一悶着があったのだと思う。

 そんなこんなで、弓道場の外。

 俺と明日香は帰り支度を済ませ、ほとりにしゃがみ込んで、池の中を泳ぐ錦鯉をぼんやりと眺めていた。

「ねえ」

 突然、明日香が口を開く。「なに?」と返すと、彼女は声を潜めて囁く。

「御堂部長、だいじょうぶかな?」

「どうだろうね。あの調子だとだいじょうぶそうだけど……」

 狭い池の中を、悠々と鯉が泳いでゆく。

「でも、部長さんは部長さんで悪いよね」

「うん。確かに」

「先輩方、かなり怒ってたからな……」

「先輩、ちょっと怖かったよね」

「怖かった。俺、背中に嫌な汗が流れたよ」

 俺たちを気にすることなく、鯉は楽しそうに水中で踊っている。

「明日、ちょっと行き辛くない?」

「そうかな。今日は今日、明日は明日って割り切っちゃえばいいんだ。気にすることは無いと思うよ」

「でもなあ……」

 明日香が不安げに呟いた時、池の水が空を舞う。そのまま水は綺麗な放物線を描いて、少し離れた場所で同化した。

 すいすい泳ぐ鯉の仕業だろうと思っていると、案の定、水面で鯉がはねて、再び水が宙を舞った。

 どうやら彼女もそれを見ていたようで、視線は水面に釘付けとなっている。

「とっても綺麗だった……」

 うっとりとした瞳で、ぽつりと彼女は呟いた。


「そこの二人、何をしている?」

 突然、静寂を絶つように濁りのないテノールが辺りに響く。俺と明日香がほぼ同時に振り向くと、そこには、俺に女子用の制服を渡してきたあのメガネ先輩が腕を組んで俺たちを見下ろしていた。

「何か池にいたのか?」

 そのままの状態で、先輩は口を開く。俺は「いいえ」と首を振ると、先輩は「そうか」と呟き、「遅くならない内に帰るんだぞ」と優しい声で言うと、その場から立ち去った。

「……」

 先刻の先輩とは正反対だったため、俺はポカンと口を開けた。もう太陽は西に傾いていて、空を紅葉色に染め上げていた。


 遅くなってしまった帰り道。

 太陽はとっぷりと頭まで潜ってしまい、街灯が嬉しそうに道を照らしている。

 時刻はおよそ、七時頃だろうか。

 先程、明日香と別れたから今は一人。微かに吹く風が心地良い。

「ふぅ」

 思わずため息。もちろん、良い意味で。

「帰ったら、星空観察でもしようかな……」

 雲一つない夜空を仰いで、そんなことを呟いた。


「ただいま」

 言っても誰一人返事をしてくれない。なんせ、両親は共に夜のパートへと出掛けているから。「佐伯家はとても貧乏だから、少しでもお金を稼いで豊かな暮らしがしたい」と、よく両親が言うのを小耳に挟んでいる。

 そのため、毎晩俺は一人で夜を明かす。

 もう慣れてしまったから、寂しさなんて感じない。

 それが当たり前だと、小さい頃から思っていたから。

「今日は何を食べようかな……」

 冷蔵庫の中をくまなく探しながら、今晩の食事を考えた。

 しばらく考えて、ひとまず悪くなってしまいそうなものを処分してしまうことにした。

 二日前の煮物を筆頭に、昨日のサラダ、賞味期限の切れたヨーグルトやプリン……。

 他の人が見たら、絶対引くな……。

 そんな食事をさっさと切り上げて、自室の襖を横に開いて中に入った。

 俺の部屋は客観的に見て、とても綺麗な方だと思う。特に散らかっているというわけでもないので、物が行方不明になるということもないし、逆に散らかそうとも思わない。

 だいぶ前に友達が遊びに来たとき、「部屋を交換してくれ」と言われたのが懐かしい。

 鞄を机の上に乗せ、たたんだ布団を敷いて寝転がった。

 視線の先は、なんの変哲もない無機質な天井。毎日見ているはずなのに、今日は少し変わっているような気がしてならない。

「疲れてるのかな、俺」

 そんなことを呟いて、上半身だけ起き上がる。少し身体がだるく感じ、今日は早めに寝ようと思った。


 風呂上がり。

 パジャマに着替えて、カーテンの外の闇を見ていた。

 視線を上げると、満天の星空。幾つか知っている星座を見つけて、少し嬉しくなる。

 ふと時計を見ると、9時も峠を越したくらいで、電気を付けていない部屋の中は月明かりでぼんやりと明るい。

 その妖しい美しさに思わず心を奪われてしまい、しばらくその状態のまま動くことができなかった。


 どのくらい時間が経ったのだろう。

 はっと我に返って時計を見たら、あれから短い針が2つ移動していた。

 室内の雰囲気にも、若干の変化が見受けられる。

“このまま起きていたら、明日の授業に支障が出るな”

 そう思い、俺は布団に入って見慣れた天井を仰ぐ。

 相変わらずの、無機質なそれ。

 何を語るわけでもなく、ただそこにあるだけ。

“もしあいつが喋るのなら、どんな言葉を俺に掛けるんだろう……”

 首から上を布団から出して真剣にそんな事を考えている内に、睡魔が襲ってきた。

 次第に重くなっていくまぶた。薄れてゆく意識。

“もう無理だな……”

 そう思い、俺は事の成り行きに身を任せる。

 その直後、意識を手放した。


※2011年10月17日…表記を変えました。

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