三射目!
弓道部に正式な形で入部するまでの間、俺と明日香の二人は連日のように弓道場に通った。
先輩方や部長さんには『仮入部』という形で活動に混じっても良いと言われたものの、最初はさすがに遠慮した。
しかし、結局折れて活動に参加し、今や部の一員と化していた。
そして、今日。
担任教師が帰りのHR中に、重要な連絡だと前置きして口を開いた。
「みなさん、今日は部活動結団式が行われます。この式によって、正式に部の一員となるので、部活動に入部する人は忘れずに行くようにして下さい。ただ、各部ごとに場所が違うので、十分注意するように。……詳しくは、この紙に書いてあるので、後で見るようにして下さい」
担任は、みんなに見えるように紙を片手に持ち、高く掲げていた。
だが、俺はそれを拝むことが出来なかった。
というより、字が小さくてここからでは見えない。
仕方ない。後で見に行くとするか。
ピンと伸ばしていた背筋を、いつもの若干猫背気味のそれに戻す。
俺はつくづく思う。“やはり、この姿勢が一番楽だ”と。
「起立!」
「っ!」
突然掛けられた号令に俺は狼狽え、勢いよく机に膝をぶつけてしまった。
机はガタンと音を立てて揺れ、俺は膝にやってくるやんわりとした痛みを紛らわせるため、片手でそこをすりすり。
「いてぇ……」
呻くように呟けば、教室内が爆笑の渦に包まれた。
「佐伯君、慌てすぎです」
あの担任でさえ注意するわけでもなく、生徒と共に腹を抱えていた。
そんな姿を見ていると、胸の奥から得体の知れない「なにか」がこみ上げてくるのを感じた。
と同時に、両耳、顔が熱を帯び始めた。
俺はそれの正体が「羞恥」だと知るや否や、顔を伏せた。
その後も、クラスはしばらくの間笑いに包まれていた。
かれこれ10分が経過した。
ようやくHRが終わり、みんなが帰り支度を始めた教室内は、先程とはまた別の賑やかさに包まれている。
俺もみんなと同じように机の中から勉強道具を取り出すと、ここに置いていく物、持ち帰る物にそれぞれ仕分け作業を開始。
「佐伯君、なにしてるの?」
手を動かしていると、どこからともなく声が掛けられた。
ゆったり顔を上げてみれば、明日香が立っていた。
「なんだ、明日香か……」
「“なんだ”とはなによ?」
「別に……」
彼女は探るように俺を見ていたが、そのうち一つ溜息を吐いた。
その姿はまるで、泣き喚く乳児をやっとの思いで寝かしつけた母親のようにくたびれていた。
「どこか具合でも悪いのか?」
声色を少し変え、俺は彼女に訊ねてみる。
すると、明日香は机の前でしゃがんだ。
目線が机の上10センチぐらいになる。
俺はそそくさと机上の教材を鞄にしまい込むと、彼女が口を開くその時を待った。
何かをためらうように、視線を泳がす彼女。その様子を見ているうち、一つの考えに行き着いた。
しかし、それを口に出して、彼女の機嫌を損なわないだろうか。
考えた末に、俺は“一人で結団式の場所に行きたくない”という主旨をを隠すため、オブラートに包むような形で言った。
「もしかして、“あれ”か?」
すると、明日香は“あれ”の指し示す事を勘違いしたのか、顔を赤く上気させた。
「ち、違うよ……」
彼女はそう否定して、「バカ」と付け加えた。
何故「バカ」と言われなくてはならないのか理解に苦しむが、訳も分からず沸き出してくる罪悪感に押され、「ごめん」と一言謝罪の言葉を口にした。
その後、俺は明日香に事情を説明して、拗れた空気を修復することに成功する。
俺と彼女の間に、深い溝が生まれなくて良かったとつくづく思う。
(ここで仲が悪くなったら、後々厄介なことになっていたな……)
「なにか考え事でもしてるの、佐伯君?」
「わっ!」
どうして俺はこんなにも“突然”に弱いのだろう。
「ほんと、佐伯君ってビックリ症候群だね……」
そのせいで、変な病名を突きつけられる。
……まあ、実際変な病気に罹ってはいるんだけどね。
「でさ、私たちが行く場所ってどこだっけ?」
「ん? 弓道場だよ?」
さっき確認したから、これには自信があるぞ。
「じゃあさ、何分までに行くんだっけ?」
……。
明日香、君は紙を見た? しっかりそこに書いてあるのに。
「3時45分までに…」
そこまで言って、時計を見た。
「ッ!?」
本当に焦った。
現時刻は3時38分。
歩いて弓道場に間に合うように着くなど、到底無理だった。
「明日香、急ぐぞ!」
そして、俺たちは走り出した。
相変わらずの陰鬱さを醸し出す、この波場高校弓道場。
前来た時は分からなかったが、入り口手前の木立の中に、小さな池があるらしい。
それほど広くはないものの、鯉が数匹いると、部長さんが教えてくれた。
「でな、その鯉にエサをやるのは一年生の仕事なんだわ」
「えっ!?」
「ははっ。大した事じゃないがね。単にこいつを池にぱらぱらっと撒けばいいだけさね」
いつの間にか、部長さんの右手にはペットショップでよく見かける『鯉のエサ』が握られていた。
普通なら、これは弓道場にあるはずのないものなんだけどな……。
と、部長さんがいないことに気付いた。
辺りを見回すが、部長さんの「ぶ」の字も見えないわけで。
「なあ、明日香。部長さんどこ行ったか分かる?」
すると、彼女は無言のまま、ある一点を指した。
それを辿ってみれば、確かに部長さんがいた。
弓道場の、屋根瓦の上に。
「ぶ、部長さん!? なにしてるんですか!?」
瓦の上に寝転がり、空を仰ぐ部長さん。
彼は俺の声に反応して、上体を起こしてこちらを見た。
「なにさ。ここは俺の特等席だからな。のんびりしてるだけさね」
「……」
これには驚いた。
隣を見やれば、明日香も驚いて口をあんぐり開けている。
それに反し、部長さんは「今日は良い天気さね…」と大きく背伸びしまた横になると、そのまま心地よさそうに寝てしまった。
「……」
……部長さん、危機感なさ過ぎですよっ!
「少し遅れたけど、これから結団式を始めるさね」
欠伸をしながら、さも眠たそうに宣した部長さん。
時刻は午後4時5分。
少しばかりでない。かなり遅れている。
原因は明らかだった。それは単に部長さんが寝過ぎたためだ。
そのせいか、今にも眠ってしまいそうな表情を浮かべて座っている。
さらに、進行の仕事も二年生の先輩にバトンタッチしてしまった。
本当に部長さんは自由な人だなあ。
「さて、始めに顧問の……」
こうしている間も、着々と進んでいく結団式。
「ねえ、佐伯君」
「ん?」
よし、今回は大丈夫だった。
突然の声掛けだが、慣れてきたのか、俺は至って一般的な返事をすることができた。
「自己紹介みたいなの、どうする?」
「うーん……。特に考えてない」
「ぶっつけ本番でするの?」
「うん。そうなるかな」
そこで明日香は、少し考えるような素振りを見せた。しかし、すぐに口を開いて次を繋げた。
「それじゃ、私もそうしようかな?」
右手で口元を押さえ、自然に微笑む彼女を見ていると、俺までも微笑んでしまう。
「うん、それがいいと思うよ」
そう告げ、彼女とのプチ会議はお開きになった。
「では、各自自己紹介をしてもらいましょう」
部長さんから進行を仰せ付けられたら二年生の先輩。彼は厳粛な中に少し茶目っ気を織り交ぜて言った。
そして、彼はゆったりと部長さんの所へ歩み寄り、先の俺と明日香がしたような小会議をしていた。
しかし、それはすぐに終わって、彼は再び正面に戻ってきた途端に口を開いた。
「自己紹介の方ですが、一年生からということになりました。では一年生、どうぞ!」
いや、いきなり「どうぞ!」とか言われても困るし。
一年生は全部で5人。その誰もが立ち上がろうとはしなかった。
その様子を見かねたのか、部長さんが気怠そうな口調で言った。
「んだら、1組の出席番号が早い順から発表すればいいさね」
彼の言葉を聞いたあと、一年生5人は無言ながらも、「誰だよ、最初に発表するヤツは」的雰囲気をひしひしと出し始めた。
……ん? 待てよ。
たしか1組と2組の人はここにいないはず。3組は俺と明日香の2人だけだから……
最初に発表すんの俺じゃん!
「はぁ…」
溜息を吐くと、仕方無く立ち上がる俺。途端、先輩たちが「おっ」というような表情を浮かべ、変態知的メガネ先輩はニヤニヤしていた。
“大丈夫。普通に話せばいいんだ”
先程まで進行の二年生がいた辺りで振り返る。
みんな、俺のことを見ている。
……ダメだ。凄く緊張してきた!
“みんなジャガイモ、レタス、人参、カボチャ…”
何度も頭の中で呟き、俺はようやく口を開くことができた。
「い、1年3組の佐伯渉です。と、特技は……あっという間にどこでも寝れることです。こんな俺ですが、よ、宜しくお願いします!」
言い終えたら、凄まじいほど恥ずかしさがこみ上げてきた。
すぐさま俺は、もといた場所にダッシュで戻ると、真っ赤になっているであろう顔を隠すように俯いた。
そんな事をしている間に、明日香が立ち上がって離れていき、自己紹介を始めた。 彼女は自己紹介を大きな声で、そして相手に分かりやすくハキハキと行っているのが聞いていて分かった。
顔を上げてみれば、時折身振り手振りを加え、流暢に話している。
“明日香、発表上手だな……”
程なくして、彼女は自己紹介を終えてこちらに戻ってきた。
「ナイスだったよ、自己紹介」
隣に座った明日香にそう声を掛けると、頬をほんのり朱に染めた彼女は、ぶっきらぼうに「ありがと」と呟いた。
その後も快調に進んでいった自己紹介。
あっという間に最後となり、トリを飾るのは部長さんだ。
未だ眠たそうに目を擦り、のっそりと立ち上がった。
スローペースで正面までやってくると、彼は一つ欠伸をして話し始めた。
「えー…俺、部長。またの名を御堂貴久さね。気軽に“御堂”でも良いし、“部長”でもいいから。よろしくな」
言い終えた途端、大欠伸。そして自ら「自己紹介終わりー」と宣し、もといた場所へと戻ってしまった。
なんというマイペース。
「で、では、これにて結団式を終わりにします」
先程まで座していた二年生の先輩が、前に出てきてそう告げた。すると、幾分場の雰囲気が和む。
「佐伯君」
「ん? なに?」
明日香の声に反応して彼女の方を向くと、片手がこちらに差し出されていた。
「これから頑張ろうね?」
彼女の言葉で、俺は理解した。
「うん。頑張ろう!」
頷いて、俺は彼女の手を握り返す。
今日から俺たちは、波場高校弓道部に正式な形で入部した。
俺はその場で立ち上がると、ひとつ大きく深呼吸。
すると、心の中に何かが芽生えたような気がした。
すいません。かなり遅くなってしまいました。
1月に投稿するはずが、3月になってしまうという非常事態。
遅筆でごめんなさい。
飽きたというわけではないので、ご理解を。
ではではっ。
※2011年3月24日…部分的に編集しました。
※2011年10月17日…表記を変えました。