第4話(ヴァネッサ視点)
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それから一週間後。
公爵様は、正式にイザベルとの婚約を破棄し、私と婚約を結んだ。
あまりといえばあまりな急展開に、お父様もお母様も眉をひそめたが、公爵様が相手では、強い態度に出るわけにもいかない。そして、公爵様から、思わず目が飛び出るような婚約支度金を納めてもらったことで、二人はすっかり怒る気をなくしてしまった。
ふふ。
ふふふ。
残念ねえ、イザベル。
あんたをあれだけ可愛がっていたお父様とお母様も、不条理な婚約破棄を、結局はお金を積まれることで納得してしまった。二人のあんたに対する愛情なんて、そんなもんだったのよ。
たまらない勝利の快感で、天にも昇るような気持ちだったが、ひとつ気に入らないのは、イザベルの態度だ。……あの子ったら、公爵様を私に取られたのに、怒るでも、悲しむでもなく、いつも通りにニコニコ笑っているだけ。ショックが大きすぎて、頭がおかしくなったのかしら?
ふん……
なんか、余裕を見せられてるみたいで、イラつくわね。
そうだわ。
少し、煽ってやろうかしら。
天使気取りのあの子でも、婚約者を奪った姉にからかわれたら、さすがにヘラヘラと笑ってはいられなくなるでしょ。私はそう思い、イザベルの自室に向かった。適当なノックをし、返事も待たずにドアを開ける。室内では、窓のそばに座ったイザベルが、のんびりと外を眺めていた。
イザベルはこちらを見て、いつも通りに、ニッコリと微笑む。
「お姉様、何か御用ですか?」
ちっ。
何よ、その笑顔は。
もっと、悔しそうな顔で私を睨みなさいよ。
私はあんたから婚約者を奪った女なのよ。
私は内心の不快さを隠す気もなく、言う。
「何よ、御用がなきゃ、来ちゃいけないわけ?」
イザベルは、小さく首を左右に振った。
「ごめんなさい、そういうわけじゃないんです。ただ、お姉様はいつも、何か特別な用事がない限りは、私の部屋を訪ねてはくれませんから……」
「ふん、そうね。特別な用事がなきゃ、あんたと二人きりで話したりなんて、したくないもの。……今日はね、実の姉に婚約者を寝取られた、無様で間抜けな妹の顔を拝みに来たのよ。思った通り、しょぼくれた、情けない顔してるわねぇ。笑えるわ」
実際のところ、イザベルはしょぼくれた顔などしていない。
驚くほど、いつも通りである。
しかし、これほど露骨に煽られたら、さすがのこの子もムッとするでしょう。
さあ、怒りなさい。
良い子のふりは、もうやめなさい。
怒って、恨んで、私の前で、見苦しい姿をさらけ出すのよ!
だが、イザベルは相も変わらず、柔らかく微笑んだままだ。
その超然とした態度に、私の方が心を乱し、叫んでしまう。
「あんた、何笑ってんのよ! 頭おかしいんじゃないの!? 男を取られたっていうのに、なんでそんなに、平然としてられるのよ!」
イザベルは、息を荒げた私をなだめるように、静かに言う。
「お姉様、実は私、公爵様とは結婚したくなかったんです」
な、なんですって……?
いったい、どういうこと?
驚き、唖然とする私に、イザベルは淡々と、説明をしていく。
「公爵様は大変強引な方で、舞踏会で出会った私を気に入ってからは、もう、どんな手を使ってでも私を手に入れるといった感じで、婚約を迫ってきました。私は必死にお断りの意思を示しましたが、公爵様はまったく聞く耳を持ってくれませんでした……」
「…………」
「そして、この地域一帯を治める公爵様のご機嫌をこれ以上損ねては、お父様にもお母様にも、そしてお姉様にもご迷惑が掛かってしまうかもしれないと思い、私は、公爵様の婚約を受け入れたのです」
「し、信じられないわ、そんな話。いくら乗り気じゃない婚約話とはいえ、相手は公爵様よ? 断る理由なんてないじゃない!」
少なくとも、私にとっては、そうだ。……いや、私だけじゃない。権力と財力を併せ持ち、容姿までもが美しいメレデール公爵から婚約を申し込まれて拒否する女など、そうはいないはずだ。
イザベルは、まっすぐな瞳で、私を見つめて言う。
「そうですね……でも、その、うまく言えないんですけど、私、あの方が苦手で……それに、私には、他に好きな人がいるんです。だからどうしても、公爵様とは結婚したくなかったんです」
「だ、誰よそいつ。公爵様からの婚約話を断るってことは、公爵様より、上の立場の男ってこと? まさか、王族とか……」
その時、「ふふっ」と、小さな音がした。
どうやら、イザベルが笑ったらしい。
彼女はたおやかな微笑を浮かべたまま、私の問いに答える。
「王族だなんて、とんでもない。お姉様も知ってる方です。……長年、うちの門番をしてくださっている、ウェインさんですよ」
……
…………
………………はぁ?
ウェインって、うすらでかい体だけが取り柄の、陰気くさい門番のおっさんじゃない。まあ、清潔感はあるし、顔の作り自体は整ってると思うけど、華麗なる公爵様とは、比較にもならない男だ。
私は訝しげな目で、問う。
「あんなおっさんが好きだなんて、あんた、私をからかってるの?」
対するイザベルの目は、真剣そのものだ。
「とんでもありません。私、一度だってお姉様をからかったことなんてありませんわ。……ウェインさんは、強くて優しい、私の、理想の男性です」
「…………」
「お姉様はあまりウェインさんとお喋りしたことがないから知らないでしょうけど、寡黙に見えて、実は気さくで、冗談がとてもお上手なのですよ。それに、ウェインさんはまだ二十代半ばです。おじさんではありませんわ」
どうでもいいわよ、そんな話。
なんで私が、門番ごときのことを知らなきゃいけないのよ。
……しかし、驚いた。
嬉々としてウェインのことを語るイザベルの瞳は、疑う余地もない、恋する乙女のものだ。心の底から理解に苦しむが、この子は本当に、あの大男のことを愛しているらしい。
私は「ふん」と鼻で笑い、イザベルを見下すと、嫌味を言う。
「あのウェインが理想の男性だなんて、あんた、素晴らしい男の趣味をしてるわねぇ」
だが、イザベルにはその嫌味が伝わらなかったらしく、ウェインを褒められたと思ったのか、嬉しそうに目を細めて笑った。
「はい、私もそう思いますっ。ウェインさんは……」
「ちっ、馬鹿ね、あんた。私は嫌味を言ったのよ? あんな傭兵あがりの野暮ったい男を『理想の男性』だなんて言う、あんたをコケにしてるのよ」
「そ、そうなのですか……」
「まったく、理解に苦しむわ。あんなの、公爵様と比べたらカス以下じゃないのよ。身分だけを比べてみても、あんたとはまるで釣り合わないでしょ」
私の言葉を遮るように、イザベルはやや強い調子で言う。
「お姉様。人が人を愛することに、身分など関係ありません」
一点の曇りもない瞳で見つめられ、私は思わず、黙った。
くそっ……イザベルの、この目……
一切迷いのない、宝石のように美しい瞳……
ただ単に、見た目が綺麗なだけでは、こんな瞳にはならない。
邪心の一切ない、清らかな魂が、意志となって目に宿ったかのような、特別な瞳。
これが、嫌いなのよ。
これが、イラつくのよ。
この目で見つめられると、なんだか自分が、とてつもなく汚らしい存在に思えてくる。




